第8話 暴走するクラウド
10/9 第8章全話一括公開!
「旦那様!」
「サイラス、空いている客室に案内しろ。医者の手配もだ。侍女長を呼んで部屋を整えさせろ」
クラウドの執事を勤める初老の男、サイラス・レーバイが突然帰ってきたクラウドの下へ急ぎ駆け付けると、いきなりそのような命令を受けた。
敬愛する主の腕にはメイド服に身を包んだ少女が抱き抱えられている。そして息を呑む。
「セ、セレ――」
「サイラス、客室と医者だ」
「――っ! は、はい、こちらです」
クラウドが子供の頃から仕えている彼は、当然その思い人のことも知っていた。熱愛が発覚するまでは同僚だったのだから当然である。
死んだはずのセレナが当時の姿でクラウドに抱かれて戻ってきたのだから、混乱は必至だ。しかし、有無を言わさぬクラウドの声が、辛うじてサイラスを正気に戻した。
使用人達が遠巻きに様子を窺っている。伯爵がメイドを抱いて通路を闊歩していれば目立つに決まっていた。だが、クラウドは周囲の視線など知らぬと言わんばかりに早足で客室へ向かった。
「この部屋をお使いください」
案内されたベッドに入る。サイラスが布団を広げてくれ、クラウドは彼女の背中をベッドに預けた。ここまで少女は一切目を覚ますことはなかった。眠っているというより気絶しているように見えて、クラウドはとても心配になる。
そして、ベッドに寝かしつけた少女から繋いでいた手を放そうとして――。
「んっ?」
――手が離れないという謎現象に気が付いた。
(な、なんだこれは……?)
少女が握りしめているわけではない。もちろんクラウド自身も未練がましく手を握っているわけでもない。だが、少女と自分の手と手がくっついて離れないのだ。
こんな状況だが目を点にして驚くクラウド。あまり強く動くわけにもいかず、優しく手をプラプラさせてみるが、接着剤でも使ったかのように手を放すことができなかった。
「旦那様、何をされているのですか?」
少女に布団を被せてあげようと待っているサイラスが、訝しむようにクラウドを見た。
「いや、それが、彼女の手が、離れないのだ」
サイラスは敬愛する主にジト目を向けた。若干「こんな時に何をしてるんだ」という侮蔑の感情が混ざっているようにも見え、クラウドは慌てて弁明を始めた。
「ほ、本当だ! 本当になぜか手が離れてくれないのだ!」
「……分かりました。そういうことにしておきましょう。私は医者の手配と、侍女長に説明をして参りますので……ほどほどになさってください」
そう言って、サイラスは少女に布団を掛けてやる。
「本当だと言っているだろう!?」
「病人の前ですよ、お静かに。では、失礼します」
(あいつ、絶対勘違いしている!)
セレナにそっくりな少女から離れたくないための幼稚な言い訳だとでも思ったのだろう。サイラスは呆れた表情で部屋を出ていった。
一人になったクラウドは大きなため息をつくと、ベッドに眠る少女に目をやった。
「……まるで生き写しだな」
やんわりと胸のあたりの布団が上下している。一見した限りでは熱もなく、呼吸が乱れていることもない。脈も測ったが危険な兆候は見られなかった。
しかし、離れない少女の手が冷たい。やはりどこか悪いのだろう。早く医者に診てもらわなければと思い、少女の手を強く握った。
その時、クラウドはあることに気が付く。
微弱だが、繋がれた手を介して、クラウドの魔力が少女へと流れているのだ。集中しないと気付かないほどに少しずつ。
(だが、何というかこれは……)
それはとても非効率な現象に感じた。クラウドから十の魔力が抽出されたとして、実際に少女の下へ流れているのは一か、二かというくらいほんの少しだけだった。
何かの魔法だろうか。クラウドは訝しむが、あまり危機感は抱いていない。なぜか不思議と、もっと吸い出せと思ってしまったのだ。
一般的に魔法使いの魔力不足は自力回復以外に方法はない。魔法薬で回復を促進することはできても、直接補充することはできないのだ。だから、クラウドには自身の魔力が少女へ流れていく意味が理解できなかった。
魔力を補充するためだということも。彼の魔力が補充に値する波長を有している事実にも。
「失礼いたします」
やがて、客室に侍女長が姿を見せた。クラウドに一礼し、ベッドへ近づくとサイラス同様、彼女もまた息を呑む。
「……まるでセレナが帰ってきたかのようですね」
「君もそう思うか」
「ええ。ですが、セレナではございません」
侍女長は一時瞳を揺らしたが、さすがというべきか、すぐに居住まいを正してピシャリと言い放った。クラウドは侍女長からそっと視線を逸らして答える。
「……ああ、分かっているよ」
自嘲気味に笑うクラウドに、侍女長はほんの少しだけ眉間にしわを寄せると作業に取り掛かった。
「とりあえず必要な品は用意しますが、こちらの方はどれくらい滞在されるのでしょう。メイドのようですが、どちらのお屋敷にお勤めで? そちらにも連絡をいたしませんと。あちらで引き取るという話になるかもしれませんし」
「分からない」
「分からない?」
「その、馬車で見かけて、いきなり倒れたのだ。彼女の名前も知らなければ、どこのメイドかも分からない。だから、その……」
「……念のため、長期滞在も視野に入れて準備しましょう」
「ああ、頼む――あっ」
「どうされました?」
「いや、何でもない」
そう言って、クラウドは布団から自分の手を引いた。
唐突にクラウドと少女の手が離れたのだ。よく分からないが、何となくこれ以上魔力を注ぐことはできないのだろうとクラウドは理解した。
それからしばらくして、サイラスが呼んだ医者が姿を見せた。年配の女性の医者だ。相手が女性なので配慮してくれたらしい。
クラウドとサイラス、侍女長が見守る中、医者が下した診断結果は『異常なし』であった。
「どこか特別悪いところがあるわけではなさそうです。肌つやはいいので栄養不足でもないと思うのですが、どちらかといえば過労が近いかもしれません。しばらく様子を見てみましょう」
そんな診断を受け、とりあえず目が覚めたらスープでも飲ませてみようという話になった。
とりあえず緊急性がないことに安堵すると、クラウドは礼を告げ、サイラスに案内されて退出する医者を見送った。
侍女長は今もこの場に残っている。メイドとはいえ、クラウドと女性を二人きりにするわけにはいかないからだ。まして相手はセレナにそっくりな少女である。何があるか分からない。
「……それは、昏倒して眠っている少女に私が不埒を働くとでも言いたいのか」
「そのようなことは申しておりません……ただ、当家には旦那様がメイドに手を出して妊娠させたという事実があるだけでございます」
「うぐっ」
もちろん恋仲ゆえの衝動だったが、それもまた変えようのない事実である。侍女長は眠るセレナを見つめ、ほんの少しだけ眉尻を下げて呟いた。
「……先代様が直接動く前に、あの子に暇を与えたのは私です。それが最良だと思いましたので」
クラウドは静かに侍女長の言葉を聞く。
「機転が利き、メイドとしても優秀な彼女なら他家に行っても上手くやれると思っていました」
「……」
「あの後、ほとぼりが冷めたら声を掛けるつもりでした。だけど彼女の足取りは掴めなかった。お腹に子を宿しているのでは、紹介状があっても雇ってもらえるわけがありません」
「……そうだな」
「ましてそれが若様の子となれば、いつ誰が子供を利用しようとやってくるか気が気でなかったことでしょう。だから、あんな国の端まで移動して……」
侍女長の手が少女の頬にそっと伸び、だがしかし、その手は触れることなかった。侍女長は触れ損ねた手を引き、胸のあたりで牛と握りしめた。
「それは、この子には何の関係もない話ですわね。申し訳ありません。あまりにもこの娘がセレナに似ていたものですから」
「いや、いいんだ。私も似たようなものだから」
クラウドがそう返すと、侍女長から感傷的な雰囲気が消え去り、キリッと居住まいを正した。
「承知しました。やはり、私は旦那様がこちらにいらっしゃる限り、こちらに残ることを固く誓いますわ。この娘は私が、今度こそ守ってみせます」
「だから違うと言っているだろうが!」
「病人の前ですよ、お静かに」
「ぐぬうっ!」
この場に第三者がいれば、クラウドと侍女長の間でバチバチと火花が散る情景が目に映ったかもしれない。
唐突に室内が緊迫した直後、扉をノックする音がした。侍女長が誰何するとレクトだという。
「レクトが? 何の用だ」
「それが、もしかするとこの少女は知り合いかもしれないと仰って」
「知り合いだと?」
クラウドはレクトを部屋に招き入れた。眠る少女を目にしたレクトは眉間にしわを寄せて小さく息をつく。
「……知り合いです」
「何だと。レクト、この娘のことを知っていて私に隠していたんだな」
「……はい。この娘はセレナ様とは別人ですから。その、混乱させてしまうと思いまして。聞けば血縁というわけでもないらしいので」
「賢明な判断ですね」
「うぐぅ。それで、彼女はどこの誰なんだ」
「ルトルバーグ伯爵家のメイドで名前は……セレーナと言います」
侍女長は自由に発言してよかったら「うわぁ」とか言いたい気分だった。
「はぁ、フロード様が隠されるのも納得ですね。容姿だけでなく名前まで似ているなんて」
ため息をつく侍女長の傍らで、クラウドは別のことを考えていた。
(セレーナ。聞き覚えがある。どこだ? ……ああ、セシリア嬢から聞いたのだ)
王立学園への編入を希望するセシリアの面談をした日、そんな名前のメイドがいると彼女から聞いていたのだ。
(まさか、こんな近くでセレナによく似た娘が働いていたとは……だが、ルトルバーグ家となると我が家で預かるわけにもいかないか)
同じ伯爵家ゆえ、屋敷同士はそこまで離れてはいない。いわばご近所さんである。所属が分かった以上はルトルバーグ家に連絡して引き取ってもらうのが筋だろう。
「……レクト、ルトルバーグ家に行って――むっ?」
レクトに命じようと口を開いた時、眠る少女――セレーナのまつげがピクリと揺れた。
「――んっ」
重たそうに瞼が揺れ、セレナそっくりの瑠璃色の瞳が姿を見せる。
「瞳の色までセレナと同じだなんて」
侍女長が息を呑んだ。ゆっくりと瑠璃色の瞳が揺れ動く。まだ視界が定まっていないようで、まるで何かを捜しているようだ。
「大丈夫か?」
クラウドが訪ねるが返事はない。彼の声は耳に届いていないようで、セレーナの唇が動いた。
「……メロディ、お姉様」
それだけ口にすると、再びセレーナの瞳は瞼の裏に隠れてしまった。
「メロディ、お姉様?」
「セレーナが姉のように慕っている、ルトルバーグ家のメイドです。今は確か、王立学園の学生寮を担当していたかと」
レクトが答え、クラウドは逡巡した。そしてクラウドはレクトに命じた。
「王立学園へ行って、そのメロディというメイドをここへ連れてきなさい」
「え? ですが、彼女は学生寮で仕事を」
「……私は行けと言ったのだ、レクティアス」
有無を言わさぬ眼光に、騎士でありながらレクトは気圧され、首肯することしかできなかった。
侍女長は思う。やはり彼女の存在を隠していたレクトは賢明だったのだと。
こうして、レクトは王立学園へひとっ走り向かうことになったのである。
「フロード様、学園へ向かう前にルトルバーグ家にもご連絡をお願いしますね。きっと心配してるでしょうから」
「はい……」
せめてこの場に侍女長がいてくれたことがせめてもの救いだと、レクトは思うのだった。
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