第31話 転生者は警戒中
一台の馬車が舞踏会会場から走り出した。メロディとレクトの馬車である。
馬車はレクトの屋敷に向けて貴族街へ向かう。
その光景を会場の屋根からこっそり窺う人間が一人。
第四攻略対象者、ビューク・キッシェルだ。適当に短く切られたボサボサの紫の髪と灰色の瞳。八年間の苦労のせいか身長は低く、メロディよりやや高い程度。現在の年齢は十八歳だが、年相応に成長できなかったためかその容貌は十四、五歳、下手をすれば十二、三歳にさえ見える。
ボロ切れのような薄汚いローブに身を包んだ彼の右腕には、黒い刀身の剣が一振り。普通の人間には見えないが、その刀身からは黒い靄が噴き出しており、ビュークの全身を覆いつくしていた。
(……まさか、あんな小娘に……気配を察知されるなんて……ただの、偶然、か?)
剣に魅入られたビュークの意識は混濁していた。今となっては、この思考も彼自身のものなのか剣に宿る意思によるものなのか、彼にも判断がつかない。
(本当なら……あの時、会場に、乱入するはずだった、のに……まさか、隠形の魔法が掛かった俺に……一瞬視線を向けただけで……気取られるなんて……)
これはおそらくビュークの感情だ。死と隣り合わせの戦場で生き抜いた彼の八年間と、元々魔法使いとしての素養が高かったことから、ビュークの実力はテオラス王国筆頭魔法使い、スヴェン・シェイクロードに迫る勢いだった。そのうえ、今の彼は魔剣の魔力と繋がり、実力以上の能力を手に入れた……はずなのに。
(舞踏会に参加するような……小娘に……気づかれるなんて、あの娘は……一体……)
ビュークは馬車が見えなくなるまでその姿を目で追った。そして、それは闇夜に姿を消す。
(……小娘のことなど、どうでもいいではないか……気づかれたとはいえ……娘自身は……もういない。ならば……さっさと会場に、降り立ち……目的を遂げなけれ……ば)
踵を返し、再び窓へ向かうビューク。だが、数歩進んだところで彼の足が止まる。
(……ダメだ。あのような、未熟そうな少……女に、気づかれたのだ。今……他の人間に、気づかれていないという……保証などない。このままあの窓から入るのは、危険……だ)
ビュークの手にある魔剣がカタカタと震えた。彼の右腕に力が入り、剣の震えが止まる。
(……復讐は、成功してこ、そ、意味が……ある。誰にも、気取られて、いないのか……再び確認して、からでも……遅くは、ない。舞踏会は……まだ、始まった……ばかりなの……だから)
屋根にいたビュークの姿が、暗闇に溶けるように消えた。
「結局、現れなかったな」
「舞踏会が終わるまでは油断しないで」
「分かってるよ」
王太子クリストファーと侯爵令嬢アンネマリーは、挨拶に来る貴族達の相手をしながら隙をついてこっそり二人で会話を続けていた。もちろん、ビュークが急襲するはずの窓への警戒も継続している。
ある程度参加者達をさばき切り、二人はようやく息をつくことができた。クリストファーにエスコートされ、二人は王族専用の休憩エリアへ移動した。
「ふぅ、ここならしばらくゆっくりできるわね」
ソファーに腰掛け、アンネマリーは扇子で顔を隠すと、誰にも見えないように息をついた。
「毎回のことだけど、やっぱり疲れるよな。地が出せないってつれえよ」
「仕方ないわ。私にしろあんたにしろ、素でしゃべりだしたら大変なことになるもの」
「まあなぁ……」
二人とも、案外自分のことをよく理解しているようだ。だが、人間はそう簡単には変われない。だからこそ、世間の前で彼らは王太子、侯爵令嬢の仮面を被っていた。
「……ビューク・キッシェルか。正直、可哀想な奴ではあるよな」
ゲームのシナリオを知る二人は、彼に何があったのかを知っている。同意するようにアンネマリーは無言を貫く。二人の視線が自然と例の窓へ向けられた。
「……私だって、助けられるものなら助けたかったわよ。でも、分かってるでしょ? あの事件が起きたのは十年も前の話。つまり……」
「俺達が前世の記憶を取り戻したのは六歳の時。九年前……無理だよなぁ」
これは当時も考えたことだった。記憶を思い出し、彼らが話し合ったのはもちろんゲームのこと。当然、攻略対象者であるビュークのことも話に上がっていた。
定期馬車便を設置するにあたって、クリストファーは測量と称してシュノーゼルがあるであろうあたりも調べさせていた。そして見つかったのだ。荒れ果てた集落の跡地を。
報告によれば、おそらく何者かに襲撃され滅んだ村である可能性が高いらしい。だが、王国はこの村の存在を把握していなかったこともあり、積極的にその後の行方を調べることはしなかった。
おそらく、ゲームのシナリオ通りにことが進んだのだろう。
だからこそ、今夜ビュークはここに現れるはず……というのが、二人の認識だった。
「でも、そうならない可能性もあるにはある。聖女であるヒロインちゃんが現れなかったわけだし」
「そうね、否定はしないわ。でも、さっきも言った通り楽観的にならないでちょうだい。起きない可能性より、起きる可能性の方が高いんだから」
「だから、分かってるって。言われた通り、もしもの備えは用意してあるしな」
そう言ってクリストファーは足元のブーツをポンと叩いた。中には銀のナイフが入っている。
アンネマリーもまた、スカートの上から太ももに手を置いた。そこには銀の短杖が入っている。
「魔王を倒すことができるのは聖女だけだけど、全く対抗できないわけではないわ。ゲームのシナリオによると、先代聖女の実力では魔王を倒すことはできなかった。でも、魔王には多少なりとも銀の武器が弱点だったから、先代聖女はその力を借りて銀の剣に魔王を封じ、ヴァナルガンド大森林の奥深くに作った銀の台座に刺すことで魔王を剣ごと封印したのよ」
「いざとなればこれを使って戦うわけだな」
「……ヒロインちゃんが登場しなかったのは大きな誤算だわ。正直、ビュークのこともあって彼女が現れるのは間違いないと思っていたんだもの」
再び扇子越しにため息をつくアンネマリー。だがそれも仕方がない。魔王と戦うことになれば、絶対に彼女の力が必要なのだ。聖女なしに魔王打倒はありえないのである。
「せめて親父に魔王のことを警告できればなぁ」
「話したところで信じてもらえないわ。魔王や聖女のことなんて昔過ぎて、今となってはどの歴史書にも載っていないんだから。何の証拠もないのに魔王が現れるなんて言っても信憑性がなさすぎよ」
「はぁ、王城の地下にある古の書庫を開けられさえすればなぁ。どうして王城にある施設なのに扉を開けられるのが聖女だけなんだよ。うちの先祖、何やってんだか」
王城の地下には古の書庫と呼ばれる場所があり、そこには魔王や聖女に関する書物が収められている。だが、その場所は特殊な魔法で封じられており、それを見つけられるのも、扉の封印を解くことができるのも、聖女のみというゲーム設定だった。そして実際、彼らは古の書庫を見つけることができなかった。
入学式の際に彼女と出会うことができていれば、説得して舞踏会の前に古の書庫を見つけてしまうことも考えていたのだが、残念ながら計画するのみに終わってしまったというわけだ。
「ま、今さら愚痴っても仕方ない。今はできることをするしかないからな」
「ま、そうよね。ヒロインちゃんがいないならいないなりに対処するしかないわ。幸い、彼の目的は分かっているもの」
アンネマリーの視線がクリストファーに向く。今度はクリストファーからため息が漏れた。
「……魔王の封印を完全に解くための鍵のひとつが、最も魔力に優れたテオラス王家の血とか、マジで勘弁してほしい」
「つまり、あなたのことね。魔王はあなたの命を狙ってくるわよ。気を付けてね」
「本当に、なんで俺こんな人間に転生しちゃったんだろ……」
クリストファーはやるせない気持ちで窓を見つめるのだった。




