この世で最もおかしな存在
「正しく使う?」
「例えば傘のラッキーアイテムだったら、雨の日に傘を差して歩けば、気になるあの子と急接近! ……なんてことが起きるかもしれないわね」
「何それ、相合い傘とか?」
「ふふふ、とっても幸せなことじゃない?」
「恥ずかしくない、それ? ……そんなしょぼい力で本当に帰れるのかしら?」
「あらあら、お嬢さんはまだ恋をしたことがないのね」
「ちょっと、そんな変な目でこっちを見ないでよ」
人はそれを『生暖かい目』と言う。
「とにかく、その扇子も同じよ。正しく使うことであなたを幸運へ導いてくれるわ」
老婆は「ちょっと待ってね」と告げると、水晶玉に両手を翳した。再び玉の中で青白い光が灯り、ゆらめいていく。老婆はそれをじっと見つめ、やがて口を開いた。
「……あなたがこの世で最もおかしいと思う存在をその扇子で叩きなさい。そうすればきっと、あなたは本来あるべき場所へ帰ることができるでしょう……これ、扇子の用途で合ってるのかしら」
老婆は少し疲れたようで、眉間を指で揉みほぐし始めた。
「この世で最もおかしい存在……?」
(よく分からないけど、私がおかしいと思った何かをハリセンで叩けば帰れるってこと? でも、おかしい存在って何だろう?)
ルシアナは考えた。おかしな存在、おかしな存在……ルシアナは目の前の老婆を見た。
「えいっ」
「あいたっ」
ルシアナはハリセンを老婆の頭に振り下ろした。もちろん軽くなので大した衝撃はないが、いきなりだったので老婆は思わず声を上げてしまう。
「むっ、違った?」
「もう、私をたたくなんてどういうつもり?」
「……だってあなた、どう見ても変だったんだもの」
メロディの声に導かれた先、貴族区画の細い路地裏にひっそりと立つ小さな雑貨屋の店主にして占い師の老婆。確かにおかしな存在である。
しかし、彼女をハリセンでたたいてもこれといった変化はなく、ルシアナに幸運はもたらされなかった。
(となると、他におかしな存在といえば……)
思い浮かぶのは入学式の場で遭遇した人達だ。元の世界とは全くの別人となってしまったアンネマリー。同じようでいてやはりどこか違う王太子クリストファー。何より、メロディではなくなってしまった少女、セシリア。
(案外マクスウェル様がすごい別人になってる可能性もあるかも……となると、舞踏会に行って確かめなくちゃ)
そこまで考えて、ルシアナはハッと思い出した。
彼ら以上におかしな存在がいたことに。
(そうだわ。何よりもおかしな存在がいるじゃない! 舞踏会の襲撃者っていう変な奴が)
ルシアナはすぐに気絶してしまったので相手の容姿をほとんど覚えていないが、春の舞踏会の襲撃者は確かにおかしな存在だった。
メロディの『舞踏会会場が木っ端微塵に爆発しても耐えられる守りの魔法』をかけたドレスをおしゃかにしたのがこの襲撃者だ。
(まったく、メロディじゃあるまいし。そんなことができる人間がそうほいほいいてたまるもんですか! そうよ、あいつが『この世で最もおかしな存在』で間違いないわ!)
ルシアナは勢いよく立ち上がると、背中に炎でも背負うかのように闘志を燃やした。
「ありがとう、おばあさん。私、これから何をすべきか分かった気がするわ」
「それはよかった。お役に立てて嬉しいわ」
「お礼をしなくちゃ。占いのお代はいくら?」
「うちは占いでお金は取っていないの。商品を買っていないのだから無料で結構よ」
「そんなわけには……」
渋るルシアナだが、占いに矜恃でもあるのか老婆は笑みを浮かべたまま首を左右に振った。
「さあ、もうお行きなさい。舞踏会に間に合わなくなるわよ」
「え? あっ、うそ、もうこんな時間?」
窓の外を見れば、空が橙色に変わり始めていた。もうすぐ舞踏会が始まってしまう。今から急いでドレスの準備とヒューズにパートナーをお願いしなければならない。
老婆の言う通り、確かにもう時間がなかった。
「えっと、本当にありがとう。慌ただしくて申し訳ないけど、帰ります」
「ええ、頑張ってね、ルシアナさん」
「それじゃあ!」
ルシアナはペコリと頭を下げると扉に向けて駆け出した。そしてドアノブを回し、雑貨屋から外に出た。
その時、ルシアナはふと思った。
(あれ? さっきあの人、私の名前……)
そういえばこの店に来てから名乗っていなかったことを思い出す。
そして、老婆の名前を聞きそびれていたことも。
「あの、おばあさんの名前って――え?」
ルシアナが振り返ると――そこに雑貨屋の姿はなかった。
「え? え?」
それどころか、細い路地を抜けて雑貨屋がある開けた場所に出たはずなのに、今のルシアナは貴族区画のどこかの路地の突き当たりに立っているようだった。
「……」
ルシアナはしばし呆然となる。
理解が追いつかない。店はどこへ。やはり夢だった?
しかし、ルシアナの手にはしっかりと『聖なるハリセン』が握られていた……夢じゃ、ない。
そしてルシアナは呟いた。
「……ちょっとぉ、なんでおばあさんをたたくんじゃダメだったのよぉ」
(絶対あの人が一番おかしな存在でしょうが!)
内心の叫びは誰の耳に届くことなく、ルシアナは家路を急ぐしかないのであった。




