これこそ真の乙女ゲーム
「君達は新入生かな」
二人の胸元にある赤いリボンを一瞥し、クリストファーが尋ねた。自身も同じく赤いネクタイを締めているので分かりやすい。
「はい、入学式に遅れそうだったので走っていたのですが、まさか人がいるとは思わなくて」
「私も少しぼうっとしていたのが悪いんだ。怪我はないかい?」
「はい、大丈夫です。ご迷惑をお掛けして申し訳ございません」
ほんのり頬を赤らめて謝罪をするセシリア。廊下を走って人にぶつかるなんて恥ずかしいと思ったのかもしれない……美男子に助け起こされたことも理由のひとつかもしれないが。
(むぅ……)
メロディとセシリアが別人だと分かっていてもほんのり面白くないルシアナである。
「申し訳ありません、殿下。私達、そろそろ本当に急ぎませんと」
「ああ、そうだったね。入学式が始まってしまう。控え室の場所は分かるかな」
「はい、大丈夫です」
「それはよかった。では、案内は必要ないかな」
ルシアナがコクリと頷くと、クリストファーもまた笑顔で頷いた。
すると、セシリアは不思議そうに首を傾げて尋ねる。
「あの、失礼ながらあなたも新入生では? 控え室へ行かなくてよろしいのですか?」
「セシリア、あなただなんて殿下に失礼よ」
「でんか?」
「こちらは王太子クリストファー様よ」
「おうたいし……ええっ! あ、あの、申し訳……失礼しました!」
遅れてやってきたセシリアはクリストファーとアンネマリーの痴話げんかを見ていない。ましてやつい最近貴族となったばかりの彼女がクリストファーを知らないのはある意味当然であった。
慌てた様子で頭を下げるセシリアにクリストファーは苦笑した。同時に、アンネマリーとは違った意味で貴族令嬢らしくない感情的な振る舞いに、クリストファーは不思議と好感を抱いていた。
「そういえば、まだ君達の名前を聞いていなかったね」
「お初にお目に掛かります。ルシアナ・ルトルバーグと申します」
「あ、えっと……セシリア・レギンバースです」
ルシアナは姿勢を正すとカーテシーをした。まだ慣れないのか慌てた様子でセシリアが続く。
「知っているだろうけど改めて。クリストファー・フォン・テオラスだ。同じクラスになるかは分からないけど、よろしく頼むよ。さあ、入学式に遅れてしまう、行こうか」
クリストファーに促されて、ルシアナとメロディも歩き出した。
◆◆◆
「そういえば、殿下はどうしてこんなところにいらっしゃったのですか? 随分前に校舎にお入りになったと思うのですけど」
歩きながらルシアナが尋ねた。クリストファーはバツが悪そうに微笑む。
「ルトルバーグ嬢、見ていたんだね。まあ、その、少し気を紛らわせたくて……」
「ああ……」
おそらくあの後もアンネマリーに追い掛け回られたのだろうとルシアナは察した。この世界でのアンネマリーが終始あの調子では、クリストファーはさぞや気苦労が多いだろう。
(私の世界のアンネマリー様ってマジサイコー……早くあっちのアンネマリー様に会いたい)
「それに……」
「どうかされたんですか?」
セシリアが問えば、クリストファーは少し言葉に詰まった。
やがて苦笑を浮かべると口を開く。
「……少し、緊張しただけさ。私は王国唯一の王子だからね。王太子として頑張らないと」
クリストファーの言葉にルシアナは内心で首を傾げた。
(あれ? クリストファー様って一人っ子だっけ? 確か、まだ幼いけど第二王子がいたはずだけど……こっちの世界では生まれてないの?)
メロディやアンネマリーだけじゃない。色々なところが元の世界と違うことで、ルシアナは改めてここが別世界なのだと認識を改めた。
(本当に、どうして私はこんなところに来ちゃったのかしら?)
内心で嘆息するルシアナの隣で、セシリアとクリストファーの会話は続く。
「……本当は、入学式を欠席しようかなんて少し考えていたんだ」
「えっ!? 王太子殿下が入学式を欠席ですか?」
「ああ。あの角を曲がったら中庭にでも出てこっそり昼寝でもしてやろうか、なんてね。だけど、それを実行する前に君と出会ってしまった」
「えーと、その、その節は本当に申し訳なく……」
恐縮した様子で下を向くセシリアに、クリストファーは首を左右に振ってみせた。
「いや、きっとそれでよかったのさ。君のおかげで私は自分の運命から逃げずに済んだ。だから、ありがとう、レギンバース嬢」
「殿下……」
あえてなのか、前を向いたまま笑顔で礼を告げるクリストファー。それを見上げるセシリアの頬はほんのり赤らむ。見蕩れていることに気が付いたセシリアはハッと我に返ると何度も頭を左右に振って気持ちを落ち着かせるのだった。
そんな二人のやり取りは、すぐ隣を歩いていたルシアナにも丸聞こえで……。
(なーに、ほんのちょっとだけいい感じになってるような気がしないでもないと思うようなそうでもないかもしれないような雰囲気になってるのよ! もうもう! メロディだったら絶対にあんなふうにはならないのにいいいいいいいいい!)
言葉にしていたら『結局どっちだ』と問い返されるような思考がルシアナの脳裏を駆け巡る。
メロディ直伝の淑女教育がなかったら今この時、この世界に新たな『嫉妬の魔女』が誕生していたかもしれない……。
(ぐぬぬぬぬ……ちょっと頭を冷やさないと)
ルシアナは歩きながらピッと指を立てた。
「清き水よ今ここに『水気生成』」
ルシアナの指先に小さな水の玉が現われた。彼女はそれをひょいと動かし、自らの口へ放り込むとしばらく口内に含んでゆっくりと嚥下した。
冷たい水が喉を通り抜け、火照った感情がさっと冷やされていく感覚に安堵する。
「ふぅ、とりあえず落ち着いた……ん?」
ふと視線を感じ、顔を上げるとクリストファーとセシリアに見つめられていた。
「えっと、何か?」
「いや、歩きながら器用なものだと思ってね。ルトルバーグ嬢は魔法が得意なのかな」
「いえいえ、使える魔法はこれだけです。だから慣れてるだけですよ」
『水気生成』はルシアナが使える唯一の魔法だ。少ない魔力で毎日練習したおかげか、歩いてたって寝転んでいたって、カップ一杯分の水を生み出すくらいなんてことなかった。
「ルシアナさんは魔法が使えるんですね」
「セシリアは魔法、使えないの?」
「はい。幼い頃に教会でみてもらったことがあって、魔力はあるけど魔法を使うには何かが足りないと言われました。今まで一度も魔法を使えたことはありません」
(ここもメロディとは違う。でも、確か彼女も王都に来る少し前に使えるようになったって以前言ってたはず。何かきっかけがあれば使えるのかもしれないけど、それってもしかしなくても……)
ルシアナは思い出していた。メロディが使う魔法――メイド魔法を。
(要するに、メロディと同じくセシリアもメイドジャンキーにならないと魔法が使えないってことなんじゃ……難儀ねぇ)
少なくともメロディほどの情熱がないルシアナに、セシリアをメイド好きにすることは不可能である。本当にままならない世界だと、ルシアナは嘆息した。
その後、ルシアナは無事入学式に間に合ったが、元の世界の手がかりを見つけることはできなかった。




