第14話 セレディアの想定外な出会い
「はぁ、はぁ……どうやら撒けたみたいだな」
学園の物陰に隠れて荒い呼吸をしているへんた……ではなく、男が一人。その名もシュウことロードピア帝国第二皇子シュレーディンである。
身分を隠し、ルトルバーグ伯爵家の使用人見習いとして働く彼は、学園舞踏祭であらびっくり、異母妹にあたる第二皇女シエスティーナと再会し、即反転逃亡をしたのである。
幸い、逃げ切ることに成功した彼はようやく安心することができた。
「それにしても、なんでシエスティーナが王立学園にいるんだ? 訳が分からん」
前世の記憶の一部が蘇ったことで人格が前世化してしまったシュウは、能力がある割に以前よりも察しが悪くなっていた。自分が考えたテオラス王国攻略作戦を彼女が引き継いでいるとは思い至っていないようだ。
「うう、だから王都になんて来たくなかったんだ。せっかく逃げ出したのにシエスティーナに見つかるとは……あいつ、俺のこと恨んでるだろうなぁ。やっぱり父上に報告行っちゃうかな?」
シュウの口からため息が零れた。メロディとデートを楽しむはずが致命的な大失態である。ちなみに、メロディと分かれた場所へ戻ってみたが当然、彼女の姿はどこにもなかった。
「ぐぬぬ、シエスティーナさえいなければ……!」
まるで血涙でも流しそうな怨嗟の声がシュウの口から溢れ出る。こうなっては、場合によってはルトルバーグ家からも離れる必要があるだろう。
「……でも、まだ俺がルトルバーグ伯爵家でお世話になってることまでは知られていないはず。それに、もう少ししたら領地に戻るから、そうしたら追っ手の心配はなくなると……ん?」
メロディには申し訳ないが、早急にここを去った方がいい。そう考えながらシュウは周りを警戒していた。すると、彼はちょっと放置できない現場を目撃してしまう。
「あれは、ちょっとヤバいかな?」
シュウの目に映ったのは一人のメイドだった。
銀色の髪を靡かせ、美しいはずの瑠璃色の瞳は虚ろで、どこも見ていないかのようだ。道を歩く彼女の足取りはふらふらと不安定で、あまりに危うい。
そう思っていると、少女は立ちくらみでも起こしたようにふらりと倒れ込んだ。
「危ない!」
咄嗟に前に出て腕を伸ばすシュウ。どうにか間に合い、シュウの腕は昏倒したメイドの少女――セレディアを受け止めることができた。
「大丈夫っすか!?」
「……え? あ、私……」
「よかった。意識はあるっすね」
声を掛けたらセレディアはすぐに意識を取り戻した。
シュウは安堵の息をつく。
「あそこで少し休むっす」
セレディアの体を支え、シュウは木陰の下に設置されたベンチへ彼女を連れて行った。
「寝転がるっすか?」
「大丈夫です。座ります」
シュウに介助されて、セレディアはベンチに腰掛けることができた。背もたれに体を預け、少し楽になったのかホッと息を吐く。
「何か飲み物を買ってくるっす。ここで待ってるっすよ」
「お構いなく」
「可愛い子が調子悪そうにしてたら構うに決まってるっす。すぐ戻って来るっすよ」
シュウはセレディアに念押しすると足早に屋台の方へ走っていった。最早シエスティーナに見つかるなどと考えている様子もなかった。
男の後ろ姿をボーッと眺めながら、セレディアは何があったのか思い出していた。
(えっと、私どうしてこうなったのかしら。確か……)
◆◆◆
またしても自身の不手際でシエスティーナの衣服を汚してしまったセレディア。誰からも非難されることはなかったが、誰よりもセレディア自身が自分の不甲斐なさに打ちのめされていた。
休憩を取るように言われ、言われるがままふらりと外へ出たセレディアは歩いているうちにいつの間にか思考力が減衰していた。
(……そういえば、ここ最近寝不足だったのよね)
先週の昏倒から目覚めて以来、何をやっても上手くいかない自分に悩んでいた彼女はあまりよく眠れていなかった。
そして、メロディが採寸した結果からも分かるようにはっきりと食欲も落ちており、学園舞踏祭当日のセレディアの体調はとても万全とは言いがたい状態であった。
要するにセレディアは寝不足と栄養不足だったところに陽射しの眩しさも加わって、立ちくらみを起こしたのである。
「なんて情けないのかしら……」
自然と頭が下がった。俯き、涙が零れそうになる。そしてセレディアは思う。体だけでなく心まで脆弱になっていると。ティンダロスともあろう魔王が、こんなことで泣いてしまうのかと。
(どうしちゃったのかしら、私……これじゃまるで……)
「お待たせっす!」
俯くセレディアの視界にコップを持った手が差し込まれる。ハッとして視線が上がると、セレディアとシュウの目が合った。
「甘酸っぱい柑橘系のジュースを買ったっす。目が覚めるっすよ」
「……あ、ありがとう、ございます」
ストローのささったコップを両手で受け取ると、シュウはセレディアの隣に腰を下ろした。
(……あれ?)
一瞬、心がざわついた気がした。何に?
分からない、だけど、既視感が……何が?
(今のは……?)
「さあ、早く飲んじゃって。美味しいっすよ」
「……は、はい」
戸惑うセレディアだが、言われるままにジュースに口を付けた。爽やかな酸味とほのかな甘味が喉を通り抜けて、ストローから離れた口から安堵したような小さな息が漏れ出た。
「美味しい」
「それはよかったっす」
それからもう三口ほどジュースを飲むと、セレディアも大分思考がクリアになってきた。ジュースのおかげで最低限の栄養補給ができたようである。
だからセレディアはいつもの儚げな笑顔を浮かべてこの場を取り繕おうとした。
「あの、助けていただいてありがとうございます」
「いいよ、いいよ。可愛い女の子に優しくするのは当然のことだからさ」
そう言いながらシュウは、ニヘラッと笑った。
その瞬間だった。
――イチさん!
「――あっ」
強烈な何かが、セレディアの精神を穿った。
まるで風穴を開けるような激しい衝撃が彼女を襲う。
「へ? あ、ちょっと、大丈夫!?」
シュウの笑顔を目にした瞬間、セレディアは突然呼吸が乱れ、異常なほどに動悸が乱れだした。
セレディアの唐突な異変に慌てるシュウ。蹲るように胸を押さえる彼女の背中を摩りながら声を掛けるが、セレディアは胸を押さえるばかりで返答できない様子だった。
「お、落ち着くっす! ゆっくり、ゆっくり息を吐くっす。さあ、やってみるっすよ」
思考が定まらない中、耳に届く心地よい声に従ってセレディアはゆっくりと息を吐き出した。やがて限界が近づくと、自然と体は空気を求めて息を吸い、セレディアは再びゆっくりと息を吐き出す。
何度かそれを続けると、ようやく動悸も落ち着き呼吸も楽になってきた。
「大丈夫っすか?」
「……はい。何とか楽になりました。ありがとうございます」
「よかったっすぅ」
セレディアが持ち直したことに安堵したのか、シュウはベンチの背もたれに全身から力が抜けたようにダラリと体を預けた。そんなシュウを見つめながら、セレディアは自身の胸をそっと押さえた。
(どうにか回復したけど、いつもより動悸が速い気がする。さっきのは一体何だったの? 魔王であるこのティンダロスに対する精神攻撃? でも、そんなことができる存在なんて……まさか、レア? でも、彼女は私の中で眠っているはずなのに……)
先程の発作はティンダロスという自我が一瞬崩壊してしまうのではと危惧するほど強烈な衝撃だった。衝動、と言って差し支えのないそれが何を伝えたかったのか、セレディアには理解できない。
(あの時、何か言葉が聞こえた気がしたけど……ダメだわ、思い出せない)
あれが封印されているはずのレアの感情の発露だったとして、もしそうなら、あれは間違いなく隣に座る男へ向けた感情だった。明らかに、男を相対した瞬間の衝動だった。
(でも、私が知る限りレアと彼が出会った記憶はないはず。彼の何に反応して……)
「あの、ホントに大丈夫っすか?」
「ひゃあ!?」
思考に耽っていたセレディアの目の前にシュウの顔があった。覗き込んできたシュウに驚き、セレディアの口から可愛らしい悲鳴が上がった。
「まだ調子が悪いならすぐにでも医務室に」
「だ、だだ、大丈夫、です!」
(な、何が起きているのだ!? 訳が分からん!)
心の声もセレディアらしくあろうとしたティンダロスの口調が思わず元に戻ってしまうほど、セレディアの精神は混乱の渦中にあった。
シュウを目にした瞬間、頬は紅潮し、胸は高鳴り、体温も上がった気がする。目を合わせられない、思った通りに言葉が出てこない。
それに――。
「うーん、それならいいっすけど」
――もっと、声を聞いていたい。
「あ、そうだ。昼食ってもう食べた?」
「……いいえ、まだ」
「じゃあ、何か食べた方がいいっすよ。立ちくらみを起こしたのも貧血かもしれないし。何か軽い物でも買って来るっす!」
そう告げるとシュウは再び屋台の方へ走り去っていった。シュウの姿が見えなくなり、セレディアはようやく精神に落ち着きを取り戻すことができた。
「……これは一体どういうことなのかしら?」
幸い、一度沈静化されたおかげか、戻ってきたシュウに当初のような過剰な反応を示すことはなくなっていた。しかし、無反応というわけでもない。何か気恥ずかしさのような感情が終始消えることはなかった。
シュウが買ってきたサンドイッチを摘まみながら、二人はようやく自己紹介を始めた。
「そういえばまだ名乗ってなかったっすね。俺の名前はシュウ。君はどこの家っすか?」
「セレディアと申します。レギンバース伯爵家です……シュウさんは?」
「俺はルトルバーグ伯爵家っすよ」
「ルトルバーグ伯爵家ですか……ルトルバーグ?」
「あ、いた。セレディア様!」
聞き覚えのある名前に首を傾げたセレディアの下にルシアナがやってきた。
「ルシアナ様、どうしてここに?」
「昼休憩の時間が終わってもセレディア様が帰ってこないから探しに来たんです。って、シュウ? なんであんたがセレディア様と一緒にいるのよ?」
どうやら体調を崩している間にかなりの時間が経過していたようだ。そしてやはり、シュウはルシアナ・ルトルバーグの家の使用人だったらしい。
「お嬢様、メイド服姿も可愛いっすね! あだあああっ!」
スパーンッ! と、シュウの頭でいい音が鳴った。ルシアナが振り下ろしたハリセンの炸裂音である。
セレディアは目をパチクリさせてその光景を眺めていた。
「ルシアナ様、そんな物どこに持って」
「おほほほ、お気になさらず。それで、何かあったんですか? もしかしてこいつに引き留められて戻れなかったとか。だとしたら我が家の不始末ですので徹底的に教育を施しますね」
「ぎゃあっ! お嬢様、許してくださいっす!」
「ち、違います! 実は――」
セレディアは立ちくらみを起こして昏倒してしまったことをルシアナに伝えた。
「大丈夫ですか、セレディア様。医務室へ行きますか?」
「いえ。シュウさんに飲み物や食事をいただいたら楽になりました。多分貧血だったんでしょう」
「……シュウ、さん?」
「シュウさん、先程はありがとうございました」
「気にしなくていいっすよ。可愛い子に食事を奢るのは男の嗜みっすから!」
シュウはニヘラッと笑った……なぜかセレディアは胸が締め付けられるような痛みにも似た不思議な感覚に襲われるが、それが何なのか彼女にはよく分からなかった。
「それじゃあ、行きましょうか、セレディア様」
「はい。失礼します、シュウさん」
「体調には気を付けてね、セレディアちゃん」
「セレディアちゃんてあんた……ところでシュウ、今日はメロディと一緒じゃなかったの?」
「じゃあね、セレディアちゃん! 今度会ったらどこか遊びに行こうね!」
「あっ! 逃げるな! 待ちなさい、シュウ!」
シエスティーナのことなど言えないシュウは逃げるようにこの場を後にした。ルシアナは訝しむが、シュウと一緒でないならそっちの方が安全かと納得することにした。
この後、メロディとレクトが二人揃ってメイドカフェを訪れたことで新たな悪い虫がついていたことを知ったルシアナが笑顔でマジギレするのだが、それはまた別の話である。
セレディアは走り去るシュウの後ろ姿をじっと見つめていた。この胸の高鳴りは一体何なのか、セレディアには理解できない。ただ、できることならもう一度会いたいと、そう思った。
「セレディア様、本当に医務室へ行かなくて大丈夫ですか」
「はい、もう大丈夫です」
「つらくなったら我慢せず、すぐに申告してくださいね」
セレディアが了承すると、二人はメイドカフェへと戻るのだった。
やがて日が沈み、王立学園に美しい鐘の音が響いた。
昼の部終了の合図だ。
一年Aクラスのメイドカフェは盛況のまま閉店を迎え、そして学園舞踏祭の夜の部が始まろうとしていた。
祝オーディオブック化!
第1巻 配信予定日 2025年2月25日
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