プロローグ
王立学園の窓が茜色に染まり始めた、十月十九日の放課後。
一年Aクラスの教室にて、オリヴィアとルシアナはメイドカフェ準備作業の進捗について話し合いをしていた。
「今のところ大きく遅れはないようですね」
「はい、大方順調みたいです」
何事もなくてオリヴィアは安堵するが、同時に意外だとも思う。
(……衣装班は多少遅れると思っていたのだけれど、思いの外順調ね)
そして彼女はチラリとルシアナに視線を向けた。
『大丈夫です。我が家のメイドの裁縫速度はとても速いので。こんな感じで』
初めての班長会議でそう言いながら、もの凄い速度で糸を縫う仕草をしてみせたルシアナを思い出し、オリヴィアは両手に持った報告書で口元を隠しながらクスリと微笑んだ。
(意外と大言壮語ではなかったのかも……なんてね)
「「……」」
一通り話し合いが終わり、しばし二人は無言になる。教室に沈黙が響いた。
「……今日はこれくらいにしましょうか」
「あ、はい……お疲れ様でした」
オリヴィアの言葉にルシアナは少々ぎこちない笑顔を返した。ついさっきまで事務的な話し合いをスラスラと進めていたというのに、それが終わった途端、二人は距離感が分からなくなるのだ。
「で、では、作業報告書をバウエンベール先生に提出してわたくしは帰らせていただきますわ」
「は、はい! よろしくお願いします! 私はメイドと一緒に帰るのでここに残りますね」
向かい合わせていた机を元に戻し、オリヴィアは報告書を手に立ち上がった。そしてそそくさと教室を出ようとしてふと立ち止まり、そっと振り返る。
「……オリヴィア様?」
「……あの、ルシアナさん」
「はい」
「えっと、その……」
意を決したように何かを告げようとしつつも、躊躇われるのか言葉にできない様子のオリヴィア。少し離れているせいで分かりづらいが、心なしか顔が赤いようにも見える。
ルシアナは不思議そうに首を傾げた。
「どうかされましたか、オリヴィア様? 何か伝え忘れでも……」
「い、いえ! 何でもありませんわ。ごきげんよう!」
「え? あ、はい、ごきげ――あ、行っちゃった」
ルシアナの返事も聞かず、オリヴィアは教室を立ち去るのであった。
(せっかく二人きりになれたのに、わたくしの意気地なし!)
内心で自分に罵声を浴びせながら、学生寮に帰ったオリヴィアはベッドに飛び込んだ。この場に侍女がいれば行儀が悪いと叱責されるところである。
(謝罪には絶好の機会でしたのに!)
ベッドの上ではしたなく手足をばたつかせるオリヴィア。
二学期が始まってからオリヴィアはずっとルシアナに謝罪する機会を探っていたのである。
(グロリアナはとっくに謝罪を済ませて和解しているというのに、わたくしときたら……)
春の舞踏会でルシアナに注目を奪われたことへの恨み。学園の試験でルシアナに勝てなかったことへの妬み。自分は生徒会に入れないのにルシアナが勧誘されたことへの憤り。
そんな感情からオリヴィアは一学期の間、ルシアナに良くない態度を取っていた。それは自身に仕える使用人達へも影響を与え、ルトルバーグ家のメイドにも被害が及んだのである。
その事実に気が付いたのは学園が夏季休暇に入る直前のこと。二学期から関係改善を図るようメイド達に指示し、彼女らは見事にその命令を実行してみせた……だというのに。
(当の本人であるわたくしがいまだにルシアナさんと和解できていないなんて……!)
公爵令嬢としてのプライドだろうか。二学期が始まって一ヶ月以上が経過しているにもかかわらず、オリヴィアはルシアナに謝罪ができずにいた。
今日も帰り際にその件について話そうと思っていたのに、いざ本番になると勇気が出せず逃げるように教室を去ることしかできなかった公爵令嬢様である。
「……たった一言、謝るだけでいいのに……何をやっているのかしら、わたくし」
脱力し、オリヴィアの口からため息が零れた。そしてゆっくりと起き上がる。
「これ以上先延ばしにはできない。勇気を出さなければ」
オリヴィアは首に下げていた匂い袋を取り出すと、祈るように両手でギュッと握りしめた。袋の中には以前彼女が拾った銀製の剣の欠片が入っている。
「あんなことまで言ってしまったのですもの、この機会を逃すわけにはいかな……あんなこと?」
自分で言いながらオリヴィアは首を傾げた。あんなこととは何だっただろうか……?
全く覚えはないのだが、なぜかどこかでオリヴィアはルシアナを糾弾したことがあったような、なかったような、あったような、なかったよう……な?
「いや、ないはず、ですわ……」
さすがにルシアナを糾弾するような事件が起きていれば忘れているはずがない。いつの間にか罪悪感からありもしないやらかしまで想像していたのだろうか。オリヴィアは匂い袋を握りしめながら自嘲するように笑った。
「きゃっ!?」
その時、まるで大きな雷でも落ちたかのような轟音が王立学園に鳴り響いた。
「今のは、学園の方から……?」
突然の大音量のせいか、自分でも分かるほどに大きく心臓が鼓動していることに気が付く。
「お嬢様、大丈夫ですか!?」
「え、ええ」
慌てた様子で寝室に入ってきた侍女に、オリヴィアは反射的に返事をする。ベッドに腰掛けるオリヴィアに怪我をした様子もないと分かった侍女はホッと安堵の息を漏らした。
「転んだりしていないか心配しましたが大丈夫のようですね」
「問題ないわ。問題ないけど……すごくドキドキしているわ。落ち着くためにお茶を淹れてもらえるかしら、ゼーレナ」
「畏まりました、お嬢様」
ゼーレナと呼ばれた侍女はサッと一礼すると寝室を後にした。一人になり、しばし呆然とするオリヴィア。ようやく心臓の鼓動が落ち着きを取り戻し、彼女はベッドから立ち上がった。王立学園側の窓を開き、空を見上げる。夕日はもう沈みそうで、空は闇色に染まろうとしていた。
「雷にしては、雲一つないみたいだけど……あっ、流れぼ――え?」
段々と暗くなる空にキラリと白銀の星が瞬く。かと思ったらそれは流れ星となって夜空に一筋の軌跡が描かれるのかと想像していたら、流れ星は王立学園のどこかに墜落したのだ。
「ええええええっ!?」
「まあ、そのような声を出してはしたないですよ、お嬢様」
「ゼ、ゼーレナ、今、流れ星が学園に落下して……」
オリヴィアが驚きの声を上げるとほぼ同時に、お茶の用意ができたゼーレナがやってきた。慌てて状況説明をするが、ゼーレナは怪訝そうに首を傾げて窓の向こうを見やる。
「本当にお嬢様が仰ったような事故が起きたのなら、もの凄い音や衝撃がこちらまで届いているはずですわ。きっと何か見間違えになったのでしょう」
「そ、そうかしら?」
「そうですとも」
まだ混乱気味のオリヴィアを安心させるようにゼーレナは優しげに微笑んで頷いた。確かに見たと思ったのだがゼーレナの言葉も間違いなく、匂い袋をギュッと強く握りしめながらオリヴィアはしばらく心配そうに学園の方を見つめるのだった。
◆◆◆
「ふわっ……いけない、気を付けなくては」
翌朝、十月二十日。思わず出てしまった欠伸を押し殺し、教室に続く通路をオリヴィアは歩く。昨夜は流れ星のことが気になって少し寝付けなかったせいか、普段よりも遅い登校となってしまった。
教室に入ると何やら騒がしい。クラスメート達が困惑した様子で話し合っていた。いつもならすぐに挨拶をしてくれる者達さえオリヴィアの入室に気が付いていない様子だった。
だが、さすがに席に着く頃には気付いたようで、一人の女子生徒が慌てた様子でオリヴィアの下へ駆けてきた。
「おはようございます、オリヴィア様」
「おはようございます。何やら騒々しいようですが何かあったのかしら?」
「オリヴィア様もご存知ないんですか? 昨日、クリストファー様がお怪我をなさったそうです」
「ええっ!?」
予想外の知らせに驚きを隠せないオリヴィア。クラス中が騒がしいはずである。
女子生徒から詳しい話を聞こうとした矢先、担任教師レギュス・バウエンベールが入室した。普段から厳しい顔つきの男だが、今日は特に表情が険しい。女子生徒も彼の迫力には勝てないようで、オリヴィアに一礼すると自分の席に戻ってしまった。
話が中断されてやきもきしてしまうが、幸いなことにレギュスはオリヴィアが気になっていたことについて話を始めてくれた。
「その様子では皆も聞いているようだが、昨日の放課後、クリストファー殿下が学園内で怪我をされしばらく休学することとなった」
レギュスの説明によればここ最近、学園舞踏会で生徒達を驚かせようとクリストファーは特別な魔法の練習を放課後にこっそり行っていたらしい。しかし昨日、その魔法が暴発してしまったようで、轟音とともに強い衝撃がクリストファーを襲い、彼は大怪我を負ってしまったそうだ。
「幸い、命に別状はないが安静が必要とのことで、しばらく休学することになった。殿下の看病のため、ヴィクティリウム君も休学するそうだ」
その言葉を聞いた生徒の多くが安心したようにホッと息を吐いた。ここ最近、クリストファーとアンネマリーの関係が心配されていたので、看病のためとはいえ二人が一緒にいるという事実は少しだけ周囲を安心させたのである。オリヴィアは少し複雑な気分だが。
だが、それとは別の意味で生徒達は不安の声を上げ始めた。
「殿下もアンネマリー様もいらっしゃらないなんて、学園舞踏祭はどうなるのかしら」
頼りがいのある二人だからこそ、突然の不在が生徒達の不安を増大させた。学園舞踏祭が中止になるのではないか、殿下なしでクラスの催しを成功できるのかなど、口々に心配の声が上がる。
これはまずい、とオリヴィアは思った。きっとこの不安の伝播は一年Aクラスに留まらない。これが学園全体に波及すればそれこそ本当に今年の学園舞踏祭が中止になってしまう。
(せっかくクリストファー様が見出してくださったメイドカフェの意義も、ここまで皆で苦労して進めてきた準備も全て無駄になってしまいますわ)
オリヴィアは胸元にそっと手を当てた。その位置には匂い袋がある。
(そんなことにはさせません!)
ガタリッと大きな音を立ててオリヴィアは立ち上がった。不安を口にしていた者達が静まり、オリヴィアに注目が集まる。
「皆さん、こんな時だからこそ狼狽えてはなりません。クリストファー様がお戻りになった時に『殿下のことが心配で学園舞踏祭の準備ができませんでした』とでも仰るおつもり? バウエンベール先生、学園舞踏祭は予定通り開催されるのでしょう?」
クラスメート達がハッとした顔でレギュスへ視線を向けた。彼は真剣な表情で深く首肯する。
「もちろんだ。予定に変更はない。学園舞踏祭は今月末に開催される。ランクドール君の言う通り、狼狽えている場合ではないぞ、諸君」
レギュスは教室全体をグルリと見回すと、不敵な笑みを浮かべた。
「殿下の不在を不安に思う気持ちはわたくしも同じです。しかし、わたくし達のためにサプライズを準備してくださっていた殿下が、ご自身のせいで学園舞踏祭ができなくなったなどと落胆させたくありませんわ。まして殿下が所属する一年Aクラスが狼狽えるなどもってのほか。大丈夫、殿下ならきっとすぐにお戻りになります。それまでわたくしたちは殿下に恥じぬ振る舞いを心がけましょう。皆さん、よろしいですね?」
「「「はい、オリヴィア様!」」」
学園舞踏祭は中止にならないと教師から明言されたこともあってか、オリヴィアの言葉はあっさりと受け入れられた。きっと本当は皆も分かっていたのだ。自分はその気持ちを後押ししただけだと考えながら、オリヴィアはホッと息をつく。
安心して席に着こうとした時、ルシアナが手を上げて質問をした。
「あの、セレディア様のお姿もないみたいですけど……」
え? と、オリヴィアは三つ目の空席に目をやった。確かに、今の今まで気が付かなかったが今日はセレディアも登校していないようだ。
その疑問にはレギュスが答えてくれた。
「レギンバース君は昨日の轟音のせいで昏倒してしまったらしい。こちらも命に別状はないが、大事を取って今日は休みにするそうだ」
これまた初耳な事件にオリヴィアは驚いた。そして、シエスティーナへ視線を向ける。
「シエスティーナ様、申し訳ございませんが……」
眉尻を下げた表情でオリヴィアが声を掛けると、シエスティーナはニコリと笑みを浮かべた。
「ええ、承知しました。実行委員会はお任せください、オリヴィア嬢」
「よろしくお願いします」
さすがは試験でクリストファーと競い合うだけのことはある。全く動じる様子のないシエスティーナに安堵の息をつき、オリヴィアは着席した。そして人知れずため息が零れる。
(……ルシアナさんにどう謝罪するかを悩む暇もありませんわね。先程はああ言ったものの、今年の学園舞踏祭はどうなってしまうのかしら? 早く戻ってきてください、クリストファー様)
「それではホームルームを始める」
オリヴィアは内心の悩みを覆い隠すように、姿勢を正した。
大変お待たせしました。第7章スタートです。
第7章更新スケジュール
12/30、12/31、1/1 、1/2更新
1/3~1/5 おやすみ
1/6より毎週 月・水・金 更新予定
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