第23話 妖精姫を舐めるんじゃないわよ?
レクトの心臓がかつてない早鐘を打つ。もはや彼の動悸は制御不能となっていた。
上目遣いがこれほどの破壊力を持つものだったのかと思い知る大事件である。
女性からダンスを誘うなど本来なら叱責ものだが、意中の女性からされて嫌なわけもなく――。
(……意中? 俺は、この子のことが――)
――好きなのか? そう考えた瞬間、彼の脳裏に不思議な光景が浮かび上がった。
向かい合う自身とメロディ……彼女は自分を見て頬を赤らめ……そして……。
(俺も、あの子も……全、裸……いや、いやいやいやいや!)
レクトの顔は一瞬真っ赤になったかと思うとすぐに蒼白に変色した。
(直接的過ぎるだろ! お、俺はこの子をそういう目で見ていたのか!? だ、だが、あまりにも彼女の肢体が脳裏にはっきりと浮かんで――う、うわああああああああ!)
レクトは真っ青な顔を何度も左右に振り、頭に浮かんだ光景を記憶の彼方へ消し去ろうと試みた。だが、その様子はメロディからすれば踊りたくないという意思表示に見えなくもない。
「ダ、ダメ……ですか?」
摘まんでいたレクトの袖から手を放し、メロディは俯いてしまった。恥を忍んで意中の彼にダンスを申し込んだいじましい少女が、男に袖にされているようにしか見えず、哀れにさえ映る。
(どうしよう。このままだとお嬢様と鉢合わせしちゃうし、ダンスをすれば一時的にでもこの場から離れられるからいい手だと思ったんだけど……)
実際には全くもって全然違うのだが、メロディ以外の人間にはそうとしか見えなかった。
だから、レクトは俯くメロディを目にして驚き、咄嗟に彼女の手を取った。
「ち、違う、違うんだ! ダンスだな! 行くぞ!」
「きゃっ!」
普段の彼であればメロディの意図を理解できただろうが、なぜか脳裏から離れてくれない少女の裸体に混乱している彼には、メロディの要望通りダンスをすることしか考えられなくなっていた。
というか、ダンスでもした体を動かさないと先の光景を忘れられそうになかった。
そして裸体にばかり気を取られていたレクトは、その時のメロディが美しい銀色の髪を垂らしていたことまでは思い出すことはなかった。
メロディの手を引きドカドカとダンスフロアへ向かう二人の後姿をクリスティーナ達は呆気にとられてただ見つめていた。
「……なんだ、からかうまでもなかったのね。初心で可愛らしいわ。というか、見た目だけではないのね、あの子。なかなかやるじゃない」
「ええ、本当ですわ。殿方の袖を摘まんで女性からダンスを申し込むなんて、男心をよく理解して――いえ、あれは素でやっていましたわぁ。さすがに私もあそこまではできませんでしたわよ?」
「何だかこっちまで恥ずかしくなりますね……私もよくヒューズにしたっけ……」
マリアンナの何気ない呟きに二人の淑女はバッと振り返った。
「あなた、あれを実践してたの?」
「え? ええ、結婚する前はたまにしておりましたわ。あの人、放っておくといつまでも男友達と話してばかりなんですもの。寂しくてつい……お願いするとそれはもう効果てきめんでしたわ」
「まあまあっ」
ハウメアは扇子で紅潮した頬を隠す。逆にクリスティーナは扇子を閉じてニヤニヤと楽しそうな笑みを浮かべた。
「あらやだ、さっきから話に参加してくれないからそういうのは苦手なのかと思っていたけど、あなた、掘り出せば金塊でも出てくるのではなくて? 如何かしら、ハウメア様?」
「ふふふ、それは楽しそうですわね。そうよね、マリアンナさんとお会いしたのは今日が初めてですもの。彼らがダンスに行ってしまってどうしようかと思ったけど、宝箱はまだ残っていたのね」
「えっと、何の話でございますか?」
マリアンナは二人の言葉の意味を理解できなかった。『貧乏貴族』故の人脈のなさが、ここにきて浮き彫りになる形となった。
クリスティーナとハウメアは貴婦人らしい素敵な笑みを浮かべてこう告げた。
「「まだまだ楽しい舞踏会になるということよ」」
メロディの行為は何やらいろいろと危うかったが、ご婦人三人の意識をうまく逸らせたようだ。
だが全く逸らせないどころか、余計に意識が向いてしまった人間が一人。
(今、私を避けたわね、メロディイイイイイイイイイイイイイ!)
友人達と歓談しつつもメロディを気にしていたルシアナは、母マリアンナの自分を紹介するという言葉をしっかり耳にしていた。
だが、そのタイミングでパートナーをダンスに誘うことで避けたのだ。自分と会うのを……。
(どういうつもりなの、メロディ! せっかく同じ舞踏会に来たんだから一緒に楽しんだっていいじゃない! どうして私を避けるのよ! 大体、セシリアって誰よ! ……可愛いじゃない!)
メイドが主の出席する舞踏会に同席するなどありえないという当然のことに彼女は気付かない。
そしてセシリアと名乗ったメロディの姿を思い出して頬を赤らめた。いつもの可愛らしい雰囲気もいいが、天使のように神秘的なあれも捨てがたい。だが、すぐに怒りを取り戻す。
(私だって可愛くドレスアップしたメロディと、笑って踊って楽しみたいのに!)
ルシアナ、怒りの方向性が徐々に変わっていることに気が付かない……。
「ねえ、ルシアナ。どうかしたの?」
「そうですよ、ルシアナさん。そんなに眉間にしわを寄せて」
「何でもないわ」
テーブルに同席するベアトリスとミリアリアが不思議そうにこちらを見ていた。
「ホントに?」
「ええ、ホントよ」
ルシアナは気持ちを切り替えてニコリと微笑んだ。だが、友人達はお見通し。今、ルシアナはなぜか怒っている……そしてそれに触れられたくないようだ。
「まあ、何ともないならいいですが……それで、この後はどうするんですか?」
「この後?」
「もう、さっきから話してるでしょ。今から始まる曲の次のことよ。そろそろ二曲目からあれになるでしょ?」
「――あれ?」
ルシアナは思い浮かばず首をかしげた。何かあったかしら――と。
「あれは我々はあまり参加しないからね。どちらかという女性向きだ」
「そんなことありませんわ、マクスウェル様。男性でも楽しめますわ」
「どうだろうね、俺達が参加しても楽しめるかというと、微妙だなぁ」
「あら、それはお兄様次第でしょ。私は割と楽しみよ?」
「それはお前が女性だからだよ、ベアトリス。見る分には楽しめるんだけどね」
「あの、一体何の話を――」
と、ここでルシアナはようやく彼らが何の話をしているのか気が付いた。
(……そうだ、そうよ! タイムテーブルを見たじゃない! そろそろ、今から始まる曲が終わったら、あれが始まるん! そうよ、そこがチャンスだわ!)
「ルシアナ嬢、急に立ち上がってどうしたんだい?」
突然ガタリと音を立てて立ち上がったルシアナに、休憩エリアにいた全員の注目が集まる。
そして次の瞬間彼女が取った行動は、さらに衆目を集めることとなった。
彼女は掌を上にしてマクスウェルに手を差し出すと――。
「マクスウェル様、手をお出しください」
「手を――? て、うわっ!?」
彼女はマクスウェルが何気なく差し出した右手をガシッとつかみ取り、座っていた彼を力づくで立たせると、その手を掴んだまま彼を連れだした。
「さあ、マクスウェル様! 私と踊ってくださいませ!」
ルシアナは満面の笑みを浮かべながらマクスウェルをダンスフロアへエスコートした。
ある意味メロディ以上の暴挙である。彼女は何の恥じらいも見せず、堂々と淑女のマナーをぶった切ってしまった。
「え? あの、ちょっと!?」
状況を理解できないまま、マクスウェルはルシアナに手を引かれダンスフロアへ向かうこととなった。余談だが、貴族令嬢らしからぬあけすけなルシアナの態度に、マクスウェルの胸がキュンと高鳴ったことは彼だけの秘密である。
令嬢が苦手なマクスウェルにとってその枠から外れつつあるルシアナは好感度が高かった。
ルシアナの行動に注目していた全員が驚きを隠せない。彼女の行為は貴族令嬢として看過できるものではなく、男性を立てなければならないはずの令嬢がエスコート役の男性を逆にエスコートする始末。本来であれば叱責どころか他の令嬢達に取り囲まれて罵声を浴びせられる事態である。
だが、そうはらなかった……。
(あのように可憐で清楚な妖精が、あんなに大胆にマクスウェル様をダンスに誘うなんて……なぜかしら? いけないことだと分かっているのに、胸の鼓動が収まらない! これが萌え!?)
(妖精とは自由気ままな自然界の至宝……ああ、麗しの妖精にダンスに誘われるなんて、美しき天界への導きか! 羨ましい、なんと羨ましいのだ、リクレントス侯爵の長子殿!)
周りの感想は大体こんな感じであり、なぜか悪意を持つ者は見当たらなかった。せいぜい母マリアンナと父ヒューズが「さすがにこれは、帰ったら説教だ」と考えた程度である。
可愛いは正義……特に、乙女ゲームの世界ではそれが顕著に現れていた。




