第18話 ルシアナの領地視察
「お嬢様、馬車の準備が整いました」
「ありがとう、すぐ行くわ」
八月六日の午後。ルシアナ一行は馬車に乗って東のグルジュ村へ視察に向かうこととなった。メンバーはルシアナ、メロディ、マイカ、リューク、そして――。
「キャイイイインッ!?」
「こーら! 暴れないの、グレイル!」
旅の間、御者台で惰眠を貪り続けていたがゆえに今の今まで空気のように存在感が薄かった子犬こと魔王グレイルである。とうとうルシアナに捕まってしまい、今は彼女に抱かれている。
「あはは、わんぱくな子だね」
「追いかけっこが好きみたいですぐに走りだすのよね。可愛いけど大変だわ」
(違うわ! お前が聖女の魔力まみれで我に近づくからだろうが!)
ルシアナの腕の中でガクブル震えている魔王の気持ちなど分かるはずもないルシアナである。
「ははは、楽しそうでよかった。折角帰って来たのにあまり構ってあげられなさそうだからどうしようかと思っていたんだが」
「気にしないで、叔父様。屋敷があんなことになったんですもの、忙しいのは仕方ないわ」
「……まあ、それだけではないんだけどね」
「え? どういう意味ですか?」
ヒューバートは眉尻を下げて肩を竦めるだけで答えは返ってこなかった。
「とりあえず遊びに行くところ悪いけどこの書類だけ頼むよ。グルジュ村の村長に渡してくれ」
「もう! だから、私は領主の娘として村へ視察に行くんだってば!」
「あはは、そうだったね。じゃあ、村の様子をしっかり見てきてくれるかな?」
「ええ、任せてちょうだい! メロディ、行きましょう」
「畏まりました、お嬢様」
グレイルを抱いているルシアナの代わりにヒューバートから書類を受け取るメロディ。スキップしながら馬車に乗り込む姿はやはり視察というよりは遊びに行くと言った方がしっくりくる。
「ルシアナのことを頼むね、メロディ」
「承知いたしました、ヒューバート様」
そしてヒューバートに見送られて、ルシアナ達は東のグルジュ村へ向かうのだった。
馬車の中、ルシアナは鼻歌まじりにグレイルを撫でていた。窓の風景を眺めながら楽しそうなハミングが車内に木霊する。
「お嬢様、これから向かうグルジュ村ってどんなところなんですか?」
向かいの席に座るマイカが尋ねた。
「え? グルジュ村がどんなところかって?」
「はい。お嬢様があんまり楽しそうなんで気になって。何か面白いものでもあるんですか?」
「うーん……特にないわよ。小麦とか野菜を育てているだけの普通の村ね。他の二つも同じよ」
「そうなんですか?」
「ふふふ。お嬢様、久しぶりの故郷ではしゃいでしまったんですね」
「ち、違うの、そんなんじゃないんだから!」
メロディの指摘は図星だったようで、ルシアナはグレイルをギュッと抱きしめると体をブンブン振って全身で照れ隠しをしてしまう。
「ワワワワワワワンワワンッ!?」
勢いよく全身をシェイクされたグレイルは悲しい悲鳴を上げるのであった。
屋敷から東のグルジュ村まで歩いて約二時間の距離だ。馬車で向かったメロディ達は、そのおよそ半分の一時間ほどで目的地に辿り着くことができた……のだが。
「もう、信じられない!」
村に入ったルシアナは、馬車の中でプンプン怒っていた。
「まあ、顔見知りの門番さんに『あんた誰?』なんて聞かれたら怒る気持ちも分かりますけどね」
「ふふふ、それだけお嬢様がお綺麗になったということですよ」
「むー!」
グルジュ村も他の村の例にもれず、魔物対策に村全体を壁で囲って守っている。馬車を村へ入れるためルシアナはよく知る門番の青年に声を掛けたのだが、彼が最初に言った言葉が――。
「えっと……あんた誰?」
門番の青年はルシアナをルシアナと認識できなかったのである。ルシアナは激怒。反射的にハリセンを取り出そうとしたところをメロディが制止し、どうにか説得して事なきを得た。
門番もルシアナの態度から「はっ! この短気で喧嘩っ早いのは、まさかルシアナお嬢様!」などと言うものだから再度ハリセンを取り出そうとするルシアナをメロディが制止してというハリセンループ地獄。
ルシアナに気付けなかった門番が誠心誠意謝罪したことでどうにかその場は収まったが、ある意味で仕方のないことでもあった。
メロディに出会う前と後では『劇的! ルシアナビフォーアフター!』なのだから。マイカもゲームのルシアナを知っているだけに門番の青年の反応もあながちズレた行動ではないと思っている。
(まあ、仕方ないよね。以前のルシアナちゃんを知っていたら今の彼女を見ても記憶が繋がるわけないもの。私だったらきっと『あんなに可愛くなってて気付けるか!』とか叫びそう)
まさにそのままのセリフを叫んだ侯爵令嬢が王都にいるのだが、マイカが知る由もない。
「これからどこへ向かいますか、お嬢様」
「村長の家に行きましょう。書類も渡したいし、馬車を止められるのはそこくらいだから」
「畏まりました」
馬車が村長の家に到着すると、知らせが来ていたのか村長宅の前で一人の少女が出迎えてくれた。
「久しぶりね、キーラ」
「はい。お久しぶりです、ルシアナ様。お帰りなさいませ」
背丈はルシアナと同じくらいだろうか。胸元まである茶色の髪を風に靡かせて、素朴な印象の少女キーラは一礼するとニコリと微笑んだ。キーラは頬にそっと手を添えてうっとりとした表情でため息をついた。
「ルシアナお嬢様、王都に行っている間に垢抜けてしまわれて。とてもお綺麗ですわ」
「そ、そう。自分ではよく分からないけど」
「ええ。ランドが見間違えるのも斯くやという美しさです。惚れ惚れします」
ランドとは本日村の門番を務めていた青年の名前である。ルシアナ到着の知らせと一緒に彼の話も聞いていたようだ。
「言い過ぎよ、もう……」
今日のルシアナは王都を出発した時のサマードレスを着て、肩にはショールを羽織っている。ただし髪型は普段通りに下ろし、日焼け対策に麦わら帽子を被っていた。
日本の避暑地に一人はいそうな可憐な少女がここにいた。
「ヒューバート叔父様から書類を預かっているの。村長はいるかしら」
「はい。只今呼んで参りますので中でお待ちください」
村長の家とはいえ貴族のように応接室があるわけではないため、ルシアナ達は彼らの食卓へ案内された。そこで村長と言葉を交わし、ヒューバートからの書類を渡す。
「確かに、書類は受け取りました。ご足労頂きありがとうございます、ルシアナお嬢様」
「私も久しぶりにこの村へ来たかったのでもののついでよ。私の用事はこれで終わりだけど少し村を見て回って構わないかしら」
「もちろんですとも。キーラ、お嬢様をご案内して差し上げなさい」
「はい、父さん。ではご案内します、ルシアナ様」
村長に別れの挨拶をしてルシアナは外へ出る。メロディ達もそれに続いて外へ出た。
「あ、そうだ。キーラ、彼らの紹介がまだだったわね。メイドのメロディとマイカ。執事見習いのリュークよ」
「メイドのメロディでございます。よろしくお願いいたします、キーラ様」
「メイド見習いのマイカです。よろしくお願いします」
「執事見習いのリュークです。以後お見知りおきください」
「はい、よろしくお願いいたします。……それにしても、まさかの美男美女ばかりとは。お嬢様ったら本当に面食いなんですから」
「そんなんじゃないからね! たまたま雇った使用人が皆美形だっただけなんだからね!」
「ふふふ、冗談ですよ。さあ、村をご案内します」
キーラは口元を押さえて静かに笑うとルシアナ達を引き連れて歩き始めた。
「お嬢様、キーラ様とは気安い関係なんですね」
「一応幼馴染だからね。村に行ったらよく一緒に遊んだりしてたのよ」
メロディが納得した顔をしていると、キーラはこちらへ振り返った。
「ルシアナ様、どこへ御案内しましょうか。そもそもルシアナ様はこの村の土地勘がありますから案内といっても何をすればよいのでしょう?」
「だったら小麦畑に行きましょう。今年の調子を見てみたいわ。できれば説明もしてくれる?」
「ヒューバート様からお聞きになっていないのですか?」
「昨日の今日で来てるから何も聞いていないわね。何かあったの?」
「……いえ、そういうことでしたら直接見ていただくのが早いでしょう。こちらへどうぞ」
キーラの案内でルシアナ一行は小麦畑に到着した。それを見たメロディは思案顔になる。
案内された場所には黄金の小麦畑が広がっていた。だが……。
「お嬢様、これはルトルバーグ領のいつもの小麦畑なんでしょうか」
「いいえ、昨年に続き今年も小麦は調子が悪いみたいね……」
「これでもかなりよくなった方なのですよ。ヒューバート様と一緒に土壌改良なども行って、昨年よりはマシになりました。例年と比べるべくもありませんが」
グルジュ村の小麦畑は、はっきり言えば生育が全く足りていない未成熟な小麦畑だった。一応収獲はできなくもないが、評価としては昨年同様不作といって間違いないと言えるだろう。
「収穫まであと一ヶ月。それまでにもう少し育ってくれるといいのですが」
麦穂をそっと手で掬いながら、キーラは悲しげに麦畑を見つめた。
「あと一ヶ月? 麦の収穫はもうそろそろ終わらせないといけない時期では?」
「違うわ、メロディ。うちの領の収穫は毎年九月頃よ。春に種をまいて秋に収穫するの」
「ということは……ルトルバーグ領の小麦は春小麦なのですか?」
「ええ。大体王都のあたりを境に王都から南が冬小麦、北が春小麦を作っているわ」
小麦には冬小麦と春小麦がある。冬小麦は秋に種をまく小麦で、そのまま冬を越して翌年の夏に収穫する。春小麦は春に種をまく小麦で、同年の秋に収穫をする。
小麦は冬の寒さに晒された方が収穫は多く見込まれ、春小麦より冬小麦の方が収穫量は多いのだが、寒さが厳しい地域では種も冬を越すことができないため、寒さが厳しい地域では春小麦が生産されている場合もある。
(つまり、ルトルバーグ領は冬の寒さが厳しいから春小麦を育てていて、ただでさえ冬小麦より収穫量が少ないのに、なぜか昨年から不作が続いているということ?)
「あの、実際のところ今の段階で予想される収穫量で領地の収益はどうなるんでしょうか?」
「……高く見積もって、ギリギリ赤字になるといったところでしょうか。今年はまだそれで乗り切れるかもしれませんが、これが来年、再来年と続くとさすがに厳しいものがあります」
ルトルバーグ伯爵は、昨年の不作を乗り切った善政を評価されて王都の宰相府への任官が叶ったが、今年も不作となると伯爵家の財政がかなり危険なことになるのではないだろうか。
「これ、他の村はどうなっているの?」
「同じ状況ですね。どこも土は悪くなさそうですし、日照りになったわけでもありません。なのになぜかいつも通りに麦が育たないのです」
「うーん、どうしてかしら?」
「あの、これって連作障害とかではないんですか?」
恐る恐るといった感じで手を上げたマイカが尋ねた。




