第98話「これまでと、これからと」
「――なにわともあれお疲れ様だ。藤代少年」
魔術師たちとの戦いから二日後。
悠真はひとり、放課後の放送室を訪れていた。
放送室の主、胡桃坂杏子は相も変わらず椅子の上であぐらをかいている。
何がとは言わないが、見えそうで見えない絶妙な際どさに、悠真はドキッとしてしまう。
「いやー、みんな無事みたいで安心したよー。澪依奈から連絡はあったけど、やっぱり心配だったからねー」
「すみません、報告が遅くなってしまって……まさか学校が丸一日休校になるとは思いませんでした」
「いやいや、むしろ休校程度で済んだことを喜ぶべきところだよ。もし彼の魔術で死人が出たりしていたら、休校どころの騒ぎじゃ済まなかっただろうからねー」
「……それもそうですね」
驚くべきことにあの日、天多の魔術によって昏睡させられた生徒たちは、みんな数時間後に何事もなく目を覚ましていた。意識を失う前後の記憶は曖昧で、何があったのかは誰も覚えていなかった。体調不良を訴える生徒が少なからず居て、救急車が呼ばれる事態にはなっていたらしいのだが、寝て起きたら回復する程度の症状だったという。
この話を聞いた澪依奈曰く、きっと強い魔力に《《当てられてしまった》》のでしょう、とのことだった。
魔術を知らない人たちからすれば、突然全校生徒が眠ってしまうという怪奇現象に遭遇したワケだ。
大事を取って丸一日の休校措置で済んだのは、たしかに不幸中の幸いだろう。
「そういえば、あの時のお礼をまだちゃんと言ってませんでした。胡桃坂先輩、助けてくれて、どうもありがとうございました」
「どういたしましてー。でもあの時一番がんばってくれていたのはボクじゃなくて棚町少年だ。お礼なら彼に言ってあげてくれたまえ」
「それはもちろん。あいつには昨日のうちに電話で伝えました。今朝も武勇伝を聞かされましたよ」
「にゃははは。ノリノリで語る棚町少年が目に浮かぶよ」
悠真は苦笑しながら、視線を窓の方に向けた。すると、放送室の窓際にサボテンが置かれていることに気が付いた。観葉植物にしては珍しい。前に来た時からあったけ……などと思い返しているうちに、昼間聞かされた健児の話を思い出した。
……そういえば、喋るサボテンが強かったとかなんとか、よくわからないこと言ってたっけ……。
「それにしても、藤代少年はみんなと仲良しで羨ましい限りだねー」
「べつにそんなことはないと思いますけど……」
「そうだ! ボクとも連絡先を交換してくれないかい? ほら、いちいち澪依奈を仲介するのも効率が悪いだろう?」
「え、あ、はい。断る理由もないですし、いいですよ」
唐突な話の流れに少し戸惑いながらも、悠真はポケットからスマホを取り出して、杏子と連絡先を交換した。
『ファストーク』の友達欄に杏子のアカウントが追加される。
名前の横に表示されたアイコンを見て、ふっと湧いて出た疑問が口をついて出た。
「……餅?」
「くるみ餅だよ。商店街のお菓子屋さんに売ってるんだー。今度食べてみて。絶品だから」
にゃはは、と杏子が笑う。
すると、まったく同じタイミングで、ポコンと通知音が鳴った。
悠真のスマホには、新着メッセージの通知が表示されていた。
悠真はすぐに時間を確認して、慌てた様子で立ち上がった。
「もうこんな時間か! すみません先輩、今日のところはこれで失礼します」
「おや、もう行っちゃうのかい?」
「すみません……これから妹と出掛ける予定があって」
「ありゃりゃ、それは残念。それじゃあまた今度ゆっくり話すとしよう」
「はい。次は沙希のことも紹介させてください」
と、別れのあいさつもそこそこに悠真が背を向けた直後――、
「――あ、ちょっと待って藤代少年」
「何ですか?」
杏子は両手でくの字に曲げて、ちょいちょいと手招きした。
「もうちょっと近くに来てだね……そう、そこで少し屈んで」
「こう、ですか……?」
杏子の目の前で悠真が膝を折って少し屈む。
すると、彼女は小さな手を悠真の頭の上にすっと伸ばして、
「よくがんばったね。えらいえらい」
と、頭をなでて悠真のことを褒めたのだ。
悠真はあっけにとられてしまって……ほんの少しの間だけ、杏子にされるがままでいた。
「前にも言ったけど、ボクはキミの味方だ。困ったことがあったら、いつでもお姉さんを頼ってくれていいからね」
「……ありがとうございます。じゃあ、早速ひとついいですか?」
「おや、何か相談したいことでもあるのかな? いいよいいよ、遠慮なく聞いてくれたまえ」
「それでは、お言葉に甘えて遠慮なく……――先輩。椅子の上であぐらをかくの、やめたほうがいいと思います」
「……はにゃ?」
予想外の返答に、杏子は手を伸ばした体勢のまま固まって動かなくなった。
言うだけ言った悠真が逃げるように放送室から出て行ってから数秒後――。
残された杏子は、言葉の意味するところを理解して、顔を真っ赤に染め上げた。
完全に無意識だった。そもそも、気にもしていなかったのだ。いつもは澪依奈とくらいしか話すことがなかったから……。
杏子は思わず穿いている下着を確認しようとして、すんでのところで思いとどまった。
「はぁー……これじゃあちっともお姉さんらしくないよー……」
椅子に座ったまま、火照った顔が冷めるまでくるくると回り続ける杏子なのであった。
†
鳴滝市の郊外には、それなりに大きな霊園が存在する。市街地からほどよい距離に建てられたその場所は、市内の人間ならば誰もがよく知っていて、園の中央には卵のような独特な形をした霊廟が建てられている。地図アプリにもデカデカと表示されるくらいには、遠くから見ても非常に目立つ。
霊廟前の開けた平地には、理路整然と墓石が並んでいる。周辺の芝生や植え込みもよく手入れされていて、清潔感と清涼感が調和していた。
時節は梅雨入りしたばかり。午後の日差しが照り付ける中、ふたりの女性がやって来る。
ひとりは日傘をさしていて、もうひとりは両手に花束を持っていた。
志摩茜音と志摩朝音。いつも通りの艶やかな……なんとも墓参りらしくない服装で霊園を訪れた姉妹は、とある家の墓の前で足を止めた。
墓石には、『黒崎家之墓』と彫られていた。
「お姉ちゃん、お花はこんな感じでいいかな?」
「ええ、それでいいわ。とても綺麗よ」
墓前に花を供えると、ふたりはじっと墓を見つめて動かない。
やがて話したいことがまとまったのか、茜音は墓に向かって話し始めた。
「天多……遅くなってしまってごめんなさい。随分時間が経ってしまったけれど、約束通り会いに来たわ」
「お姉ちゃんがね、たーくんならうちの墓よりこっちのほうがいいだろうって、実際に黒崎の家にまで押しかけてあれこれ交渉したんだよ。おじさんたちすっごい困ってて笑っちゃった」
「笑い事じゃないわよ。あの人たちが優柔不断なせいで、貴重な時間をかなり無駄にしてしまったのだから。ただでさえ事後処理やら何やらで忙しかったというのに……あぁ、思い出しただけでも腹が立つ」
「あははは、そうだねぇ……あれからもう二週間も経つんだもんね。あっという間だよ、本当に――」
しみじみと言う朝音の表情には、寂しいという気持ちがありありとにじみ出ていた。
――かと思いきや、彼女は茜音の顔をのぞきこんで、
「でもなんだかんだ言って、最後にはぜーんぶうまくやってくれるのがお姉ちゃんだよね」
なんてことを言うのだから、朝音の心は秋の空のように難解極まりない。
だがそれも茜音にとっては慣れたもの。彼女は小さくため息をつくと、
「調子のいいことばかり言って……当然でしょう。私はもう、正式に志摩家の当主になったのだから――当主として、やるべきことをやるだけよ」
弟にばかり負わせてしまっていた、父からの期待や魔術師としての責務。それらを今度は自分たちが背負っていくのだと、茜音はきちんと伝えておきたかったのだ。
「そこで見ていなさい。私たちが、これから何を成すのかを――」
父を亡くし、長男も亡くした。正当な後継者はいなくなって、残されたのは召喚術の才脳が無い自分たちだけ。
――関係ない。たとえ志摩の血が衰えてしまったとしても、新たな魔術の道を切り拓き、何度だって成り上がってみせる。
それが彼女たちと天多との、最初で最後の姉弟喧嘩。
言うなればこれは――宣戦布告。
彼女たちにしか許されない、亡き弟に対する愛情表現の一種なのだ。
これで、彼女たちがここを訪れた理由の半分は済んだ。
そして残りのもう半分は、ちょうど向こうから手を振りながらやって来た。
「すみません、遅くなりました。お久しぶりです茜音さん、朝音さん」
遅れて到着したのは悠真だった。
悠真はふたりに向かってお辞儀した。近くのバス停からここまで走って来たらしく、額には汗がにじんでいた。
「こんにちは悠真君。元気そうで何よりだわ。もう体調はいいのかしら」
「はい、おかげさまでもうすっかり――」
「やっほー兄くん、ついこの間ぶり~。妹ちゃんも元気してる?」
「もちろん。朝音さんに言われたとおり、毎日張り切って特訓してますよ。聖女の力もだいぶコントロールできるようになってきたって言ってました」
「おー、よきかなよきかな。継続は力なりってね。存分に励んでくれたまえーって、妹ちゃんに伝えておいて♪」
「はい。またそのうち遊びに来てやってください」
おっけー、と朝音が笑顔で答えると、おもむろに茜音が日傘を閉じた。墓前に手を合わせて目を閉じると、静かに黙祷し始めた。
悠真と朝音も一旦話を切り上げて、彼女に倣って黙祷する。
静寂の中、心地よい風が広大な敷地を駆け巡った。死者を弔う場所にだけ吹く、どこか物悲しいような、背中を押すような……そんな風。
穏やかに過ぎゆく時を肌で感じて、悠真はゆっくりと目を開けた。
茜音のほうをちらりと見る。彼女もすでに目を開けていて、閉じた日傘をさしなおしていた。
茜音は、前を向いたまま話を切り出した。
「悠真君、改めてお礼を言わせて。ありがとう……あの子を連れて帰って来てくれて。おかげでこうしてあの子を弔ってあげることができたわ」
「……いえ、俺は何もしていません。実際に天多のことを背負ってたのはフィーネですから、お礼ならあいつに言ってやってください」
「そうね、もちろんそうするわ。だけどそれだけじゃない。君はあの子と真剣にぶつかってくれた。あの子の言い分を受け止めて、その上で、真正面から戦ってくれた。私たちができなかったことを、君が代わりにやってくれたのよ」
「こんな言い方はどうかと思うんだけど……たーくんも多分、楽しかったと思うんだ。魔術師として、キミと本気で戦えて。たーくん、同年代の友達って居なかったから……だから――ありがとうなんだよ」
そう言って、なぜか朝音が悠真の右隣に移動した。
悠真の左隣には茜音が居る。
立ち位置としては、悠真がふたりに挟まれる形となった。
「あの、何を……?」
「これはあの子がしてしまったことに対する謝罪の意味と――」
「――私たちからの感謝の気持ちだよ♪」
茜音と朝音は、悠真の肩に手を置いて――、
やさしくて上品なキスをした。
「――――はっ、えっ……ええ⁉」
悠真はその場から飛び退いて、頬に残った唇の感触を指でなぞった。
あまりの衝撃に心臓は爆発してしまいそうで。しかも顔は燃えるように熱かった。
腰を抜かさなかっただけ褒めて欲しいと思いながら、悠真はくすくすと笑う姉妹をじろりとにらむ。
「ふふ、そんなに驚かなくてもいいでしょうに」
「お姉ちゃん、兄くんだって年頃の男の子なんだから、こんな絶世の美女ふたりにキスなんてされたらそりゃあ照れちゃうって」
悠真はまったくもってそのとおりです、と猛烈な勢いで首を縦に振った。
……ていうか、自分で自分のこと絶世の美女って言っちゃうんだ……。
「よかったね。お友達に自慢できるんじゃない?」
「……しませんよ」
……というかできるワケがない。健児にでも知られた日には、どんな目にあうかわかったもんじゃないしな。
「あ、でも鷹嘴のお嬢さんにバレたら大変なことになっちゃうかもね」
「たしかに……なら、これは私たちだけの秘密ということにしておきましょうか」
「は、はぁ……なんでそこで鷹嘴が?」
「わからない? わからないかー。わからないんじゃあ仕方ない。でも大丈夫。兄くんにもそのうちわかるときがくるからね!」
「……??」
朝音の煙に巻くような発言に、悠真は首を傾げた。
すると茜音がこほんと咳払いをして、話を本筋へと引き戻す。
「これからは私たちがこの土地を管理し、守っていかなければならない。だからもし、また異世界の魔術師がやってくるようなことがあったのなら、その時は遠慮なく声を掛けてちょうだい。力になってあげるわ」
「……はい! その時は頼りにさせてもらいます」
「ま、私は時々妹ちゃんの様子を見に行くつもりだから。これからもよろしくね、兄くん」
「こちらこそ――美味しい紅茶、用意しておきますね」
期待してる、と言い残して、姉妹は霊園を後にした。
誰もいなくなった墓地の真ん中で、悠真は空を仰ぎ見る。
雲一つない晴天には、うっすらと昼の月がのぼっていた。




