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第97話「脱出」

「……よかったのか?」


 悠真が訊くと、父を看取った少女はゆっくりと頷いた。


「よかったんだと思います。これでパパも、ゆっくり休めると思うので……」

「でも、沙希の力なら『灰白病かいはくびょう』だって治せたんじゃ……」

「いいえ。サキの力は、命の時間を巻き戻すことしかできないはず。『灰白病』を治せるワケじゃないわ」

「なら、病気になる前にまでフォルシェンの時間を戻せばいいんじゃ――……あ」


 ――それはダメだ。

 命の時間を巻き戻すせば、肉体はもちろん、記憶だって巻き戻る。

 フォルシェンがいつ『灰白病』を患ったのかはわからない。だが、マナ汚染が進行する以前までともなれば、おそらくは何十年も昔のことで。それこそ、ユリアーナが産まれるよりも前の話かもしれない。

 もし、そんな昔にまで時間を巻き戻してしまったのなら、きっと彼は大切なことを忘れてしまう。

 いや、忘れるどころか彼にとっては全部無かったことになってしまうのだ。

 それはきっと、彼から家族を奪うことに他ならない。

 娘である彼女にそんな選択を迫るのは、父親の死を看取るよりも、よっぽど辛くて、残酷だ。

 悠真は、ユリアーナに頭を下げた。


「ごめん、ユリアーナさん……俺、いま酷いこと言おうとした」

「気にしないでください。わたしたちを気遣ってくれてることは、なんとなくわかるので……だからその、ありがとうございます」


 立ち上がったユリアーナが、みんなに向かってお辞儀した。

 悠真は途端にいたたまれない気持ちになって、がしがしと頭をかいた。

 正直、フォルシェンには恨み言の一つや二つは言ってやろうと思っていた。なのにこうして彼女に頭を下げられてしまっては、何も言えなくなってしまう。

 身内を亡くした人間に追い打ちをかけるようなマネが、悠真にできるはずがなかったのだ。

 そうやって悠真が返答に困っていると、突然ユリアーナの体が光り出した。

 光の粒子は、夜空に浮かぶ星のようで、キラキラとまたたいては消えていく。


「……そろそろ時間みたいです」

「時間って――そうか、召喚術の……」

「はい。わたしは、パパに召喚されたからここにいます。なのでパパがいなくなってしまったら、わたしは元の場所に帰らなくてはいけないんです」


 元の場所とは、彼女が召喚される前に居た場所。つまりは世界樹だ。

 ユリアーナの魂は再び世界樹に取り込まれ、聖女としての役割を果たし続けることになる。

 それがどういうことなのか、悠真にはよくわからない。だからどんな顔で見送ればいいのかもわからなくて、途方に暮れて、隣を見た。

 悠真の隣では、フィルフィーネが複雑な面持ちで自分の腕を掴んでいた。そうしていなければ、引き留めてしまいそうだったのかもしれない。

 彼女は、『送り人』だったから――。


「最後に、サキさんに伝えておいてもらえませんか。『迷惑をかけてごめんなさい、友達になってくれてありがとう』――って」

「……わかった。必ず伝えておくよ……ありがとう。妹と仲良くしてくれて」

「こちらこそ……それじゃあ、さようなら。異世界のすてきな魔術師さんたち――」


 ユリアーナが微笑むと、光は水泡のようにはじけて散った。同時にハーゼの変身魔術が解けて、入れ替わるように沙希の姿に戻った。

 沙希はゆっくりと目を開ける。手を伸ばして、周囲に浮かぶ光の粒を両手ですくうと、消えゆく光を慈しむように、優しく包み込んで抱きしめた。


「……ばいばい、ユリアーナさん」


 少しだけ、肩が上下に揺れていた。

 悠真は自分の足で立って、沙希の頭をなでた。


「……お兄ちゃん」

「なんだ」

「私ね……いますっごく、早く家に帰りたいって思ってる」

「……俺もだよ。早帰って、ベッドで寝て……起きたらみんなで一緒に、ごはんを食べよう」

「うん……!」


 取り戻すべきを取り戻し、果たすべきを果たした。

 あとはただ、この薄暗い地底から日の当たる地上へと戻るだけ――。

 そうやって誰もが気を抜いていた時、再び足元が大きく揺れた。

 立っていることさえ難しいほどの強烈な大震動。


「な、なんだ⁉ また地震か⁉」

「……いいえ、違います! あれを見てください!」

「霊脈が!?」


 澪依奈が指差したのは、眼下に見渡せる霊脈の堀。凪のように落ち着いていたはずの霊脈が、なぜか再び嵐のように荒れ狂っていたのだ。

 ざぶんざぶん、と魔力の波が壁にぶつかって、そのたびに大空洞は空間ごときしみ、大きく振動した。

 壁が砕けて、天井が落ちて来る。

 本格的に地下の崩落が始まった。


「うわわわわっ! これってもしかしなくても、かなりヤバいやつなんじゃないの……!?」

「ちょっと優等生! なんで今頃になってまた霊脈が暴走しちゃってんのよ⁉」

「そ、そんなこと私に訊かれても知りません!」

「チッ。いつもは偉そうにあれこれ説明するクセに、肝心な時に使えないんだから!」

「なっ……なんですかその言い草は⁉」

「おふたりとも、今は言い争ってる場合じゃありません! 早くと逃げないと、みんな生き埋めになっちゃいますよ!」

「ハーゼの言うとおりだ。みんな、急いで脱出するぞ!」


 悠真の号令に従って、彼女たちは一斉に走り出した。フラートを先頭にして、上ってきた長い階段を今度はひたすらに下りていく。

 一番最後にフィルフィーネが走り出そうとして――やめた。前方に悠真の姿が見えなかったからだ。

 嫌な予感がして振り返る。


「ユーマ、何をしてるの⁉」

「……わるいっ、先に行っててくれ! こいつを、ここに残して行くワケには、いかないんだ……っ!」


 案の定、悠真は天多の遺体を背負って運ぼうとしていた。

 屈んだ状態からどうにか天多を背負うことには成功したが、二人分の重さに沈んだ足は、遅々として前に進まない。

 身体強化もなしで、どうやって運ぶつもりだったのか。


「あーもう、しょうがないんだからっ」


 それを見かねたフィルフィーネは、文句を言いながらも悠真の背から天多の遺体を奪い取り、自らの肩に担ぎ上げた。


「私が運ぶわ! ほら、早く逃げるわよ!」

「……すまん、恩に着る!」


 みんなより少し遅れて、悠真たちは最上階から飛び降りる勢いで逃げ出した。

 階段を降りている最中にも、地下の崩落は激しさを増していく。脆くなった天井から、崩れた岩盤が雪崩のように降り注いだ。

 悠真たちは、文字通り死ぬ気で走った。途中、落ちて来る岩をフラートが爪で弾き飛ばした。

 目指すはフィルフィーネが蹴破った横穴にして、この地下空間唯一の出入り口。

 そこを通り抜けてさえしまえば、その先は比較的安全なトンネルの中だ。工事で固められた壁や天井は、多少の揺れでは崩れない。

 先行するフラートたちが、来た時と同じ細く長い吊り橋状の道を渡って、一足先にトンネルの中へと退避した。


「はぁ、はぁ……ここまで来れば一安心ですね……皆さん、ご無事ですか?」

「無事に決まってんでしょーが。あー、つっかれた。もう全身ホコリまみれよ……あんたは随分平気そうな顔してるわね、ハーゼ」

「はい。『運び屋』として、逃げ足にはそれなりに自信がありますからね。このまま一気に地上まで走り去ってしまいたいくらいです」

「あっそ……」

「……あれ? お兄ちゃんとフィーちゃんは?」


 周りを見てもふたりの姿はどこにもない。

 嫌な予感がして、沙希は慌てて来た道を振り返った。

 そこには出口に向かってひた走る、悠真とフィルフィーネの姿があった。


「あと少しよ、がんばってユーマ!」

「はぁっ、はぁっ……あぁ……っ!」


 出口までほんの数十メートル。

 体力はほぼ限界だが、ゴールはすでに見えている。

 悠真はフィルフィーネの背中に追い付こうとして、最後の力を振り絞る。

 しかし、またしても地面が大きく揺れて、ふたりはたまらず足を止めた。

 バランスを取るために視線を足元へと落とした時、すぐそこで沙希が何事かを叫んでいた。

 崩落音が激しくて、一度目は聞き取れなかった。

 けれど二度目の叫び声は、はっきりとフィルフィーネの耳に届いた。


「――逃げてフィーちゃん!!」

「……えっ⁉」


 その直後、唯一の道に大きな亀裂が走った。

 フィルフィーネの立っている場所を基点として、道が真っ二つに裂けてしまう。

 ぐらりと視界が傾くと、すぐに浮遊感がやって来た。

 このままでは、霊脈の底へと真っ逆さま――。

 そう理解した時には、すでに彼女の体は動いていた。


「くっ……はああああああ――ッ!!」


 フィルフィーネは崩れかけた瓦礫を足場にして、出口に向かって跳躍した。

 人ひとり背負った状態での、およそ二十メートルを超える大ジャンプ。

 空中で姿勢を崩しながらも、フィルフィーネは心配する沙希のもとへ転がり込むようにして軟着陸に成功した。


「フィーちゃん大丈夫⁉」

「……っ、私のことなんかより、早くユーマを……!」

「――うわぁああっ!!」

「お兄ちゃん⁉」


 足場を失った悠真は、霊脈の中へと落ちていく。

 強張った瞳に映るのは、底の見えない魔力の海。荒れ狂う魔力の激流が、渦を巻いてそのあぎとを開いている。

 魔力の溜まった霊脈は、言わば深海のようなものだ。その圧倒的な魔力密度は、溺れてしまった人間を容赦なく、跡形もなく押し潰す。そうして圧縮された人間から、魔力だけが抽出される。

 まさしく生命の坩堝るつぼだ。

 あの中に落ちてしまったが最後、絶対に生きては帰れない。


「そんな……藤代くんっ……藤代くん!!」

「どきなさい優等生! あたしが捕まえてみせる――!!」


 悲痛な声で泣き叫ぶ澪依奈を押し退けて、フラートが爪を伸ばした。爪をロープ代わりにして、悠真を空中で捕捉しようというのだ。

 だが、フラートの爪の最大伸縮距離はおよそ二十メートル。自由落下を始めた悠真までの距離は、すでにその二十メートルを超えている。

 このままでは、どうがんばっても届かない。


「届け、届けっ……届きなさいよぉおおッ!!」


 叫んだところで結果は変わらない。

 フラートの爪はあと少しのところで失速し、重力に負けて垂れ下がった。

 悠真が伸ばした指先に、触れることはかなわなかった。


 ……もう、ダメなのか……っ。


 ここが藤代悠真の終着点。

 役目を終えた脇役が、舞台から降りて去ってゆくように。

 妹と世界を救った少年は、暗く深い闇の中へと落ちていく。


 ――あっけない。

 ――情けない。

 ――悔しい。


 沸々と感情が湧き上がって、身体の内側が燃えるように熱くなった。


 もっと、沙希と一緒にいたかった。

 もっと、フィーネを見ていたかった。

 もっと、澪依奈から魔術を教わりたかった。


 想いや願い……未練があふれて止まらない。

 妹をひとり残しては逝けない。

 そうだ、みっともなくたって構わない。

 生きるために最後まであがけ。

 やりたいことだって、まだまだたくさんあるのだから。

 こんなかたちで、終わりたくない。


「――こんなところで、死にたくない……っ!!」


 生を渇望する魂の咆哮に世界がおののいた時――奇跡はやってきた。

 トンネルの奥から風が吹いて、鳥の鳴き声が響き渡る。

 そして次の瞬間には、沙希たちのすぐ側を、何か巨大な影が高速で通り過ぎた。


「え……い、いまの何?!」


 正体が気になって、沙希は風の行く先を目で追った。

 ――ハヤブサだ。野生ではありえない大きさのハヤブサが、暗闇を切り裂いて地底の空を飛んでいた。


「キュイイイーッ!!」


 デカい。もはや怪鳥と呼ぶべきサイズのハヤブサが、悠真を目掛けて急降下。霊脈に沈んでしまう寸前で、悠真の体を両足でがっちりとキャッチした。

 灰色の翼が空を打って翻る。高度を上げたハヤブサは、優雅に滑空し始めた。

 突然のことに理解が追い付かない悠真は、おろおろと目を泳がせる。

 そんな彼を見て、ハヤブサの背に乗っていた人影が、


「危ないところだったわね。間に合ってよかったわ」


 と、聞き覚えのある声で言った。

 気品漂う優雅な声色。

 悠真は驚きに目をいて、声の主の名を叫んだ。


「あ、茜音さん⁉ 無事だったんですね! じゃあこの鳥はまさか――」

「やっほーう、少年! 満を持しての颯爽登場! 鳥獣変態メタモルフォーゼな朝音ちゃんだよー♪」

「あ、あはは……やっぱり朝音さんなんですね……マジかぁ」


 朝音の勢いに負けて、もはや笑うしかない悠真。

 フォルシェンの魔術によって、地上よりも遥か上空へと送られたはずの彼女たちが、どうしてここにいるのか。彼女の姿を見れば、その理由は尋ねるまでもないだろう。

 ともかく、彼女たちのおかげで、悠真は今度こそ助かったのだ。

 まるで狩られた獲物のような扱いだが、この際文句は言うまい……と、悠真は宙ぶらりんの状態で苦笑した。

 『星見の神殿』が崩落した瓦礫に埋もれていく。その様子を、悠真は上空から眺めていた。

 あの神殿は、誰が何のために建てたものなのか。

 何もハッキリとしないまま、神殿は再び眠りについた。

 もう二度と、悪用されることはないだろう。


 ほどなくして、悠真は無事に着陸した。

 ようやく地面に足を付けられてほっとする悠真に、沙希が泣きながら抱き着いた。


「お兄ぢゃあああん――!!」

「ぐえっ」

「ううぅ……無事でよがっだよぉおおおお!」

「ちょ、おい沙希っ、お前鼻水が服に付くだろ⁉」

「うえええええん! いいじゃんかそのくらいいいぃ……!」

「サキの言うとおりよ。ホントに心配したんだから……っ」

「フィーネまで……ったく、しょうがないなぁ」


 鼻水を垂らして泣きじゃくる沙希の頭を、悠真は慣れた手つきで優しくなでた。

 澪依奈やフラートも悠真の無事を喜んで、一緒になって笑っていた。


「――じゃあ、帰るか。俺たちの家に」

「うん!」


 こうして、長い夜が終わりを告げた。

 非日常は過ぎ去って、朝焼けの空が訪れる。

 白と赤とが交わって、新たな一日の始まりを描き出す。

 遠く空に浮かび上がっていた異世界の大地は、すでに見えなくなっていた。

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