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第96話「せめて、夢の中では」

 静まり返った地の底で、魔術師たちの夜宴サバトは一段落。

 悠真は沙希を取り戻すことに成功し、敵である魔術師を打倒した。

 だが、勝利の美酒を味わうにはまだ早い。

 悠真はしばらくの間、呼吸を整えるので必死だった。両腕は筋肉痛が酷くて満足に拳も握れない。足は鉛のように重たくて、立っているのもやっと。

 そんな状態で倒れたフォルシェンに近づこうとするものだから、足がもつれてこけてしまう。


「うおっ……!」

「――っと。危ない危ない。大丈夫、ユーマ?」

「……あんまり大丈夫じゃないけど、なんとかな……にしても、なんだかフィーネにはこうして支えられてばっかりだな」

「そうかしら」

「そうだよ」


 悠真は肩を借りながら、カッコ悪いよな、と自嘲気味に笑った。

 フィルフィーネは真面目な顔で首を横に振った。


「ううん。そんなことない。私の目に映るあなたは、とても格好良かったわ」

「――そ、そうか……なんていうか、その……ありがとな……」

「どういたしまして……で、あってるのかしら?」

「……さぁ?」


 ふたりして首を傾げると、それがおかしくて、どちらからともなく吹き出した。

 笑い声に呼び寄せられて、散らばっていた仲間たちが集まって来る。

 真っ先にフラートが茶化すように言った。


「ちょっと。こんなところでイチャイチャしないでくれる?」

「だ、誰もイチャイチなんかしてないわよ!」

「いやどう見てもイチャイチャしてたでしょうが。乙女みたいに顔を赤くしちゃって……おかわいらしいことで」

「ふ、フラートぉおおおっ……⁉」

「まあまあ……そんなことより、フラートお前一体いつから隠れてたんだ?」

「ん? 最初からだけど?」

「えっ」


 驚きのあまり声が裏返ってしまう悠真。

 フラートはけらけらと笑いながら事情を説明する。


「お兄ちゃんたちと合流する前に、あたしの分身をハーゼの魔術で擬装ぎそうしようって話になったとき、そこの優等生が追加で提案してきたんだよ。『どうせならあなたは最後の最後まで出てこないでください。足手まといになりかねませんから』――って」

「そんな言い方はしていません。もし敵の魔術師が、私やフィルフィーネさんでも敵わないような相手だった場合、彼女ひとりが加わったところでどうにかなるとは思えませんでした。だからいっそのこと、隠れたまま隙をうかがってもらう方が何かと都合がいいと思っただけです」


 ハーゼは最初、対セルシウス戦を想定していたのだが、予想以上に志摩姉妹が奮闘し、これを撃破してしまった。嬉しい誤算の後で、今度は想定外の黒幕フォルシェンの登場。

 彼女の用意していた仕込みは、急遽修正を余儀なくされた。

 それでも結果だけ見れば、フラートの隠密が最後の最後で機能してくれたおかげで、勝利の糸を手繰り寄せることに成功した、とも言えるのだが……。


「まさかこんなにギリギリまで姿を見せないとは思いませんでした。まったく何度肝を冷やしたことか……」

「はあー? あんたが隠れて隙をうかがえって言うから、こうして最っ高のタイミングで登場してあげただけなんですけど? 何か文句でもあるワケ?」

「いいえ。ただ私だったら、もっとスマートに藤代くんを助けることができたのに、と思っただけの話です」

「なにソレ、ケンカ売ってんの?」

「売ってません。ひとりだけ体力が有り余ってるからってはしゃがないでください、みっともない」

「むっかー! ねえちょっとお兄ちゃん、なんなのコイツ! 一発やっちゃっていい⁉ いいよね⁉ よしやろうそうしよう死ねッ!!」

「よくないやるな殺すな!! 鷹嘴も、あんまりフラートを煽るなって。前にも言ったろ」

「すみません……なんというか、ちょっとした条件反射みたいなものでして……」


 ……そんな厄介な条件反射あるか?


「あはははは。ふたりとも仲が良くて羨ましいなー」

「どこが⁉」

「どこがですか⁉」

「ほら、そういうところ」

「「うっ…………」」


 沙希の天然っぷりが炸裂し、ふたりは同時にノックダウン。

 頭を抱える澪依奈とフラートを、不思議そうに見つめる沙希なのであった。


「……なぜだ」


 その時、しゃがれた声で、疑問を表す音が鳴った。

 少しの間だけ気絶していたフォルシェンが目を覚まし、呆然と夜空を見上げてつぶやいた。

 悠真はフィルフィーネの肩を借りながら、彼のそばへと歩み寄る。

 フォルシェンは横になったまま、虚空を見つめて喋り出した。


「儂はただ、ユリアーナと静かに暮らしていたかっただけなのに……どうして、こんなことになってしまったのだ……」


 ぽろりと本音が零れ落ちた。

 誰が悪いのか。何が悪かったのか。どうすればよかったのか。

 わからぬまま、それでも懸命に歩き続けたこの道は、間違っていなかったのか。

 彼が求めているような、絶対に正しい答えなどこの世にはきっと存在しない。

 それでも、悠真は一言ずつ、自分の言葉で回答する。


「あんたは多分、ずっと逃げてたんだよ」

「……なに?」

「俺もさ、昔はあんたとおんなじだったんだよ。沙希を不幸にしてしまった分、どうすれば沙希を幸せにできるのかって、そればっかり考えてた。周りのことなんて何も気にしないで、ただ沙希のことだけを考えて、行動して……――だけどある日、沙希が泣きながら俺を思いっきり引っぱたいてこう言ったんだ」


 ――私、お兄ちゃんに自分をないがしろにしてまで優しくされたくなんてない! 私の幸せを、お兄ちゃんが勝手に決めないでよ……!


「あの言葉がなかったら、俺はいまも色んな人に迷惑を掛け続けてたと思う。他人の人生を俺がどうこうしてあげようだなんて、そんな考え自体がおこがましかったっていうか……今にして思えば、あの時の俺は沙希と向き合うことから逃げてたんだ」


 沙希が生きる世界には、沙希以外にもたくさんの人たちが生きている。その中にはもちろん悠真も含まれていて。

 悠真が笑っていない世界では、沙希は心から笑うことができなかった。

 人はひとりでは生きられない。

 人はひとりでは満たされない。

 誰かと一緒に笑ったり、喜んだり、泣いたり、怒ったりもして。

 そうやって感情を共有できて、はじめて人は‟生きている”ことを実感する。

 沙希がそれを教えてくれた。だから悠真は、フォルシェンとは違った道を歩んで来られたのかもしれなかった。

 そして今度は、悠真がそれを教えてあげる番だった。


「フォルシェンさん。あんたはちゃんと、ユリアーナさんと向き合うべきなんだ」

「……向き合って、それでどうなる。貴様たちに敗北した儂に、今更そんな資格など――」

「――そんなさみしいこと言わないで、パパ」

「……⁉」


 突然、あどけない少女の声がした。

 フォルシェンにとってはとても懐かしく、世界で一番聞きたかった声。

 フォルシェンは声の主を探して首を傾ける。自分の隣で、寄り添うように膝をつく幼い少女の顔を見上げた。

 三十年前のあの日から、何一つ変わっていないユリアーナの姿がそこにあった。


「ユリアーナ……なの、か?」

「うん、わたし……ねえ、パパ。わたしのせいで、パパはずっと大変だったんだよね。いっぱい迷惑かけて……ごめんなさい、パパ」

「どうして、お前が謝るんだ……謝らなければいけないのは、私のほうなのに……!」


 肩を震わせるフォルシェンに、ユリアーナはやさしく微笑んで首を振った。


「わたし、知ってるよ。パパがわたしのために、いっぱいがんばってくれたんだってこと。ほんとうに嬉しかった。でもね、ダメだよ……わたしは、サキさんの人生を奪ってまで、生きていたいとは思えない」


 これが、彼女なりの別れの言葉。

 自分の口から伝えることができてよかった、とユリアーナはフォルシェンの手を握る。握った手を、あたたかい光が包み込む。

 他者を眠りのふちへといざなう、ユリアーナの聖女の力。

 我慢していた涙は、あふれて止まらなくなってしまっていた。


「わたしは十分幸せだったよ。パパとあの家で過ごした毎日は、わたしにとって一番大切な、かけがえのないものだったから――だから、もうがんばらなくて、いいんだよ」

「……すまない、ユリアーナっ……本当に、すまなかった……っ!」


 フォルシェンが大粒の涙を流すと、こぼれた涙が灰となって床を汚した。

 よく見れば、彼の指や髪の毛が白く崩れ始めていた。


「フォルシェン……あなた、やっぱり……」


 ――『灰白病かいはくびょう』。重度のマナ汚染によって引き起こされる、体が白い灰となって崩れ落ちる不治の病。

 フォルシェンは、ユリアーナが死んだ後も『星域せいいき』の調査を続けていた。娘を救う方法を見つけるまで、何年も、何年も……。

 蓄積したマナ汚染は、魔術を使うたびに進行が早まるとされている。

 おそらくは《《魔殻鎧装イーヴィル・クラスト》の使用が、フォルシェンにとって最期の引き金になってしまったのだ。

 『灰白病』に明確な治療法は存在せず、気付いた頃には手遅れなことがほとんどだ。

 フォルシェンの命は、もう長くはない。

 そのことに気付いていないのは、当事者である彼だけだった。


「……ごめんよ、ユリアーナ。少し疲れてしまったみたいなんだ。悪いけどちょっとだけ、眠ってもいいかな……」

「うん、いいよ。大丈夫、今度はちゃんと見ててあげるから……だから、安心して眠っていいんだよ。それでね、夢の中のあの家で、また一緒に暮らそう……今度はきっと、ママも一緒だから」

「――あぁ、約束だ。そのときは……家族三人でずっと、いっしょ、に――……」


 言い切らずに、フォルシェンはとても長い眠りについた。

 ユリアーナは、穏やかに眠る父の寝顔を見つめながら、声を押し殺して泣いていた。

 握った手が、やがて白い灰となって崩れ落ちる、その時まで――。

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