第95話「負けられない理由」
「ぐっ……あああああっ……!!」
「――フィーネ⁉」
無手で時間を稼いでくれていたフィルフィーネが、地面に倒され無防備な背中をフォルシェンに踏みつけられていた。
フィルフィーネの背骨が軋み、内臓が圧迫される。彼女が苦しそうに息をするたび、フォルシェンは待ってました、と言わんばかりにその背中を思い切り踏み潰した。
「ぐっ……がは、あっ――!」
「血迷ったかフィーネ。いくら貴様でも、獲物も無しで儂に勝てるはずがあるまい。なぜ自分の命運を他人に預けるようなマネをした?」
「はぁっ……はぁっ……あなたには多分、説明してもわからないわよ。他人を頼る勇気もない、臆病者のあなたにはね……!」
「そうか。ならば――死ぬがいい」
冷めきった宣告と共に、魔剣の刃がぎらりと光ってフィルフィーネを映す。その姿は、断頭台にかけられた罪人を彷彿とさせた。
身動きの取れない彼女の首を目掛けて、フォルシェンが刑を執行しようとした――その時だった。
「フィーネから離れろ、この陰険魔術師ッ――!!」
大戦斧を振りかぶった悠真が、真っすぐにフォルシェンに突撃した。
魔術による身体強化はフルスロットル。とうに限界は超えていて、両足には絶えず痛みが走っていた。
知ったことか、と切り捨てる。
走れるのなら問題はない。やせ我慢は慣れっこだ。
悠真は疾走の勢いをそのままに、大戦斧による一撃を叩き込む。
「ぶっ潰れろォッ!!」
「お断りだ――ハアッ……!!」
「がっ……⁉」
弧を描きながら降って来た大戦斧を、フォルシェンは難なくはじき返した。
悠真は斧の重さに振り回されてしまう。バランスを崩しながら、どうにか体勢を整える。
息も切れ切れな未成熟な魔術師の姿に、老齢の魔術師は失笑した。
「無様にすぎる。どれだけ武器が強力でも、使い手がこれでは話にもならん。折角フィーネが命を懸けて託したというのに、これではまったくの無駄骨だな……他人など最初から信用するだけ無駄なのだ」
「……お前の価値観で、勝手に俺たちのことを結論付けるんじゃねえ……! 無駄とか無駄じゃないとか、価値があるとかないとか……人と人との関係は、そんな簡単な言葉で測れるようなものじゃないはずだ!」
「儂は事実を口にしているまでだ。己の行いに責任を持てるのは己のみ。誰かを頼るということは、その責任から逃げているのと同じことだッ!」
わずか数歩で悠真へと肉薄したフォルシェンが、高速の斬撃を繰り出した。
剣の軌道は、ほとんど目で追い切れなかった。
それでも、斧を適当に体の前で構えていれば、ある程度は防ぐことができた。
無我夢中で斬撃を受け止める悠真に、フォルシェンは追い打ちをかける。
「なぜ他人を頼らねばならないのか――それは貴様たちが弱いからだ! 弱いから自分の言葉にも責任が取れない! 弱いから守るべきものも守れない! だから他人に縋ろうとする。弱い自分ひとりでは、何もできはしないから――!」
フォルシェンがひとつ剣を打つたびに、悠真は一歩後退した。
事実をひとつ突きつけるたびに、胸に刺さった棘がうずく。
未だに癒えない心の傷を、自ら抉って突きつける。
「弱者はただ強者に奪われるのみ……それがこの世界の絶対的な真実だ。この世界は、はじめから狂っているのだ――!!」
フォルシェンの剣には重みがあった。弱いことはそれだけで罪なのだと、魂に刻み込まれたような重みが――。
メルセイムではどうあっても、聖女の宿命からは逃れられない。たとえユリアーナを蘇らせることができたとしても、再び命を狙われる可能性が付きまとう。そんな状態では、穏やかな暮らしなど望むべくもない。
だからこそ、フォルシェンはこちら側の世界で生きる道を模索した。結果として、繋がった二つの世界の道を断ち切って、その上で自分たちのことを知る者を全員始末するという、あまりにも極端なやり方に行きついた。
フォルシェンには、力が必要だった。
力とは魔術であり、人間でもあった。
〈協会〉という仕組みは、フォルシェンにとって都合がよかった。憎しみの象徴でもあったが、目的のためには利用する方が賢明だった。
長い時間を掛けたかいもあってか、フォルシェンの計画はほぼ完璧に推移した。
でも、まだ足りない。
フォルシェンの最終的な目標は、ユリアーナを幸せにすること。
そのためには、フォルシェンの用意した幸福を、彼女が受け入れてくれねばならなかった。
無論、彼女はそんな幸福など望んではいない。どれだけ短い一生だったとしても、彼女はまっとうに自らの生を終えたと思っているからだ。
フォルシェンがどれだけ焦がれても、フォルシェンが望む未来は決して訪れない。
――だとしても。
走り出してしまったからには、止まることは赦されない。
「――だぁあああああっ!」
フォルシェンの攻撃を振り払うように、悠真はがむしゃらに斧を振り回す。かすりすらしなかった斧が、神殿の床をやすやすと叩き割った。
飛び散った瓦礫を手で払いのけるフォルシェンに、悠真が吐き捨てるように言う。
「……った――とか」
「何だと?」
「あんたの言い分なんて知ったことかって言ったんだ。強さなんて関係ない。俺がフィーネを頼るのは、俺があいつを信じてるからだ。信じたいって、心の底から思ってるからだ。誰かを頼る理由なんて、それだけで十分だろ」
「それが‟信頼”だとでも言いたいのか? 世間知らずの若造が綺麗ごとを……。ならば貴様は、その‟信頼”とやらにどうやって応えるつもりなのだ?」
「そりゃあもちろん……あんたを倒してさ」
「そんなことができるなどと、まさか本気で思っているのか?」
「できるさ。なんたって俺は――お兄ちゃんだからな」
「………………は?」
脈絡のない返答に呆然とするフォルシェン。
悠真は不敵に笑った。胸を張って、何一つ恥じることはないと言わんばかりだ。
かわいい妹の頼れる兄として、当たり前のことを当たり前に宣言する。
「俺はあいつのお兄ちゃんで、あんたは俺の妹に手を出した。俺が負けられない理由なんて、それだけで十分なんだよッ――!!」
再びの疾走は、先ほどよりも速かった。
重すぎる斧を担ぎ上げ、悠真は命を燃やして駆け出した。
体が重い。一歩踏み込むたびに、そのまま床に倒れ込んでしまいそうになる。だけど進む足は緩めない。まだ倒れるワケにはいかない。
少なくとも一発殴ってやるまでは絶対に倒れてなんてやらない――と、悠真は心に決めていた。
「ふざけたことを……! 今度こそバラバラに切り刻んでやるッ!!」
「ぐっ――うおおおおお!!」
悠真は斧を盾のように突き出して、自分から距離を詰めていく。
斬撃をひとつはじくたび、体はひとつ前に出た。
肉を切らせてなんとやらだ。悠真は負傷をかえりみず、勇猛果敢に突撃した。
もちろん、フォルシェンが何も考えていないはずがない。
見た目からして物騒な斧は、誰がどう見ても魔術由来の代物。その性能が計り知れない以上、わざわざ攻撃を食らってやる筋合いはない。
フォルシェンはその場から飛び退いて、悠真が斧を振り下ろした後、無防備な心臓を串刺しにしてやろう、と思っていた。
だが、その考えはすぐに破綻した。
後退するために持ち上げようとした足が、まったく持ち上がらなかったのだ。
視線を足元へ落とし、目を見開く。
「なっ、足が凍っているだと⁉ この氷は……まさか⁉」
視線を投げた先は、神殿の四隅の一角。そこでは沙希の力によって回復したばかりの澪依奈がいた。彼女が神殿の床に冷気を這わせ、フォルシェンの足を拘束したのだ。
「藤代くん、今です!」
「――っ、いいやまだだ……ッ!」
フォルシェンの切り替えは早かった。
視線を戻し、魔剣を構える。
……避けられないならば迎え撃つまで。奴が斧を振り下ろそうとしたその瞬間、剣を重ねて奴の両腕を切り落とす……!
悠真は戦いに関しては素人だ。武器を握った際の体の動かし方なんて知らないし、斧の扱いなんてもっと知らない。ゆえに、それぞれの動作は単調にならざるを得ない。
フォルシェンは斧ではなく、悠真の全身を凝視する。
悠真が踏み込んだ右足に体重を乗せた瞬間、フォルシェンの魔剣が閃いて、悠真の両腕を鮮やかに両断する。
――はず、だった。
「なっ……⁉」
二本の腕を刈り取る直前、魔剣は何かに打たれ、はじき飛ばされた。
それは鞭のようにしなやかで、鋼のように頑丈な、彼女の自慢の個性。
――爪だ。束ねられた十枚の爪が、フォルシェンの魔剣を横合いから打ち払ったのだ。
フォルシェンは驚愕に目を見張る。
あれは魔術だ。違う、そんなことは見ればわかる。問題はそこじゃない。
……いつからだ。いつから儂は、あの女の存在を失念していた⁉
「――貴様の仕業かっ、フラートォ……!!」
「ふふーん、作戦どおり――ってね。どう? 最高にイヤらしいタイミングだったでしょ」
フラートは嘲笑うように舌を出した。
フォルシェンは青筋を立てて憤る。
悠真は視線だけ動かしてフラートを見た。彼女は悠真の視線に気づくと、ニヤリと微笑んであごをくいっと動かした。さっさと倒してよね……と、あどけない瞳が語っていた。
悠真は心の中で頷いて、斧を握る手に力を込め直す。
魔剣がはじかれたことによって、フォルシェンの体勢は崩れている。もはや防御することも、回避することもできはしない。
お膳立ては整った。
「やっちゃえ、ユーマ!!」
「だっ――らああああああああああああ!!」
フィルフィーネの言葉を引き金に、悠真は両腕を打ち下ろした。渾身の力で繰り出された大戦斧が、フォルシェンの鎧に喰らい付いた。
金属音が鳴り響き、互いの魔力もぶつかり合う。
絶対の防御を誇る鋼鉄の鎧が、大戦斧を引き剥がそうと拒絶する。
拮抗する矛と盾。せめぎ合う魔力が火花を散らす。
……砕けろ、砕けろ、砕けろっ……!!
「おおおおおおおお……!!」
悠真は可能な限りの魔力を大戦斧へと注ぎ込む。
《改竄》で再現されただけの空っぽだった魔石が、空腹を満たされて光り輝いた。魔石からにじんだ濃煙が大戦斧を深緑色に染め上げて、おどろおどろしい雰囲気を振りまいた。
これが、触れた物すべてを腐り堕とす斧――『腐敗之斧』の本来の姿。
悠真は無我夢中で、覚醒した力を叩きつける。
「そ、その力は――っ⁉」
絶対なんてありえない。壊れないなんて嘘だ。
それが物質である限り、いつか必ず朽ち果てる……!
腐蝕の牙が、幾重にも編み込まれた防護術式を噛み砕く。
バリボリと。ムシャムシャと。片っ端から食い荒しては腐り堕とす。
そうして術式を失った鎧は、ただの外装に成り果てた。
「ぶっ壊れろォオオオオオオオオオオオオッ!!!!」
――バキィン……!
最後の防護術式を腐敗させて、ついに『腐敗之斧』が金剛の鎧を打ち砕いた。
「ぐぉおおおおおっ……! ば、馬鹿なっ……こんな、こんなはずでは……⁉」
……計画は完璧だったはずだ。すべてがうまく行っていたのだ。この日のためにどれだけの時間を費やしたと思っている! 〈協会〉を欺き、手駒を育て、志摩の魔術を利用し、あらゆる仕掛けを用意した。何もかもが、儂の想定通りに進んでいた……なのに、なのにっ! 最後の最後で覆された! たったひとりの魔術師に……!
「これは一体、何の冗談だ……⁉」
衝撃にのけ反りながら、フォルシェンは目を見開いた。
満身創痍のはずの少年が、なおも拳を握って向かってくる。
立っているのもやっとな顔をして、けれど瞳の奥には消えぬ炎が宿っていた。
フォルシェンが叫んだ。
「……一体何が、貴様をそうも突き動かしている⁉」
動揺するフォルシェンの視界の中で、悠真は奥歯を噛みしめる。
その手にすでに武器はない。《改竄》は時間切れで、『腐敗之斧』は槍の姿に元通り。取りこぼした槍を拾い直す間もなしに、こうして拳を握りしめている。
やるべきことはすでにやり終えた。あとはフィルフィーネたちに全部任せてしまっても、なんの問題もないだろう。
だけど、これは……この‟熱”は――。
直接ぶつけなければ気が済まない……!
悠真は返答のかわりに、右の拳を突き出した。
「これは、沙希を異世界に召喚しようとした分ッ!!」
「ぐあっ……!」
「これは、沙希を泣かせた分ッ!!」
「がはっ……!」
「そしてこれが、俺から沙希を奪おうとした分だああああああああああッ!!」
「ぐああああああ……っ!!」
右ストレートが頬を叩き、左の拳が鳩尾を打ち抜いて、トドメに右のアッパーが炸裂した。
殴り飛ばされたフォルシェンの体が宙を舞う。床を転がって、やがて仰向けに倒れたフォルシェンは、天井を見上げたまま動かなくなった。
……すまない、ユリアーナ……。
娘を想う父の執念は、妹を想う兄の偏愛によって、完膚なきまでに打ち負かされたのだった。




