第94話「最強のカード」
『ユリアーナさんと有意義な話ができたみたいでよかったね、沙希ちゃん』
「うわっ、ビックリした! ……詩織さん、その状態で喋れたんですか?」
突然黄牢石が喋り出して、悠真たちを驚かせた。
黄と白の明滅を繰り返す石を、沙希は手の平に乗せて持ち上げる。
『なんかやってみたらできちゃった♪』
「できちゃったって……いえ、シオリは昔からそういう感じだったわね。色々と思い出してしまったわ……」
『えー、そんなことないと思うけどなー』
どの口が言うか、とでも言いたげな顔をして、フィルフィーネはため息をついた。
和やかな雰囲気を打ち壊すように、フォルシェンの魔剣が床を叩いた。
フォルシェンは覚束ない足取りで立ち上がると、苦しそうに頭を押さえた。焦点が定まらない。ふらふらと揺れる視界が気持ち悪くて、息苦しいヘルムを脱ぎ捨てる。
《魔殻鎧装》の精神汚染は、強烈な睡魔によって打ち消されていた。
「……この眠気は、あの時と同じものだ。そうだろう、ユリアーナ。お前が儂のもとから去ってしまった、あの時と――!」
すごむフォルシェンに対し、沙希は落ち着いてユリアーナの言葉を代弁する。
「ユリアーナさんは聖女の力を使って、フォルシェンさんの心を落ち着かせようとしたんです。――もうこれ以上、パパには誰も傷つけて欲しくないから……って」
「ならばその体をユリアーナに明け渡せ。そうすれば、これ以上誰も傷つけないと約束しようではないか」
「それはできません。ユリアーナさんはこうも言ってたんです。――他人の体を奪ってまで生きていたいとは思わない。だからパパも私のことは忘れて、パパの人生を大切に生きて欲しい……って」
「嘘を言うなッ!!」
勢いよく振り下ろされた魔剣が床を叩き割った。
フォルシェンは血を吐きそうな勢いで、沙希の言葉を……ユリアーナの想いを否定する。
「――忘れるだと? 儂がユリアーナを? そんなことは、天と地がひっくり返ってもありえない! 儂の人生は、あの子のために使うと誓ったのだ!」
「でもユリアーナさんは望んでない!」
「それが嘘だと言っているッ!! 昔あの子が言ったのだ。儂と一緒にいるだけで……それだけで幸せなのだと……。だから儂は、ユリアーナとの暮らしを……あの幸せな日々を、取り戻さねばならんのだッ!!」
沙希は自分の中にいるユリアーナが、ひどく驚いているのがわかった。
ユリアーナは回想する――幼い日に暖かい暖炉のそばで、大好きなパパに寄り添って口にした、何気ない言葉……そうだ、たしかに言ったことがあったのだ。あの家でパパと一緒に暮らしているだけで……それだけで毎日が幸せでいっぱいだった。
でも、当時どんな思いでその言葉を口にしたのか、今のユリアーナは思い出せなかった。
もし……もしもそれが、フォルシェンにとって何より大切な『約束』になってしまっているのだとしたら……。
自らの人生を投げ打ってでも娘のために生きる道を選択した彼の決断は、きっと計り知れないほどに重く苦しいもので。
そんな彼の言っていることが……気持ちが、悠真だけはわかってしまった。
沙希を亡くしたままだったら、自分も彼のようになってしまっていたのではないか。そう考えると、背筋が冷たくなって、足がすくんだ。
でも……、と悠真は思う。
……現実から目を背けて、都合のいい理想に逃げた道の先には、本当の幸福なんてありはしないんだ……。
うつむく悠真など気にも留めず、フォルシェンはなおも続けた。
「嘘でないと言うのなら、なぜユリアーナが直接話さない。そうしないだけの理由が、貴様たちにあるからだろう⁉」
「ち、違います! ユリアーナさんは……」
「戯れ言はもういい! これ以上の問答は時間の無駄だ。どのみち、貴様たちは全員ここから生きては帰れないのだ――ッ!!」
「――っ、みんな下がって!」
フォルシェンの突進に合わせて、フィルフィーネがみんなをかばうように前に出た。
魔剣と槍が衝突する。空気の振動が、背後に立つ悠真たちにまで届いた。
繰り出されるのは力と技。豪快な一撃で致命傷を狙うフォルシェンに対し、フィルフィーネは流れるような槍さばきで、斬撃の軌道をいなし続ける。
フォルシェンが理性を取り戻した結果、さっきまでよりも攻撃の速度は幾分か遅くはなっていた。けれど、フィルフィーネが力負けしている事実に変わりはない。
時折、受けきれなかった斬撃が、フィルフィーネの肌を切り裂いた。
「くっ……!」
傷が増えていくにつれて、フィルフィーネの表情も険しくなっていく。
「フィーネ……貴様に直接的な恨みこそないが、『送り人』などという名が持て囃されるのは、昔から我慢ならんかったのだ。忌々《いまいま》しき名と共に、異界の地にて散るがいい!」
「私だって……っ、好きで『送り人』なんて呼ばれてるワケじゃ――ないわよッ!!」
剣戟の音に交じって、ふたりの口論が白熱する。
一方的に自らの主張を叩きつけてくるフォルシェンの言い分は、聞いてるだけでも腹が立って、負けじとフィルフィーネも言い返す。
両者の言い分はいつまで経っても平行線。
決着を着けるには、どちらか一方が相手を打ち負かす他になかった。
……で、問題はあの鎧だ。フィーネの攻撃で傷一つ付けられなかったあの鎧を、一体どうやって攻略すれば……。
「ねぇ、詩織さん。私の力でフォルシェンさんを魔術を使う前の状態に戻すことってできないかな?」
『うーん、できるとは思うけど、沙希ちゃんが近づく隙なんかないでしょ。そもそもの話、彼の時間を巻き戻したところでまた同じ魔術を使われるだけだろうから、根本的な解決にはならないと思う』
「ですよねー……」
『落ち込んでる場合じゃないよ沙希ちゃん。フィーちゃんが彼の相手をしてくれている間に、怪我をして動けなくなってる人たちに力を使ってあげた方がいいんじゃないかな』
「た、たしかに……! お兄ちゃん、私ちょっとふたりのところに行ってくる!」
『あ、ちょっと待って沙希ちゃん! ……悠真くん、キミはキミのできることを、全力で考えてみて。そうすれば、きっとなんとかなるはずだから」
「……え? ちょっ、詩織さんそれって一体どういう……」
『んじゃあ善は急げだ。行こっか沙希ちゃん』
「はい! 全力で急ぎます!」
言いたいことだけ言って、詩織は沙希と共にハーゼたちのもとへと行ってしまった。
その場にひとり残されてしまった悠真は、ひとまずフィルフィーネたちの戦いを冷静に観察してみることに。
目で追うのもやっとな激しい攻防。やや雑で大振りなフォルシェンの剣筋を見極め始めたフィルフィーネが、お返しと言わんばかりに蹴りやら打突やらをお見舞いしている。鎧の上からでも衝撃は伝わるのか、時々くぐもった声が漏れ聞こえた。
けれど、それだけだ。ダメージと言えるほどのダメージはなく、むしろフィルフィーネの傷が増える一方だ。
……やっぱり早く何か手を打たないと……! でも、一体俺に何ができるんだ?
悠真は自分の中にある‟武器”を検索する。彼に‟武器”と呼べるようなものは魔術しかなく、この状況を打開できる可能性があるとすれば、一つしかない。
――《改竄》。世界を欺き、新たな力を偽造する魔術。
……フォルシェンに通用するような武器を創り出せれば、いけるかもしれない……けどあの時は、詩織さんが手伝ってくれたからうまくいっただけで、同じことができるとは限らない。
《改竄》は、術式の理論構築さえ完璧なら、たとえ異世界の武器であろうとも、それとよく似たモノを偽造することができる。
例えるなら、鈍らの刀を指差して、「これは名刀です」と言い張ることで、鈍らの刀を名刀として世界に誤認させる、といった具合だ。世界が誤認すれば、それを観測する人間への影響力も変化する。
前回は詩織の知識と世界樹の根を素材にしたことで、精度の高い術式を、より説得力のある形で組み上げることができた。そのおかげで、あれだけの力を発揮する槍が創られたワケなのだが……今回、彼女たちの力を借りることはできない。
……詩織さんは魂だけの状態だし、使えそうな世界樹の根は、あいつが魔法陣ごとぶっ壊してくれやがったからな。だから今回は、俺がひとりでなんとかしなくちゃいけないんだ……!
悠真は考える。考えて考えて、己の記憶を掘り起こす。どんな些細なことでもいい。魔術を学んだあの日から、これまでの知識と経験のすべてを振り絞る。
藤代悠真という人間の、たった十七年の人生を、わずか数秒の間に反芻した。
そうして脳内で行われた時間旅行の末、悠真はひとつの可能性に辿り着く。
「………………あった」
フォルシェンを打倒できるかもしれないものが、悠真の中にたったひとつだけ存在した。
確信はない。けれどこれ以上の最良もない。
創るべきものは決まった。
あとは、彼女の協力が必要だ。
「――フィーネ! お前の槍を貸してくれ!!」
「えっ⁉」
悠真の要求を聞いたフィルフィーネは、驚いた表情を見せた後、すぐにフォルシェンから距離を取った。
本来、戦いの最中に武器を手放すなどありえないのだが、
「……わかったわ! 受け取って、ユーマ!」
と、彼女は悠真の言葉に従って、なんのためらいもなく唯一の武器を手放した。
悠真に向かって投げられた槍は、彼の目の前で深々と床に突き刺さった。悠真はそれを、まるで伝説の剣でも抜くかのように、勢いよく引き抜いた。
持ち手に付着していた赤黒い血を見て、思わず顔を上げた。己の武器を託し、なおも懸命に闘っている彼女の姿を目に焼き付ける。
託されたからには、応えなければならない。
悠真は再び手元の槍へと視線を落とし、魔力を流し込み始めた。薄い魔力が膜を張って、その上から厚紙を被せるイメージ。丁寧、かつ迅速に――頭の中にある情報を、術式を介して具体的に形成していく。
……思い出せ。あいつの武器は、どんな感じだった?
武器の形状と材質、重さや匂い、そしてその特性に至るまで、ありとあらゆる情報を魔力に溶かして織り交ぜる。
完璧である必要はない。
ここにはないはずのモノがここにあるのだと、世界を誤認させることができればいい……!
――これは破壊の象徴にして、暴虐の限りを尽くした悪行の証。
――それは闘争を愉しみ、死を喰らう獣を戒める枷。
抽象的な情報が術式として明記され、活性化した魔力によって具現化する。
かくして、世界は再び騙される――。
「――《改竄》ッ!!」
槍だったはずの何かは変容し、新たな姿を形取った。
偽造した武器を握る悠真の両腕に、ずしりと重さがのしかかる。
太く荒い握り手に、暴力的で無骨な見た目。斬るのではなく、叩き潰すことに特化した鈍く歪んた刃には、元々の使い手の性格がにじみ出ているようだ。中心に嵌め込まれた魔石が、目玉のようにぎょろりと怪しく輝いている。
これが、悠真が切れる最強のカード。
いつぞやの夜……悠真を始末するために現れた魔術師の、およそ人間が満足に扱えるとは思えない巨大な凶器――。
――ヴォイドの大戦斧である。




