第93話「聖女の力」
「え――」
突然、フォルシェンの体が爆発的に加速した。あっという間にハーゼとの距離がゼロになる。
ハーゼの認識が追い付かないまま、フォルシェンが魔剣を振りかぶる。
「ガァアアアアアアッ!!」
「――っ!」
雄叫びのような声で我に返ったハーゼが、いつも懐に忍ばせている短刀を構えた。
振り下ろされた魔剣に、抜いた短刀の刃がぶつかって、火花が散った。漆黒の魔剣がハーゼの胴を切断する……その寸前で、魔剣の侵攻は停止した。
しかし力の差は圧倒的。鎧を纏って得た尋常ならざる膂力によって、ハーゼは握り締めた短刀ごと、四隅の柱まで吹き飛ばされた。
「ぐっ、うああっ……!」
「ハーゼ⁉」
「奴から目を離してはいけません、藤代くん!」
「――しまっ……⁉」
澪依奈の忠告は間に合わなかった。
悠真がフォルシェンから視線を外した……その一瞬のうちに、すでにフォルシェンは悠真の目前にまで迫っていた。
踏み込みの慣性と共に、横薙ぎに魔剣が閃く。
「ガァアアアアッ――!!」
「うわあああああっ⁉」
「――させません!」
悠真とフォルシェンの間に、澪依奈が生身で飛び込んでくる。とっさに手にした氷剣で魔剣と打ち合う。
即席の氷剣では、そこまでが背一杯だった。フォルシェンの桁外れな力の前には歯が立たず、澪依奈の氷剣はあっけなく砕け散った。
「くっ……なんて力……!」
「グゥウウウ……オオオオオオッ!!」
「何を……っ、きゃああああ!」
「鷹嘴ッ⁉」
澪依奈はフォルシェンに腕を掴まれ、ハーゼが吹き飛ばされたのとは反対の柱に向かって投げ飛ばされた。受け身を取ることもできず、澪依奈は背中を強く打ち付けて床に倒れ込む。
「がはっ……! ふ、ふじしろ、くん……」
魔剣を地面に引きずりながら、フォルシェンは悠真に向き直る。無様に腰を抜かした悠真のことを、嘲笑うかのごとく見下した。
その背後から、フィーネが槍を構えて奇襲する。
「私のこと無視するんじゃないわよ! ――はあッ!」
裂帛の気合と共に突き出される槍が、鎧を貫きフォルシェンの心臓を穿つ……かのように思われた。
実際には、フィルフィーネの槍は鎧を貫くどころか、傷一つ付けられはしなかった。
「ウソでしょ……なんて硬さしてるのよ、この鎧!」
どれだけ力を込めようとも、槍の穂先はピクリとも動かない。何度突いても、切っても、叩いても……それでもフォルシェンは悠々と立っていた。
フィルフィーネの攻撃は、何一つ通用しなかった。
「ゼェアアアアアアッ――!!」
「……っ⁉」
フォルシェンの魔剣が振り下ろされる。突き出した槍を引き戻す暇はない。
よくて腕一本。最悪、頭から真っ二つ……そうはならないために、魔剣の太刀筋を見極めなくてはならない。
迫る死のイメージを頭の中から追い払い、フィルフィーネが死中に活路を見出そうとした。
――その時だった。
「危ない、フィーネッ!」
「……え?」
とん、と横から誰かに肩を押された。体がぐらりと傾いて、代わりに誰かが飛び込んでくる。
悠真だ。
ゆっくりと進む時間の中、フィルフィーネの視界に、真剣な表情の悠真がいた。
悠真の唇が動く。声にならない声が、フィルフィーネの眼に聴こえてきた。
……『よかった』……?
そして次に聴こえてきたのは、肉を切り裂く音と、液体が零れ落ちる音だった。
背中を切られて飛び散った悠真の血が、フィルフィーネの髪を赤く染めた。
「……ゆ、ユーマァアアアアアアアアア!!⁉」
フィルフィーネの痛ましい悲鳴が地下空洞に響き渡った。
フィルフィーネは持っていた槍を放り投げ、倒れた悠真の体を揺すった。悠真は意識を失っていて、反応はなかった。背中の切り傷は見るも無残で、骨どころか内臓にまで達しているかもしれなかった。止めどなく溢れ出る血液は、まるで命が吹きこぼれているかのようで、フィルフィーネは嫌な想像をしてしまう。
「しっかしてユーマ! す、すぐに応急処置を……っ、ダメ。私の精霊魔術で治療するには傷が深すぎる……! このままじゃユーマが……!」
半分錯乱状態で、フィルフィーネが声を荒げた。それでも彼女は手を止めない。少しでも出血を抑えねばと、懸命に魔力を注ぎ込む。だが、出血が止まる気配はない。
悠真の顔色は、みるみるうちに青ざめていった。
時間は止まってくれないし、敵も待ってはくれない。
フィルフィーネが牽制に放った風の刃など、彼は意にも介さない。
寄り添うふたりを分かたんと、フォルシェンは魔剣を空に掲げた。踏み込んだ足に体重が乗り、殺意は斬撃となって繰り出される。
――直前に、一人の少女が命がけで割り込んできた。
「パパ! もうやめて……!!」
「――――ッ⁉」
振り下ろされた魔剣が、少女の手前でピタリと止まった。
少女は念でも送るかのように、フォルシェンに向かって両の手を突き出した。直後にフォルシェンは頭を押さえながら後退り、剣を支えにして片膝を付く。
「ぐぅうう――ユリ、アーナ……なぜっ……⁉」
「ごめんなさい。わたしは、パパを止めるって決めたから」
いつの間に入れ替わったのか、沙希の体で、ユリアーナが決意を口にした。
聞き親しんだ娘の声に、フォルシェンはヘルムの奥で唇を噛んだ。
フィルフィーネは少し混乱した様子で、少女の背中に問い掛ける。
「あなたは、一体……?」
「――おまたせ、フィーちゃん!」
「えっ……さ、サキ⁉ あ、あなた本当にサキなのね⁉」
「うん、私。ごめんね心配かけて。ユリアーナさんと話をしてたら遅くなっちゃって……でも、もう大丈夫」
胸が満たされる温かい言葉と、太陽のような眩しい笑顔。
間違いない、彼女は沙希だ――フィルフィーネは確信した。
詩織の言っていたことは本当だったんだ。とにかく無事でよかった――と、胸の内にあふれる想いはいくつもあった。
けれどフィルフィーネは真っ先に、今にも泣き出しそうな声で、沙希に謝罪した。
「ごめんなさい、サキ! 私のせいで、ユーマが……ユーマがッ……!!」
「わかってる、全部見てたから。お兄ちゃんのことは、私にまかせて」
そう言って、沙希は悠真の隣にしゃがみ込んだ。悠真の胸の辺りに両手をかざすと、その顔を一瞥する。
……あの時、階段から転がり落ちた私のことを、お兄ちゃんもこんな気持ちで見てたのかな……。
これが、目の前で身内を失うかもしれないという恐怖なのか、と沙希は震える唇を噛んだ。
一度ゆっくりと深呼吸をして、助けなくちゃ――そう心の中で繰り返し、沙希は意識を集中させる。
魔力とは異なるあたたかい光が、じんわりと沙希の中からあふれ出す。光は次第に悠真の体に伝播して、繭のように包み込んだ。
――そうして、悠真の時間が逆行する。
「……え?」
ピタリと止まった出血を見て、フィルフィーネが眉をひそめた。あれだけ出家が激しかったのに、今はちっとも流れていない。
それだけじゃない。周囲に飛び散った悠真の血液が、独りでに動いている。まるで映像を逆再生するかのように、血液たちが在るべき場所へと還っていく。ズタズタに切り裂かれたはずの背中の傷も塞がって、ついには悠真の顔色まで元通り。
これではまるで、最初から何も無かったかのようだ。
フィルフィーネがはっ、と何かに思い至る。
「サキあなた……その力って……!」
「うん、そうだよ。これが私の聖女の力――名付けて、《逆行する輪廻》。命の時間を巻き戻して、起きたことを無かったことにしてしまう――詩織さんが言うには、‟世界の法則に背く反則技”なんだって」
それはそうだ、とフィルフィーネは思う。
……意図的に時間に干渉することは、どんな魔術にも許されていないはずなのに……沙希の力は間違いなく、魔術を超越したすごい力だわ……!
なぜこんなことが可能なのか、細かい理屈は沙希にもわからない。
ただ、彼女の『過去をやり直したい』という気持ちが、この力の根幹にあるのだけは間違いなかった。
「う、うーん……」
「ユーマ⁉ 気が付いたのね。よかった……」
「……フィーネ? ……あれ、俺……何してたんだっけ?」
「覚えてないの? あなた背中をフォルシェンに切られて重傷だったのよ」
「えっ⁉ ほ、本当に? ……べつになんともないみたいだけど?」
「それは私の力でお兄ちゃんの時間を戻したからだよ。お兄ちゃんは、お兄ちゃんが切られる以前の状態に巻き戻ったんだよ。体はもちろん、記憶もね。だからお兄ちゃんは自分が切られたことを知らないの」
「な、なるほど……っていうか、お前聖女の力を使いこなせるようになったのか」
「うん。ユリアーナさんに力の使い方を教えてもらったから、もうバッチリ!」
沙希は得意げにピースサインをした。いつものドヤ顔に、悠真はむしろ安心すら覚えた。
ゆっくりと立ち上がって、あらためて沙希に向き直る。
頭をなでて、口ずさむように、言った。
「おかえり、沙希。無事でよかった」
「……うん。ただいま、お兄ちゃん。ありがとね。助けてくれて」
「ばか。多分それ、俺のセリフだろ」
「でも覚えてないじゃん」
「覚えてなくてもだよ」
悠真はなでていた手で、沙希の髪をくしゃくしゃにする。やめてよもう、と言いながら沙希が屈託なく笑った。
そんな藤代兄妹の様子を、フィルフィーネがとても嬉しそうに眺めていた。




