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第92話「お人好し」

 実はわたしは、死ぬ直前の記憶をあまり覚えていない。かろうじて覚えているのは、彼と一緒に『星域せいいき』を歩き回ったことと、世界樹を初めてこの目で見たときの達成感だけだった。

 達成感という言葉が、あの時のわたしの心境を正しく言い表せているかどうかはわからない。たしかなのは、自分が生き返った意味をようやく果たすことができると、そう感じたこと。

 覚悟はとっくにできてた。死ぬ前にやり残したことも、パパとのお別れも済ませた。だから後悔はなかったし、二度目の死も怖いとは思わなかった。

 なのに……いや、だからかな。

 死んだはずのわたしが、なぜか再び目を覚ましてしまった時――ゾッとした。

 またわたしは、なんの役にも立てなかったんじゃないかって。失敗して、負担になって、迷惑ばかり掛けてしまったんじゃないかって。

 それ以上にショックだったのは……あの人のこと。


 ――おかえり、ユリアーナ。


 一目見て気付けなかった。頭が理解することを拒んでいた。

 白髪だらけのボサボサの髪。シワの多い肌に不健康な顔色。目の下の濃いクマ。最後に見たパパの姿とは似ても似つかない……はずなのに、見れば見るほどこの人がパパなのだと、無意識に理解できてしまっていた。

 喜ぶべきはずなのに、私は喜べなかった。

 あれから何年経ってしまったの? 一体、パパに何があったの?

 わからない。わたしには何もわからない。ここがどこで、今がどういう状況なのか。なんでまた生き返ってしまったのか……何も知らないまま、ここにいる。

 だけど、ひとつだけはっきりとしていることがあった。


 ――まだわたしは、パパを縛り付けてしまっているんだ。


 †


 召喚術は正しく機能した。しかし、まだ沙希の魂を呼び出すことができたかどうかは判然としない。

 悠真たちが見守る中、光の柱は突如として指向性を失った。光は放射状に拡散し、地下空間を白く染め上げ、たまらず誰もが目を閉じた。

 活性化した魔力が失われていく。あれだけ荒ぶっていた霊脈の魔力もすっかり穏やかになっていて、今は静かにさざ波を立てている。

 驚くほど静まり返った世界で、悠真は恐る恐る目を開けた。

 白濁した世界に色が戻って来ると、予想外の光景が目に飛び込んできた。

 ハーゼに体を支えられていたはずの沙希が、魔法陣の真ん中で倒れていたのだ。

 光で視界が奪われた時、ユリアーナがひとりで歩き出したことに端を発するのだが、悠真は知る由もない。


「沙希――!」


 悠真は足をもつれさせながらも、すぐに沙希のもとへと駆け寄った。

 沙希の体を抱き起す。呼吸はちゃんとしているし、心臓だって動いている。なのに意識がなかった。


 ……召喚術が失敗したのかもしれない。そのせいで、沙希の体に何か悪い影響を及ぼしたとか……?


 そんなはずはない――と自分に言い聞かせ、沙希の頬を叩いた。叩きながら何度も声を掛けた。

 焦りと心配から、徐々に頬を叩く手に力が入ってしまう。


「ゆ、ユーマさん……? あの、さすがにやりすぎでは……」

「沙希っ! おい、起きろって――沙希ッ!!」


 渇いた音が数度繰り返し響いた後、沙希の体が飛び跳ねるように起き上がった。


「――ちょ、ちょっと痛い……痛いってば! そんなにベシベシ叩かなくても起きてるから!」

「わ、わるい……つい力が入って……って、え?」


 反射的に謝ってから、悠真は沙希の顔を二度見した。

 沙希の声ではない声が、沙希の口から発せられたからだ。

 ……ていうか、この声どっかで聞いたことあるような気が……。


 悠真が何度もまばたきを繰り返した末に、もしかして、と口にしかけた――その時だった。

 ガラリと、何かが崩れるような音がしたのだ。


「ユーマ、上――!」

「え――なっ……⁉」


 度重なる戦いの衝撃によって、天井の一部が崩れてしまってらしい。容易に人間をすり潰せるほどの大きさの岩盤が、真っ逆さまに落下してきている。

 遺跡の最上階には屋根がない。なおかつ悠真は召喚術を使った直後だ。魔力不足で魔術は使えない。逃げようにも、沙希を抱えたままではとっさに身動きが取れなかった。

 せめて沙希だけでも守らなければと、悠真が恨めしそうに頭上を仰ぎ見ているその脇で。

 沙希とおぼしき少女がおもむろに天井に向かって手を伸ばした。


「――《草木よ息吹けブレッシング・プランツ!》」


 その詠声うたごえは、さながら祝福のようだった。

 天多が魔法陣に張り巡らせた世界樹の根がピンと体を起こし、急激に成長し始めた。いつか『オール・モール』で見た《貪婪なる蛇(ニーズヘッグ)》のように、成長した世界樹の根はその太く長い体を巧みに振りかぶり、落ちてくる岩盤を弾き飛ばした。

 悠真は腕の中の少女と成長した世界樹の根とを交互に見て、確信した。またしても、沙希じゃない誰かが沙希の体に入っている。

 動揺する悠真。そして彼以上に驚いていたのがフィルフィーネだ。呼吸を忘れて、握った槍をうっかり落としてしまいそうになるほど、彼女にとっては信じられない光景だった。


 ……植物を急速に成長させて意のままに操る力……うそ。そんなのありえない。だってあれは……あの力は――!


「よかったー、この体でもちゃんと力が使えて。借り物の体を傷付けるワケにはいかないもんね。あ、体支えてくれてありがとね藤代くん。もう立てるから大丈夫だよ」

「え、あ、はい……って、その声はやっぱり……!」

「――シオリ!!!!」


 肺に溜まった空気をすべて吐き出したのではないかと思うほどの大声で、フィルフィーネがその名前を呼んだ。

 もう二度と返事が返ってくることはないと思っていた、大切な友達の名前を――。


「やっほー。久しぶりフィーちゃん。どう、元気してた?」


 学生時代に仲の良かったクラスメイトと数年ぶりに駅でばったり再会したくらいのノリの軽さで、詩織はフィルフィーネにひらひらと手を振って応えた。

 その仕草があまりにもいつもどおりの彼女だったので、フィルフィーネは口から出かかった言葉を呑み込んだ。

 詩織に走り寄って、飛びつくようにして抱き着いた。


「おふっ……ちょっとフィーちゃん、あんまり抱きしめられると苦しいんだけど」


 詩織の抗議の言葉は、フィルフィーネの耳に入らない。

 彼女は自然と流れ出た涙を拭おうともせず、精一杯の笑顔でこう言った。


「……バカ。元気だったに決まってるでしょうが……っ!」

「あはは――知ってる。よくがんばったね」


 泣き笑い、息を荒げる友達の背中を、詩織はそっと優しく撫でた。

 お互い言いたいことは山のようにあった。

 だけどそれ以上に、フィルフィーネには詩織に聞かねばならないことが多かった。

 恥ずかしそうに涙を拭いながら、フィルフィーネが尋ねる。


「……で、なんでシオリがここにいるのよ。あなたは、その……死んだはずじゃなかったの? それがどうしてサキの体に……」

「それについてはこれから話すよ。けどその前に……あの人にも、一言あいさつしておかないとね」


 詩織は自身に注がれているフォルシェンの視線に気づいていた。

 信じられないものでも見たかのような表情を浮かべて、フォルシェンは詩織に問い掛ける。


「……貴様、本当にあの村守詩織なのか?」

「お久しぶりですね、フォルシェンさん。こうして会うのは二度目かしら。その節はお世話になりました」

「どういうことだ……なぜ貴様が藤代沙希の体にいる? ユリアーナは……ユリアーナをどこへやった⁉」

「そんなに慌てなくても、ユリアーナさんならちゃーんとここにいますよ。この体の中に、ね」

「なん、だと……? まさか貴様とユリアーナ、ふたりの魂が共存しているとでもいうつもりか?」

「いいえ、私じゃなくて沙希ちゃんとよ。あくまで私は、この体を一時的に借り受けているにすぎない。ちなみに、紛らわしいだろうから声は魔術で変えておいたわ」


 涼しい顔で答える詩織に、フォルシェンは眉をひそめる。


「いま沙希ちゃんとユリアーナさんは、二人っきりで大事な話をしている最中なの。私やあなたが出る幕じゃないわ」

「……仮にその話が真実だとしてだ。貴様はなんだ。まさか世界樹が遠隔で聖女の肉体を操っているワケではあるまい」

「もちろん。私は沙希ちゃんのおまけとして一緒に召喚されただけ。私だって聖女だからね。どさくさに紛れて召喚されるくらいワケないわ。……とはいえ、一つの体に三つの魂はさすがに危険すぎる。意識が混ざったり、魂が破損してしまう可能性があった。――そこで、賢い私はこれに目を付けた」


 そう言って、詩織は首から提げた琥珀色の石を取り出した。


黄牢石ころうせき……ま、まさか貴様――⁉」

「そう――()()()()()()()()()()()()


 黄牢石は『星域せいいき』でのみ採れる希少な石。高純度のマナを浴び続けたこの石は、常に微弱な魔力を発し続けるほど、膨大なマナを蓄えている。そして、何らかの形で蓄えていたマナを放出すると、再びマナを蓄えることができるようになる。

 マナは生命の源であり、世界樹にはこれを操る力があった。詩織は世界樹の力を借りることで、自らの魂をマナに変換し、黄牢石の中へと収納した。

 無論、こんなことは前代未聞だ。たとえできるとわかったとしても、自分の魂でやろうとする者はいないだろう。

 けれど、詩織は迷わず実行した。都合のいいことに、沙希の持っていた黄牢石はすでに空っぽも同然だった。それにどうせすでに死んでいる身だ。失敗したところで、精々魂がバラバラになって朽ち果てるか、よくて自我を失う程度だ。

 その程度のリスクは、かわいい後輩の頼みを無下にする理由にはならなかった。


 ――私、ユリアーナちゃんとふたりで話がしたいんです。


 だから詩織にも手伝って欲しい。あわよくば、付いて来てもらえるとすごく嬉しい――沙希が詩織に頼んだのはそんなことだった。 

 こんな状況にあってなお、彼女はユリアーナのことを気遣っていた。

 聖女だからではない。

 藤代沙希という少女は、根っからのお人好しなのだ。


 ……そんなんだから、みんなあの子の力になってあげたいと思っちゃうのよね。


「……ふ、ふふ……ふはははははは! そうか、そんなことがあり得るのか! 長く生きてきてそれなりに知見を深めたつもりだったが、まだまだ浅かったか」

「人間は死ぬまで勉強する生き物だ――って、むかしどこかで聞いたことがあったけど、アレ大嘘よね。だって死んでからのほうが学ぶことが多いんだもの。死ぬまでどころの話じゃなかったわよ」

「それは貴様くらいのものだろうに……確認するが、その石を破壊すれば貴様の魂も崩壊する。つまりはそういうことでいいのだな?」

「さあ、どうかしら。試してみないことにはなんとも言えないけど、多分そうでしょうね」

「ふん、どのみち儂のやることに変わりはない。藤代沙希の体を奪い返し、ユリアーナの意識を表に引っ張り出して固定する。そのためには、やはり貴様らを皆殺しにするほかあるまい……!」


 フォルシェンは持っていた杖を床に突き刺した。さらに限界まで床に押し込んで、持ち手以外が完全に埋まってしまうと、フィルフィーネに破壊されたはずの《褶曲せし魔神の隻腕アキュムレイト・クラッシャー》の石片が、フォルシェンの体を包み込んだ。


「はぁあああああああッ……!!」


 外装を纏うように岩石の鎧を着込んでいく。腕や足のみならず、首から上まで全身を余すところなく覆い尽くす。研磨された宝石が本来の輝きを放つように、纏った鉱石が切り出され、フォルシェン専用の鋼鉄のフルプレートアーマーが完成した。

 フォルシェンは鎧の具合を確かめたあと、沈めていた杖の柄を握って勢いよく引き抜いた。

 そこにあったのは杖ではなく、深い闇を湛えた漆黒の剣。禍々しい魔獣の牙を想起させる意匠は、まさに魔剣と呼ぶにふさわしい。


「グゥウウッ……!」


 兜の奥から、獣のような息遣いきづかいが聞こえた。

 鋭い眼光に射貫かれて、悠真たちは委縮する。目を逸らすことを許さない殺気が、ジワジワと精神を疲弊させていく。

 意識していなければ呼吸すらできないような緊張感の中、詩織は彼に同情していた。


 詩織は知っている。フォルシェンの苦悩と葛藤を。

 〈協会〉の魔術師として生きながらも、彼は多くの悪事に手を染めた。騙し、脅し、奪い、殺した。失ったものを取り戻すために必要なことなのだと、何度も自分に言い聞かせながら。

 それでも彼は非情に徹しきれなかった。元よりただの研究者なのだ。肉親を亡くしたからといって、突然修羅のようには振る舞えない。

 喪失感と罪悪感。二種類の毒に心を蝕まれた結果、彼はひとつの魔術を作りあげるに至った。

 愚かな自分が、この地獄げんじつから逃げ出してしまわぬようにするための鍛造魔術――。


「――《魔殻鎧装イーヴィル・クラスト》。纏った者の理性を喰らう、金剛不壊こんごうふえの鎧。……そうよね。そうでもしなきゃ、正気でいられるはずがないわよね」


 ……あなたにとって、この世界は残酷すぎるもの。


「グオオォオ……ガァアアアアアアアアアアッ!!」


 獣が咆哮した。無造作に剣を構えて床を蹴り、獲物を目掛けて疾走する。

 真っ先に狙われたのは、ハーゼだった。

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