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第91話「心の形」

 フォルシェンの記憶を追体験した沙希は、自分の感情までもが当時の彼に引っ張られてしまっていた。

 娘を失った絶望、仲間に裏切られた怒り。そして、何もできなかった自分への嫌悪。

 想像すればするほど胸が締め付けられた。

 何もしていないのに妙な息苦しさを感じて、沙希はようやく自分の呼吸が乱れていることに気付いた。深呼吸を繰り返し、酸素と落ち着きを取り戻す。

 すでにフォルシェンの記憶の上映は終了している。『星域せいいき』に戻って来た沙希は、世界樹の足元で佇む詩織に対しおもむろに問い掛けた。


「それで、ユリアーナちゃんは……どうなったんですか」

「私たちと一緒。『星域』(このばしょ)で、アルリムの手によって殺された。世界樹はユリアーナさんの魂を回収して、少しだけ力を取り戻した。――そして数年後、新たな聖女が現れて、同じように殺されて……」


 そんなことの繰り返しをいくつも積み重ねた末に、村守詩織という少女はここにいる。

 当事者である本人が、まるで他人事のように話すので、沙希のほうが動揺してしまう。そして、まだ肝心なことを訊いていないことを思い出した。


「あの人がどんな気持ちで、私たちの前に現れたのかはわかりました。だけど結局、詩織さんは私に何を伝えたかったんですか? あの人たちの過去を知ったって、今更私にできることなんて何もないのに……」

「沙希ちゃんは、聖女の力ってなんだと思う?」

「――え?」


 唐突な質問だった。

 期待していた解答が得られずに戸惑う沙希。けれど詩織が意味もない問いはしないだろうと思い、必死に考えて自分が知る限りの答えを口にした。


「傷を治す癒しの力……じゃないんですか?」

「半分あたりで、半分はずれ。傷を治すっていうのは、単なる副次効果に過ぎないっていうか、そういう例もあったんだってだけの話。聖女の力の本質はね――そこにあるの」


 そう言って、詩織が指差したのは沙希の胸の辺りだった。

 なぜだか沙希には、彼女の言わんとすることがすぐに理解できた。


「……心?」

「そう。私たちにあって、世界樹にはないもの――それが心」


 心……つまりは、魂に直結する人としての在り方そのもの。

 それが、彼女たち聖女の力の根源だった。


「世界樹の力で生き返った私たち聖女は、みんな違った力を発現させた。――人の心を読み取る力や、遠くを見通す千里眼の力。そして……人を安らかに眠らせる力」

「あ……」


 記憶の映像で見たユリアーナの力。あれはそういうことだったのか、と沙希は口を開けて目をしばたたいた。


「どれもみんな、彼女たちの心が形作った特別な力。癒しの力っていうのは、単にそういう聖女がいたってだけの話で、みんながみんなそうじゃないんだよ」

「そう、だったんですか……」

「フォルシェンの記憶を見てもらったのは、彼がただの悪い人じゃないって知っておいて欲しかったのもあるけど、本当に知って欲しかったのは、ユリアーナさんの方。彼女が一体、どんな気持ちであの力を目覚めさせたのか――」


 ――沙希ちゃんなら、きっとわかってくれると思ったから。


 そう続いた詩織の言葉を、沙希はかみしめるように聞いていた。

 沙希にはユリアーナの気持ちが手に取るようにわかった。

 痛いくらい繊細で、苦しいくらい一途な愛情は、同じだけお互いの生き方を縛り付けるもので……愛情の一方通行は、いつか必ず行き止まりに突き当たる。

 悠真と沙希が、かつてそうであったように。

 彼女たちも同じなのだ。

 夜な夜な聞こえてくる苦しそうな寝言とか、仕事帰りの疲れ切った横顔とか……そんな父親のことを、心配そうに見ていることしかできない自分が、段々と嫌いになっていく――。

 記憶の映像にはなかったけれど、多分そんなことがあったんだと、沙希は思った。

 

 ――私に向けてくれる優しさを、たまには自分自身に向けてあげて。

 ――私なら大丈夫だから。ユリアーナは何も心配しなくていいんだよ。

 

 そんな風に、何度言っても聞かないフォルシェンを、どうにかしてゆっくり休ませたかった。おそらくはそれが、彼女の聖女としての力の原点。

 どこにでもあるような、小さな思いやりの形だ。


「たとえ聖女であろうと、もとはひとりの人間。ただの女の子なんだよ。義務とか使命とか、そんなのは全部後付けでしかないんだよ。――ねえ、沙希ちゃん。あなたの心は、どんな形をしているんだろうね」


 心の形とは、その人の生き方を表すものだ。

 何のために生きるのか。誰のために生きるのか――。

 時に傷付き、擦り減った心を家族や友人が補ってくれることがある。開いた穴を塞いだり、足りない部分を趣味で満たしたりもする。優しく、厳しく、丁寧に育んで誰もが自分なりの形に仕上げていくもの――それが心なのだ。

 はたして、藤代沙希という少女はどんな人生を送って来たのか。

 これから先、どのような人生を歩もうとしているのか。


 ……私の、心の形……。


 沙希は目を閉じて思案する。これまで生きてきた十五年という時間を、頭の中で振り返る。

 詩織はじっと、沙希が答えるのを待っていた。

 ここは世界樹の中、意識だけの空間だ。時間という概念はとても曖昧で、ここでどれだけ時間が経ったとしても、外では一瞬の出来事だ。だから何十分でも……何時間でも待つつもりだった。

 しかし詩織の予想に反して、沙希はすぐに顔を上げた。

 今更考えるようなことではないと言わんばかりの、自信と決意に満ちた瞳をしていた。


「私の心は、ずっと前から決まってます。私は――……」


 沙希は自らの望みを口にした。

 今まで決して誰にも言わなかった、もしもの話を――。

 夢見がちな少女の妄想を、詩織はとても真面目な顔で聞いていた。


「めちゃくちゃですよね、こんな話。それができたら苦労はしないっていうか……自分でもわかってるんです。そんなもしもはありえないんだって。……でも私は――って、え?」


 後ろめたそうに喋る沙希を、詩織は何も言わずに抱きしめた。


「し、詩織さん……?」

「私にはわかるよ、沙希ちゃんの気持ち。昔の私がそうだったから」

「……詩織さんも?」

「うん。私も……ずっと諦められなくて、やり直したいって思ってた。だから、メルセイムでフィーちゃんと出会って、変わらなきゃって思えた。たとえそれが、一度死んで聖女として生き返った後だとしても……生き方を決めるのに、遅いなんてことはないんだよ」

「そうですよね……私、諦めたくないです。全部やり直して、もう一度お兄ちゃんに心から笑って欲しい……!!」


 その瞬間、沙希の胸元で何かが光り輝いた。

 驚いた沙希がおっかなびっくりといった様子で、首から提げていたそれを取り出す。


「……これって、フィーちゃんにもらったネックレス……? どうして、急に……」

「――黄牢石ころうせきの首飾り。私が最後にフィーちゃんにプレゼントしたものだから、ありていに言えば私の形見ってことになるのかな?」


 ……自分で自分の形見の説明するのって、なんかすごい変な感じだけど……。


「え、えええ――⁉ わ、私ってそんな大切なものをもらっちゃってたんですか⁉」

「ああ、いいのいいの。むしろ沙希ちゃんが持っててすごく嬉しかったくらいだから」

「ど、どうしてですか?」

「だって沙希ちゃんがその首飾りを持ってるってことは、フィーちゃんに新しい友達ができたって証拠だから」


 思い起こされるのは、生前の詩織が『星域』付近の調査拠点でフィルフィーネと交わした、あの約束――。


 ――フィーちゃん、はい。これあげる。

 ――黄牢石? なんでまたこんな時に……これじゃあ形見みたいじゃない。

 ――えへへ、綺麗でしょ。フィーちゃんの瞳の色と同じ石。でね、もしフィーちゃんに新しい友達ができたら、その子にその石を渡してあげて欲しいの。

 ――どうして?

 ――私が、フィーちゃんの友達と仲良くしたいからだよ。


 あの時のフィルフィーネの戸惑った顔を、詩織は今もはっきりと覚えている。

 詩織自身、まさかこんな形で、再びこの石を見ることになるとは夢にも思わなかった。フィルフィーネが約束を守ってくれたことが嬉しくて、思わず涙がこぼれ落ちそうになるくらいには、本当に驚いていた。


 ……親友に友達ができて喜ぶなんて、まるでフィーちゃんの保護者みたいだなぁ、私。


 それも悪くないかも……などと思っているうちに、沙希の後ろで光が降り注いだ。

 詩織は一目見て理解する。打ち建てられた光の柱、その向こうにはきっと彼が待っている、と。


「お迎えだね。悠真くん、かなり頑張ってくれたみたい」

「お兄ちゃんが……?」

「うん。いまも沙希ちゃんのことをずっと呼んでるよ。……いいお兄さんだね」

「……はい。私の自慢のお兄ちゃんです!」


 沙希は誇らしそうに胸を張った。事実嬉しかったのだ。兄が正しく認められることが。

 フィルフィーネと出会って、悠真は少し変わった。相変わらず自分のことは二の次だけれど、沙希以外の人たちのことをちゃんと気に掛けるようになっている。

 沙希以外の大切なものが、悠真の中に芽生えようとしているのだ。

 兄は変わろうとしている。妹だって負けてはいられない。

 沙希は勇気を出して、詩織にとある相談を持ち掛けた。


「詩織さん、ちょっとご相談したいことがあるんですけど……」

「ん? いいよいいよ、なんでも聞いて。私、世界樹のおかげで大抵のことならなんでもわかるから!」

「それじゃあ遠慮なく……実は――」

「………………へ?」


 沙希から詳しい話を聞いた後、詩織は腕を組んでうーん、と頭を捻った。

 右へ左へと頭を傾けながら、あーでもないこーでもないと何かぶつぶつつぶやいている。

 そしてようやく落ち着いたかと思えば、今度は一際大きなため息をついた。


「はぁー……。まったく、なんでそんなこと思いついちゃうかなあキミは……」

「えへへ……日々の読書で培った知識のおかげかもしれないです」

「それ、どうせラノベの話でしょ? まあ、思いついちゃったんなら仕方ないか。――いいわ! 沙希ちゃんの考えに乗ってあげようじゃない!」

「えっ、い、いいんですか⁉ ――っていうか本当にできるんですか⁉」

「自分から提案しておいて驚かないでよ……。私だって元聖女。なんとかなる……ううん、なんとかしてみせるから!」

「あ、ありがとうございます! 詩織さん大好き!」


 深々と頭を下げる沙希に、詩織はいいってことよ、と冗談めかして笑った。

 実際、それなりの無茶をすることになる。上手くいくかどうかは五分五分といったところだろう。しかし、無理ではないのだ。ならばやってみなければ結果はわからない。

 やる前から見切りをつけて、そこそこの成果で妥協するなんてことは、それこそ詩織らしくなかった。

 最善の未来を掴み取ってこその聖女だと、詩織は信じて疑わない。


「いい? さっき言ったように私がお膳立てしてあげるから、沙希ちゃんは自分のやるべきことに集中する――OK?」

「オッケーです!」


 沙希はキメ顔でグッ、と親指を立てて見せる。


「……本当に大丈夫? 私は一度死んでるからアレだけど、沙希ちゃんの場合は――」

「大丈夫ですよ、きっと上手くいきますから。それにほら、私友達との約束は絶対に守るタイプなんで!」

「――――!」


 ――安心してくれ。友達との約束は守る主義なんだ。


 似たようなセリフを最近どこかで聞いた覚えがあった。

 思えばあの時の彼も、彼女のように根拠もなく自信満々に笑っていた。

 視界の中でふたりの姿が重なって、詩織は思わず吹き出した。


「――ぷっ、ふふ……あはははははははは!」

「ちょ、詩織さん⁉ どうして笑うんですかあー!!」

「あはは、ごめんごめん……いやあ、やっぱり兄妹なんだなあって思ったら、なんだかおかしくって……それだけだから、あんまり気にしないで」

「むー、なんですかそれー。妹として説明を求めます。簡潔に、そしてわかりやすくお願いします!」

「だから気にしないでいいってば! ――ほら、グズグズしてないで早く行きましょ。みんなが沙希ちゃんのことを待ってるよ」

「うぅ、釈然としない……絶対お兄ちゃんとなんかあったんだ……。後でお兄ちゃんから聞き出さなくちゃ」

「本当になんでもないんだけどなぁ……」


 ふたりの聖女は肩を並べて、お喋りしながら歩き出した。緊張感など微塵も感じさせない、のんきで愉快な会話を繰り広げながら、光の中へと入っていく。

 すると、一度だけ風が吹いた。

 おだやかな春の陽気を運ぶ風。

 誰も居なくなった森の中で、世界樹は葉を揺らす。

 いつも見送ってばかりの物言わぬ樹は、はたして何を思うだろう。

 世界の存続か、それとも少女たちの救済か――。

 どちらにせよ停滞は終わり、必ず変化が訪れる。

 その運命の到来を、世界樹は待っているのかもしれなかった。

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