第90話「誇らしい私へ」
魔法陣に両手をついた瞬間、バチッと魔力の火花が散った。
澪依奈の言うとおり、まだ召喚術は生きているようだ。待機状態のところ、魔力を流して叩き起こす。
「――《解析》!」
……まずは術式を読み取って起動式を確認。それから召喚対象の条件定義を変更する必要がある。細かい調整は全部無視でいい。必要な部分だけを上書きすればいいんだ。そのためにも……最短かつ最速で、片っ端から解読する……!
ドクンっ、と魔法陣が拍動する。
《解析》によってコード化された術式が可視化できる状態となってあふれ出す。術式は帯状に連なって宙を舞い、悠真の周囲を衛星のように巡回する。
青白い光が線を引いて、まるで小宇宙が誕生したかのような幻想的な光景を演出した。
そんなことを派手にしていて、フォルシェンの目に留まらぬはずがなかった。
「――! あれは一体何をして……まさかっ、再び召喚の儀を執り行うつもりか⁉」
……マズい! まだ世界樹との繋がりを断てていない。もし再び召喚術を使われでもしたら、ユリアーナの体が……!
「それだけはなんとしても阻止せねば……!!」
「あっ、コラ待ちなさい――!」
フォルシェンは杖を足元へ向けて、自分とフィルフィーネとの間に石の壁を立てた。フィルフィーネから距離を取れるだけの時間を確保してから、空中へと飛び上がる。
上からであれば、フィルフィーネの存在を気にすることなく悠真への射線を確保できる。
「憂いは断たねばならんのだ。たとえそれが、貴様のような青二才の魔術師であったとしても――ッ!」
「――そうは、させないっ!!」
「もう遅い! 血と骨を遺して逝け、藤代悠真……!!」
フィルフィーネの妨害は間に合わず、フォルシェンの杖の先から禍々しい魔力が放たれた。
アニメやゲームでよくあるビームを光の束と形容するならば、あれは漆黒を敷き詰めた闇の津波。真っ黒に染まって見える魔力は、実際には鋭利な礫の集合体だった。
あの黒曜の魔力に呑み込まれたが最後、全身ズタズタに切り裂かれて微塵切りにされてしまう。
今ならまだ回避は間に合う。しかし悠真が避けられたとしても、床に描かれた魔法陣は破壊されてしまう。そうなれば沙希の魂を取り戻すチャンスは失われ、もう二度と会えなくなってしまう。
もちろん、そんな結末は認められない――。
だから悠真は《解析》を断行した。一瞬たりとも目を離さずに、ただ目の前の作業に没頭した。
刃と刃がこすれるような音が近づいて来る。でも恐怖や不安といった余計な感情は抱かなかった。
なぜなら、鷹嘴澪依奈という学校一の優等生は、悠真が知る限りただの一度も嘘をついたことがないのだから――。
「血は凍り、陽は陰る。時の奔流に逆らう氷室を此処に! ――《絶氷の堅牢》!」
断崖のような氷が現れて、悠真を守る盾となった。
冷気を纏った絶氷と、黒曜の魔力が衝突した。フラートの爪でさえ割れなかった絶氷が、まるでかき氷でも作るかのように、いともたやすく削られていく。
澪依奈の氷が尽きるのが先か、それともフォルシェンの魔力が尽きるのが先か。
キリキリと氷を削る音が耳をつんざく中、澪依奈は歯を食いしばって持ちこたえる。
やがて黒曜の魔力が底を尽きると、そのすぐ後に絶氷が音を立てて砕け散った。詠唱もなしに放たれた魔力の刃に対し、詠唱込みで築き上げた氷の盾でようやく互角ということだ。
澪依奈は慈しむように、砕けた氷片を手に取って、一振りの氷剣を形成した。
剣を地面に突き立てて、両手を広げて宣言する。
「藤代くんが沙希さんの魂を呼び戻すまでの間――ここから先へは、絶対に通しません!」
澪依奈の周囲でさらに多くの氷剣が形成される。
数にして十二本の氷剣が宙に浮き、悠真を守護する騎士となった。
澪依奈は、以前も今も部外者だ。ただ偶然そこに居合わせただけの魔術師として、巻き込まれただけの人間だ。
世界を救う使命だとか、家族を取り戻す執念だとか、そんなもの持ち合わせてはいない。
だけど――。
――友人のためにこの力を振るえるのなら、それはどんな大義名分よりも誇らしいことだと、自信を持って断言できる。
澪依奈の瞳に蒼い炎が宿ったのを、フィルフィーネは見た。
大切な人のためになら、自分のすべてを差し出してもいい――そんな覚悟を秘めた瞳だった。
「どいつもこいつも、邪魔ばかりしおって……! そんなに死に急ぐのであれば、まずは貴様から土に還してやる! ――《墓標の槍》ッ!」
フォルシェンは空中に浮いたまま鋼鉄の槍を形成した。
澪依奈に対抗してのことなのか、数も同じ十二本と揃えられている。
氷剣と鉄槍がにらみ合う。
交錯は一瞬だ。迎撃のタイミングを見誤えばその瞬間、澪依奈はもちろん、彼女に守られている悠真も串刺しにされてしまうだろう。
寸分の狂いも許されない。
澪依奈は全神経を総動員し、その瞬間を待った。
「――やれ!」
「――いきなさい!」
合図はなかったが、掛け声は同時だった。
互いに小細工はない。ただ真っすぐに放たれた鉄槍を、澪依奈の氷剣が真っ向から迎え撃つ。
澪依奈の指揮に合わせて宙を舞う氷剣が、鋼鉄の槍を一つずつ確実に切り落としていく。ほとんど同時に放たれた十二本の槍すべてを、ただの一つも打ち漏らさない。
切った先から砕け散っていく氷剣と、切断されて床に転がり落ちる鉄槍。
予想外の結果に、フォルシェンは眉間に皺を寄せた。
杖を握る手が、信じられないくらいに強張って震えていた。
……やはり小娘だからと甘く見ていい相手ではなかった。あの若さで、なんと精密な魔力運用をしてみせるのだ……!
魔力によって形成された物体の質は、魔術師の技量と込められた魔力の量に比例する。外見ではそれとわからぬ特殊な性質が織り込まれていることも珍しくない。
たとえばフォルシェンの槍は、鉱物の特性を配合した特別製であり、その硬度は鉄をゆうに上回る。並大抵の武器では、精々彼の槍に傷を付けるのが関の山だろう。
同様のことが澪依奈の氷剣にも言える。澪依奈の氷剣は、強度を犠牲に研ぎ澄まされており、ただ切ることにのみ重きを置いた攻撃特化型だ。姿形はただの氷に見えても、その刃は名匠の鍛えた名刀に勝るとも劣らない。まさに天才と呼ぶべき才能だ。
とにかくリソースをつぎ込めばいいというワケじゃないのが、魔術の難しいところであり、面白い部分でもある。
フォルシェンは感嘆し、敵であるはずの澪依奈を称賛した。
「――素晴らしい。もし貴様が〈協会〉に所属していれば、間違いなく『六界』の一人としてより良い人生を送れていただろうに」
「あいにく私は、そういった称号には興味ありませんので。それに自分の人生は自分の手で切り拓くものですから」
「そうか。残念だ……貴様のように優秀な魔術師の芽を、儂が手ずから摘み取らねばならんのだからな」
フォルシェンは杖を手放して、両の手の平を体の前で打ち合わせる。
渇いた音がこの広い地下空間に響き渡り、壁や天井で反響した。
跳ね返った音を杖が拾い、杖に装着された魔石の力が起動する。
「集い重なり相交わる。素は力と野望の化身にして、星をも砕く破壊の象徴――!」
神殿の柱が独りでに動き出し、周囲の岩や石を取り込み始めた。鉄や銅、その辺に転がる瓦礫まで……ありとあらゆる鉱物を継ぎ接ぎにして、一本の巨大な腕となった。
まるで、巨人の腕を切り取って遺跡に移植したかのようだった。
「弾劾せよ! ――《褶曲せし魔神の隻腕》!」
フォルシェンが拳を握ると、連動して石の巨腕も拳を作った。
繰り出された拳が空気を押しのけながら澪依奈に迫る。
澪依奈は逡巡する。あれだけの質量を、はたして受け止めることができるだろうか、と。
不可能ではない。だが、それを可能とするだけの魔力と詠唱する時間が足りなかった。
斜め上から振り下ろされた拳は止まらない。
澪依奈はありったけの魔力をかき集めて、せめて悠真だけは守ろうとした両手を体の前にかざした――その時だった。
「力比べなら私の出番よね!」
「ふぃ、フィルフィーネさん⁉」
機会をうかがっていたフィルフィーネが、ここぞとばかりに飛び出した。
魔術の打ち合いは指をくわえて見ていることしかできなかったが、純粋な力比べであれば、むしろ彼女の独壇場だ。
フィルフィーネは意気揚々と、魔神の隻腕に相対する。
たしかに、相手は硬くて重い。だが石だ。鉄やら何やらが混ざってはいるが、大部分はこの神殿の石材でできている。フォルシェンが魔術で形成した特殊な鉱物でもなければ、ましてや鋼のような合金でもない。
――ならば、砕けぬ道理はない。
「魔力で補強したって石は石! 叩いて割って――ブチ砕くッ!」
「そんな無茶苦茶な……⁉」
「ふははははっ! 血迷ったかフィーネ! できるものならやってみるがいい。その自慢の槍ごと返り討ちにして叩き潰してくれる!!」
「言われなくても見せてやろうじゃないの! 私と、私の槍の力をね――! ……そーりゃあっ!!」
いち、にの、さん――と、フィルフィーネはステップを踏んで、隻腕に向かって槍を投擲した。拳圧で押し固められた空気を切り裂いて、槍は隻腕の拳のちょうど中指の第二関節辺りに突き刺さった。……突き刺さったのだ。
……刺さるんなら、あとは押し込んで貫くだけ――!
フィルフィーネは地面を蹴って、隻腕へ向かって跳んだ。薄暗い地底の空洞で、夜空に向かって翠色の髪が煌びやかになびく。月は見えなくとも、彼女の背景には星明りが舞っている。それは壁から露出した結晶の単なる反射なのだが、フィルフィーネ越しに見れば、どれもが星の息吹を宿していた。
いつものように右足に魔力を乗せて、くるりと体を回転させる。そこに無い筈の月を描くように、右足を大きく振りかぶって――、
「一点蹴中……! ――《一槍岩をも穿つ》ッ!!」
くさびとなった槍の石突を蹴り抜いた。
会心の一撃だった。回し蹴りの衝撃が槍の穂先にまで伝わって、大きな音を響かせた。
たちまち拳に小さな亀裂が広がって、魔神の隻腕は真っ二つに断裂した。魔力による接合も意味を成さない。隻腕はガラガラと音を立てて崩れ落ち、瓦礫の山と成り果てた。
「そんな……馬鹿なッ⁉」
「あははははは! どう? これが私と、私の自慢の槍の力よ――!!」
「まったく……なんてデタラメ人……」
澪依奈は苦笑し、やはり彼女が敵でないことに安堵した。
そうして、フィルフィーネたちがフォルシェンの相手をしてくれている間にも、悠真は迅速に召喚術の術式を解読していった。
複雑怪奇な文字の羅列。暗号のような記号と数字の迷路。そんな例えすら生温い、志摩家が長い時間をかけて培ってきた叡智の結晶たる召喚術の術式を、ただの少年が恐るべき早さで読み解いていく。
もはや目で文字を追うのではなく、情報が直接魔力を通して脳内に伝達しているかのような状態だった。
まるでランナーズハイだ。
無駄のない作業は、とても心地よく、いつにも増して思考がクリアだった。知らない言葉も、意味を成していない文章も、今の悠真にはすべて明瞭に理解できた。
「……霊脈接続、魔力充填……術式開帳! これで仕上げだ――《改編》!!」
魔術の権限を掌握し、必要な書き換えが終了した。これで召喚術の準備は整った。あとは詠唱を行い、正しく術式を機能させるだけ。
幸いなことに、詠唱のお手本はすでにフォルシェンが見せてくれていた。
悠真はただ、フォルシェンが行った詠唱を、まったく同じように真似るだけでよかった。
「――我が魔を以て理を打ち破り、理を以て世に反逆する……!」
魔法陣に両手をついたまま、悠真は詠唱を開始した……のだが、何やら様子がおかしい。
眉をひそめ、視線が泳いだ。
どうにか絞り出すように詠唱を続けるが、
「……悠遠に在りて、万物を見渡す者。……我が意、我が呼び声は汝の……なんじのぉ…………あーもう! 一回聞いただけで全部覚えられるかっつーの!!」
詠唱を思い出せなくて逆ギレした。
記憶の彼方へと消え去ってしまった詠唱を思い出す方法はない。
そもそも、どうして俺があんなヤツのために言葉を選んで頼み込まねばいけないのかと、今ごろになって憤慨し始めた。
こうなってしまっては、直接文句を言うしかない。
悠真は詠唱を省略して、自らの言葉で直接呼び掛けることにした。
夜空に映ったままの、あの世界樹に向かって――。
「おい、どうせこっちの様子は全部視てるんだろ。お前が不甲斐ないから、フォルシェンみたいな悪い魔術師に利用されるんだぞ。悔しくないのかよ。情けなくないのかよ……!」
それは詠唱というより、ほとんど煽りに等しかった。
「何が世界樹だ、何が世界を救うためだ。お前のせいで、一体どれだけの人たちが犠牲になったと思ってるんだ……!!」
悠真の激情に導かれ、魔法陣に残留した魔力が活性化する。霊脈からも魔力を吸い上げて、術式が機能し始めた。
空間が振動する。二つの世界の軸線が再び重なり合う。
魔法陣からあふれ出た光が収束し、一筋の柱となった。地獄から天へと垂れ伸びる蜘蛛の糸のごとく、こちらの世界とあちらの世界が結び付く。
届け、届け、届いてくれ――。
ここではないどこかの世界へと手を伸ばすように、悠真は心からの言葉を投げ掛ける。
「……妹なんだ。大切な、たったひとりの妹なんだよ……! 世界が滅びそうだって言うんなら、俺がなんとかしてやるから! だから……だからっ――さっさと沙希を返しやがれ、このロリコン野郎ォおおおおおおおおッ――!!」
かくして、志摩の召喚術は再び発動した。
悠真の声に応えたのかは定かではないが、魔法陣から伸びる光は、たしかにメルセイムへと繋がっていた。
あとは、その光の道から沙希の魂が戻って来ることを祈るだけ。
悠真はひとりすがるような、呪うような心持ちで、ただそこに在り続けた世界樹を視ていた。




