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第89話「起死回生の一手」

 ……氷使いの……トンネル内の魔獣を処理して追いついてきたか。……しかし、いつ現れた? それも、あんな場所に……。


 澪依奈が立っていたのは、悠真たちが上って来た階段とは正反対の方角だった。

 誰にも気づかれることなく、どうやって移動したのか。

 魔術を行使していた最中とはいえ、あれだけの魔力の高まりに気付けなかった事実が、フォルシェンの中に一つの疑念を生んだ。


 ……まさか、だ。


 疑念はすぐにでも払拭せねばならなかった。

 フォルシェンは隠れたネズミをあぶり出すために、周囲に魔力を奔らせた。

 ピンと張った魔力の糸は、どんな小さな動きにも反応する。

 風や音はもちろんのこと……息を潜めた人間の呼吸でさえも――。


「――そこかっ!」

「うわっ――きゃあああ……⁉」


 フォルシェンが何もない空間へと《岩潰弾ロックブラスト》を放った。

 すると、《岩潰弾》が通り過ぎた、誰も居ないはずの場所から少女の悲鳴があがった。

 陽炎かげろうのように空間が揺らぎ、背景の中からふたりの少女が姿を現す。


「あちゃー、もうバレちゃったか。あんたの偽装が甘かったせいなんじゃないの、ハーゼ」

「いいえ、私の偽装は完璧でした。……完璧すぎたせいで、逆に不自然だった可能性はありますけど……」

「じゃあやっぱりあんたのせいじゃないのよ!」


 身を隠していたはずのふたりは、なぜか早速口論を繰り広げていた。


「フラート⁉ それにハーゼまで……! お前、逃げたんじゃなかったのか」

「さっきのは戦略的撤退ってヤツです。まあ、本当は出てくるタイミングをもう少し見計らいたかったんですけど」

「そんな悠長なことをしていたら、藤代くんが跡形もなく消し飛ばされていたでしょうね……くっ……!」

鷹嘴たかはし⁉」


 悠真のすぐそばまで歩み寄って来ていた澪依奈れいなが、凍った右腕を押さえながら、苦しそうにその場に膝を付いた。

 慌てて悠真が体を支える。

 服の上から触れただけでわかるほど、澪依奈の体は冷たくなっていた。

 原因は、訊くまでもなかった。


「まさかお前、さっきの魔術で……」

「……はい、少しばかり無茶をしました。氷弓ひょうきゅうを地面に固定させて射る余裕はありませんでしたので、代わりに右腕と右足を凍らせて、体ごと地面に固定しました。そのおかげで、矢を射った反動のほとんどが私の体に跳ね返ってきた……というだけのことです」

「だけ、じゃないだろう……!」


 それがどれほどの無茶なことなのかは、悠真にもなんとなく理解できた。

 《|月まで射貫け、砕氷のルナ・ペネトレイ・アルク》は、その大きすぎる威力と命中精度を保つために、普段は氷の弓を地面に固定させて射撃している。威力は矢の大きさに比例するため、どうしても土台となる弓は大きく強固に作らざるを得ない。

 ハーゼの《魔力隠蔽スペルハイド》は、あくまでも魔力が体の外へ漏れ出てしまわないようにするためのものだ。巨大な氷の弓をつくり出そうものなら、あっという間に隠れみのが剥がれてしまう。

 だから澪依奈は、自分の右腕を凍らせて氷の弓を形成した。氷弓を自身の体の一部とすることで、《魔力隠蔽》の効果範囲を逸脱いつだつしないようにしたのだ。

 それでも魔力が漏れ出てしまう可能性はあったのだが、澪依奈の精密な魔力操作によって完璧に抑えることができていた。

 加えて、射った反動で照準がブレないようにと、右足まで凍らせて地面に繋ぎとめるのだから、その胆力には驚かされるばかりだ。


 ……しかし、あの一撃であの鉱石の塊を完全に砕くことができたのはマグレとしか言いようがありません。弓の大きさを限界まで絞った分、威力も四割ほど落ちてしまいました。あの男が冷静に、もっと丁寧に魔力を込めていたら……きっと結果は違っていたでしょう。


 ――運がよかった。

 この一言に尽きると、澪依奈は氷を溶かしながら白い息を吐いた。

 腕も足も、赤く霜焼けしている。痛みはあるが、動作に支障はない。

 この程度で済んだことを喜ぶべきではあるのだが、


「大丈夫なのか、その指……」


 ……あなたは優しいから、そうやって心配してしまうんですよね……。


 自分が怪我をしたワケでもないのに、辛そうな目で澪依奈の指先を見つめる悠真。

 彼はただ心配してくれているだけ。わかっているのに……その優しさが嬉しくて、彼の視線を独り占めしたいと思ってしまうから――澪依奈は唇を噛んで、きゅっと結んだ。

 今はまだ、この優しさに甘えてはいけない。

 澪依奈は恥ずかしそうに、赤くなった指を隠しながら、


「そんな目で見ないでください。私は氷魔術専門の魔術師ですよ。この程度の凍傷くらい、なんてことありませんから」

「……わかった。ありがとうな、助けてくれて。帰ったらあらためて礼を……って、そういえばまだ前の分の礼もできてないんだった……。なんだか鷹嘴には借りを作ってばっかりだ」

「ふふ、お気になさらず。この戦いが終わったら、後日ゆっくりと返していただきますから。楽しみにしてますよ、藤代くん」

「お、お手柔らかに頼む……いや、ほんとに……」


 ふたりがそんなやり取りをしている間に、フォルシェンは気を落ち着かせて冷静さを取り戻していた。

 杖に体重を預けながら、乱れた服を整える。


「なるほど……『運び屋』の隠蔽いんぺい魔術か。同時に複数人をこれほど巧妙に隠し通すとは……」

「ふっふっふっ。偽装と隠蔽工作なら、私たちの右に出る者はいませんので。たとえ賢者様といえど、そう簡単には見破れません」


 《気配遮断スクリーン・アウト》と《魔力隠蔽スペルハイド》。

 この二つの魔術が、ハーゼたち『運び屋』が得意とする隠蔽魔術だ。

 極秘裏に任務を遂行する『運び屋』にはなくてはならない魔術で、中でもハーゼは《気配遮断》の扱いに長けていた。最大で三人同時に気配を消すことができるのは、『運び屋』の中でも彼女くらいなものだ。

 普段はサポートに徹する『運び屋』だが、こと‟奇襲”に関していえば、その適正はどんな魔術師たちよりも高い。

 音もなく、気配もなく、魔力すら感じられず――気付いた時には、背中に冷たい凶器が突き立てられている。最弱の魔術師にして、魔術師の天敵――。


 ――『背後に立つ者(バックスタッブ)』。


 それが、彼女たち『運び屋』の裏の顔であり、ハーゼがこの場に居る理由でもあった。


「『四礎の賢者』フォルシェン。あなたの行為は聖女を私的に独占するものであり、〈協会〉の理念に反するものです。よって、私は現地の魔術師と協力し、あなたの悪行を阻止させてもらいます」

「悪行……悪行ときたか。死んだ娘一人生き返らせただけで酷い言われようだな。まあいい、今更魔術師が一人二人増えたところで何も変わりはしない。儂はただ、ユリアーナが穏やかな人生を送るのに邪魔な存在を、この世から消し去るだけだ」


 殺意をむき出しにして威圧するフォルシェン。

 対してハーゼは、にやりと口角を吊り上げる。


「いつ、あたしたちが二人だけだなんて言った?」

「なんだと……? ――待て、貴様……本当にあの『運び屋』か?」


 いつになく闊達かったつに笑うハーゼ。

 フォルシェンは、その笑みの向こうにわずかな揺らぎを見つけた。

 それは二つの魔力が干渉しあって発生する、変身魔術特有の揺らぎだった。

 ハーゼだと思っていた人物の像がぼやける。

 モザイクが剥がれ落ちて、その姿が正しく認識できるようになると、フォルシェンは目を見張った。

 そこには、隣に立っている少女と瓜二つの……まったく同じ顔の少女が立っていた。


「ざーんねん。この‟あたし”は、もうひとりの‟あたし”でした♪」


 ――《わたしはここにいるよ(ロスト・チャイルド)》。フラートの分身魔術だ。


 ……姿を隠した分身に、さらに変身魔術を施しておいたのか! どこまでも人を小馬鹿にしたような策を弄しおって……! ……いや待て、ならば本物の『運び屋』はどこに行った⁉


 まさか本当に逃げ出したのか、とフォルシェンは考えた。

 そんなはずはない。術者本人が遠隔で魔術を維持し続けるには相当な魔力が必要となる。ましてや複数人を同時にだ。『運び屋』程度の魔力では不可能だ。術者不在はありえない。必ずまだどこかに潜伏しているはず――。

 高速思考による自問自答が連続したところで、フォルシェンは自分が最も重要なことを失念していることに気が付いた。


「ユリアーナ……!!」


 彼女を守るために結界を張ったのは自分だ。だからこそ、絶対に安全だと確信したうえで先ほどの魔術を放った。

 その安心が慢心を呼び、フォルシェンの意識からユリアーナの存在を少しの間だけ忘れさせてしまっていた。

 慌ててフォルシェンが視線を飛ばした先では、結界を破ったハーゼがちょうどユリアーナの手を取っていた。


「言ったはずです。偽装と隠蔽工作で、私たち『運び屋』の右に出る者はいないと」

「き、貴様ァ……! 儂のユリアーナを返せえ!!」


 とっさに口をついて出たであろう言葉を、フィルフィーネは聞き逃さなかった。

 床を蹴って飛び出す。もはや少しのためらいもない。

 それがあなたの本心か、と。

 それがあなたの本性だ、と。

 示すように、正すように――ただ事実を突きつける。


「ユリアーナはあなたのものじゃない! 彼女の命は、彼女だけのものよ!! ……っていうか、その体は元々沙希のものでしょうがッ!!」


 ハーゼとフォルシェンの間に、槍の穂先が飛び込んでくる。フォルシェンの杖が槍を叩き上げるが、次いでフィルフィーネの蹴りが横から襲い掛かった。

 フォルシェンはとっさに上半身をのけ反って、寸前のところでこれを回避する。

 フィルフィーネはくるりと体を横回転させて、腰から槍を振り落とす。そのまま流れるように槍を繰り出しては、至近距離で怒涛の連続攻撃をお見舞いした。


「くっ、邪魔をするなァ――!」

「するに決まってるでしょ! あなたが娘のことを大事に想ってるように、私は大切な友達のためを想って、ここにっ、いるんだからッ!」


 踏み込みは強く、腕の振りはしなやかに――。

 フィルフィーネの槍が冴えわたる。まるで手足の延長のように、自由自在に槍が閃いた。

 フォルシェンに魔術を行使する暇を与えないよう、至近距離でたたみ掛ける。


「藤代くん、今のうちに準備を始めてください」

「え、準備? 準備って、一体なんの……?」

「もちろん、沙希さんの魂を召喚する準備です」

「なっ……で、できるのか、そんなこと⁉」

「志摩の召喚術はまだ死んでいません。先の術式が予想外の形で終了したためか、余剰分の魔力がまだくすぶっているみたいなんです。もし、藤代くんの魔術で術式を再起動させることができれば、ユリアーナさんの魂を召喚したように……

「……沙希さん魂を、召喚することができるかも、ってことか」


 頷く澪依奈。

 悠真は緊張した様子で、唾をごくりと呑み込んだ。

 これは悠真が心の底から欲していた、起死回生の一手だ。

 上手くいけば、すべての状況が好転する。

 沙希を取り戻すことさえできれば、あとはフォルシェンを倒すだけ。それで全部丸く収まるのだ。

 だが、これはあくまでも可能性の話だ。


「……俺が魔術を起動させることができたとして、沙希の魂を召喚できるという保証は?」

「ありません。ですが分の悪い賭けでもないと思います。沙希さんが藤代くんの呼び声に応えないはずがありませんから」

「なんだよ、それ。……でも、たしかにそうだ。寝起きの悪いあいつを起こすのは、ずっと俺の役目だったからな」


 別に意識したことはなかった。

 ただそうするのが当たり前だったから。

 だから今回だって同じことだ。


「わかった。俺が必ず、召喚術を起動させてみせる。だから鷹嘴は――」

「――安心してください。藤代くんのことは私が守ります。……だから、沙希さんをよろしくお願いします。また、みんなで一緒にお昼ご飯を食べましょう」


 頷いて、悠真は沙希を……ユリアーナを見た。

 少女は怯えたような瞳で悠真を見上げ、恐る恐る口を開けた。


「あの……一体、何がどうなっているんですか? あなたたちは、誰なんですか?」

「…………っ」


 頭では理解していた。いや、わかっているつもりだった。

 ただ目の前の現実が、想像以上にキツかったというだけの話だ。

 沙希の顔と声で、沙希が決して言わない言葉を投げ掛けられる。それがこんなにも胸を抉られるとは思わなくて、悠真は思わず叫び声を上げそうになった。

 強く握った拳をほどいて、目の前の見ず知らずの少女に優しく声を掛ける。


「ごめん。君もまだよくわかってないと思うんだけど……その体は、俺の妹の体なんだ。だからその体を……あいつに返してやって欲しい」

「…………え?」


 悠真はそれだけ言うと、困惑するユリアーナを置いて魔法陣の中心へと走った。

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