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第88話「負けてたまるか」

 時刻はすでに零時を回り、闇夜がより深くなっていた。

 夜空に爛漫と輝いていた月も、すでにその姿を隠している。

 悠真たちが地下鉄の廃線からこの地下の空間へ侵入してから、およそ一時間強。

 寝静まった夜の街の足元で、魔術師たちが暗躍する。


 沙希の体を器として召喚されたユリアーナ。

 三十年ぶりの目覚めに困惑していたところ、大好きだった父が酷く老いていることに気づき、驚いた。


「パパ……? なんだか、お年寄りみたい……もしかして老けた?」

「あぁ……そうだね。()も随分年を取ってしまったから」

「……そうなの? あれ、じゃあわたしは…………わたし、は……? ――あれ? わたし、いままでなにしてたんだっけ……?」


 ユリアーナは混乱した様子で、頭を抱えてしゃがみ込んだ。

 フォルシェンは彼女の背中を優しく撫でながら、


「落ち着いてユリアーナ。大丈夫、今はまだ少し混乱しているだけなんだ。だからもう少しだけ休んでいなさい。その間に――()がすべて始末しておく」


 ユリアーナのことを結界で保護しつつ、フォルシェンは一歩前へ出た。

 フォルシェンの全身から魔力が湧き上がる。肌触りはなめらかなのに、その実ずしりと重たい感じがした。質、量ともに老齢であることを一切感じさせない。むしろ今が全盛期ではないかと思えるほどに、迸る魔力には見た目以上の圧力があった。

 じわりとフィルフィーネが手に汗を握った。


 ……これが、『四礎の賢者』の力。純粋な魔術戦じゃ勝ち目がなかったでしょうね……。だけど、これは実戦。どれだけ魔力が強くても、使い方、立ち回り次第ではいくらでもやりようがある……!


 実戦では魔術以外の様々な要因が勝敗を左右する。

 武器、戦術、地形、そして運――。

 フィルフィーネは、あらゆる手札を頭の中に思い浮かべて、フォルシェンを攻略するための作戦を組み立て始めた。

 これはその最初の一手――。


「あなたの目的は、最初からユリアーナの魂を世界樹から引きずり出すことだったのね」

「そうだ。儂にとって聖女とは、ユリアーナのための器に過ぎん。儂は最初から、世界樹やメルセイムの行く末になど興味はないのだ。聖女ひとり失ったがために滅ぶのであれば、所詮それまでの世界というだけのことだろう」

「聖女を私物化するだなんて、〈協会〉の理念に反していると思うのだけれど?」

「何を今更……すでに儂は〈協会〉から離反している。本部に設置してある《転移門》を封鎖し、二世界間の連絡手段も断っておいた。いくら〈協会〉が聖女の居場所を探ろうが、異なる世界の壁はそう容易く超えられまい。あとは今夜この場に居合わせた目撃者を全員消し去ってしまえば、それで儂たちは……はれて自由の身だ」


 上手くいけば、フォルシェンはユリアーナと共に、こちら側の世界で新たな人生を歩むことになるだろう。

 故郷を捨て、仲間を裏切り、産まれた世界の終わりを選んだのは、それでも欲しいものがあったからだ。

 奇しくもそれは、かつてフィルフィーネが選んだ道とよく似ていた。


「貴様とて同じはずだ。〈協会〉を裏切り聖女の側についたのは、そうするだけの理由があったのだろう? 不満を抱き、世のことわりに抗おうとしたのは、少なからず〈協会〉に恨みがあったからではないのか?」

「……たしかに、私にはあなたの選択をとやかく言えるだけの権利はないし、その資格もない。多分、私たちは同じ穴のむじなだわ。……だけど――」


 フィルフィーネは槍を構え、フォルシェンの後ろで佇む沙希を見た。

 どんな時でも可愛らしい笑顔を浮かべる彼女の面影はどこにもない。陽気で朗らかでお転婆な、太陽のような彼女は一体どこへ行ってしまったのか。

 ユリアーナは悪くない。そんなことはわかっている。


「――だけど私は、あなたのやり方を認めたくない。大切な人を生き返らせるために、誰かの体を奪うだなんて……そんなことしたって、きっと喜んではくれないわ」


 少なくとも、村守詩織むらかみしおりはそういう人だった。

 だからフィルフィーネもそういう人でありたいと、強く願ったのだ。

 誰かの幸福を奪ってまで、自分の不幸を埋め合わせてはいけない。

 たとえその結果が、世界を終わらせることに繋がるのだとしても――。

 他人は関係ない。法律や規則で縛るものでもない。

 これは、自分の生き方は自分で決める――‟信念こころ”の話だ。


「……所詮しょせんは貴様もアルリムや他の連中と同じだ。偉そうに道理を説いて、上から目線でさとそうとする。世界のためだ、魔術師の使命だなどと、上っ面だけの見え透いた綺麗ごとを口にする。……実にくだらない。もううんざりだ!」


 正しい道を選ぶチャンスは何度もあった。

 〈協会〉を辞めて一人余生を静かに過ごしたり、新しい女性と出会って、もう一度家庭を持つという選択肢もあったはずだ。

 それでも、フォルシェンはこの道を選んだ。


「世界のために命を差し出した少女に対し、世界中の人間が彼女の自己犠牲を称賛した。だが感謝するだけで、誰もその犠牲を『間違っている』とは声を上げなかった。狂っているのだよ、あの世界は――。だからせめて、儂だけは……あの子の味方でいてあげなければならんのだ……!」


 彼だけは、居なくなったユリアーナのことをずっと想っていた。

 あの笑顔が忘れられない。あの繋いだ手の温もりが忘れられない。

 もっと一緒にいたかった。ずっとそばで笑っていたかった。

 誰にも認められないとしても。

 彼だけは、ユリアーナに生きていて欲しいと願い続けている。


「――そのためになら、他人の体を奪ってもいいっていうワケ? あなたが嫌っているのは、そういう他人を顧みない行為なんじゃないの⁉」

「好き嫌いで語るような話ではない。これは生存競争なのだ。強者が奪い、弱者は奪われる。かつての儂がそうであったように……。儂はもう、弱者ではない。強者として、貴様たちからこの世界で生きる権利を剥奪する――!」


 フォルシェンが左手を頭上に掲げた。

 土の気を帯びた魔力が集まって、複数の岩石を形成した。ゴツゴツとした岩肌は先端が鋭利に磨かれている。その照準は悠真とフィルフィーネに向けられている。


「《岩潰弾ロックブラスト》!」


 放たれる岩の弾丸。石のつぶてというには少々大きすぎるそれを、フィルフィーネは構えた槍で迎撃しようとした。

 しかし、彼女よりもワンテンポ早く動き出した人物が居た。

 悠真だ。


「え――うそッ、ユーマ⁉」


 悠真はフォルシェンまでの道のりを、最短で、一直線に駆け抜ける。

 途中、自分の顔と同じくらいの大きさの岩石が頬をかすめた。

 気にしない。裂けた皮膚から血が滲もうとも、悠真は怯むことなく足を前に送り送り出す。

 無論、直撃すれば怪我では済まない。打ち所が悪ければ即死してしまう可能性すらある。

 構うものか、と悠真は足を緩めない。

 恐怖から視線を逸らすようなこともない。


 この怒りに震えた拳を、フォルシェンの顔面に叩き込むまでは――!


「うおおおおおおおおおおおおおあああああああッ!!」


 岩石の驟雨しゅううの中を突っ切って、悠真はフォルシェンに拳を突き出した。


「愚かな」


 フォルシェンは鼻で笑って、ひらりと躱す。

 勢い余った悠真はつんのめって盛大に地面を転がった。

 すぐに立ち上がって、切れた唇から流れ出た血をぷっ、と吐き出す。


「さっきから黙って聞いてれば偉そうにごちゃごちゃと……。お前が言ってることは、全部ただの不幸自慢だろうが」

「何を言いだすかと思えば……この儂が自らの境遇に溺れ、同情心を煽っているとでも言いたいのか?」

「あぁそうだよ。そりゃあ、お前の過去には同情するよ。俺だって、沙希が聖女として世界樹の生贄になるだなんて許せない。もし、実際にそうなってしまったらって、考えただけでもゾッとする」


 悠真にとって、沙希は生きる理由そのものだ。

 何をするにしても、どこへ行くにしても、いつもきっかけは沙希だった。

 それが兄としてあるべき姿だと、自分で自分を決めつけていた。

 でも、フィルフィーネや澪依奈たちのおかげで、自分の人生を自分のために生きてもいいのかもしれないと、少しだけ思えるようになった。

 変わってからは、世界が少しだけ違って見えた。

 

 ……フォルシェンは、多分あの時の俺以上に辛い経験をしてるんだ。それを何年も、何十年も……ずっと独りで耐えて、今日まで生きてきたんだろう。俺ならきっと耐えられない。素直にすごいと思う。でも……。


「でもだからと言って、それが無関係の誰かを巻き込んでいい理由にはならない。お前は自分の行いを正当化しようとして、それらしい理屈を並べているだけの――ただの犯罪者なんだよ!」

「わかった風な口を利くなッ! これは正当な権利だ。不当に奪われたから奪い返すというだけの、ただ当然のことをしているまでなのだ……!」

「じゃあ、彼女ユリアーナの意志はどうなるんだよ!」

「――⁉」


 悠真の言葉に、フォルシェンは豆鉄砲を食ったような顔をした。

 ユリアーナに視線を飛ばす。

 まだ状況がよくわかっていないままに、彼女は不安そうな顔でフォルシェンを見つめていた。


「彼女はあんたに望んだのか? 自分を生き返らせて欲しいって。誰かの体を乗っ取ってでももう一度生きたいんだって……そう願ったのか?」

「……前提を履き違えるな。聖女として死ぬことを義務付けられたユリアーナには、そんな願いを抱く暇さえ与えられなかったのだ! 失った人生を取り戻し、手に入るはずだった幸福を享受する……人間として至極真っ当な願望だろう! それを叶えることの何がおかしい⁉」

「それは相手の気持ちを推し量ったつもりになって、自分の考えを押し付けてるだけなんだよ……! どんなに相手のことを思って出した結論だったとしても、その回答はお前の中から出てきたもので、独りよがりの妄想に過ぎないんだよ!!」

「黙れえッ!! もういい。これ以上()れ言を吐けないように、その生意気な口を今すぐ塞いでやる……!」


 フォルシェンが床に杖を突き立てる。杖は大地と繋がって、フォルシェンの魔力と同調する。

 激昂したフォルシェンの頭上に、巨大な岩石が形成される。鉄や特殊な鉱石の入り混じった化合物だ。魔力によって無理やり押し固められたそれを、フォルシェンはさらに凝縮させていく。

 どくん、どくんと脈打つように、一段階……もう一回り大きくなるそれを、悠真は息を呑んで眺めていた。

 圧倒的な魔力と質量を前に、フィルフィーネでさえ口を開けて戦慄した。

 膨張した魔力と鉱石の塊が熱を帯びる。

 悠真はその姿形に心当たりがあった。

 地上に生きる生物がどうあっても抗うことのできない存在。

 いわば終焉の代名詞――。


「天災を知るがいい――《降り注ぐ破滅の烙印(メテオ・フォール)》!!」


 ――隕石が、落ちてくる。


「逃げてユーマ――!!」


 フィルフィーネが叫んだ。

 逃げろと言われても、相手は超巨大な隕石だ。逃げ場なんてどこにもないし、そもそもそんな猶予がない。

 いや、ひとつだけ道は残っている。

 悠真は逃げるどころか、無謀にも一歩前へと踏み込んだ。


 ……あれだけ啖呵たんかを切っておきながら逃げ出すようじゃ、沙希に合わせる顔がないだろ!


 両手を体の前に突き出して、魔力を一点に集中させる。

 無茶でもなんでもやるしかない。

 選択肢はただ一つ。頭の中にある唯一の防御魔術を引っ張り出して、この危機を乗り切るために全力を注ぎ込む……!


術式装填コール・ブランド――《暴風の壁(ストーム・ウォール)》!」


 それは基礎にして基本中の基本となる風属性の防御魔術。

 集めた風によって壁を形成するという極めてシンプルな代物。

 そんな普通の風の壁が、自身の何十倍、何百倍にも匹敵する隕石を受け止めてみせた。


「なん、だとっ……⁉」


 ありえない光景だった。

 ただの風ごときが、落ちてくる隕石を受け止められるはずがない。脆弱な風ごと押し潰されて圧死するのが目に見えている。

 そんなわかりきった未来を避けるために、悠真はあらかじめ術式を《改編》しておいた。

 書き換えられた術式は、周囲の風を巻き込んでより強固な壁を形成するというものだ。削られたさきから壁を補強することで、どうにか強度を保っている……そんな突貫工事の半端な魔術を使って、悠真はギリギリのところで踏みとどまっているような状態だった。

 だが、それも長くはもちそうにない。

 隕石の圧倒的な質量を前に風が悲鳴を上げ始めた。重力にまで加勢されては、とてもじゃないが受け止めきれない。

 風の壁が徐々に小さく薄くなっていく。限界が近い。目に見えて弱まる勢いに、悔しくて唇を噛んだ。 

 それでも悠真は懸命に魔力を注ぎ込み、必死になって押し返そうとした。


「くっ……ぐぅうう、がぁあああああああああああああああああッ……!!」

「無駄な足掻きだ……このまま潰れてしまえ――!」


 暴風壁がジリジリと押される。突き出した両腕は限界で、膝も笑い始めた。

 フォルシェンの言うとおり、このままでは隕石に圧し潰されてぺしゃんこになってしまう。

 すでに万策は尽きている。

 フィルフィーネの助けも間に合わない。

 ――死ぬ。ネガティブなイメージが脳裏をよぎった。

 沙希の体を乗っ取られたまま、フィルフィーネたちのことも置き去りにして、自分だけ先に死んでしまう。

 申し訳ないと思った。せっかくみんなに力を貸してもらったっていうのに、真っ先に自分が死んでしまっては格好がつかないとも。

 まあでも、フィルフィーネが生きていれば、きっとなんとかしてくれるはず――。

 そんな情けない考えが頭をよぎってしまって、悠真はぶんぶんと頭を振った。


 ……フィーネがいるから何だよ。沙希を守るのは、俺の役目だったんじゃないのか。藤代悠真おまえ藤代沙希あいつにとって、たった一人のお兄ちゃんだろ。沙希を助ける前に、俺が死んでどうするんだよ……!


 他人の事情なんて知ったことではない。

 沙希に手を出す奴は、誰であっても容赦しない。

 だからこんなところでは死ねない。終われない。


 ……少なくとも、他人の命をなんとも思っていないような、こいつにだけは……!


 「――絶対にっ、負けてったまるかぁああああああああああああああああッ!!」


 悠真の咆哮ほうこうに呼応して、風が息を吹き返す。

 残った力を振り絞り、隕石を少しだけ……ほんの数センチだけ押し戻した。

 一瞬の拮抗――。

 一秒か二秒か……悠真が隕石に圧し潰されるまでの、ほんのわずかなタイムラグ。

 この数秒が、彼女の魔術の起動を間に合わせた。


「――《|月まで射貫け、砕氷のルナ・ペネトレイ・アルク》!」


 氷の弦音つるねが響き渡り、次いで大気がてつく音がした。

 どこからともなく飛来した氷の矢が、隕石を貫き粉々に打ち砕いた。

 きらきらと舞い散る氷のカケラ。

 突然の出来事に、誰もが目を見張った。

 悠真は氷の矢が飛んできた方を見た。


「間一髪……と言ったところでしょうか。――ご無事ですか、藤代くん」

「――た、鷹嘴……⁉」


 神殿の最上階……その片隅で、鷹嘴澪依奈が氷の弓を手にしてほくそ笑んでいた。

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