第87話「はじまりの聖女」
ユリアーナは、母親に似てとても利発的な女の子だった。
体が強い方ではなかったこともあってか、家に居る時間が多かった。必然的に、よく本を読むようになった。
絵本よりも図鑑を眺めている時間が多かったのは、父親であるフォルシェンに似ていた。
――いまから三十年ほど前。
この頃すでにフォルシェンは、〈協会〉の魔術師として『星域』の調査に掛かり切りになっていた。
『四礎の賢者』などと呼ばれてはいても、彼自身は一介の魔術師にすぎない。〈協会〉も今ほど人手が足りておらず……。
生来の性格もあってか、実地調査には自ら赴くほうが手っ取り早かった。
そのせいでユリアーナの出産に立ち会えなかったことは、彼の心残りの一つとなっている。
彼ら魔術師の活動拠点、メルセイム最大の都市にして人間たちが安心して暮らせる最後の楽園――魔境都市アースガルド。
この都市で一番大きな建物を探せば、それが間違いなく〈協会〉の本部だ。一見するとレンガ造りの古い建造物のように見えるが、実はいくつもの結界が張られており、認められた魔術師以外は立ち入ることすら許されない。
その他にも対侵入者用、対魔獣用などの防衛魔術がいくつも仕掛けられており、まさしく城のような本拠地となっている。
〈協会〉に所属するほとんどの魔術師が、この本部に隣接して建てられた社屋で暮らしているのだが、フォルシェンは数少ない例外だった。
アースガルド郊外の林の中、魔獣の出ない落ち着いた場所に家を建てたのだ。
体の弱かった妻を労わってのことだった。
家はコテージのような小住宅で、間取りは夫婦ふたりで話し合って決めた。産まれて来る子どものことも考えなければと、夜遅くまで議論が白熱したことをフォルシェンは今でも覚えている。
結局、ユリアーナが産まれてからすぐに妻がこの世を去ってしまったため、いくつかの部屋は完全に物置部屋と化してしまっていて……。
三人で暮らすはずだった家は、二人で暮らすには少々広すぎた。
「ママがいなくて寂しくはないか、ユリアーナ」
「ううん、ぜんぜん。だってパパがいるもん!」
当時まだ四歳の女の子とは思えないやさしくて元気な姿に、フォルシェンは思わず涙ぐんでしまう。
フォルシェンは、妻の分までユリアーナを愛すると誓った。
……この‟たからもの”を守るためにも、世界樹が衰弱している理由を必ず突き止めねば……。
この時点で、すでにメルセイムではいくつもの‟異変”が発生していた。
度重なる火山の噴火、大幅な気候変動に加え、嵐や地震といった自然災害が後を絶たず。
挙句の果てに、魔獣たちの数が激増し、各地で被害が続出。駆除に当たる魔術師の数にも限界があり、これも早急の対策課題とされた。
一つだけなら単なる‟変化”かもしれないが、これだけ重なってしまえばもはや‟異変”と呼ぶべき異常事態だ。
そして、‟異変”は自然災害以外にもその魔の手を伸ばしていた。
――再び映像が切り替わる。
映写機に別のフィルムがセットされるように、世界樹が新たな記憶を映し出す。
映し出された場所は、さっきまでと同じ林の中の小さな家。
視点が切り替わると、今度はすすり泣く声が聞こえてきた。
「あぁ、ユリアーナ……どうしてお前がこんな目に合わなければいけないんだ……!」
ユリアーナが十四歳になってしばらくして。
彼女は流行り病に体を侵されてしまい、ベッドで寝たきりの生活を余儀なくされた。
発熱や頭痛、咳や倦怠感など、症状の多くは風邪と変わらないものだったが、体内の魔力の巡りが悪くなることから、新種の病気なのではないかとウワサされていた。
これも一種の‟異変”ではないか――と世間で騒ぎになるほどに、アースガルドでは同じ症状の患者が続出した。
ユリアーナのことはフォルシェンが付きっ切りで看病したが、病状は一向に良くならず……。
ユリアーナの体は、日に日に弱っていった。
「私は父親失格だ……。ただ見ていることしかできない私を、どうか許してくれ……」
魔術は万能ではない。
どれだけ魔術が進歩しようと、この世から病原菌を駆逐するまでには至らない。
フォルシェンは、ただ見ていることしかできない自分の無力さを嘆いた。
そして、恐れていたその日が――ついに訪れてしまう。
「………………」
「ユリアーナ……? そんな……そんなはず、ないじゃないか。これは悪い夢なんだ。そうだろ、ユリアーナ。……なぁ、お願いだから――私を、ひとりにしないでくれ……!」
ユリアーナが床に伏してから、およそ半年後。
懸命に病と闘い続けた少女は、大好きな父の目の前で、眠るように息を引き取った。
あまりにも早すぎる死に、フォルシェンは現実を受け入れられなかった。
ユリアーナの手を握ったまま、その場を動かないフォルシェン。ふとした拍子に目を覚ますのではないかと、何時間も手を握り続けた。
段々と冷たくなる体温が、ユリアーナは死んだのだと如実に訴えていた。
涙も渇いて、陽が完全に沈んだとき――それは起こった。
「な、なんだこれは……⁉」
突然、ユリアーナの体が光り始めた。
光からは魔力を感じない。何か特別な力がユリアーナからあふれている。
フォルシェンは目の前の事象をただ茫然と眺め、観察した。少なくとも、害があるようには見えなかった。
やがて光の粒子がユリアーナの体に浸透して、しばらくすると――
「……う、うぅん……」
「――⁉」
死んだはずのユリアーナが息を吹き返した。
寝たきりだったはずの彼女がベッドから体を起こす。それだけでも奇跡なのに、ユリアーナは大きく背伸びをしてみせた。
「んー……っと。あれ、わたし……なにしてたんだっけ?」
きょとんと首を傾げるユリアーナ。
フォルシェンはベッドに飛び込んでユリアーナを抱きしめた。
とうに泣き尽くしたと思っていた涙は、再び泉のように湧いて出た。
「うわっ、パパどうしたの? なんでそんなに泣いてるの?」
「……なんでもない。なんでもないんだ、ユリアーナ。お前が元気でいてくれさえすれば……私は、それだけで…………っ!」
ユリアーナが生き返った理由はさっぱりわからなかったが、細かいことはどうでもよかった。
今はただ、この奇跡のような時間に浸っていたい。
フォルシェンは、半年ぶりに愛する娘の体を抱きしめて、温かな涙を流したのだった。
ユリアーナに起こった奇跡は、これだけではなかった。
病気はきれいさっぱり治ってしまっていて、半年間寝たきりだったにも関わらず体力が一切衰えていないどころか、家の外を思い切り走り回れるようになっていたのだ。以前の彼女では考えられないようなことだ。
あまりにも荒唐無稽で、本当に奇跡としか言いようがなかった。
間違いなく原因はあの光だ。
けれどフォルシェンは無理に原因を究明しようとはしなかった。
奇跡の理由を詮索してしまったら、この夢が終わってしまうのではないか――そんな予感があったからだ。
フォルシェンは見て見ぬフリをして、この奇跡のような時間を守ると決めたのだ。
もう二度と、目の前で大切なものを失いたくはなかった。
――またしても映像が切り替わる。
場所は同じで、今度は雨が降っていた。
しとしとと降り続ける雨の中、一人の来客がフォルシェンたちのもとを訪れる。
ドンドンドン――。
不愛想なノックの音に、フォルシェンはやや顔をしかめながら家の扉を開けた。
「はい、どちら様……って、君は――」
扉の前には見慣れない格好の男が立っていた。
雨避けのためかフードをかぶっていて、顔の判別はできなかった。背格好からして成人男性なのは間違いないだろう。
紫色の前髪が向かって左側にだけ寄っていることに気付いて、フォルシェンはまさか、とつぶやく。
「――アルリムか?」
「やあ。こんにちは、フォルス。すまないね、連絡もなしに訪れてしまって」
彼にしか呼ばれたことのない愛称で呼ばれ、フォルシェンは緊張を解いた。
「構わないとも。君は昔から神出鬼没だったから……。それよりどうしたんだ、こんな雨の中わざわざうちにまで来るなんて。いや、それよりまず濡れた体を拭いた方がいいな。何か拭くものを取って来るよ」
「あぁ、構わないでくれていい。どうせ、要件はすぐに片付く」
そう前置きして、アルリムはフードを脱いで要件を端的に告げた。
「君のひとり娘である彼女……ユリアーナは、いまどこにいるのかな」
「――――――」
……なぜ、そこで娘の名前が出てくるのか。
理由はどうであれ、〈協会〉の創設者でもあるアルリムがわざわざこうして自分の足で訪れているのだ。これ以上に事の重大さを示す要素はないだろう。
フォルシェンは焦りや動揺といった感情の機微を悟られぬよう、努めて同僚としての受け答えをする。
「ユリアーナなら、いまは街へ買い出しに出掛けているよ。雨が降って来てしまったから、丁度迎えに行くべきかどうか悩んでいたところなんだ」
「下手な嘘はつかなくていい。自分には彼女のことがはっきりと視えている。どうやら今はキッチンで洗い物をしている最中のようだ」
「…………っ」
アルリムの言葉は正しかった。
カマをかけられたのだと気付いたときには、もう誤魔化しようがなかった。
彼は最初から、フォルシェンのことを同胞として見てはいなかったのだ。
「フォルス、彼女を呼んで来てはくれないだろうか。自分も手荒なマネはしたくない」
「……ユリアーナを、どうするつもりだ」
「『星域』へ連れて行く」
「せ、『星域』だと⁉ 正気かアルリム! あそこは魔術師でさえ死を覚悟しなければ足を踏み入れることができない場所だ。森の中に入ったが最後、高純度のマナに体を蝕まれ、廃人になった後で世界樹の肥料になるか魔獣の餌になるか……どちらにせよ、自分から死にに行くようなものだ。それくらい君だって知っているだろう!」
「あぁ、もちろんだ。だがそれは普通の人間に限った話だ。自分や彼女のような選ばれし者には加護が与えられ、『星域』での滞在が許されるのさ」
「加護だって……? そんなもの、一体誰が何のために……」
「白々しいな。フォルスだってもう気付いているんだろう? そんなことができる存在が、一つだけあることに」
「――世界樹、か……」
フォルシェンがじりじりと後退る。キッチンの方にだけは行かせまいと、背後を守るようにしてアルリムの前に立ち塞がる。
「世界樹は意思を持った生命体であり、命を司る存在でもある。その機能を応用すれば、死人を蘇らせることができたとしてもおかしくはない」
「――⁉ なぜ、君がそのことを知って……」
「人の口に戸は建てられないということさ。一年ほど前から、君の娘を街で見かけたという声が増えた。あれだけ病弱だった子がある日突然街中を走り回っていれば話題にもなる。自分の耳に届くのは必然だ」
「……だとしても、なぜ世界樹がわざわざ一人の人間に対してそんなことをする? 彼、もしくは彼女からすれば、我々人類は彼が創り出した生態系を脅かす外敵でもあるはずだ」
「いいや、世界樹は自分たちを敵とは認識していない。彼の関心は『この世界を存続させる』という一点に集約されている」
「それは君の推測だろう。どうして断言できる?」
「直接聞いたからさ。‟世界樹の声”を――」
悟ったような口調で言うアルリムに、フォルシェンは眉をひそめた。
……昔から掴みどころのないやつだったが、とうとう幻聴まで聴こえるようになったか。
真っ当な会話など望むべくもない。
フォルシェンは舌打ちをした。今すぐ大声で怒鳴り散らしたい気持ちを、ため息と共に吐き出した。
わざとらしい仕草に、アルリムは鼻で笑った。
「信じる信じないは君の自由だが、自分たちはたしかに世界樹から託されたんだ。‟世界の破滅を回避するために、日々衰える我が身を救って欲しい”――とね」
「世界樹が自分から、私たち人間に助けを求めたということか……?」
「いかにも。事実、世界樹の葉が枯れ落ちてからというもの、世界中の環境が激変しつつある。このままでは人類は愚か、ありとあらゆる生命が生きられない世界になってしまうかもしれない。これは君が危惧していた未来でもある。そうだろう?」
アルリムの言葉は正しかった。
フォルシェンの調査、研究の過程でも同じ終末の未来が予想されている。
まだ不可避の未来ではないと考えてはいたが、具体的な対策案は不明のまま。調べるだけの時間もなければ、知識も人手も不足している。
この世界には、救われるだけの猶予が圧倒的に足りていないのだ。
……もし、アルリムの話がすべて真実なのだとしたら。
信じるだけの証拠はないが、同時に否定できるだけの証拠もない。
なにより〈協会〉の魔術師として、可能性があるのならば検証はしてみたかった。暗雲立ち込めるこの世界の未来を切り開く、希望の光となりうるかもしれない。
――だが、それはあくまでも魔術師としての意見だ。
今ここに立っているのは、娘の未来を憂う一人の父親だった。
「……世界を救うためだからといって、娘が拉致されそうになっているのを見過ごす父親がどこにいるっ……!」
「それは君の事情だ。僕らの事情は、この世界の将来を担うものだ。個人の価値観に左右されてはいけないのさ。――キミだってそう思うだろう……ユリアーナ」
「――⁉」
いつの間にか、フォルシェンの背後にはユリアーナが立っていた。
一体いつからそこに居たのか。どこから話を聞かれてしまったのか。
焦ったフォルシェンは口を開いて固まった。逃げろとか、耳を貸すなとか、そんな言葉たちが喉元で渋滞してしまったのだ。
動揺して震える唇は、まるで使い物にならなかった。
「……そっか。やっぱり、あの声は幻聴なんかじゃなかったんだ」
ユリアーナはどこか寂し気な表情でフォルシェンを見た。
いつになく真剣な表情だった。
「ごめんねパパ。わたし、行かなくちゃ――」
「……な、何を言ってるんだユリアーナ。私と一緒にここで暮らすって、そう言ってたじゃないか……」
ユリアーナは首を振る。
彼女は選ばれてしまった。やるべきことがはっきりとわかってしまった。
いつまでも父の優しさに甘えているわけにはいかなかった。
「夢みたいな時間はもうおしまい。わたしは『星域』で待ってる世界樹に、会いに行かなくちゃいけない」
「…………会って、どうするんだ」
どうにか絞り出した言葉は、ユリアーナを説得するためのものではなく、彼女の動機を確かめるものだった。
別に困らせるつもりはなかった。
ただお前が行っても無駄だと、だからここに居て欲しいのだと……欲に塗れた自分の気持ちを、まっすぐに伝える勇気がなかっただけ。
「返すんだよ、わたしがもらったこの命を。わたしはよく覚えてないんだけど、なんかそういう契約……? みたいなんだよね。ほら、借りたものはちゃんと返さないといけないって、パパも言ってたでしょ」
「……私は認めないぞ。お前はもっと、人並みに幸せな人生を送っていいはずなんだ。契約だかなんだか知らないが、その命はお前のものだ! 返す必要がどこにある⁉」
「たしかに……他の人と比べたらわたしの時間は短いものだったかもしれない……けどわたしにとっては、かけがえのない時間だった。この一年間は毎日がすごく楽しくて、やりたかったこともたくさんできた。本当に……夢みたいな時間だったんだ。――だからこそ、もらった命の時間の分だけ、わたしも世界樹に返してあげなくちゃいけないの」
ユリアーナは父の胸に顔うずめる。
言えなかったことも、言いたかったこともたくさんあった。
でも、これが最後の機会だから……と、彼女はあらたまって、その想いを言葉にした。
「ありがとうパパ。わたしのために怒ってくれて。わたし、パパの娘で本当によかった」
「……っ、ユリアーナぁ……!!」
フォルシェンの涙腺が決壊し、涙があふれて止まらなくなった。
ユリアーナを抱きしめる。強く、強く、抱き留める。
どこにもいかないでくれと、壊してしまいそうなほどに。
ユリアーナも目を潤ませながら、フォルシェンの背中にそっと手を回した。
そんなふたりの仲を引き裂くように、
「それじゃあ、いこうか」
アルリムがユリアーナに手を差し伸べた。
「……はい。よろしく、お願いします」
ユリアーナは父のもとを離れ、その手を取ろうとした。
けれど、フォルシェンはユリアーナの腕を掴んで放そうとはしなかった。
「ダメだ……やっぱり認められない。‟世界樹の声”も使命も、何もかも私たちには関係のないことだ。たとえ世界が終わるとしても……ユリアーナは、絶対に連れて行かせない!!」
「フォルス……勘違いしないでくれ。自分が彼女を無理やり連れて行くんじゃない。彼女が自分の意志で、世界樹のもとへ行くと言ってるんだ。君に彼女を止める権利は無いはずだ」
「うるさいっ! 私はユリアーナの父親だ! 娘を守るのは父親の義務だ!! 娘に手を出すのならアルリム、君は私の敵だ……!」
「そうか。なら、仕方がない……。朋友よ、世界のために――死んでくれ」
――どすっ。
衣服と皮膚を貫いて、肉切り裂く音がした。
アルリムが服の内側に潜ませておいた短刀で、フォルシェンの腹を刺したのだ。
突然の出来事にユリアーナは何が起こったのか理解が追い付かず、その場に呆然と立ち尽くしていた。
「ぐうっ……がはっ……!」
――魔術師を殺すのに魔術は必要ない。
それがアルリムの口癖だったことをぼんやりと思い出しながら、フォルシェンは床に倒れた。
倒れた音と、床を染める血の赤色で、ユリアーナがようやく悲鳴を上げた。
「きゃあああああ! い、いや……そんな……どうしてパパを刺したの⁉」
「先手を打ったまでさ。自分たちは世界を救うために遣わされた存在、いわば救世主だ。その意志と使命に背くのであれば……フォルス、君が世界の敵なんだ。敵は誰であろうと排除する――。それが自分たち〈協会〉の在り方であり、魔術師の宿命でもある」
「あ、アルリ、ム…………!」
「安心してくれ。急所は外してあるし、傷は見た目ほど深くない。ちゃんと止血さえすれば死ぬことはないだろう。傷が治るまでは満足に動けないとは思うけど」
「……ふざ、ける……な……っ。まだ、わたしは……!」
「名残惜しいが、これでお別れだフォルス。――大丈夫。自分と彼女は必ず、この世界を救ってみせるとも」
決意表明を終え、アルリムは家から出ていった。
ユリアーナは彼の後を追いかけようとした。けれどすぐにきびすを返し、倒れた父の元へと駆け寄った。
傷口に両手をかざす。手の平に集まった燐光が、傷の痛みをじんわりと和らげていく。
フォルシェンはとても驚いた顔をした。心なしか出血が緩やかになった傷口とユリアーナの顔とを交互に見た。
「ユリアーナ、お前……その力は……」
「……ずっと黙っててごめんなさい。わたし、パパには心配かけたくなくて……でもまさか、こんなことになるなんて思ってもみなくて……だから、その……ごめんなさい」
ユリアーナは申し訳なさそうに何度も謝った。
フォルシェンは彼女が謝るたびに何度も首を振った。
そんな顔で、そんなことを言って欲しいワケではなかった。
何も知らず、不都合な真実から目を背けてきた自分が悪いのだ。ユリアーナは悪くない。ただそう言ってあげたかっただけなのに……。
唐突に、抗いがたい眠気に襲われた。
まぶたが重い。刺された痛みすら消え失せてしまって、いますぐ横になりたい気分だった。
……なぜ、こんな急に……まさか、さっきの光のせいなのか……?
眠い。眠すぎる。眠気で頭が回らない。
ユリアーナを引き留めなければいけないのに、手足に力が入らない。
かすむ視界の向こう側にいるはずの彼女に向かって、フォルシェンは手を伸ばしながら、
「――ユリアーナ……」
と、名前をつぶやいた。それが精一杯だった。
ユリアーナは立ち上がり、家の外へ向かって歩き出す。
そして、最後に一度だけ振り返ると、
「さようなら、パパ。――大好きだよ」
一度目はできなかった別れの言葉を口にして、生まれ育った家を後にした。
扉が閉まる。
静まり返った室内には、降り続く雨音だけが鳴り響く。
緊張の糸が切れたフォルシェンは、雨音を子守唄代わりに眠りに落ちた。
目を覚ましたときには、もう何もかもが手遅れだった。




