第86話「ふたりの聖女」
沙希が目を覚ましたのは、木漏れ日の差す森の中だった。
目に映るのは色鮮やかな植物たち。日本の野山では考えられないファンタジックな光景だ。
でもなんとなく見覚えがあって、沙希は困惑しながら周囲を見渡す。
「……私なんでこんなところに……ていうか、ここどこ?」
……たしか、空にあった逆さまの樹を見ていたら意識がぼーっとして……。
おぼろげな記憶を手繰り寄せて、一つ、大事なことを思い出した。
「そうだ、声が聴こえたんだ。誰かが私のことを呼んでるような気がして、それで――……あ」
何気なく振り返ると、そこには木漏れ日を浴びて立つ少女がいた。
制服を着た少女は沙希を見て嬉しそうに微笑んだ。まるで、待ち合わせ場所にやって来た友人を迎えるように……。
沙希はひとまず会釈をした。初対面のはずなのに、不思議と初めて会った気がしなかった。
……学校の先輩? でもうちの学校の制服じゃないし……他校の人とか?
優しく微笑んだまま佇む少女に向かって、沙希は物怖じすることなく話し掛ける。
「えーっと……はじめまして、でいいのかな? それとも、以前どこかで会ったことありましたっけ?」
「ううん。直接会うのはこれがはじめてだよ。でもそうだね、ある意味いつも会ってたって言えなくもないかもしれない」
「……?」
なんだか奇妙な言い回しだった。
沙希は首を傾げ、そしてふと気づいた。
「この声……もしかして、私を呼んでたのは……」
「そ。私だよ沙希ちゃん。ごめんね、こんなところに無理やり連れて来ちゃって」
「はい……いや、えーっと……?」
訊きたいことが山ほどあって、沙希は言葉を詰まらせた。
その様子を見て、彼女は申し訳なさそうに頭をかいた。
「あー……そっか、そうだよね。突然こんなことになったら混乱もしちゃうか。――よし、まずはあらためて自己紹介しましょうか! こほん。私の名前は村守詩織。元・春陽高校二年生で、今は永遠の十七歳やってます。よろしくね♪」
可愛らしくポーズを決めて両手でピースサインまでしてみせる詩織。
沙希はとりあえず拍手してみた。ぱちぱちと渇いた音が虚しく森に響き渡る。
詩織は真面目な顔に戻って、こほんと一つ咳払いをした。
「あ、今すべったことをなかったことにしようとしてる」
「そういうことは口に出さないでもらえると嬉しいかな……」
「……って、あれ? そういえば少し前にフィーちゃんが言ってた先代の聖女さんの名前が、たしかそんな名前だったような……」
「えっへん。何を隠そう、この私がその先代の聖女さんなのです」
「……え? ……えぇええええええええええっ⁉」
絶叫。
沙希の気持ちのいいまでの驚きっぷりに、詩織は腕を組んで、そうそうこういう反応が欲しかったのよ、とご満悦気味だ。
「ふふふ、驚くのも無理はないよ。私たち聖女がこうして話ができるのなんて滅多にないことだから。あ、でも悠真くんとも話しはできたんだし、もしかしたらそんなに珍しいことでもないのかも」
「お兄ちゃんに会ったことあるんですか? ていうか、生きてたんですか⁉」
「あぁ、それはね――……」
詩織は悠真にしたような説明を沙希にかいつまんで話して聞かせた。
この場所のことや、世界樹のこと。どれを取っても信じられないような話ばかりで、けれど沙希はすぐに話を飲み込んで理解した。
互いに意識だけの状態で、まるで同じ夢を見ているような不思議な感覚。
なんとも空想的な話だが、実は沙希は内心ちょっとわくわくしていた。
夢にまで見た異世界転生……ではないが、それに遠からずも近しい体験をしているのだ。これで喜ばないようでは、異世界愛好家は名乗れない。
「話は大体わかりました。それで、詩織さんはどうして私をここに……?」
「えーっとね……実を言うと、私が直接招いたワケじゃなくて、結果的にそうなってしまったっていうか……結論から話しちゃうと、沙希ちゃんの体の中に別の人間の魂が入り込んだせいで、沙希ちゃんの魂が体からはじき出されちゃったの」
「魂が、はじき出された……? えっ、じゃあ私ってもしかして死んじゃったんですか⁉」
「違う違う! そういうことじゃなくて、幽体離脱してるみたいな感じって言うか……ちょーっとややこしい話になっちゃうから、順を追って話しましょうか」
「……はい、お願いします」
詩織はどこからともなく取り出した眼鏡をすっと掛け、これみよがしにフレームをくいっと持ち上げる。レンズに光がきらりと反射した。もちろん伊達である。
解説キャラのテンプレみたいっ、と沙希は見事に喜んだ。
……かわいい……。私もこんな妹が欲しかったなぁ。
なんて話はさて置いて。
詩織はデキるお姉さん然として、これまでの経緯をまとめて解説し始めた。
「――さて、まずは前提からおさらいしましょう。彼……志摩天多くんがやろうとしていた召喚術は、世界樹ごと異世界を召喚してしまおうというとんでもないものだった。世界をまるごと召喚するだなんて普通はありえない。だけど彼は、志摩家の召喚術なら世界樹と聖女の繋がりを利用し、霊脈を流れる膨大な魔力をリソースとすれば可能だと考えた」
詩織はどこからともなく現れたホワイトボードに、経緯を簡単に書き記していく。
沙希は板書を目で追いながら、時折首を縦に振った。
二人の聖女が織り成す森の中の青空教室。なんとも奇妙な空間だ。
和やかな空気の中、重苦しい話は続く。
「それからもまぁ色々あったんだけど、彼は計画通りに召喚術を起動した。そしてあと少しで異世界の召喚が完了するっていうタイミングで……フォルシェンに殺されてしまった」
フォルシェンの介入は、その場にいた誰にとっても予想外の出来事だった。
今まで一切姿を見せずに裏で糸を引いていた、いわば黒幕的存在。
それがこんな場面で突然現れたというだけでも問題なのに、一番の問題は、術者である天多が死んでも召喚術が止まらなかったということだ。
「霊脈から魔力が供給され続ける限り、一度起動した魔術は術式に従って稼働し続ける。フォルシェンはずっとそれを狙っていたの。召喚対象を『世界樹』から『聖女ユリアーナの魂』とするよう術式を付け加えることで、『世界樹の中にある聖女ユリアーナの魂』をピンポイントで召喚したのよ」
理屈としては、大きな網で巨大な魚を狙おうとしていたところを、途中でほどほどのサイズの魚に狙いを変えたようなものだ。スケールを絞った分だけ成功確率は跳ね上がり、準備が無駄になることもない。
過剰なリソースが余ることにはなるが、目標の達成と引き換えならばたいした問題ではないとも考えられる。
「……で、召喚したユリアーナの魂を入れる器として用意されたのが――」
「――同じ聖女である私の体……ってことですね」
「そういうこと」
詩織が頷いて肯定する。
そもそもの疑問として、世界樹に捧げられた聖女の魂は、一体どうなってしまったのか。
解答は、世界樹の中に今なおちゃんと存在している――である。
詩織曰く、『世界樹が聖女の命を食べてるっていうよりは、私たちが世界樹の中で同居しているような感じかも?』とのことで。
具体的なことはともかくとして、ユリアーナの魂が個として残っているのであれば、召喚できないということはないだろう。
そして一度死んだ人間の魂を入れる器として、聖女の肉体ほど最適なものもない。
「あの人は最初からそのつもりで沙希ちゃんに目を付けてたんだろうね。まったく、一体いつからこの計画を立てていたんだか……」
「詩織さんにもわからないんですか?」
「そりゃそうだよ。世界樹が常に世界を観測し続けてるとはいえ、人の心の中までは覗き込めないからね。私たちだって、何もかも知ってるワケじゃないよ」
それもそうか、と沙希はあごに手を当てて考える。
仮にもし計画を知る機会があったとしても、詩織にはそれを誰かに伝える方法が存在しない。
世界樹はただそこに在って、生命を循環し、世界の行く末を見守っているだけなのだから……。
「ちなみに確認なんですけど、そのユリアーナって人も聖女だったんですよね……?」
「そうだよ。ユリアーナはフォルシェンの一人娘で、一番最初の聖女。あっちでは‟はじまりの聖女”なんて呼ばれ方もしてるんだ。私たちにとっては、大先輩ってことになるかな」
「‟はじまりの聖女”……」
「あ、いまちょっとカッコいいなぁ、とか思ったでしょ?」
「――ギクッ。……ま、まさかぁ! そんなこと思ってませんよ。あは、あはははは……!」
にやにやと笑いながらじろりと見てくる詩織の視線を、沙希は渇いた笑いで誤魔化した。
「それじゃあ話が長くなっちゃったけど、ここからが本題。――沙希ちゃんには知っておいて欲しいんだ。ユリアーナに何があったのか。私たち聖女が、一体何を託されているのか」
「託された……?」
その時、木々たちの隙間をかいくぐるように、強い風が吹いた。
風に揺れた世界樹の葉から、ぽたりと雫がこぼれ落ちる。
それは記憶のカケラ。世界樹がこれまでに観測したメルセイムにおける記録の一部分。
沙希がその雫を両手で受け止めると、波紋が広がり空間が歪んだ。
曖昧な境界線を跨ぐように、時間と空間を飛び越えて……。
――映像が切り替わる。
「……これは、家?」
そこはすでにさっきまでいた森の中ではなかった。周囲には背の高い針葉樹が適度な間隔で並んでいて、足元には枯れた落ち葉と雑草が敷き詰められていた。
顔を上げた沙希の視界に映ったのは、そんな林の中に建てられた何の変哲もない古びた一軒家。
フォルシェンとユリアーナ、ふたりの家だった。
†
メルセイムにおいて、世界樹は神様のような存在だった。
生きとし生けるものすべてが世界樹にとっては我が子のような存在で、神様が世界を運営するために用意したのではないかと言われるように、世界樹は正しく生命を循環し続けていた。
そんな世界樹が根ざす『星域』は、まさに神の領域だった。高純度のマナによる異様な生態系と、それに適応できた魔獣たちが跋扈する森林地帯。
――『あの森には絶対に足を踏み入れてはならない』。
メルセイムに生きる人間ならば、誰もが一度は耳にする警句だ。
これは誰かの命を守るためであり、メルセイムで最も重要な存在を隠すためでもあった。
そんな誰も知らない森の奥底で、一人佇む世界を見渡す大樹に……もし、意思があったとしたら――。
何を思い、何を考え、何を欲しているのだろうか――。




