第84話「とある魔術師の顛末」
「ぐっ……がはっ………!」
深々と突き刺さった《煇焔剣》が手荒く引き抜かれる。
役目を終えた《煇焔剣》は、その身を炎に還し火の粉を散らしながら消えた。
天多はその場にうつ伏せで倒れ、朦朧とする意識の中、首だけを動かして自分を刺した相手を確認した。
その虚ろな目には覚えがあった。
「フォル、シェン……? なん、で……どうしてっ……!」
「儂は貴様に感謝しているのだ、アマタ」
フォーマルなスーツ姿の謎の男……フォルシェンは杖を突きながら空いた手であごひげをいじった。整えられた白髪や、汚れ一つない革靴からは清潔感が漂っている。
表情も穏やかで、にこやかに笑っているようにも見えた。
そんな男が、ごく自然に一人の人間を剣で刺した事実に、悠真は戦慄した。
細められた目が天多のことを蔑み、見下していることにも気が付いた。
「貴様がこうして舞台を整えてくれたおかげで、儂の長年の夢はもうじき叶う。貴様の無意味で無価値な復讐とやらは、ここが終着だ」
その感謝は、とても一方的な通告だった。
「……クッソ、がっ……!」
臓腑を貫かれた痛みよりも、怒りの炎が思考を焼いた。
天多は残った力を振り絞り、フォルシェンに向かって手を伸ばそうとした。
けれど体は言うことを聞いてくれない。
震えた手は肩から上に持ち上がらなくて、見せたくもない相手に無様な姿を晒してしまう。
「一体、何が起きてるんだ……?」
状況が飲み込めず、悠真はその場に立ち尽くし事態の行く末を静観していた。
決着をつけるべき相手は、悠真が手を出す前にひん死の状態で血を流して倒れている。
一体あの男は何者なのか。
悠真の視線に気づいたのか、フォルシェンがそちらを見返した。
おもむろに人差し指と中指を立てる。
それが魔術を起動するための予備動作なのだと、悠真は気付くことができなかった。
「――《拒絶の石柱》」
ぐらり。
神殿の床の一部がブロック状にせり上がる。
「…………は?」
「え……お、お兄ちゃん⁉」
そのブロックに追突されて、神殿の外へと押し出されたのだと認識できた時。
悠真は不意に訪れた浮遊感に背筋を凍らせた。
重力に逆らうことなどできはしない。
……待て。待て待て待ってくれ! この高さから落ちたりなんかしたら……⁉
今まで自分が上って来た階段の数はいくつだったっけ?
ノイズ塗れの思考で、ちらりと下をのぞきこむ。
見なければいいものを、と思いながら見てしまった地面はあまりにも遠すぎて。
悠真は冷静な思考能力を失ってしまった。
「――藤代悠真。貴様はこの舞台には必要ない存在だ。ご退場願おう」
「うわあああああああああああああああ⁉」
遠のいていく足場を恨めしそうに眺めながら、悠真の体は自由落下を開始した。
地面に叩きつけられる数秒後の未来を想起して、悠真はぎゅっと目をつむる。
けれど、覚悟していた衝撃はいつまで経ってもやって来ない。
それどころか、何か温かくて柔らかなものに包まれているような、そんな安心感で満たされていた。
おそるおそる目を開けると、翠緑色の髪が鮮やかに宙を舞っていた。
「間一髪だったわね、ユーマ」
「ふぃ、フィーネ――!!」
フィルフィーネは落下する悠真を空中で華麗にキャッチ。
悠真をお姫様抱っこしたまま、風を纏った足で空気を踏みしめて跳躍すると、神殿の最上階へと着陸した。
地に足が付いている安心感に悠真は胸を撫で下ろす。
「し、死ぬかと思った……。助かったよフィーネ」
「どういたしまして。間に合ってよかったわ――って、たしか前にも似たようなこと言った気がするわね」
「あー……あったな、そんなことも」
公園での出会いを思い出し、懐かしい思いに駆られた。
ほんの数日前の出来事のはずなのに、もう随分昔の出来事のようだ。
「って、そんなことより――沙希っ!」
「お兄ちゃん! それにフィーちゃんも……無事でよかったよぉー!」
「悪運の強い奴だ。大人しく殺されていればいいものを」
「お前……っ!」
フォルシェンは悠真を突き落とした隙に沙希の身柄を奪い、魔法陣の中心に座らせていた。
見る限り沙希に外傷はないが、手を出さない保証はない。
不穏な空気が流れる中、無謀にも身一つで飛び出そうとした悠真を静止してフィルフィーネが話しかけた。
「フォルシェン……どうして、あなたがこんなところにいるの?」
「久しいな、フィーネ。少し見ぬ間にまた随分と大きくなったものだ」
「何が少しよ。最後に会ったのだってもう何年も前でしょうに。――それで、私の質問に答えてもらってもいいかしら」
「……答える前に、まずは客人の相手をさせてもらうとしよう」
「客人……? 一体誰のこと――」
「天多⁉」
「たーくん⁉」
その時、悲鳴のような絶叫が響き渡った。
声に驚き振り返って見れば、今しがた到着したばかりの茜音と朝音が、驚いた表情のまま立ち尽くしていた。
二人の視線は、血だまりに横たわる天多に注がれていて。
「――――ッ!!」
朝音の殺気のこもった視線がフォルシェンを射貫く。
朝音の鼻が、その独特のにおいを嗅ぎ分ける。
間違いない。弟の血のにおいだ。
確認するまでもないが、口が勝手に動いていた。
「お前か。たーくんをやったのは」
「そうだと言ったら?」
「ぶち殺す」
返答と同時、狼の脚が床を強く蹴っていた。
人狼が獲物を目掛けて一直線に駆け抜ける。
――喉元に牙を突き立てろ。
――はらわたを爪で抉り出せ。
殺意を露わにした眼光が、お前を殺すと告げている。
「ガァアアアアアアアアアア!!」
「躾のなっていない獣だ。――阻め」
フォルシェンが床に向かって杖を突くと、彼を守るようにして石の壁が現れた。
血に飢えた人狼は、勢い余って壁に激突。
鋭い爪が分厚い石の壁に突き刺さって動けなくなってしまった。
「何よこんな壁ごときで……」
「――倒潰せよ」
「は、ちょっ――⁉」
数百キロはあろうかという分厚い石の壁が倒れる。
潰されそうになった朝音は、その寸前で腕だけ《獣化》を解除。突き刺さっていた爪が消失すると、すぐにその場から離脱した。
巻き上げられた砂埃がはれる。
「くっ……ムカつく。そのすまし顔、絶対にズタズタにしてやる……ッ!!」
「貴様の怒りはもっともだが、いいのかね? 別れの挨拶を済ませなくて」
「こんのっ……! あんたがそれを言うんじゃないわよ!!」
「がはっ、ごほっ……!」
「天多! しっかりなさい天多っ……!!」
天多が吐血する様子と、茜音の悲痛な声が耳に届いてしまい、朝音は攻撃をためらった。
弟の命と敵の首。腹立たしいことに、どちらを優先すべきかは明白だった。
一秒に満たない逡巡のあと、朝音は天多の元へ駆け付けた。
フォルシェンはその背中を狙うことはせず、憐れむような視線を送っていた。
それがまた、朝音の神経を逆なでした。
「お姉ちゃん、たーくんは⁉」
「血を流し過ぎている。内臓も損傷しているし、魔力もほとんど残っていない。かなり危険な状態だ。私の治癒魔術程度じゃあどうにもならない……」
「そんな……」
茜音はズタズタに焼けただれた傷口をにらんだ。
魔術で傷口を塞ぐことはできる。だが失った血と体力は戻らない。
損傷した内臓を復元したり、生命力そのものを回復できるような高等な治癒魔術は茜音には使えなかった。
無論、それは朝音も同様で……。
……弟一人助けることができないなんて……。これじゃあ今まで何のために魔術を学んできたのかわからないじゃない……っ。
精一杯やってきたつもりだった。
勉強も、魔術も、面倒な人間関係の構築も、全部おろそかにしたことはない。
それらを重荷と思ったことはなかったし、なにより魔術師として生きる自分にはそれなりに誇りもあった。
だけど、本当に大切なものだけは、どうしても手に入れることができなかった。
後悔ばかり抱えているせいで、肝心な時に両手が塞がってしまっている。
こんな情けない話があってたまるかと、茜音は無我夢中で天多に魔力を注ぎ続ける。
……私は本当に、間違えてばかりだ……。
天多のまぶたが弱々しく持ち上がる。
ぼやけた視界の中にふたりの姉の姿を見つけた。
「……あれ、ふたりとも……きて、たんだ。おそかった、ね……」
「喋らないで。大人しくしていなさい。傷は深いけど大丈夫。必ず私が治療してあげるわ。だから気をしっかり持ちなさい……!」
しかし茜音の意気込みとは裏腹に、どれだけ魔力を注ごうとも天多の容態が回復する兆しは見られない。
精々死ぬまでの時間を少しだけ先延ばしにすることしかできてはいない。
天多は仰向けのままふたりの顔を交互に見て、
「……ざんねん、だなぁ……」
と漏らした。
……なんでだろ。さっきまであれだけ色んなことに腹を立ててたはずなのに、ふたりの顔を見たら、なんか全部どうでもよくなっちゃった。
体は動かないし、魔力も感じない。
自分に残された時間が短いことだけは、はっきりとわかった。
だから、残念で仕方なかった。
「姉さんたちと……ほんきのケンカ、やりたかった……」
「――――――」
それは少し前、朝音が天多に宣戦布告した際。
姉らしいことをしてあげたくて、だけどどうすればいいのかわからなかった彼女が、彼女なりに考えて出した不器用すぎる答え。
本当はもっと気の利いたことを言えたらよかったのにと、朝音は後悔していたのだが、天多は純粋に心待ちにしていたのだ。
いつも茜音の背中を追い掛けるばかりだった。
いつも朝音に無視されてばかりだった。
だからようやくふたりと向かい合って、戦えるかもしれなかったのに。
どれだけ後悔しても、もう遅い――。
「……ごめんね、たーくん……ずっとひとりぼっちにして、本当にごめんね……っ!」
「ごめんなさい、天多。私の所為でずっとあなたを苦しめてしまった。本当にごめんなさい……」
「朝姉……茜姉まで……ははっ。なんて顔、してるのさ……」
大粒の涙を流して泣き崩れるふたりの姉に向かって、天多は力なく笑った。
復讐はまだ道半ば。世界が終わる瞬間を見られないのは残念だった。
だけど、昔あれだけ自分のことを気にも留めなかったふたりが、こうして自分のために泣いている姿を見られたのだから――、
「――きょうは……ぼくの、勝ちってことで……いいよ、ね……」
姉妹との競争事では、一度だって勝てたことのなかった少年が。
最後には勝ち誇った笑みを浮かべて、天多は眠るように静かに息を引き取った。
「たーくん……? ねえ、たーくんってば……返事してよ、たーくん……!! ねえってばぁあああっ……!!」
朝音は声が枯れるくらい何度も弟の名前を呼び続けた。
返事がないとわかっていながらも、冷たくなった弟の体に抱き着いて、何度も何度も……。
もっと言いたいことがあった。
一緒にやりたいこともあった。
だから余計に悲しくて、辛くて……無力な自分を呪わずにはいられなかった。
茜音は握った弟の手を自分の胸に押し当てた。
それが茜音なりの決別の儀式だった。
「人間の死というのは、本当にあっけないものだ。脆弱な肉体に不安定な精神。魔術では決して補えぬ人間といういきものが抱える欠陥。所詮は彼も人の子だったということだ」
「お前、そんな言い方……!」
「いいのよ藤代。お前が怒る必要はないわ。むしろお前たちも迷惑を被った側の人間でしょ。本来ならゆっくりと謝罪しなければならない問題なのだけれど……私たちには、まだやるべきことが残っているわ」
「茜音さん……」
「私たちは、あの子に恥ずかしくない魔術師であらねばならない。だから立ちなさい朝音。後悔と懺悔は、まだ取っておきなさい」
「…………うん、そうだね。ごめんお姉ちゃん」
弟の亡きがらをかばうように、姉妹は並んで立ち上がった。
泣き腫らした瞳には、まだ少し戸惑いはあった。
だけどもう迷いはなかった。
天多の想いを引き継ぐかのように、ふたりは復讐という名の牙を剥く。
「あんたがどこの誰だかは知らないし、正直もうどうでもいい」
「私たちの弟を殺した。その罪を――お前の命で贖ってもらうわ」
「悪いがそれはできない相談だ。彼が死んだ時点で、貴様らはすでに用済みな存在だ。役目を終えた端役には、早々に舞台から降りてもらわねばならん」
フォルシェンが杖を掲げると、杖の柄に埋め込まれた宝珠があやしく光った。
ふたりの足元と頭上に一対の魔法陣が出現した。
赤と青、二色の魔力が稼働する。
空間が切り離され、ここではないどこかへ旅立つ準備がなされている。
「なにこれ、ウソでしょ⁉」
「異世界の人間がなぜこの魔術を知っている⁉」
「その理由は、遥か空の彼方でゆっくり考えるがいい。――《送還の陣》」
フォルシェンが杖を振り下ろすと、対になった魔法陣がふたりを中心に重なり合う。
そして次の瞬間には、姉妹は忽然と消えてしまった。
「な、何が起こったんだ? 茜音さんたちは、一体どこに消えたんだ⁉」
「彼女たちならばそこにいる」
「……上?」
フォルシェンが指差したのは自身の頭上。
そこには天井があり、その向こうには地上があり、そのまた向こうには空がある。
悠真は猛烈に嫌な予感がした。
「ここから丁度真上……高度千メートルの空中に送り出した。今ごろは地上を目指して落下している最中だろう」
「――なっ⁉」
悠真は反射的に上を見た。
天井に映った暗い夜空の中にふたりの姿を探すが、見つけられるはずがなかった。
仮に見つけられたとしても、ここから彼女たちを助けることは不可能だ。
高度千メートルから地上まで、時間にしてわずか一分ちょっとの決死のスカイダイビング。
普通の人間ならば、まず生きては帰れない。
けれど彼女たちは魔術師だ。
どんなに絶望的な状況であったとしても必ず乗り越える――そう信じて、フィルフィーネは槍を構えて前に立った。




