第82話「魔弾と紅炎」
動転したセルシウスの視線が下がる。
そこにあったのは、自分の腹を抉るように打ち込まれた茜音の拳だった。
「隙だらけよ、閃火の魔術師さん」
「お、お前ぇ……どうして……!」
「黙って歯を食いしばってなさい。舌を噛み切っても知らないわよ」
「なっ、待っ――ぐあああああああああああああ……!!」
ゼロ距離で放たれた魔弾がセルシウスの腹部で炸裂した。
着弾の衝撃で吹き飛んだセルシウスが床を転がって激痛に悶え苦しむ。そんな彼女を見下ろしながら、茜音は指の関節を鳴らし、肩を回す。
彼女の両腕には、魔弾を装填するための魔法陣が展開――装着されていた。
「――砲術師ならば接近戦は苦手なはず。だから近付いてしまえばこっちのもの……。そんな浅はかな考え、対策していないはずがないでしょうに」
カツン。踏み込んだハイヒールの踵が鳴った。
振りかぶった左腕が、セルシウスの右肩を痛烈に殴打した。
そして、打撃とほぼ同時に放たれた魔弾が炸裂する。
「うぎゃぁああああああああっ……!!⁉」
「私には人並み以上の魔力と頭脳があった。だけどお前が言うように、私は魔力を固めて撃ち出すことしかできなかった。不器用だったのよ、私」
茜音は魔術に属性を付与させたり、何か別の形に変化させることが苦手だった。
魔力はある。知識もある。なのに術式の制御だけはてんで駄目。
感覚だけで難しい術式を制御できてしまう朝音とはまるっきり正反対。
汎用的な魔術なら難なく使えたが、志摩の魔術師として大成するためには、もっと努力しなければならなかった。
だから茜音はまず術式を磨き上げした。細かな調節を自動で行うよう予め術式に組み込んでおくことで、自分で制御しなければならない領域を可能な限り削減しようとしたのだ。
非常に難しく根気のいる作業だったが、彼女にとってその時間は苦ではなかった。
そうした努力の末に、茜音は《無手の魔弾》を組み上げることに成功した。
けれどそれは、茜音が満足する出来ではなかった。
展開した魔法陣の位置から射線を読まれてしまうし、そもそも魔法陣を展開してから射撃するまでにどうしても時間が掛かってしまう。
大抵の場合、魔術師は一人で闘うものだ。
今でこそ姉妹で共闘することも増えたが、はじめはそうではなかった。
使い魔を使役することも考えてはみたものの、それは少し違うような気がした。
やはり魔弾を改良すべきだと思い、色々と試してみることにした。曲げてみたり、対象を追尾させてみたりしたが、今度は威力と速度が犠牲になった。
出力は高いのに、それを制御する細やかさが自分にはない。
八方塞がりだった茜音は、ある日朝音に誘われてとあるアニメを見させられた。
興味はなかったが、たまには付き合ってあげないと朝音が機嫌を損ねるので、これも姉の務めだと渋々視聴した。
アニメの内容は、魔法少女が悪の科学者と戦う話だった。可愛らしい絵柄とは裏腹にシリアスなストーリーとド派手な戦闘シーンが売りらしいのだが、その詳細はここでは割愛するとしよう。
結論から言えば、茜音は出会ってしまったのだ。
自分が目指すべき戦闘スタイルの持ち主に。
……そう。健気で不器用だけどまっすぐな、あの魔法少女のように――
――‟当てる技術がないなら、絶対に当たる距離から撃てばいい”。
そんな紆余曲折を経て、茜音の戦闘スタイル――零距離格闘砲撃術は確立した。
「お前たち異世界の魔術師が、なぜ近接武器による戦闘に重きを置いているのかは知らないけれど……私たちを侮るのも大概にしなさいッ!!」
茜音は自らの腕を砲身として、セルシウスの体へとぶち込んだ。
無慈悲に、そして無秩序に繰り出される徒手空拳。
ランダムに繰り出される拳すべてに魔弾が装填されていて、殴ったと同時に撃鉄が落ち、魔弾が炸裂した。
ただの物理攻撃であれば、セルシウスも少しは耐えられたかもしれない。だが魔弾はセルシウスの身体を内側から破壊し尽くしていく。
どんなに固い装甲だろうと、魔弾の衝撃はそれを貫通する防御無視の絶対攻撃だ。
血管を破裂させ、神経を断裂し、内蔵をすり潰す。
茜音が殴る場所すべてが急所であり、セルシウスにとってすべてが致命傷となった。
見た目以上にセルシウスの身体はボロボロだ。もはや魔力を体に流すだけで激痛に苛まれるだろう。
それでも彼女は〈協会〉の魔術師、『六界』の一人だ。
『閃火の魔術師』としての意地とプライドが、胸の奥底から燃え広がった。
「調子にっ、乗るんじゃねぇえ――ッ!!」
「…………っ!」
セルシウスの体から炎が吹き上がる。
身体の内側にある魔力を燃やして、至近距離で拳を構える茜音を引き剥がした。
自分を焼くことさえ厭わない行為に、茜音は憐憫の眼差しを向けた。
「愚かなことを」
「はぁっ、はぁっ……カハハ! このくらい、私にとっちゃ熱くもなんともないさね……!」
それが痩せ我慢であることは、焼け焦げた肌を見れば一目瞭然だった。
右肩を抑えながら、震える膝で懸命に立ち上がるセルシウス。剣を握る力はあっても、もはや満足に構えることもできない。それでも、あれだけの攻撃を受けてなお《煇焔剣》を手放すことはなかった。
見事な胆力だわ、と茜音は小さくつぶやいた。
「……それだけ強いクセに、なんであんなガキのことを気に掛ける? 自分一人じゃ魔術の一つもロクに扱えない、あんな似非魔術師のことを……」
「家族を心配するのに理由が必要かしら?」
「必要さ。少なくとも爺さんはそうだった。爺さんが何の価値もなかったガキの頃の私を拾って育ててくれたのは同情からなんかじゃない。あの人は手駒が欲しかったんだ。自分の目的のために都合よく働いてくれる手駒が」
「お前は、それでよかったのね」
「ああ、当然だろ。無償の愛なんてモンは、この世で一番信用できない。それに比べれば、あの人の手足として生きる方がずっとマシだ」
他人の言葉は信用ならない。
他人の心は目に見えない。
だから彼女は利害関係でしか他人と繋がろうとはしなかった。
その距離感が、とても安心できたから。
「私はお前が理解できない。何の役にも立たないガキを、何の見返りもなく愛そうとするお前の精神構造が、私には心底恐ろしいものに思える。お前は一体、何のために生きてるんだ」
「これはまた、随分とスケールの大きな話だけれど……私にだって下心くらいあるわよ」
結局のところ、人と人との繋がりというものはギブアンドテイクで成り立っている。
貰ってばかりではいつか破綻してしまう。
逆に与えるばかりでもいつか拗れてしまうだろう。
そうはならないように、人は見えない気持ちを言葉にして相手に届けようとするのだが……。
……私にはそれができなかった。
厳しくも頼れる姉でいるつもりだった。
でも弟にとってはそうじゃなかった。
あの日、部屋の外から見てしまった光景を、茜音は今もはっきりと覚えている。
部屋の中央で泣きながら震える天多と、彼を罵倒する父の姿。
もしもあの時、扉を開けて部屋の中に飛び込んでいれば――。
いいや、そんなことは起こりえない。
だって茜音は動かなかった。
泣き叫ぶ弟を助けることよりも、父に歯向かうことが怖かったのだ。
家族のことが好きだと言いながら、結局一番大事なのは自分自身なのだと思い知らされた。
……そのことに気づいた時はひどく落ち込んでしまったが、天多はそれ以上に悲しかったはずだ。
だから今度こそ、泣いている天多のもとへ駆け付けなければならない。
あの日の間違いを、間違いのままで終わらせないために――。
「――あの子ともう一度、家族をやり直したい。それが私の願い」
「……それだけ? たったそれだけのために、お前は命を懸けられるって言うつもりなのか⁉」
「お前にとってはそれだけかもしれないけれど、私にとってはそれがすべてなのよ。あの子のためになら、私の命なんていくらでも懸けてあげるわ」
「くだらねえ……くだらねえくだらねえクッソくだらねえ!! 家族なんてクソ喰らえだ!! そんなモンのために戦うヤツなんかに、私が負けるはずがないッ……!!」
その時、天井に映った空が揺らいだ。
膨大な魔力の流動に、茜音は思わず上を見た。
夜空の星が瞬くその向こうに、逆さまの大地が現れる。
大地の中央には一際巨大な大樹がそびえ立ち、地上に向かって少しずつ落ちて来ていた。
……まさかあれが、こちらとは異なる世界……?
そう認識できた時、茜音の頭の中でバラバラだったピースがぴたりとはまった。
「天多……なんて馬鹿な真似を……!」
あれが件の異世界なのだと確信して、茜音は目の前の敵を見据える。
地面に突き立てられた《煇焔剣》から、雄々しく紅炎が舞い上がる。
今は余計なことを考えている場合ではない。
距離を取って彼女の魔術の射程外に退避する? いいや、そろそろ炎に囚われた朝音が限界だ。これ以上時間を掛けてはいられない。
ならば取るべき選択肢は一つ。
セルシウスの言葉を借りて、茜音は宣言する。
「――格の違いを教えてあげるわ」
拳を開き、魔力を解放する。
「四連装魔砲陣・連結展開。射線軸固定。魔力収束、開始――」
セルシウスとの直線上に、四つの魔砲陣を連続で設置した。
速度強化、貫通力強化、硬質強化、そして対魔力強化――。
それぞれが魔弾の性能を向上するための強化バレル。
撃ち出される魔弾は、まさに矛盾を覆す最強の矛に昇格する……!
「――炎々囂々《えんえんごうごう》、火神招来。都落としの大炎、遠雷轟く地獄の遺構……」
これに対抗するように、セルシウスの魔力が膨張する。
《煇焔剣》の紅炎とセルシウスの炎。二つの炎が混ざり合って一つの黒点を形成した。
超高温、超高密度のエネルギーは、いわばもう一つの小さな太陽だ。
セルシウスの翻した手の上で、小さな太陽が煌々とまたたいて。
茜音の手には魔力が収束し、極大の魔弾が形成された。
「――魔力臨界、魔弾装填。この一撃は絶対の壁さえ撃ち砕く。……穿て!!」
「――灰となって死に絶えよ。屍肉となって朽ち果てよ。我が憎悪と悲愴の獄炎を以て、その悉くを燃やし尽くせ……!!」
両者の詠唱は、まったく同時に完了した。
「《愚直の魔弾》!!!!」
「《|災厄を齎す紅染めの極光》!!!!」
必殺必中の魔弾と、燼滅の閃光が激突した。
セルシウスの魔術は、《煇焔剣》を触媒にして放つ最上級の炎魔術。
フィルフィーネを住宅街で狙った時とは違って、今回のは詠唱を一切省略することなく全身全霊で行使された彼女の切り札だ。
触れた物を一瞬で溶かしてしまう超超超高熱の火線は、光すらをも捻じ曲げる。
そんなふざけた魔術を、茜音の魔弾は真正面から受け止めるばかりか、むしろ押し返していた。
「なんっ、だとぉおおお……⁉」
茜音が放った極大の魔弾は、四段階の増幅の結果、逆に小さくなっていた。
研いだ刃が薄く鋭くなるように、魔力の弾丸はより速く、より硬く、より遠くまで飛ぶために、無駄を削ぎ落し最適化された。
魔力の多さが取り柄だった彼女が、血の滲む努力の果てに見出した、誰にも負けない彼女だけの超級魔術。
相手が何をしようと関係ない。
彼女の放った弾丸は、愚直なまでにまっすぐに、一直線に飛んでいく……!
「ば、バカなッ!! こ、こんな田舎臭い魔術師ごときに、私が負けるはずが……⁉」
「私の弟をバカにしたその愚行、万死に値するわ。あの世で悔い改めなさい」
「ぐっ……ぐうぅうああああああああああ……!!」
どれだけ魔力を振り絞ったとしても、あの魔弾は焼き尽くせない。
不壊、不侵、不燃、不凍――。
あらゆる耐性を兼ね備えた魔弾は、地獄の業火さえ切り裂いて。
セルシウスの体を撃ち抜いた。
「がはっ…………」
セルシウスは口から大量の血を吐いて、背中からその場に倒れ込んだ。
「ごふっ……クッ、ソ……こんな、はずじゃ……私は、『六界』のひとりなのに……」
「あなたが井の中の蛙だっただけのことよ。その『六界』というのがどれほどの物かは知らないけれど、こっちの世界には私より優れた魔術師なんていくらでもいるもわよ」
「カハハッ、マジかよ……おっかねえ世界だ……」
セルシウスは倒れたまま、遠く離れた故郷を仰ぎ見て思いを馳せた。
メルセイムにいい思い出などほとんどなかったが、こうして離れてみれば意外と寂しいもんだな、と少しだけ感傷的になった。
自分にそんな心の機微があったことに驚きながら、セルシウスは自然と手を伸ばしていた。
「悪いな、爺さん。先に逝かせて……もら、ぜ……」
伸ばした手が何も掴まずにぱたりと倒れ、セルシウスは力尽きた。
茜音は《煇焔剣》を拾い上げると、まるで墓標代わりだと言わんばかりに勢いよく床に突き立てた。
「……腹立たしい」
結局最後までセルシウスの目的ははっきりとしなかった。
足止めはきちんとされたというのに、こちら側には情報がほとんど増えていない。
……爺さん、ね。今回の騒動、一体どこまでが〈協会〉の思惑で動いているのかしら。
術者が死亡し、炎の渦は消失。
しかし、なぜか朝音の姿が見当たらない。
茜音が近寄ると、そこには人ひとりが入れるほどの大きさの穴がぽっかりと開いていた。
「朝音、もう出てきていいわよ」
茜音の呼び掛けに応じるように、穴の中から朝音が飛び出した。
「…………っ、…………ッ!」
「いつまで息を止めているの。早く《獣化》を解きなさい」
「――っ! ……ぷはぁ! はぁー、暑かった~」
朝音は服に付いた砂埃をはらって、滴る汗を拭った。
「怪我はなさそうね。無事で何よりだわ」
「あれ、お姉ちゃん……もしかして心配してくれてたの?」
「単なる確認よ。あんたがモグラか何かに《獣化》して穴を掘ったのは足元から伝わってきた振動ですぐにわかったわ。息を止めていられたのは、以前興味本位で食べたアザラシの能力のおかげってところかしら」
「ピンポーン、大正解♪」
セルシウスの炎の渦から抜け出せなくなった朝音は、すぐに《獣化》でモグラに変身し、足元を掘って穴の中へと退避したのだ。
おかげで炎の熱から逃れることには成功した。だが、そのままでは呼吸をするための酸素がすぐになくなってしまう。そこで朝音は《獣化》によって自身の体のつくりをアザラシと同じにすることで、長時間無呼吸でも耐えられるようにしたのだ。
「体の内側……特に呼吸だけを作り変えるなんてはじめてだったから、上手くいくかどうかわかんなかったけど、さすがは私。やれば案外できる子です♪」
ぶいっ、と満面の笑みでピースする朝音。
「ぶいじゃないわよ、まったく……。あんたはいつも油断しすぎ。私が負けてたらどうするつもりだったのよ」
「お姉ちゃんがあんなヤツに負けるワケないじゃん」
即答する朝音に、茜音は目をしばたたいた。
たしかにセルシウスは強かった。
けれど、魔術師としての姉が他の誰かに負けるなんてこと、朝音には想像もできなかったのだ。
妹の絶対的なまでの信頼に、茜音は無言で背を向けた。
その耳がほんのりと赤く染まっているように見えたので、朝音はにやにやと笑いながら茜音の背中を突っついた。
「あれれー? お姉ちゃん、もしかして照れてない? 絶対照れてる。ねえ照れてるよね?」
「うるさいっ。これ以上無駄口を叩くようなら置いて行くわよ」
「冗談だってばー……って、え、ちょっと待ってお姉ちゃん! いま気づいたんだけど、あの空から生えてるブロッコリーみたいなやつ何⁉ ってか地面が逆さまになってる⁉ 一体何がどうなってるの? ねえお姉ちゃん教えてよ。お姉ちゃんってばー!」
朝音の言動を無視しながら、茜音は足早に階段を上る。
弟の待つ最上階では、すでに何事かが起きてしまっている。
祈るべきは弟の無事か、それとも世界の平穏か――。
胸に小さな覚悟を秘めて、志摩の魔術師たちは少し遅れて、決戦の場へと乗り込んでいく。
†
遠ざかる足音の一方、戦場の跡には人影があった。
墓標のように床に突き刺さったままの《煇焔剣》。
その傍らに、 髭を生やした初老の男性が立っていた。
「ご苦労だった。あとの仕事は私が請け負う。貴様はゆっくり休むがいい」
男は《煇焔剣》を引き抜くと、その切っ先をセルシウスに向けた。紅炎が彼女を包み込むと、骨も残さぬよう炎がすべてを貪った。
あとに残った灰は風にさらわれてどこかへ行ってしまう。
せめてもの手向けなのか、男はほんの少しの間だけ目を閉じた。
そしてすぐに目を開けると、踵を返して行方をくらませた。
誰も居なくなった戦場には焼け崩れた瓦礫だけが転がっていた。




