第80話「執行者の証」
悠真が天多に痛快無比の右ストレートを叩き込んだ――その少し前。
神殿から少し離れた開けた場所で、フィルフィーネは影の巨人と激闘を繰り広げていた。
「オォオオオオオォ……!」
《影坊主》の呻き声、はたまた威嚇のような雄叫びは、声帯がない巨体から振動となって響き渡った。
――視られている。
《影坊主》に目はない。だというのに、的確にフィルフィーネの位置を捕捉しているのはなぜか。
フィルフィーネはこう推測する。あれは生物としての感覚器官を持ち合わせていない代わりに、魔力に対する感知レベルが異常なまでに高いのではないか、と。
つまり、いま彼女が感じている視線のようなものの正体は、《影坊主》が獲物に向ける‟殺気”の類。
「はあっ――!」
《影坊主》の視線を振り切るようにして、フィルフィーネは地面を蹴って飛び上がった。
相棒の槍を手首のスナップだけで握り直し、流れるように《影坊主》の右腕を半分ほど切断する。
「せぇやぁあああああ――!」
そのまま重力に従い落下して、今度は左脇腹を刺し貫いた。風を纏わせた分威力は絶大。脇腹どころか胃の辺りまでが弾け飛んだ。
でもフィルフィーネの表情は苦い。
……手応えがなさすぎる。わかめでも切ってるみたい。
《影坊主》は成すがまま、フィルフィーネの攻撃を防ぐ気がまったくない。
そもそも防ぐ必要がないのだ。
切断されたはずの右腕はすでに繋がって、弾けて散ったはずの脇腹もみるみるうちに塞がっていく。
異常なまでの再生速度だ。
「やっぱりダメね。痛くもかゆくもないって感じかしら。目や鼻がないどころか、痛覚の類までな無いなんて……複数の魂を縫い合わせて作られた割には、随分便利な体してるじゃない」
見た目は人型でも本質は影。脳や心臓といった器官は存在しないし、血管や神経も通ってはいない。
どんな攻撃を受けようとも、《影坊主》は痛がる素振り一つ見せないのがその証拠だ。
「どうせすぐに再生するから攻撃を防ぐ必要がない。痛みを感じないから怯みもしない。面倒な相手ね。けど、物理攻撃が効かないなら魔術で吹き飛ばしてしまえばいいだけ――――っ⁉」
不意に視界が暗くなって、とっさに視線を上に向けるフィルフィーネ。
そこにあったのは、視界を覆い尽くすほどの真っ黒で平らな何か――。
彼女は思わず、ここの天井ってこんなに低かったっけ、などとのんきなことを考えてしまった。
その真っ黒な物体の正体が《影坊主》の足の裏だと認識できたころには、
「オオオオオオオオ――ッ!!」
足元をうろつく蟻を踏み潰そうと、真っ平な足の裏が容赦なく踏み下ろされた。
「やばっ――――」
フィルフィーネは足に魔力を集中させ、目にも止まらぬ速さで退避する。
全速力での短距離走。
一瞬にして数十メートルの距離を駆け抜けて、《影坊主》をその場に置き去りにした。
「あ、危なかったぁ……! あと少しでぺちゃんこになるところだったわ」
なぜあんなギリギリまで《影坊主》の動きに気付かなかったのか。
理由は単純。至近距離だったがゆえに、大きすぎる《影坊主》の動きが視界におさまりきらなかったのだ。
やっちゃったなぁ、と苦笑するフィルフィーネ。
でもやってしまったものは仕方がない。
気持ちと頭を切り替えて、《影坊主》の行動パターンを頭にインプットし直す。
「とりあえずこれだけ離れてればあいつには攻撃手段がないはず。遠目から魔術で攻撃してみて、通用すればそれでよし。ダメならダメで次の手を考えて……って――うそ⁉」
フィルフィーネは目を丸くして叫んだ。
《影坊主》の両腕が軟体生物のように、にゅるりと伸びたのだ。
伸びた両腕はうねうねと身をよじりながら、フィルフィーネを目掛けて飛んでくる。
「あるじゃないのよ、攻撃手段……!」
伸びた腕は自由に動かせるらしく、空中で何度も軌道を変えた。
獲物を握り潰してしまえと言わんばかりに大きく開かれた手のひらを、フィルフィーネは必死に飛び跳ねて回避した。
「このっ……! しつこいッ……!!」
戦闘機が空から地上の歩兵を狙うように、《影坊主》の両腕は何度もフィルフィーネの頭上を旋回して降下してきた。
さっきまでの力任せのパンチやキックと違って、この攻撃には切れ目がない。
フィルフィーネを捕まえるまで、あの両腕は何度でも空中で方向を変えて飛んで来てしまう。
手首から先を切り落としてもすぐに再生されてしまうので時間稼ぎにもならない。
これでは距離を空けた意味がない。
「だったらもう一回近づいて、今度は再生できないくらいデカいのを一発お見舞いしてやろうじゃない――!」
フィルフィーネは逃げ回ることをやめてその場で静止した。
目を閉じて、左右から迫る《影坊主》の気配に集中する。
三、二、一――、
「――今ッ!」
両手で押し潰されてしまう……その直前、フィルフィーネはタイミングを見計らって真上に跳躍した。
《影坊主》の両手は勢い余って合掌。
彼女はそこを目掛けて槍を投擲し、《影坊主》の両手を地面に繋ぎ留めた。
ダメージは無くても実体があるのだから、こうした拘束は非常に有効な手段だ。
フィルフィーネはピンと張った影の腕に飛び乗って走り出す。
「――ウィル・ヴァレ・ティット……!」
《影坊主》の頭にどでかい花火をお見舞いしてやろうと、走りながら詠唱する。
威力を上げるためにいつもより多くの魔力を注ぎ込んでいる。
翠緑色の髪が風になびいて煌めいた。
ほとばしる魔力の残光が、彼女が走る軌跡となった。
周囲の空間にあふれた魔力をかき集めて、フィルフィーネはなおも魔術の規模を引き上げる。
その時、足元の影が蠢いた。
「――えっ⁉」
足場にしていたはずの《影坊主》の腕から、突如として黒い棘が生えたのだ。
太い棘から細い棘が生え、そこからさらに細い棘が……というように、無数の棘が周囲を無差別に攻撃した。
まるで、真っ黒な有刺鉄線。
「いきなり攻撃パターンを増やすんじゃないわよ!」
踏み出した足を急に止めることはできない。
フィルフィーネの太ももに、黒い棘が突き刺さった。
「ぐぅっ……!」
痛みで足の踏ん張りが利かなくなる。このままの勢いで倒れてしまえば、針のむしろに自分から飛び込んでしまうことになる。
それだけは何としても避けねばと、フィルフィーネは黒い棘が敷き詰められた腕から逃れるために自ら地面へと落下した。
……体の上を走るのはさすがに危険すぎた。だけど両腕は拘束したまま。いまのうちに距離を詰めないと……!
そうして地面を走り出した直後。
――ブチっ、という嫌な音が響いた。
まさかと思って後ろを振り返ってみれば、《影坊主》が伸ばした両腕を無理やり引きちぎっていた。
地面に縫い留められた両手はそのままに、千切れた部分から先はすぐに再生が始まっている。
またあの両腕にしつこく追い回されるのかと思うと……。
「……上等じゃない。やられる前にやってやるわ」
フィルフィーネが速度上げる。長い髪をなびかせて、《影坊主》の懐に潜り込む。
足元をうろつく虫けらを踏み潰そうと、《影坊主》がじだんだを踏んだ。右、左、右、左……と交互に足を踏み鳴らす。まるで素人のタップダンスのようだ。
フィルフィーネは頭上に注意しながら、踏み潰されないように左右に大きく切り返す。
先ほどの攻防の再現のようだが、今度はこちらが攻める側だ。
《影坊主》の股下をくぐり抜けて背後へと回り込む。
「お願い、風の精霊たちよ!」
『オール・モール』でやってみせたように、精霊の力を借りることで空中を蹴って上へと昇る。
そうして《影坊主》の頭と同じ高度に到達した時、フィルフィーネの魔力は最高潮に達していた。
翠色の雷光がいななくように、はち切れんばかりの魔力が髪先から迸った。
両手を前方へ突き出して、溜まった魔力を一気に放出する――!
「暗影切り裂く夜天の華よ、豪華絢爛に咲き誇れ……! ――《大光華》!!」
フィルフィーネの両手から光弾が打ち出され、《影坊主》の目の前で爆発した。
凝縮した魔力の炸裂は、さながら至近距離で撃ち出された光の散弾銃だ。
光華の一瞬の輝きは、《影坊主》の上半身を粉々に吹き飛ばし、地底の薄暗闇を晴らした。
バラバラに飛び散った影が霧散する様を眺めながら、フィルフィーネはたしかな手応えを実感していた。
「さすがにこれは効いたでしょ……!」
上半身が再生する気配はない。
もしかしたら、今の一撃が致命傷となったかもしれない。
そんな期待に胸を躍らせる暇もなく、魔術の反動による疲労の波が押し寄せる。
達成感と心地よい疲労感に満たされながら、フィルフィーネは風に背中を預けるようにして地上へと落下していく。
その時、視界の端で何かがきらりと光ったような気がした
爆散したはずの影に混ざって、光の粒が音もなく消えていく。
――あれは、
「……涙?」
フィルフィーネが注意をそらした、ほんの少しの時間。
上半身を失った《影法師》は、腰から新たな腕を生やしていた。
……再生じゃなくて、新しく作り直した……⁉
《影坊主》の体の素材は魔力だ。人の形をとっているからといって、人体のセオリーを守る必要はどこにも無い。
新たに生えた腕は元の大きさよりも一回り小さいが、それでもフィルフィーネを握りつぶすには十分すぎる大きさではあった。
物言わぬ怪物は両手を組んで、空中で自由落下している最中のフィルフィーネを、地面に向かって叩き落とした。
「――ぐあっ……⁉」
殴られた痛みで悶絶するフィルフィーネ。
同時にしまった、と思った。
……私のバカ! あいつは目で私の動きを追っているワケじゃない。死角なんてあるはずないのに、なんで背後に回り込めば安全だなんて思ったのよ……!
《影坊主》は失ってしまった上半身分の魔力を下半身から補填して、自分の体を作り直したようだ。そのせいで全体的にスケールダウンしてはいるが、活動に支障はない。
だがフィルフィーネの一撃は間違いなく《影坊主》の力を削ぎ取っている。無敵のような無機魔術生命体を相手に、確実に勝利の一手を刻んだのだ。
フィルフィーネは手元に引き寄せた槍を支えにして立ち上がる。
「痛ったぁ……! 腰から手が生えるとか、さすがに予想外だわ。風で受け身を取るのが遅れたらヤバかったかも。でも、それよりも気になるのが……」
「……ォオオオォオオ……」
《影坊主》がまた啼いた。
人為的に生まれた集合体に、そんな機能は本来必要ないはずなのに……。
もしあれが、精霊たちによる意思表示なのだとしたら――。
その声を聞き届けることができるのは、彼女しかいない。
フィルフィーネは目を閉じて耳を澄ませる。
空気を震わせて響く音が、今度こそはっきりと聴こえた。
……殴られた時、一瞬だったけどたしかに感じた。精霊たちの苦しみと悲しみを。
囚われた死者の魂を解放するためには、《影坊主》を倒すことが最善だと思っていた。
契約した魔術師に使役されている以上、平和な方法での解決は望めないから。
でも、それだけじゃまだ最善には届かない。
……精霊たちも被害者なんだ。無理やり契約させられて、知らない世界に連れて来られて、戦いたくもないのに戦わされて……。
「だからあんな風に、哀しそうに泣いてるんだわ」
彼らは昔のフィルフィーネと同じだ。
利用して、利用されて。
自分が不幸になった分、違う誰かを不幸にして……。
そんな負の連鎖から抜け出すことができなかった。
『送り人』だから。
世界のためだから。
そうやって自分の心を偽って。
殺したくもないのに殺してしまった、あの頃の彼女と――。
「このままじゃダメ。こんなやり方じゃあ魂は救えても精霊たちを救えない。それじゃあ昔の私と、何も変わらないっ……!」
誰かを救うための犠牲は、もう二度と許容しないと決めたのだ。
ならばどうするか。
彼らを在るべき場所へと送り届ければいい。
そのために必要な力は、この手にある。
あとは過去の自分を受け入れて、乗り越えるための勇気を、ほんの少しだけ……心の奥底から絞り出すだけだ。
「――『送り人』として、あなたたちを元の世界に送り還してあげるわ」
フィルフィーネは胸の前で槍を掲げる。
もう二度と使うことはないと思っていた力を、いま再び呼び起こす――!
「――天秤機構、解放。フィルフィーネの名において、これより救済を執り行う」
開鍵呪文による使用者の承認。
フィルフィーネの槍が姿を変える。
柄に巻き付けられていた布がはがれ、装飾が先端部へとスライドする。槍の穂先が大きく伸びて湾曲し、三日月の刃が現れた。
フィルフィーネが波紋を撫でると魔力が通い、刃は黄金に色付き輝きを放つ。
これこそが、フィルフィーネの『送り人』としての本来の武器。
魂を選定する執行者の証――。
眩かった翠緑色の髪の輝きは、気付けば穏やかになっていた。
フィルフィーネは軽やかに身を翻す。
まるで神様に舞を奉納する巫女のように、大鎌が流麗に弧を描く。
金色の刃の残像が、偽物の満月を映し出した。
《影坊主》はその輝きにたじろいだ。
あまりの眩しさに目を細めるように、その場に立ち尽くして動かない。
「見届けましょう。汝が命の道行きを――」
フィルフィーネはウサギのように小さく跳ねて、ホップ、ステップ、大ジャンプ。
夜空に流れる星の如く、金色の大鎌と空を駆ける。
「見送りましょう。汝が魂の旅立ちを――」
彼女がやろうとしていることは戦闘ではない。
帰り道がわからなくて泣いている子どもに、そっと手を差し伸べてあげる。
そんな先導の役割を担うべく、《影坊主》に向かって突き進む。
「オ、オオッ……ォオオオオオオオォ――!」
眼前に迫る月の形を模した凶器を、《影坊主》は本能的に迎撃する。
今度こそフィルフィーネを取り込んでしまおうと、伸縮自在の腕を躍起になって飛ばした。
周囲を高速で旋回して死角から襲い掛かって来る両腕を、フィルフィーネは瞬く間に切って捨てた。
くるくると、華麗に――。
ぎらぎらと、苛烈に――。
大鎌が閃くたびに、《影坊主》の両腕が細切れにされていく。
何度腕を再生しようとも無駄だった。
殴ろうとしても、張り倒そうとしても、潰そうとしても、呑み込もうとしても――、フィルフィーネの大鎌は、すべてを刈り取っていく。
「恐れないで。怖がらないで。あなたたちの帰り道は、私が照らしてあげるから」
大鎌を肩から背中に回して持ち上げる。
かき集めた魔力を刀身に乗せ、さらに巨大な刃を形成した。
その大きさは、《影坊主》の巨躯をも凌駕する……!
「因果を断ち切れッ! 『命脈断つ無垢なる大鎌』――!!」
真横に振り抜かれた大鎌が、《影坊主》の胴体を両断した。
『命脈断つ無垢なる大鎌』は、あらゆる‟繋がり”を断ち切ることができる。
フィルフィーネはかつて、肉体と魂の繋がりを断つことで、聖女の命を世界樹へと捧げていた。
今回はその応用。《影坊主》が取り込んでいた死者の肉体と魂を切り離し、魂のみを冥界へと送ったのだ。
魂を失った肉体は、《影坊主》にとっては空っぽになったただの器にすぎない。
結果として、《影坊主》は取り込んでいた魔術師たちを吐き出して、人の形を保てなくなった。
フィルフィーネによって両断された影の体は、最初から何もなかったかのように、音もなく静かに消滅し始める。
「ごめんなさい。私には、こんなことくらいしかできないから……」
フィルフィーネができるのは見送ることだけ。
《影坊主》が吐き出した死体を沈痛な面持ちで眺めながら、彼女は心の中で祈りを捧げる。
どうか彼らの旅路が、穏やかなものでありますように――と。
やがて《影坊主》は消え去って。
最後に残ったのは、青黒く燃える小さな火の玉だった。
『命脈断つ無垢なる大鎌』によって、天多と闇の精霊との契約も断ち切られた。
もう彼らを縛るものはない。
これで元の世界……メルセイムへと帰ることができるだろう。
フィルフィーネが両の手のひらを差し出すと、火の玉はふわりと近寄った。
「精霊は世界から生まれた存在だから……たとえ《転移門》がなくたって、きっと元の場所に帰ることができるはず。だからどうか、安心して眠ってちょうだい」
闇の精霊は彼女の手の上で、ぼおっ、と音を立てて燃えた。
そうしてしばらくした後、火の玉は静かに燃え尽きた。
青黒い残り火が消えゆく最後の瞬間を、フィルフィーネはしっかりと見届けて、
「……どういたしまして」
と、照れくさそうに笑った。
どうやら彼女にだけは、精霊たちの感謝の言葉がはっきりと聴こえていたようだ。
その時、空を映した天井に見慣れた大地が出現した。
まだ戦いは終わっていない。
一体何が起きているのか。
わからないまま、彼女はすぐに走り出した。
待っている人たちがいる、神殿の頂上へ。
「二人とも、どうか無事でいて……!」




