第79話「術式装填」
『ワシにとって魔術が何か、じゃと?』
電話口の向こうで悠真の祖父……藤代誠一郎が鼻を鳴らした。
『ふん、なぜそんなことを訊く?』
「いや、その……なんとなく気になったというか……ちょっと自分を見つめ直したくなったというか……」
歯切れの悪い悠真の返事に、誠一郎は大きく息を吐いた。
『相談事があるならはっきりせんか、まったく……まあよい。ワシにとって魔術とは、単なる‟手段”にすぎん』
「手段……?」
『そうじゃ。昔お前にも教えたとおり、魔術は決して万能ではない。ワシも若いころは色々あったが、魔術によって救えたものもあれば、魔術のせいで失ったものもある。……よいか、悠真。――‟何ができるか”ではなく、‟何をしたいか”が大切なのじゃ』
「何をしたいか……」
『ワシがお前に魔術を教えたのは、あの時のお前に必要なものだと判断したからじゃ。あの時のお前は、今にも自分で自分のことを殺してしまいそうだったからのう』
「え……昔の俺って、そんなにヤバい感じだった?」
『おお、そりゃあもう凄まじい目をしとったぞ。ワシや婆さんが何を言っても無駄じゃったくらいにはな』
「そ、それはなんというか……ご、ごめんなさい……」
『ガハハハハッ! お前から詫びの言葉が出てくるとは! 悠真も大人になったもんじゃ!』
「しょ、しょうがないだろ……! あの時はそれだけ余裕がなかったんだよ。……今日だってそうさ。折角じいちゃんに魔術を教わったっていうのに、肝心な時に何もできなかった。こんなんじゃ、どれだけ魔術を学んだって意味がない……っ」
思わずスマホを握る手に力が入る。
沙希の手を掴めなかったことが、悠真の中で尾を引いているようだ。
誠一郎はうーむ、と唸る。
『……詳しい事情は知らんが、少なくともお前さんは魔術に関しては人一倍飲み込みが早かった。術式の解析精度と速度で悠真の右に出る者は早々おらんはずじゃ。それだけ悠真には魔術師としての才がある。卑屈になるようなことは何もないのじゃぞ』
誠一郎の言葉に、悠真はいまいち頷けない。
才能があると言ってもらえるのは嬉しいが、実力が伴わないのでは宝の持ち腐れだ。
「でも《解析》だけじゃ戦えないよ。俺も他の魔術師みたいに、もっとすごい魔術とかが使えればよかったのに……」
『ん? なんじゃ、お前まさか《解析》をただ術式を読み取るだけの魔術だと思っておったのか?』
「…………え? 違うの⁉」
誠一郎は悠真の心の中を見透かしたようにほくそ笑む。
『ははー、そうかそうか、それでわざわざワシに電話してきおったのか。我が弟子ながらまだまだ未熟者じゃな! ガハハハハ!』
「わ、笑うなよじいちゃん! これでも俺は真剣に考えてだな――!」
『――スマンスマン。まさかお前がそこまで言うようになるとはのう。……さては、負けられん理由でもできたか』
「……うん。そいつにだけは負けられないんだ。絶対に――」
事情は伏せつつ、悠真は決意を言葉にする。
勝ち負けの話だけではない。
天多にはどうしても伝えなければならないことがある。
それを直接、自分の言葉で届けるためには、せめて天多と同じ土俵に立たなければ話にならない。
天多が操るあの‟影”と互角に戦えるだけの力が必要だ。
『ならばよし! ワシがとっておきの魔術を教えてやろう!』
「ほ、ホントに⁉ じいちゃん、俺には必要ないからって《解析》以外はまったく教えてくれなかったのに……」
『実際、お前には《解析》以外ほとんど必要ないからのう』
「……どういうこと?」
『お前は頭が固い。魔力を操り変化させるだけのセンスがない――』
「うっ……」
『――じゃが、それを補って余りある記憶力がある。あとは足りない分を他から調達すればいいだけのことじゃ』
「…………??」
不敵に笑う祖父の言葉に首を傾げる悠真。
およそ十年ぶりに授かった祖父の教えは、耳を疑うものだった。
†
「どうして君が鷹嘴の魔術を使っている⁉」
殺すつもりで放った斬撃を氷の剣にはじかれて、たまらず叫ぶ天多。
それまで余裕綽々だった彼にはじめて焦りが垣間見えた。
間一髪で窮地を脱した悠真は、逆に余裕の笑みを浮かべた。
「お前と違って俺には頼れる仲間がいるってことさ」
「仲間だって……? そんなのがっ、一体なんの役に立つっていうんだッ!!」
振るわれた影の剣から無数の斬撃が乱れ飛ぶ。
悠真は体に魔力を回して身体強化を施すと、斬撃を紙一重で躱しながら一歩ずつ天多へと近づいていく。
頭の中にあるいくつもの引き出しの中から、現状で最も適した術式を選び出す。
術式の演算に脳がフル回転し、全身を魔力が駆け巡る。
熱い。血管が沸騰しそうなほどに、体の内側が燃えるように熱い。
その熱を、その魔力を……すべて左手の指先に集中させる――!
「術式装填――《竜爪蛇火》!!」
「それは、あの女の……⁉」
具現化された竜のかぎ爪が高熱を帯びて、赤燐のごとく真っ赤に染まる。
悠真は躱し切れない斬撃を赤熱の爪で焼き切った。
フラートは両手で自在に操っていたが、悠真のそれは左手だけだ。
それでも、今の悠真にとっては非常に頼もしい武器である。
悠真は左手の指を揃えて構え、天多へ突貫する。
――あたしの魔術を使って負けたら承知しないんだから。
……あぁ、わかってる。あの鷹嘴と渡り合った魔術師の自慢の魔術だ。これで負けるほうが難しいってモンだ!
「さぁ、今度はお前が逃げ回る番だッ!」
「何だよそれ……何なんだよお前はァ――!!」
気が動転し、焦った天多はムキになって斬撃を飛ばし続けた。悠真のことをめちゃくちゃに切り刻んでやりたいという気持ちだけが先走ってしまっている。
苦し紛れに振るわれた剣の軌跡は、悠真から見てかなり酷いモノだった。
悠真が祖父に教わったのは魔術だけではない。精神と肉体を同時に鍛えるにはこれが一番だと、剣道も一通り叩き込まれたのだ。
もちろん、本気で剣の道に打ち込んでいる同年代の学生たちには及ぶはずもないのだが――。
剣の心得がない天多のそれは、チャンバラごっこもいいところだ。
「はっ――! だぁあああ!!」
空気を焦がすほどの爪撃が、宙に赤い軌跡を描く。
まるで花火のような、一瞬のきらめき――。
悠真が使う《竜爪蛇火》の刃渡りはおよそ三十センチ。フラートのような伸縮自在とはいかなくて、無理やり魔力を押し固めて作った偽物の爪飾が熱を帯びている状態だ。
刻印を用いていない分魔力消費は激しいが、おかげで強度だけはフラートのそれに勝るとも劣らない。
とはいえ、飛んでくる斬撃を脇差で斬り落とすような無茶をしていることに変わりはない。
もし少しでも斬撃の軌道を見誤るようなことがあれば、その瞬間――悠真の左腕はバッサリだ。
そんな最悪な事態が頭をよぎっているだろうにも関わらず、悠真の口元は緩んでしまう。
……こんなのに後れを取ってるようじゃ、じいちゃんに怒られちまう!
素人の太刀筋ほどわかりやすいものはない。
天多の振り上げた剣が斬撃を放つまでのコンマ数秒の間に、悠真はすでに迎撃の体勢を整えている。
最小限の動きで避けられるものは無視して、接近するのに邪魔な斬撃のみを切り落とす。
走る。切る。弾く。躱す――。
悠真の一連の行動が、着実に天多をチェックメイトへと追い詰めていく。
チッ――、と天多は舌打ちをした。
「近寄らせさえしなければ、そんな魔術なんかに……っ!!」
「――逃がすかッ!」
後退する天多を追って、悠真は床を蹴って走る速度を上げた。
……なんだか、体が軽い。
魔力を消耗し、身体には相当な負担を掛けているはずなのに。
全身は燃えるように熱いのに、思考は冷たくて、外の音がまったく気にならない。
感覚が研ぎ澄まされ、一秒が何秒にも感じられた。
走りながら脳裏をよぎるのは、電話での祖父とのやり取りだ。
――《解析》で読み取った術式は、基本的にはその場限りで使い捨てられるものじゃが……お前は全部覚えておるんじゃろう、悠真。
告げられた祖父の言葉に最初は驚いた。
なぜなら、それが当然のことだと思っていたから。
一度読んだ本を忘れない人がいるように。
一度見た人の顔を忘れない人がいるように。
藤代悠真は、《解析|》《・》した術式をすべて記憶している。
――記憶した術式を復元し、自分が扱える範囲の出力に書き換える。そうすれば、お前はどんな魔術でも扱うことができるはずじゃ。
魔術と術式の関係は、数学における数式と解答のようなもので。
同じ術式を用いれば、出力される魔術が同じになるのは当然のこと。
まさかそんな簡単な話だったのかと、半信半疑で試してみれば誠一郎の言ったとおりだった。
澪依奈とフラートから借り受けた魔術は、悠真でも十分制御することが可能だった。
だが、やはり付け焼刃には変わりない。術式の理解度不足や、魔力操作の技量不足などはいかんともし難いものがあった。
結果として、氷の剣を同時に扱えるのは二本が限度だし、赤熱の爪は片手だけで精一杯。
……ただ魔術を維持してるだけなのに、全身からどんどん力が抜けていくみたいだっ……。みんなは普段からこんなことしてたのか……!
思い返してみれば、戦う彼女たちの姿は悠真にはとても眩しく映った。
どうしてそう見えたのか――いざ自分が同じように魔術を行使してみて、はじめて理解することができた。
比較的簡単な魔術でさえこれなのだ。
彼女たちがあの領域へと至るまでに、一体どれだけの研鑽を積み重ねてきたことか。
……それに比べたら、こんなのは朝のジョギングみたいなものだ――っ!
「はぁあああああああああああッ!!」
「くるな……っ、来るな来るな来るなァアアアアアアアア!!」
逃げていたはずの天多は、突如反転してこちらへ向き直る。
斬撃では止められないと悟ったのか、天多は影を剣から鋏へと切り替えた。
もはやギロチンと呼んだ方がいいレベルのバカデカい鋏を、天多は悠々と持ち上げて、勢いよく閉じた。
巨大な刃が左右から悠真に襲い掛かる。
てこの原理を最大限に生かした鋏の切れ味は、人体の骨などたやすく切断してしまうだろう。
《竜爪蛇火》で受け止めるのも不可能だ。
いいや、そもそも悠真は止まらない。
この程度では、止められるはずがない!
「とおうッ――!!」
高速で閉じようとする鋏を、走り幅跳びの要領で跳び越えた。
日本新記録もかくやという飛距離を見せる中、悠真は固く握った拳を振りかぶった。
放物線を描く着地点には、それを叩きつける相手が立っている。
「これは沙希を泣かした分だっ! 受け取りやがれええええええええええ!!」
「ぐっぼおああぁっ…………!」
魔力と推力と、魂のこもった渾身の一撃が天多の右頬にめり込んだ。
その拳は、天多が今まで味わったどんな一発よりも重く、身体の芯に響くいいパンチだった。
殴り飛ばされた天多の体が神殿の床を転がって、屋根を支える柱に背中を強く打ち付けた。
「が、はっ――――」
肺から強制的に空気が吐き出される。
ちかちかと明滅する視界の中、恨みがましく悠真に手を伸ばしたところで、天多は気を失った。
悠真はじんじんと痺れるように痛む右手を見つめて、やってやったぞ、と口角を吊り上げた。
「はぁっ、はぁっ、……どんなもんだ、チクショウッ……!」
気絶した天多に向かって、悠真は勝鬨を上げた。
悠真は魔術師としては間違いなく天多よりも未熟だった。
年齢もまだまだ大人未満で、精神だって成熟しきってはいない。
間違いなく、この場で最も分不相応な存在――それが、藤代悠真という人間の絶対的な評価。
「あづッ――!」
《竜爪蛇火》の解除と同時、悠真は痛みに顔を歪めた。
慣れない魔術の連続行使に身体が悲鳴を上げている。
過分な魔力に神経を焼かれたが、気合で我慢することにした。
左手の火傷は名誉の負傷だと自分に言い聞かせて、熱を冷ますようにパタパタと振ってみるが、痛みが和らいだりはしなかった。
……時間がなくて事前に試せなかったとはいえ、一発勝負の割にはかなり上手く行った方だろ。この程度の怪我で済んでよかった……。
「――早くっ、沙希をあそこから下ろさなきゃ……」
十字架にはりつけにされた妹を解放しようと、悠真は天多に背を向けて歩き出す。
魔力と体力を消耗した体には、まだ熱が燻っている。
うるさい心臓の音と、せわしない呼吸に気を取られて、悠真は気付かない。
ゆらり――。
視界の外で音もなく立ち上がった天多の足元には、あるはずの黒い影がなかった。




