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第77話「名も無き魔術の存在証明」

 神殿の最上階、その中央部には十字架の形をしたモニュメントがあった。宗教的な象徴を思わせる造形をしてはいるが、これはまったくの別物だ。

 十字架にはいくつもの線が刻まれている。縦に伸びる太い線と横に伸びる細い線があり、線の連なりは大樹と枝葉を連想させた。

 抽象的なデザインだが、見る人が見れば同じものを連想するだろう。

 

 そう――これは、世界樹を模して造られている。


 刻まれた線は十字架から神殿の床を這って、魔法陣へと連結されている。

 問題なく稼働する魔術機構システムと、過不足なく供給され続ける魔力。

 多少計画の遅延はあったかもしれないが、すべては想定の範囲内。

 天多は思考を次の段階へと切り替える。


 「ようやく僕の理論が実証される。僕の魔術を……僕の存在を証明することができるっ! 聖女の魂の器として手伝ってくれたお礼だ。君は特等席で僕の魔術を見学するといい」

「……………………」


 十字架に縛り付けられた沙希は何も言わない。

 こんな状況で図太くも眠ったと思えば、いつの間にか目を覚ましていた。

 自分の身体から何かが抽出されているような違和感に耐えながら、ただまっすぐに一点を見つめている。


 ……気味が悪いやつだ。本当にあれから一言も喋らない。魔術が使えないとはいえ、彼女も魔術師の家系の娘だ。肝が据わっているのか、それとも単に諦めただけなのか――。


 いいや、そうではない。

 あれは諦めた人間の目ではない。

 他人に絶望し、現実を諦観した人間の目はあんな風に澄んではいない。もっと光を失ってにごるはずだ。

 そもそも彼女は一体どこを見ているのか。

 沙希の視線が階段へと伸びていることに気づき、天多も遅れて理解する。

 彼女は待っているのだ。自分が最も信頼する存在があそこから現れるのを、今か今かと待っているのだ。

 階段を上って来る足音が聞こえた。

 

「……あれだけ言ってやったっていうのに、懲りない奴だ」


 足音の主が勢いよく神殿内部へと飛び込んでくる。

 苦しそうに肩で息をしながらも、その眼はまっすぐに沙希の姿を捉えていた。

 待ち人の到来に、沙希は目をうるませて、力いっぱい叫んだ。


「――遅いよ、お兄ちゃん!」


 沙希の無事を報せる言葉は、待ちかねた相手への憎まれ口に取って代わった。

 悠真は少し驚いた後、ははっ、と笑った。

 言いたいことも、言うべきこともたくさんあった。

 でも沙希の顔を見たら、そんな細かいことは全部忘れてしまって――。


「……待たせて悪かったな、沙希……!」


 待ち合わせの時間に遅刻してしまったかのような、申し訳なさそうな笑みを浮かべるのだった。

 

きみ一人か。姉さんたちはどうした」

「……? お前がセルシウスに足止めするように言ったんじゃないのか」

「セルシウスだって……? どうしてそこであの女の名前が出てくるッ――⁉」


 天多は血相を変えて取り乱す。演技ではない。まるで導火線に火がついたかのような怒り方だ。

 悠真はてっきり天多が〈協会〉の魔術師と手を組んでいるものとばかり思っていたが、どうやらそうではないらしい。


 ……じゃあどうしてセルシウスは俺たちの邪魔を……?


 理由はわからないが、ともかく天多とセルシウスが手を組んでいるというワケではないらしい。

 だったら、いまここで沙希を助け出すことができれば、二人の思惑を同時に潰せるということになる。

 俄然やる気が湧いてくるというもので、悠真はしたり顔でこう返す。


「俺が知るワケないだろ。そんなことより沙希は返してもらうぞ」

「妹を殺した張本人が何を偉そうに……。まあいい、姉さんたちがいないなら僕にとっては好都合だ。あの人たちの相手をしながらはさすがの僕も骨が折れる」


 天多は魔法陣の中央に立ち、懐から何の変哲もない一本の木の棒を取り出した。長さは三十センチほどで、枯れた枝のようにも見える。


「ふっ――!」


 木の棒を魔法陣に突き立てる。すると、たちまち木の棒が成長し、魔法陣に根を張った。

 悠真が木の棒だと思っていたものは、木の根だったようだ。


「一体何を……⁉」

「何って、もちろん準備だよ。君も一度目にしたはずだ。この忌まわしい樹が便利な道具として扱われている様をね」

「見たことがあるって……――ッ⁉」


 悠真の脳裏をよぎったのは数日前、『オール・モール』での出来事。

 クライスが操っていた大蛇……その大本となったとされる、とある大樹――。


「――まさか、そいつも世界樹か⁉」


 答え合わせをするかのように、世界樹の根が魔力を吸い上げ一回り大きくなる。


 ……クソッ! もしかしてまた《貪婪なる蛇(あれ)》が出て来るんじゃ……!


 地鳴りに備え身構える悠真。けれど、どれだけ待ってもあの時のような揺れがやって来ない。

 代わりに、沙希の絶叫が響き渡った。


「あっ、あぁ……あぁあああああああぁ……!!⁉」

「さ、沙希ッ⁉ お前っ、沙希に何をした!!」

「世界樹の根と聖女の魂をリンクさせたのさ。これでメルセイムにある世界樹本体が彼女のことをはっきりと認識した。自分よりも上位の存在に常に視られているという感覚は、さぞおぞましいものだろうね」

「世界樹が、沙希を認識……? 何を今更……世界樹が沙希を聖女に選んだんだ。認識してないほうがおかしいだろ」

「そういうことじゃないんだけど……まあいいか。説明するのもめんどくさいし。とにかくこれで、メルセイムにある世界樹がこの世界に居る聖女――藤代沙希のことを認識した。世界樹は聖女の力を取り込もうと、彼女を観測し続ける」


 別世界の隔たりを超え、世界樹は聖女を観測し、聖女は世界樹を観測した。

 相互観測の原則により、両者の存在を二つの世界が保証する。


 ――これにより、こちら側の世界の魔術は藤代沙希を媒介として世界樹に干渉することが可能となった。


「空間座標の固定は完了。陣は敷いたし、被照準機アンカーも正常に稼働中。あとは、魔術を起動するのに必要な魔力を調達するだけ――」


 ……本当は姉さんたちにも見せたかったんだけど、もう始めてしまおうか。どうせどこにいたって見られるんだから。


「――排出」


 そうつぶやくと、天多は影の中から何かを引っ張り出す。ごろりと魔法陣の上を転がったのは、生気を失った志摩宗慶の体だった。

 悠真はそれが誰なのか知らない。

 知らないが、天多が懐からナイフのような凶器を取り出したのを見て、いても経っても居られずに叫んだ。


「やめろ天多! もうこれ以上誰も殺すな!!」

「いまさら遅いんだよ。……どうせもう――これは死んでるんだから」


 天多は握ったナイフを無造作に宗慶の心臓に突き立てた。仮死状態で保存されていた宗慶の肉体が跳ね、口から大量の血を吐いた。抉られた胸からもおびただしい量の血が流れ出る。

 目の前で繰り広げられるおぞましい儀式を、悠真は黙って見ていることしかできなかった。

 宗慶の血は天多の描いた魔法陣をなぞるように広がっていく。

 血を浴びた魔法陣が赤く染まり、より強烈な輝きを放ち始めた。


 天多が使ったのは、『境界を標す器(ディサイダー)』と呼ばれる魔術道具。魔術師が契約を結ぶ際に用いるものだ。

 魔術における契約の原則として、血を媒介に交わされた契約は同じ血を持つ者でなければ破棄することが適わない。そのため、志摩家と鳴滝の土地が交わした契約を破棄するためには、宗慶の存在が必要不可欠だった。

 だが、いくら天多が脅したところで宗慶が自ら契約を破棄するはずがない。

 ゆえに天多は『境界を標す器』に宗慶の血を吸わせ、この場で無理やり契約を破棄させた。

 これで管理者は不在。おまけに志摩家の当主もすでに死亡している。


 現状、同じ志摩の血を持つ天多が新たに土地との契約を結び直すことは、非常に容易いことだった。


「当主、志摩宗慶の血をもって、ここに契約を改める――」


 ナイフの柄に付いた宝飾が明滅する。

 天多は自ら指を切ってその血をナイフに吸わせると、神殿の床に突き刺した。

 刺された箇所から魔力が伝達し、遥かな地中にある霊脈がこれに応えた。


「我、志摩天多が新たな管理者となりて、この地を治めん――」


 『鳴滝の管理者』が持つ権限は主に二つだ。

 一つは外部からの侵入者を検知できるというもので、これに関してはもはや大した意味を持たない。

 なぜなら、この土地はすでに異世界からの来訪者であふれかえってしまっている。いまさら一人二人検知できたところで何の意味があるというのか。

 肝心なのは二つ目。

 単純にして明快な資産。

 一個人が所有するにはあまりにも大きすぎるリソース――。


 ――霊脈を流れる魔力の運用権だ。


「我が意によりて、此処ここに全てを束ねよ」


 周囲の裂け目から魔力が噴出する。行き場を失った大量の水が、出口を求めてさまよっているかのようだ。

 悠真は直感的に理解する。

 あれは余剰分だ。霊脈を流れる魔力がここに集まろうとしてはいるものの、一度に供給できる量に限りがあるせいで、ああして霊脈の裂け目から魔力がこぼれ落ちてしまっているのだ。


 天多がやろうとしているのは、それほどの大規模魔術。

 止めるなら今しかない。

 頭ではわかっているのに、悠真の足は動かない。

 緊張と焦り。それに加えて、心の奥底にはほのかな高揚感があった。


 ……止めないと。でもどうやって? わからない。じゃあ、もっとよく観察してみないとダメだよな……そう、もっとよく視るんだ……だって、視てみたいじゃないか。


 本音と建前が入り混じる。

 悠真は、目の前の魔術に興味を抱いていた。

 この魔術は、志摩天多という魔術師が生涯を捧げた傑作だ。

 子どものころから術式の解析ばかりしてきた悠真だからこそ、この魔術の素晴らしさが……執念が理解できる。

 解析するまでもない。

 この魔術は間違いなく、魔術師に残る偉業となる。

 

 ――この偉業を、見逃したくない。


 これが、藤代悠真のエゴ。

 魔術に魅入られた少年の、初めての我儘わがままだった。


「地の底に在りては空を映し、空に在りては大地を映す。彼方かなたより此方こなたへ、此方より彼方へ。虚無かこを満たし、虚構しんじつを記せ――」


 詠唱が始まった。

 魔法陣が魔力を回し、刻まれた術式が躍動する。

 世界樹の根はさらに成長し、神殿を丸ごと飲み込んでいく。文明が終わり、自然へと還るかのように――。


 ――半身よ、聖女はここだとうたっている。


「巡り巡りて生命いのちとなれば、とうとき視座にて輪廻を見渡す。異なる時空とき、異なる世界の狭間を超えて、汝が豊穣をこの世界にもたらし給え――!!」


 魔法陣の中心……天多が突き立てた世界樹の根から一筋の光が夜空へと伸びた。

 地下の天井を突き抜けて本物の夜空が揺らぐ。

 ここは星の中心に最も近く、あの空は星の中心から最も遠い場所。

 それは地上と宇宙とを隔てる、この世で最も曖昧な境界線。

 地下の天井に空が映ったように、今度は地上の空に大地が映った。

 夢でも幻でもない。

 逆さまになった大地が、夜空の向こうにはたしかにあった。


「さぁ、見るがいい!! これが、僕の魔術師としての証明……僕だけの召喚術だッ――!!」


 空に映った荒廃した大地……その中心にそびえ立つ一本の樹を見て悠真は確信する。

 あれこそが、マナの恵みをもたらす生命の樹――世界樹であると。 

 天多の召喚術により半ば強制的に呼び出されたそれは、メルセイムと呼ばれるこの世界とは異なる世界だ。

 境界線を越えて現れた異世界はゆっくりと、だが着実に、この世界へと落ちてくる。


 この世の終わりのような光景を前にして、悠真は思わず苦笑する。

 あれはそういうことじゃないだろ、と自分で自分にツッコミを入れながら、この状況にあまりにもピッタリなその言葉を口にした。


「――異世界、召喚……!」


 二つの世界が重なってしまうまで、残された猶予はあとわずか――。

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