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第76話「姉妹の逆鱗」

 切り拓かれた地下大空洞は空間を歪めて作られている。

 そもそもがここまで下りてきた深さと天井の高さが釣り合っていないのだ。目に見える距離感はあまり信用ならない。

 この階段も同じだ。上っているようで上っていないように感じて、だけど振り返れば地面はちゃんと遠い。間違いなく上っているはずなのに……疑えば疑うほど階段を上る足は重くなり、目的地が遠ざかるような錯覚に襲われる。

 無駄に広すぎる階段の幅と、階段脇の排水溝のようなデザインにも何か意味があるのではないかと深読みしてしまうほどだ。


 懸命に階段を駆け上がる悠真は、背中越しの視線に気づいて振り返る。


「ど、どうかしましたか……えっと、志摩さん……?」

「茜音でいいわ。朝音が一緒だと紛らわしいでしょ」

「じゃ、じゃあ茜音さんで……」

「それで構わないわ。私も悠真君と呼ぶから」

「は、はいっ」


 有無を言わさぬ決定に、悠真は強く頷いた。


 ……な、なんかこの人苦手なんだよなぁ。雰囲気が怖いというか、無礼なことしたら怒られそうで……。


 端正な顔立ちに気品ある風貌。優美なドレス姿に眼鏡の奥にある凛々しい瞳。自分の格好と比べても、まるで貴族と平民だ。

 普通に会話しているだけなのに、悠真の全身にはぎこちなさが付きまとった。

 茜音は小さく頷くと、視線を下ろしたまま何事かを口にしようとした。

 そこへ――、


 「ちょっとお姉ちゃん!」


 朝音が横から話に割って入った。


「本気なの? さっき言ったこと」

「……何のことかしら」

「とぼけないで! 本気でたーくんを殺すつもりなのかって聞いてるの!」


 普段の彼女からは想像もつかない剣幕に、なぜか悠真がそわそわしてしまう。

 茜音はそんなわかり切ったことをいちいち訊くなといわんばかりに、大きなため息をこぼした。


「大声で怒鳴るんじゃないわよ。本気なはずないでしょうが」

「……じゃあなんであんなこと言ったの」

「あの子の行動を制限するためよ。私が煽ればあの子は必ず乗って来る。……予想通り、あの子の怒りの矛先は私の方を向いてくれた」

「……お姉ちゃん、まさかとは思うけど自分一人がたーくんに恨まれればいいと思ってない?」

「………………」


 朝音の問いに茜音は答えない。

 天多の計画を阻止して沙希を無事に助けたとしても、志摩家の物語は終わらない。ただ力で屈服させるだけでは、その後の人生に大きな禍根を残すのは目に見えている。

 そうならないために、茜音は天多の恨みを一手に引き受けると言うのだ。家のことや今回の騒動の責任も、すべて一人で背負う覚悟で。

 浅はかな姉の考えに双子の妹は、


「ほんっっと、茜音お姉ちゃんは頭でっかちなんだから」


 と怒るでもなく呆れたように肩をすくめた。


「全部一人で勝手に決めちゃってさ。そんなんだから、たーくんに嫌われるんだよ」

「あ、あなたが言えたことじゃないでしょうが! ……今回のことは、誰かが責任を取らなくちゃいけない。これが一番合理的なのよ。わかるでしょ」

「わかんない。全っ然わかんないッ! 嫌なこととか面倒なこと全部お姉ちゃんに押し付けて、それで私が納得できるワケないじゃん! ……私はもう、無関係なフリしないって決めたんだから……!」


 茜音の言い分は論理的で、合理的だ。だけど肝心な部分が足りていない。目の前の問題にばかり気を取られ、最も大切なことを見落としてしまっている。

 正解のように思える選択肢が、必ずしも最善ではないということを――。


「みんなで一緒に考えようよ。それが家族ってもんだよきっと。だよね、兄くん」

「……そうですね。俺もあんまり偉そうなことは言えないですけど、思いやりはちゃんと口にしないと伝わりませんから」


 納得のいかない解答を苦い顔で飲み下すよりも、困難な道を手を繋いで歩く方がいい。

 迷っても、間違っても……それでも一緒に歩いていくのが家族なんじゃないかと、朝音は思った。


 ……あぁ、私は無意識のうちに同じ間違いを繰り返していたんだわ。


 茜音はコミュニケーションが苦手だ。

 価値観の定規を他人に合わせることができないのだ。


 良かれと思ってやったことが余計なことだった。

 良かれと思って言った言葉が余計な一言だった。


 そんな失敗を何度も繰り返した。

 他人の気持ちがわからないから傷つけてしまう。なら、傷つけてしまわないようにするためには、心を読めるようになるしかない。

 だけどそんな魔術はどこにもなかった。

 思考を読める魔術があるにはあったが、読めたところで他人の機微を察することができないのでは同じことだった。

 魔術しか取り柄のない自分には、この問題を解決する術がなかった。


 そうして、茜音は自分の気持ちを素直に口にしなくなった。

 他人を傷つけるくらいなら、自分が傷つくほうがマシだから。


 ――だけど、それさえも間違いだった。


 結果として、茜音の行動は天多を追い詰めてしまった。

 失敗しても怒られず、成功しても褒められず。

 ただ‟できる”という信頼のみが、彼に重くのしかかった。

 言ってもダメ。言わなくてもダメ。

 他人とのコミュニケーションとは、茜音ほどの天才をもってしても困難極まりないものだった。


「……ごめんなさい。私には魔術の才能はあっても、他人の気持ちを推し量る才能はなかったみたいだから」

「そんな才能なんて、多分誰も持ってないと思いますよ」

「え……?」

「他人の気持ちなんて本人にしかわからないんですから、深く考えたって無駄なんです。だからみんな勝手に想像するんです。まあ、そのせいでケンカにもなったりもするんですけど……でも、それでいいんだと思います」


 悠真は沙希との日常を思い返す。

 些細なことで言い争いをした。

 何日も口を利かない日もあった。

 けれどふとした瞬間に、なぜあんなことに腹を立ててしまったのかとバカらしくなって――。


「怒らせたり傷つけたりしてしまったのなら、ちゃんと謝って仲直りすればいいんです。だって、家族なんですから。できないってことはないと思います」


 ……俺たちがそうだったから。


 悠真の言葉に茜音は胸を打たれ葛藤した。

 魔術師としての立場を重んじるべきか、それとも姉としての自分の気持ちを優先するべきか。

 いや、この二つはきっと両立できるものだ。

 彼女の中ですでに答えは出ている。

 ただ、茜音がそれを口にするのを躊躇ためらっているだけ。

 朝音は彼女の心の中を見透かしたかのように、にんまりと笑った。


「お姉ちゃんは、どうしたいの?」

「……天多に謝りたい。謝って、仲直りして……ちゃんと罪を償わせてやるわ」

「――ぷっ、あははははは! よく言った! それでこそ茜音お姉ちゃんだよ!」


 親指を立てて笑う朝音にイラッとした茜音は、容赦なく魔弾を発射した。


「いたっ、イタタタッ! ちょ、お姉ちゃん魔弾はやめて! マジで痛いから!!」

「調子に乗った罰よ。あとなんかムカついた」

「なんでえーーーーーーーー!?」

「ははは……」


 じゃれ合う姉妹の姿にほっと胸を撫で下ろしつつも、随分偉そうなことを言ってしまったなと思う悠真。


 ……そういえば、沙希とケンカしたときはいつも沙希の方から謝りに来てたような……。なんだ、やっぱり俺の方があいつに助けられてたんじゃないか。


 茜音にああ言ってしまったからには、悠真も実践しなければならない。

 まだ少し恐いとは思う。

 でも、もう逃げるのはやめた。

 疲労が取れたおかげか、遥か彼方のように思えた最上階も目と鼻の先のように思えた。

 見上げた視界に、煉獄をその身に纏ったような女性が映らなければ――。


「おっ、やっと話が終わったか。いやー、いい話だったぜ。退屈すぎて肩凝っちまうくらいにはな」


 神殿のピラミッド部分の外壁に腰を下ろしていた彼女は、おもむろに立ち上がると一段ずつ階段を下りて来る。

 無防備にも徒歩で近づいて来る相手に、志摩姉妹も身構えることはしない。ただ不躾な輩を相手に、冷ややかな視線を向けるのみだ。

 赤と黒の混ざった髪に、特徴的なサングラス。

 フィルフィーネから聞いていた話通りの外見だ。疑う余地はない。


「お前がセルシウスか……!」

「あれ、私のことすでに知ってるのか。――でも名乗っちゃう! 私が名乗りたいからな!」


 両手を広げて高らかに宣言する。


「〈世界管理保全魔術師協会〉所属の上級魔術師、『六界』が一人セルシウス! 人は私のことを、『閃火の魔術師』と呼ぶ!!」


 ――どーんっ!! ……とセルシウスの背後で爆炎が上がる。彼女が自分で起こした演出用の爆破魔術だ。

 魔術師にあるまじき名乗りに困惑する悠真と、特撮のような演出に興奮を隠せない朝音。

 ノリについていけない……というより、ついていく気のない茜音は悠真に事前に確認を取る。


「念の為聞いておくけど……あれ、君のお知り合い?」

「いいえ。フィルフィーネが夕方学校に駆け付けようとしたとき、あいつに足止めされたって言ってました」

「へぇ、そう……じゃあやっぱり‟敵”でいいわね」


 確認は済んだ。あれは堂々と失言してもいい相手だ。

 茜音はポーズを決めたまま恍惚とした笑みを浮かべるセルシウスに向かって、冷ややかな笑みをプレゼントする。


「ふふ、恥ずかしい呼び名だこと」

「……あぁん? それ私に言ってんのか?」

「あなた以外にいないでしょうに。あぁ、もしかして恥ずかしい呼び名だという自覚があったのかしら。だとしたらごめんなさい。私って正論ばかり口にしてしまうの」

「はっ、それで煽ってるつもりかよ。このセンスがわからねえなんて残念なヤツ……ん? おい、ちょっと待て。まさかお前……ハーゼか?」

「ひっ…………せ、セルシウス様……?」


 朝音の背後で息をひそめていたハーゼを見つけて、セルシウスは目を見開いた。

 あれがハーゼ本人だと確信したセルシウスは、茜音に対して抱いた苛立ちなど一瞬で忘れてしまったかのように大いに喜んだ。


「おおおお! やっぱりハーゼだったか! いやあ、最近姿を見ないから心配してたんだが、そうかそうか……お前もそっち側についたのか」

「ち、ちがっ……違うんですセルシウス様! わた、私はあくまで〈協会〉の使命のために、一時的に協力しているにすぎなくて……!」


 ハーゼは恐怖に体を震わせながらも、現状を説明しようと必死に口を動かした。

 けれどセルシウスは、興味ないと言わんばかりに右手をひらひらと振る。


「あぁ、べつに理由とかどうでもいいから。〈協会〉から『運び屋(あんたたち)』に出てた指示は『帰還、もしくは待機』のはず。――誰が自分の判断で勝手に動いていいっつった?」

「あ――そ、それ、は…………」

「私らの指示に従わないゴミなんて要らないんだわ。要らなくなった道具がどうなるかわかってるよなぁ、ハーゼ?」

「……い、いや…………やめてっ……」


 セルシウスの細い指先に魔力が収束し熱を帯びる。

 詠唱など必要ない。火の性質を持つ自らの魔力を集めて放つだけ。

 役立たずの『運び屋』を灰に帰すにはそれで十分だった。


「逃げろハーゼッ――!!」

「…………⁉」

「もう遅い」


 セルシウスの指先から放たれた熱線が、ハーゼを貫いた。

 ――かのように見えた。


「…………え?」


 心臓を貫かれたはずのハーゼの体からは、血が一滴も流れ落ちていなかった。

 悠真が目を凝らすとハーゼの体は陽炎のように揺らいで、そのまま虚空に溶けて消えてしまう。


「チッ、魔力体による分身か。さては最初から本体はここに来てねえな? 相変わらず逃げるのと隠れるのだけは手が早いヤツだ」


 セルシウスの独り言が耳に入り、悠真は胸を撫で下ろす。

 ここまでの道案内だけでも、ハーゼは十分な助力してくれた。敵対する組織の一員とはいえ、目の前で死なれるのは悠真の本意ではなかった。


 ……本人がどこかで無事ならそれでいい。生きて帰れたら、ちゃんとお礼が言いたいしな。


「事情は知らないけど、内輪揉うちわもめなら他所でやってくれない? 私たち、先を急いでるんだけど」

「こいつは失敬した。私の監督不行き届きだったもんでつい、な。まあハーゼのことはあとで見つけ出して殺すとして……悪いけどアンタら二人は行かせられない」

「……私とお姉ちゃんだけ? なんで?」

「アンタらはかなりデキるヤツらだ。あのガキを力ずくで黙らせるくらい造作もないだろ。でもそれじゃあ私が困る。だから行かせられない」


 ――ピクリ、と茜音の眉がつり上がる。


「それじゃあ、彼は通ってもいいのね?」

「好きにしていいぜ。どうせそいつじゃあのガキは止められない。むしろやる気を出してくれるかもだ。あのお子ちゃまは、なぜかそいつのことを目の敵にしてるからな。もしかすると同族嫌悪ってヤツかもな! カハハハハハッ!」


 ――チッ、と朝音が舌打ちをした。


 大声で笑うセルシウスに、姉妹は目に見えて苛立ちを募らせた。

 それは悠真も同様で、何がおかしいのかはわからないが、その笑い方がどうにも鼻についた。


 ……完全になめられてるな俺。正直ムカつくし一言言い返してやりたいところだが……でも今はそっちのほうが都合がいいか。


 怒りをぐっとこらえる悠真に、茜音はとても穏やかな口調で言った。


「悠真君、悪いけど先に行っててくれないかしら」

「あ、茜音さん……?」

「私たち、あいつにちょーっと聞きたいことができちゃったからさ」

「朝音さんまで……一体どうし――っ」


 いつもと変わらぬ二人の口調。なのに言葉の端々からは、怒りや憎しみのような感情が色濃く表れている。

 気安く声を掛けることさえはばかられた。

 まさに鬼気迫る二人の柔和な笑みを前にしては、悠真はただ頷くしかない。


「わ、わかりました。この場は頼みます。天多のことは俺に任せてください」

「えぇ、お願いするわ」

「たーくんによろしく~」


 そうして悠真は再び階段を駆け上がり始めた。

 セルシウスの横を通り過ぎるとき、彼女は悠真のことを少しも気に掛けている様子はなかった。

 姉妹の射殺すような視線を浴びて、心地よさそうに笑っている。

 一体何が彼女たちに逆鱗に触れてしまったのか。

 気になった悠真がちらりと後ろを振り返ろうとした、その瞬間――。


 ――空気が膨張して爆ぜ、これを光が切り裂いた。


 見なくてもわかる。彼女たちの戦いが始まったのだ。

 悠真は悟る。あの場に自分が居ては、間違いなく足手まといだったと。

 ならばこそ、自分はやるべきことに集中するべきだ。


「待ってろよ、沙希――!」


 首を持ち上げ前を向く。

 目指すは神殿、その最上階だ。

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