第75話「はじめての姉弟ゲンカ」
満面の笑みで物騒なことを言う朝音。
天多は目の前の横暴すぎる生き物に憤り怒鳴り散らした。
「い、意味が解らないッ! なんでケンカ⁉ どうしてそんなバカげた話になるのさ⁉」
「いやぁ~、一度やってみたいと思ってたんだよねぇ。拳と拳で語り合う――みたいなやつ」
「相変わらずふざけたことを……!」
「ふざけてなんかない。私はいたって大まじめだよ」
そう、これは必要な工程だ。
魔術師なんて面倒なものになってしまった彼女たちが本音をぶつけ合うためには、言葉だけではまるで足りない。
――魔術師ならば、魔術で示せ。
彼女の知らない彼を知るためには、それがもっとも効率的だ。
朝音は身構える。
本気で天多を打ち負かすべく、身体に熱を入れて魔力を巡らせる。
「たーくんのやってることは間違ってる。だからお姉ちゃんとして、ちゃんと叱ってあげる」
「…………そうか」
天多は理解する。
――この女は、やはり何もわかっていないのだと。
「……言うに事欠いて『間違ってる』だと? ――それはこっちの台詞だろうがッ!!」
何度も味わって来た屈辱の味。これはその中でも最上級だ。
一方的に不適格の烙印を押した側の人間が、我が物顔で手を差し伸べようとしてくるその傲慢さに、天多は吐き気を催す。
これはダメだ。
もう耐えられない。
許して欲しかったんじゃない。
ただ、認めて欲しかっただけ。
……僕のことを、魔術師として認めて欲しかっただけなのに――!
「……いいよ。だったらちゃんと殺す気で来て。じゃないと僕が、朝姉を殺しちゃうからさ――ッ!」
姉弟としての会話が終わり、二人は魔術師としての顔をする。
天多の足元にある影がうごめき、平面から立体へと形を成す。六つの影がそれぞれ人の姿を形作る。
天多が学校で見せた六体の《影法師》だ。
「あれがフラートの言ってた実体のある影……すごい魔力だわ」
「あぁ、気を付けろよ。一体でもかなり手ごわい相手だぞ」
……たしかに手ごわそうだけど、なんとなくどこか妙な感じがするのはなんでなのかしら……。
「――やれ、《影法師》!! 調子に乗ってる姉さん諸共、こいつ等をズタズタにしてやるんだ!!」
術者の号令に六体の《影法師》が一斉に動き出す。
とっさにハーゼをかばって前に出る悠真と、二人を守るようにして槍を構えるフィルフィーネ。
身内の事情に巻き込むわけにはいかない。《影法師》の攻撃を一手に引き受けようと、朝音が一人飛び出そうとした――その時だった。
後方から飛来した弾丸が、六体の《影法師》を撃ち落とした。
「え……?」
一瞬の出来事だった。
悠真たちの背後で何かが光ったかと思えば、次の瞬間には六つの魔力弾がそれぞれ《影法師》を撃ち貫いていた。
被弾した《影法師》たちは、霧がはれるようにして消えてなくなってしまった。
悠真は背後を振り返った。
何の気配もなかったはずなのに、気が付けばそこに彼女はいた。
地下の大広間には静寂が満ちていて、ゆっくりと……けれど着実に近づいて来る足音に、天多は戦慄する。
天多の天敵にして、最も苦手な上の姉――志摩茜音が現れたのだ。
「そのケンカ、私も混ぜてもらいましょうか」
傲岸不遜な態度に、泰然自若とした声色。
そうだ、これが志摩茜音という人物だったと、天多は頭を抱えたくなる。
まるで今までの話をどこかで見聞きしていたかのような第一声に、朝音は驚きもせず逆に文句を言う。
「茜音お姉ちゃん遅いー。しかも一人でいいとこ全部持ってかないでよ」
「ごめんなさい、ほんの牽制のつもりだったのだけれど……あら、また会ったわね。これで三度目。偶然もここまで重なると運命かしら」
「え、……お、覚えてたんですか、俺のこと?」
「もちろんよ。私、一度会った人の顔は忘れないの」
「それにお姉ちゃんは人を見る目だけは一流なんだー」
「だけは余計よ、朝音。あんたはもう少し顔と名前を覚える努力をしなさい」
「あははー、ごめんごめん♪ 顔はともかく、あだ名で呼ぶ方が楽なんだもん」
姉妹の会話に、悠真はやや置いてけぼり。
しかし彼女たちが嘘を言っているようには見えない。
……ということは、『オール・モール』で会った時も、俺だってわかってて声を掛けてきたってことか? 一度街中ですれ違っただけなのにどうして……。
首を傾げる悠真に、茜音は当然のように言い放つ。
「誠実な人間というのは一目見ただけでわかるものよ。だから、あなたはもっと胸を張りなさい。自信がなくても自信があるように見せなさい。それが男の甲斐性ってものよ」
「は、はい……!」
「よろしい」
茜音は小さく頷いたあと、苦い顔でこちらをにらむ天多に向き直った。
天多は奥歯を噛みしめて、努めて冷静に茜音と対峙する。
「……重役出勤とはいいご身分だねえ、茜音姉さん」
「誰に向かってそんな口を聞いているのかしら。言葉遣いは正しくなさい、天多」
久しぶりの再会だと言うのに茜音の口調は冷たい。
朝音と比べても、茜音はあまり社交的ではなかった。
朝音曰く、『礼儀作法は形だけ完璧で、茜音お姉ちゃんは心がこもってないんだよ、心が』とのことで。
これは昔からちっとも変わっておらず、ブレない茜音の対応を‟冷たい人”だと敬遠する人も少なくない。
そんな彼女に人間としての心構えを説かれているようで、天多は気分をひどく害した。
「……茜姉のそういうところ、昔から大嫌いだったよ」
「そう。私は今でもあなたのことを愛しているわ」
「ぶっ――――えぇっ⁉」
唐突な愛の言葉に、 言われた本人でもないフィルフィーネが驚いていた。
これまでの会話の流れのどこにそんな要素があったというのか。
空気を読んで姉弟の会話を見守っていた悠真でさえ口を開けて固まっている。
「あ、ああっ、アカネあなた――そうだったの⁉」
「何をどう勘違いしているのか手に取るように分かるけれど、そういうことじゃないわよフィルフィーネ。天多は私の弟だもの。私は家族を愛している。それは時として親愛の情をも上回る‟絆”と呼べるものだと私は考えているわ」
「だからっ……! それが重いんだって何回も言ったじゃないか!!」
天多は再び憤激する。
朝音とは違う意味で厄介なもう一人の姉に溜まった鬱憤を吐き捨てる。
「茜姉はいつも『私の弟ならできる』って、何の根拠もなく言ってきて……そのせいで僕がどれだけ惨めな思いをしてたか、茜姉にはわかんないだろ⁉」
天多だって魔力の才能が全くのゼロだったわけではない。
魔力の総量が少なすぎる点を除けば、魔力操作や術式制御は努力による向上が見受けられた。
でもそれは、精々マイナスをゼロにする程度の成果だった。
魔術の高みを目指す宗慶の目には、天多の努力は悪ふざけのように映ったかもしれない。
「小さい時からずっとそうだった。僕は何をどう頑張ったところで褒められることなんてなかった。全部できて当たり前、できなければ無価値。……それが、志摩茜音という天才魔術師の弟として産まれた僕の立場だ」
魔術師として必要な才能をすべて持ち合わせてはいたが、召喚術の適性がなかったせいで、志摩家に必要とされなかった茜音。
かたや魔術師として一切の才能を持ち合わせず、召喚術の適性だけがあったせいで、志摩家に必要とされてしまった天多。
掛け違えたボタンのように、両者の立場と想いはすれ違った。
理解できるはずがない。
失敗を知らない天才と成功を知らない劣才とでは、住む世界が違い過ぎたのだ。
「……ごめんなさい。私には天多の気持ちはわからない」
「だろうね。所詮、僕と茜姉とじゃ住む世界が違う――」
「――でも、嘘はついてないわ」
茜音は視線はまっすぐ天多を見ていた。
その瞳の輝きも、昔からちっとも変っていない。
大好きな弟の能力を誰よりも信頼し、彼の努力を誰よりも認めていた人間として。
茜音は誠実に、あの日言えなかった心からの言葉を贈る。
「私はずっと天多なら魔術師になれると信じてた。……だから、こうしてまた天多と会えたことが嬉しい。だからこそ――」
天多が魔術師になったからこそ、こうして再会することができた。
だけど魔術師になったからこそ、もう以前のままではいられない。
「――覚悟なさい天多。鳴滝の土地を管理する志摩の魔術師として、志摩宗慶の娘として……お前を殺してあげる」
「お、お姉ちゃん――⁉」
父親を殺し、志摩の名を貶めた魔術師に向けるべきは温情ではなく、報復の刃。
愛するがゆえに、茜音は天多を断罪するのだ。
奇しくもそれは、天多が望んだ魔術師としての対等な関係に他ならない。
……姉さんが、僕を……殺してくれる?
「殺される前に答えなさい、天多。父様に何をしたのか――この霊脈を利用して、一体何をしようとしているのかを!」
茜音はすでに魔弾の照準を天多へと向けている。
返答によっては、すぐに引き金を引ける態勢だ。
無慈悲な敵意。
天多にはそれが心地よかった。
……あぁ、その眼だ。もっと……もっとその眼で僕を見てくれ――!!
肥大した承認欲求が、天多の中でからんと転がった。
転がって、転がって……欲求の形はより歪に成り果てる。
「知りたければ力づくで聞き出してみなよ。――求むる真理がため、法則の外縁を超ゆ。それが魔術師でしょ」
未回答という解答を受理し、茜音は容赦なく引き金を引いた。
宙に描かれた魔法陣が銃口となって火を噴く。
発射された魔弾が天多を貫くよりも前に、天多の体が消失した。
同時に足元に浮かび上がっていた魔法陣を悠真は見逃さなかった。
「転移⁉ あの一瞬で⁉」
「近くの固定座標にジャンプしただけよ。魔力の流れからして、おそらくあの神殿の頂上でしょう。最初から逃げる気満々だったってこと」
『そのとおり。さすが茜姉、腹が立つほど大正解だよ。ご褒美に僕のとっておきが相手をしてあげる』
神殿の最上部から天多は魔術で声を運んだ。
置き土産と言わんばかりに、巨大な魔法陣が地面に現れ、さきほどよりもさらに多くの影が這い出てくる。
パニック映画のゾンビのように、次から次にうじゃうじゃと湧いてくる。
「なーんだ。とっておきだって言うから期待したのにさっきのとおんなじじゃん」
「……いいえ、どうやら違うみたいよ」
「ふえ?」
湧いて出たヒトモドキの影が密集し、重なり合い、雪だるま式にその体積を増していく。
およそ百体の影が合体して、一体の巨人が誕生した。
もとより影に決まった形はない。満足な魔力が確保できるこの場所なら、大きさも重さも自由自在だ。
《影法師》が集まってできた全長五十メートルの影の巨人――《影坊主》。
「あらまー、おっきくなっちゃった」
「まるでだいだらぼっちね。独創性の欠片もないデザインはどうかと思うわ」
「そう? 私は結構かわいいと思うけどなあ」
「朝音の感性がズレてるのよ」
「ちょっと今そんな話してる場合じゃ……!」
「――! 来るわよ!」
見上げれば、《影坊主》が大きな右腕を振り上げていて、次の瞬間にそのは見た目からは信じられない速度で拳が繰り出された。
……は、速ッ――⁉
巨影の拳を回避すべく、思い思いの方向へと飛び退いた悠真たち。
容易く地面を砕くその威力にも驚かされる。
「あの図体でなんて軽快なパンチを放ちやがる……っ!」
「見た目の印象だけで相手の能力を決めつけてはダメよユーマ」
「あぁ……いま痛感してるところだ――っ!」
今度は左の拳がフック気味に繰り出される。
地表を薙ぎ払うようなパンチに対し、フィルフィーネは目を光らせる。
体重が乗っていないパンチなど怖くはないと言わんばかりに果敢に前に出て、
「はぁああああああああああ――っせい!!」
拳と地面の間に体を滑り込ませると、思い切り拳を蹴り上げた。
軌道の変わった拳の勢いにバランスを崩し、《影坊主》がふらついた。
「もういっちょおッ――!!」
追撃は素早く的確だった。
巨大化させて槍をバットのように構えて、体重の残った右足目掛けて盛大にフルスイング。膝カックンの要領で、《影坊主》の体勢を完全に崩すことに成功した。
いまのうちに、とフィルフィーネは声を張った。
「みんな! ここは私に任せて先に行って!」
「そんな……さすがにお前一人じゃ……!」
「大丈夫よ。向こうじゃこの手の大物退治なんて日常茶飯事だったし、この中じゃ私が適任よ。だから行って、ユーマ。サキのこと任せたわよ」
「わかった。……負けるなよ」
「楽勝よ。ふたりとも、彼をお願いね」
「ふん。任せなさいとは言わないわ。そんなに心配なら、あなたが自分の手でちゃんと守りなさいな」
「――いいからそんな雑魚さっさと倒して追いついてこい、と茜音お姉ちゃんは申しておりま――あいたっ⁉」
余計なことを言うなと、茜音の強烈なデコピンが朝音のおでこに炸裂した。
「つ、強すぎじゃない⁉ おでこに穴開いちゃうかと思ったんだけど⁉」
「あんたが変な翻訳するからでしょうが、まったく……」
「……はぁ。緊張感無さすぎです。ほら、ここは『送り人』に任せてさっさと行きますよ」
「あぁ、みんな急ごう。沙希を助けて天多を止めるんだ――!」
悠真たち四人は《影坊主》の横を走り抜け、神殿の階段を上り始める。
それぞれの想いに、決着を着けるために。
†
……がんばって、ユーマ。サキはきっと、あなたのことを待ってるわよ。
自らの思いを託して、槍使いは背を向ける。
この戦場に彼らは相応しくない。
なぜなら、これはこちら側の問題だから。
「……ォオオオオオォッ――」
顔の無い巨人が呻き声をあげた。
否、これは巨人の声ではない。巨人の影に囚われた死人たちの怨嗟の声だ。
――暗い、寒い、寂しい……。
――ここから出してくれ……。
――もう、楽にしてくれ……。
精霊の声を聞くことができるフィルフィーネには、ずっと彼らの声が届いていた。
死してなお暗い影の底に沈んだまま、望まぬ力を振るい続ける彼らの声が、ずっとずっと耳の中で鳴っていた。
「あなたはただの魔術なんかじゃない。憎悪を糧に生きる悪性の存在……闇の精霊、その混ざりもの。それがあなたの正体」
「……グゥウウウォオオオオ――!」
フィルフィーネに正体を見破られた《影坊主》は、反論するかのように声を発した。
これこそ闇の精霊と呼ばれる彼らの念だ。
人の心の弱みに付け入り、堕ちた魂の生気を糧に生きる、陰鬱で厄介な日陰者。
そんな彼らが、どうして魔術師である天多に従っているのか。
……召喚術で呼び出した、と考えるのが自然よね。精霊と主従契約を結ぶために彼らを自分の影に憑依させて、その在り方までをも縛り付ける。……そうすれば、時と場所を選ばず彼らの力を振るうことができるから。
だがそれは、精霊たちを束縛することにほかならない。
確固たる意思を持たない闇の精霊たちを自分の都合のいいように使役する。
召喚術とは、そんな自分勝手なものであってはならないはずだ。
「彼らを解放する。それが、精霊たちに愛してもらった私の役割――」
魔術師の行いに善悪を問う権利は彼女にはない。
だとしてもこれはあんまりだ、とフィルフィーネは握った槍に魔力を込める。
死者の魂を冒涜するような行為は許されない。
許すワケにはいかない。
「あなだけは、絶対に認められない――ッ!!」
それは、ここにはいない少年への宣戦布告であり、目の前に在る敵への決意表明でもあった。
今度こそ、正しい意味で『送り人』としての責務を果たすために――。
囚われた魂と精霊たちを解放する。
この力はそのためにあったのだと信じて、フィルフィーネは槍を振り上げた。




