第74話「星見の神殿」
「……なんだ、ここ……?」
壁の向こう側には想像を絶する光景が広がっていた。
――広い。とにかく広い。学校の体育館や運動場など比べ物にならないくらい広大な空間。
実際に見たことはないが、東京ドームがすっぽりと収まるのではないか、と悠真は想像する。
大広間を取り囲むようにして、壁沿いには巨大な溝が掘られている。外周を綺麗に円形にくり抜かれた地形は、とても自然にできたものとは思えなかった。
溝はとても深く底が見えない。覗き込めば、膨大な魔力の流れを感じることができた。まるで魔力が川となって地面の下を流れているかのような、力の奔流を。
「……ねぇアサネ、この雰囲気なんだか似てない?」
「うん、わかる。『大霊洞』とそっくり。……もしかしてここ、霊脈の真上だったりして」
「だとしたらどうしてこんな場所がいくつも存在するのかしら。この辺りの土地は少し特殊なようだけれど、それと何か関係が――」
フィルフィーネたちが真面目な話をしているすぐ後ろで、悠真は足を滑らせて落っこちたりしないだろうかと、おっかなびっくり道の真ん中を歩いていた。
怖いもの見たさか、それともただの興味本位か。
ちらりと溝を覗いては、あまりの深さに口を半開きにして――うげっ、と声を漏らした。
「落ちたら一巻の終わりだな……」
「そうですね、穴の底に叩きつけられるか、それとも高すぎる魔力密度によってすり潰されるか……試してみましょうか」
「冗談だよな?」
「もちろん冗談ですよ」
空々しい笑顔で答えるハーゼに、悠真は顔を引きつらせる。
聞き耳を立てていた朝音が、面白がって口をはさんだ。
「でもさぁ、それじゃあ結果を観測できないから実験の意味がないよね? どうせなら途中経過も観察しようよ」
「では小型カメラを付けてから飛んでもらいましょう。これならリアルタイムで記録を取ることができます」
「それいいじゃん。アリ寄りのアリ!」
「いやナシの寄りのナシですけど?」
悠真の鋭いツッコミに、フィルフィーネは思わず吹き出した。
なんとも緊張感のない会話だが、ある種の現実逃避なのかもしれない。
この空間に足を踏み入れた瞬間から、それは嫌でも目に付いた。
大広間の中央にそびえ立つピラミッド型の謎の建造物が、異様な雰囲気を醸し出していた。
悠真は世界史の教科書で見たマヤ文明の神殿に近しいものを感じた。積み重ねられた石材と、四方から天辺へと伸びる階段なんかがまさにそれだ。
こんな地下深くにどうしてこんなものが建てられているのか。
当然といえば当然の疑問。
だがそんなことよりも、よっぽどの不思議が頭上にはあった。
「……いい加減黙ってられないから確認するけど……ここって地面の下だよな? なんで空が見えてるんだ?」
見上げれば、そこには見えるはずのない星々の光がそこにあった――。
本来は岩肌の天井があるはずの高度に、なぜか夜空が映し出されている。雨上がりの雲がまばらに残る夜空は、さっきまで見上げていた夜空とまったく同じもので。あれがただの映像ではなく実際の空だという何よりの証拠だ。
地上から五十メートルも深い地下でいつもより近くに空を感じて、悠真は少しだけ感傷的になった。
「なんだかプラネタリウムみたいだな」
「そんなロマンチックなもんじゃないと思うけど……。本物の夜空だよ、あれ」
「わかるんですか?」
「星の位置が同じだからね。五月の夜空を見るときは、アークトゥルスがわかりやすくて見つけやすい――だったよね、たーくん」
「嬉しいな、覚えててくれたんだ」
声に反応して視線を空から地上へ戻すと、目の前に一人の少年が立っていた。
いつからそこに居たのか。
待ちくたびれたと言わんばかりに少年――志摩天多は、敵対者たちを歓迎する。
「久しぶりだね、朝音姉さん」
「たーくん……本当に、生きてたんだ――」
「なんだいその言い草。人をまるで死人みたいに――って、異世界に飛ばされて消息不明じゃあ死人も同然か……。あれは僕としても不本意な結果なんだけどなあ」
「それは……」
「まあいいさ。そんなことはどうでもいいんだ。思ったより随分早かったじゃないか。僕の予測だともう少し時間を稼げるつもりだったんだけど……ここに来るまでの道中で何かあったのかな?」
お仲間はどうしたんだい? とでも言いたげな天多の態度。
悠真は相手が期待するような反応を返してやるものかと白を切る。
「別に何も。そういうお前こそ、こんなところで一体何をしてるんだ?」
「ある儀式の準備さ。ここはそのために造られたような場所でもあるからね」
「あなたの話に興味はないわ。――いいからサキがどこにいるのか教えなさい」
フィルフィーネの威圧に、天多は動じない。
にへらと笑って嘲るように言う。
「おいおい、そう焦るなよ。聖女ちゃんなら『星見の神殿』の頂上で眠ってる。傷一つ付けてない」
「御託はいい。沙希は返してもらう」
「そうはいかない。彼女は僕にとっても大事な女優だ。舞台の幕が上がるまで彼女にはあそこにいてもらわないと困るんだ。もちろん君たちは招かれざる客だけど……観劇する権利くらいはあげようかな」
天多はちらりと朝音に視線を向ける。
久しぶりの再会だというのに、朝音の表情は硬い。
いざ会ってみたら、言いたいことがパッと思い出せなくなった。
十二年ぶりに見た弟の姿は、思ったより変わってなくて。
それがちょっぴり嬉しくて、同時に寂しくなった。
――弟の時間だけが、あの日からずっと止まってしまっているようだったから。
「しばらく見ない間に、朝姉はかなりきれいになったね」
「……ありがと。そりゃあ、もう二十六歳だし? 大人の女として自分磨きは怠れないっていうか――」
「ずぼらだったあの朝姉が自分磨きねぇ……」
「なに、文句ある?」
「いいやべつに。どっちかって言うと、まだ魔術師やってることのほうが驚きだよ。あれだけ『魔術なんて興味ない』って言ってたのに、どういう風の吹き回し? まさかとは思うけど、僕への当てつけだったりする?」
「そ、そんなワケないじゃない! 私はたーくんのために……!」
「僕のため? はっ、白々しいにもほどがある。朝姉は僕や家のことになんて、これっぽっちも興味なかったくせにっ!」
吐き捨てるような天多のセリフに、朝音は既視感を覚えた。
――あぁ、そういえば、とまた思い出す。
何にも関心が持てず、ただ面倒事から逃げ出してばかりだったあの頃のことを――。
†
中学生になった頃の朝音は、いつも退屈していた。
志摩家の役割だとか、魔術師としての格式だとか、本当に面倒なことばかりだった。
普通の家の子供のように、普通に遊んで、普通に恋をして、普通に大人になりたい。
たったそれだけの願いが、あの家に居ては絶対にかなわないと知った。
でも逃げ出すほどの勇気も覚悟もなかった朝音は、流れに身をまかせることにした。
それでも彼女の周りにはつまらない人間がはびこった。
……あー、めんどくさ。どいつもこいつも私に気に入られようと必死すぎ。お父さんも志摩の名に恥じぬ振る舞いをとかってうるさいし……。はぁ、もう疲れちゃった。茜音お姉ちゃんの言うことだけ聞いてればいいや。
家のことも、魔術のことも……自分自身のことだってどうでもよくて。
茜音の言うとおりにするのが一番楽で。
そうしたら、本当に何もかもが上手くいった。
志摩家の魔術師として生きる道に、自分の意思は必要なかったのだと証明されてしまった。
まあそれでいいか、と朝音はあっさりと諦めた。所詮自分はそういう人間なのだと、心の底から腑に落ちた。
極力頭は使わずに、ただ言われたとおりに生きて自分が楽しいと思えることにだけ心を動かそう。
そうやって退屈な日々をのらりくらりとやり過ごした――ある日のこと。
廊下の隅で膝を抱える天多を見つけた。
腹違いの弟だと紹介されたが、面倒だったからまともに会話したことはほとんどなかった。
窓の外は土砂降りで、すすり泣く天多の声はよく聞こえない。
朝音はそばに近寄って、
「大丈夫?」
と気まぐれに手を伸ばした。
その手を天多は思い切り振り払った。
「ほっといてよ。……朝姉は僕のことなんて、どうでもいいと思ってるくせに!!」
図星だった。
正直なんて励ませばいいのかさえわからず、勢いで声を掛けただけだった。
見掛けたのも偶然で、そもそも声を掛けようと思ったのだって茜音に頼まれていたからにすぎない。
父に厳しく指導され、自信が持てない弟のことをそれとなくフォローしてやって欲しい、と。
結局、朝音から天多に話し掛けたのはこれが最後になってしまった。
だからだろうか――。
――天多の泣き腫らしてぐしゃぐしゃになった顔と、振り払われた手のしびれが、忘れられなくなったのは……。
それから数日後、いつの間にか家の中に天多の姿はなかった。
まさか家の中どころか、この世界からいなくなってしまったとは思いもよらなかったが――。
皮肉なことに、父親の口から『弟なぞ初めからいなかったのだ』と告げられて、朝音は初めて自分が天多の姉であることを理解できた。
弟がどれだけ努力してたのかを教えられた。
弟がどれほど一人苦しんでいたのかを察した。
どうして見て見ぬふりをし続けてきたんだ。
私ができなかった分、父の理想に応えようと苦しむ弟を、今まで何度も見てきたのに。
たとえ異母姉弟だったとしても、もっとあの子のためにできることがあったはずなのに。
どれほど後悔しても過去は変えられない。
だったら、これからの自分を変えなければならない。
決意した朝音の行動は早かった。
「たーくんは絶対帰ってくる。帰ってこないなら私が迎えに行く。どこにいようが探し出して、無理やり引っ張って連れて帰る。だから手伝って、茜音お姉ちゃん」
朝音がはじめて、自分から何かをやりたいと宣言した瞬間だった。
その日から朝音は天多を探し続けた。
探すために、より深く魔術を学んだ。
天多の声を、においを、足音を聞き逃さないために、マイナー魔術で欠点も多い《獣化》を習得した。
狼の姿で野山を駆けまわり、鳥の姿で街中を飛びまわった。
だけどそれでも天多は見つからなくて。
ある日ふと、根源的な疑問へと立ち返った。
……自分のことでさえどうでもよかった私が、どうして弟のためだけに、こんなに必死になってるんだろ……。
わからない。
わからないからこそ、いつか天多に再会できたら、その時はきっと――。
†
待ち望んだ再会は、決して円満なものではなかったけれど。
いまは互いに言葉を届けられる場所に立っている。
それだけでも嬉しくて、朝音は思わず天多を抱きしめたくなった。
悪態をつかれて反論もできなかったくせに、朝音が小さく笑ったものだから、天多はもっと機嫌を悪くした。
「……何が可笑しいのさ」
「ははは、ごめんごめん。ちょっと昔のことを思い出しちゃっただけ。子どもの頃にも、こうしてたーくんに怒られたことがあったなーって」
「それだけ朝姉が何も変わってないってことでしょ」
「そうだね……うん、そうだと思う。私も変わろうと思って色々やってみたんだけどさ。大人になったいまでも、私の本質はきっとあの頃のままなんだなーって思い知ったよ。だからさ、たーくん――」
朝音は一歩、天多に近寄って提案する。
姉弟をやり直すための、もっとも冴えた方法を。
「――お姉ちゃんとケンカしよ♪」
「……………………は?」




