第72話「地の底へ」
雨上がりの駅前は異界のような静けさだった。
いつもは夜遅くでもそれなりに人が出歩いているはずなのに、今日はどういうわけか人っ子一人見当たらない。
悠真たちはハーゼの案内のもと無人の交差点を横断し、目的地へと到着した。
「……なぁ、本当にここであってるのか?」
「はい。ここで間違いありません」
……ここって言われても、どう見ても『オール・モール』じゃないか。
大型商業施設、『オール・モール』――数日前、悠真たちがクライスとの死闘を繰り広げた場所。
色々あったが、あれはすべて《隔絶結界》の中での出来事。現在は営業時間が終了しているから閉館しているだけで、建物自体には何の被害も出ていない。
こんなところに天多がいるのだろうか。
悠真が怪訝な顔でハーゼを見るが、当の本人は自信満々に足を進めるので、みんなその背に黙って続くしかない。
「そういえばアカネはどうしたの? 連絡してたわよね」
「あー、茜音お姉ちゃんなら後で合流するって。なんかハーゼちゃんから聞いた場所を事前に教えてあげたら、『やることができた』って言ってた。まあお姉ちゃんなら私の魔力を追って来られるから平気だよ」
「やることねぇ……」
一行が向かったのは、『オール・モール』の裏手にある荷物の搬入口。
そのすぐ横にある従業員用の出入り口から中へと入る。鍵はハーゼが当たり前のように魔術で解錠した。
中には上下に伸びた鉄骨の階段があった。下への道はバリケードによって封鎖されているが、それも無視して下へ下へと降りていく。
「この建物に地下なんてあったか?」
「フロアマップには載ってなかったはずです。資材管理用のスペースか何かでしょうか」
「いいえ。ここはまったく違う用途で設けられた非常口みたいなものです。入口自体は他にもいくつかありますが、ここが一番近くて侵入が容易そうだっただけです」
「非常口? 何のための?」
「『百聞は一見に如かず』ということで、詳しい説明はまた後ほど」
「どうでもいいけどさぁ……いつまで続くのよ、この階段」
フラートが鉄骨の隙間から下を覗き込む。
深すぎて底が見えない。高所恐怖症じゃなくても足がすくんでしまう恐ろしさに悠真も息を呑んだ。
照明も最低限の非常灯しかないため、階段を下りる足運びもおぼつかない。
足を踏み外さないようにと、手すりを握る手に力がこもる。
「そこまで深くはありません。大体地下五十メートルほどでしょうか」
「ごじゅ……いや十分深いだろそれっ」
換算するならば、おおよそ十階建ての建物と同じ深さだ。
そんな地下深くに一体何があるというのか。
次第にみんなの口数も減って黙々と階段を下り続けた。
足音が反響しては闇の中へと吸い込まれる。
深淵に飲み込まれていくかのような心地に心がざわついた。
なにより悠真は階段にいい思い出がない。
前を行くハーゼの後ろを、無意識に少し距離を空けながら降りている自分に気づいて、思わずため息がこぼれた。
すると後ろからぽん、と肩にフィルフィーネの手が置かれた。
「――大丈夫」
「……ありがとう」
疑問形ではない、断定の言葉が嬉しかった。
そしてようやく地の底へとたどり着いた一行は、驚きの光景を目の当たりにする。
「わぁー、ひっろーい!」
「なんだ、これ……⁉」
巨大な半円型にくり抜かれた空間が眼前に広がっていた。
直系はおよそ十メートル。周囲をコンクリートブロックで固められた無人の大穴に、フラートは大興奮。
「これ、もしかしてこっちの世界の人たちが自分たちの手で作ったの? すごすぎでしょっ……!」
「メルセイムにはトンネルがないのか?」
「あるにはあるけど、はっきり言ってこれとは比べ物にならないくらいにショボいものしかないよ。魔術で掘削するとバカみたいに魔力を消耗するから、どうしても小さくて細長い通路みたいなものになりがちみたい。だから地下深くにこんなでっかいトンネルを掘っちゃうなんてちょっと信じられないっていうか……この世界の人たちヤバくない?」
「人類の叡智の結晶ってやつだね~。……ん? どうかしたの、鷹嘴のお嬢さん」
「いえ……階段を降りているときから、もしかしてとは思っていたんですけど……」
澪依奈は周囲を見渡す。
壁際には資材らしきものにブルーシートが掛けられていて、工事用の重機や照明器具の一部がそのまま放置されている。
まるで工事が途中で中断され、その後手付かずになったかのような――。
「――間違いありません。ここは鳴滝市の都市開発の一環として建設が予定されていた、地下鉄用のトンネルです」
「地下鉄? 線路とか何もないけど?」
「工事中に起こった事故が原因で工事が中止されたんです。その後、工事を継続するにはリスクが大きすぎるとのことで、地下鉄計画は破棄されたと聞いたことがあります」
「あぁ、言われてみれば、たしか何年か前にそんな事故の話をニュースで見たような気がするな……」
鳴滝市の地下鉄工事中に起こった事故はそれなりに有名な話だ。
工事中に発生した地震によって、地盤の一部が崩落。工事中の作業員数名が亡くなり、市の開発責任者が地下鉄の安全性について問われた――そんな内容だった。
不幸な事故だったとはいえ、死人が出てしまっては計画は強行するわけにはいかず、結局そのまま地下鉄計画はとん挫した。
……でも、どうしてこんなに綺麗な状態で残ってるんだ? 少なくとも数年は放置されてるはずなのに……。
「まあ事故の内容はひとまず置いておくとして、本当にこのトンネルの奥にたーくんがいるの?」
「はい。巧妙に偽装してありましたが、転移魔術の痕跡を見つけましたので間違いありません」
「……ん? ってことはつまり、あいつはもうここにはいないってことになるんじゃ……?」
「いえ、そうではありません。順を追って話しますね。元々この地下鉄は、街を横断する形での敷設が予定されていたのですが、とある地点で異様な建造物が発見されたのが理由で計画がストップしたと言われています」
「異様な建造物……? 初耳です、そんな話」
「それはそうでしょう。ごく一部の人間にしか知らされていないと偉そうな人が言ってましたから」
「…そのごく一部の人間しか知らないはずの話を、なんでハーゼが知ってるんだよ」
「もちろん盗聴……いえ、探知魔術で通信を傍受しましたから」
「言い換えたところで同じ意味だよ!」
『運び屋』の情報収集能力には盗聴も含まれるらしい。
もはやなんでもありだ。
異世界の魔術師に倫理観を求めるほうが間違っているのかもしれないと、悠真は頭を抱えた。
……『運び屋』じゃなくて『忍者』かなんかの間違いだろ……。
「――ともかく、その建造物が見つかったのがこのトンネルの一番奥です。私の魔術でも探知できませんでしたので、奥に何があるのかまではわかりませんが……その手前で転移魔術の痕跡を見つけたとなれば、聖女をかどわかした件の不届き者がそこへ逃げ込んだと推測するのは、至って自然な流れではありませんか?」
「それはまあ、たしかに……」
これには悠真も首を縦に動かした。
この奥に一体何があるのかはわからないが、天多が意味もなく転移して来たとは考えにくい。
ハーゼでも探知できない空間に隠れていたのなら、天多がいままで誰にも見つからなかったことにも説明がつく。
とはいえ、やはり推測の域を出ないのだが、
「この先にサキがいるのは間違いないわ」
「フィーネ……?」
答えは向こうからやって来た。
闇の中に向かって槍を構えるフィルフィーネ。
悠真も遅れて気付いた。
トンネルの奥から何かが近づいて来る。足音は複数で、気配の大きさも大小様々。バサバサと翼をはためかせているような音も聞こえた。
そして、闇の中から現れた足音の正体にフラートは目を疑った。
「ウソでしょ……」
つぶやいて、息を呑む。
魔獣だ。
メルセイムの森や荒野に生息しているはずの魔獣が、トンネル内にあふれかえっている。
「ピュイヤァアア!」
「グウゥオォオオ!」
「キィイイイイイ!」
夜目が利く梟頭の大熊、オウルベア。
猛毒の針を持つ大蜥蜴、ヴェノムリザード。
生き血を好んで群がる巨大蝙蝠、ヴァンバット。
一体ずつでも厄介で獰猛な魔獣が三種同時に出現する。
見える範囲だけでもかなりの数がトンネル内を闊歩している。
これにはさすがにフィルフィーネもたじろいで、思わず声が大きくなった。
「なんだってメルセイムの魔獣がこんなところにいるのよ⁉」
「おそらくですが、彼がここの防衛用にあらかじめ召喚しておいたのではないでしょうか。自分は転移魔術で移動すればいいので、襲われる心配もありませんから」
「それにしたって数が多すぎない⁉」
「よっぽどこの先に進ませたくないんだろうね。たーくんってば、加減ってものを知らないんだ」
「時間稼ぎか……」
聖女を使って何かをしようとしているのなら、きっと天多は今手が離せないはずで。
自分の代わりに魔獣で足止めとは、いかにも召喚術師らしいやり口だ。
「――でしたらなおのこと、ここで悠長にしている場合ではありません。この場は私が請け負いますので、みなさんは先へ進んでください」
みんなの前に澪依奈が躍り出る。
その手にはすでに凝縮された冷気の魔力が握られており、いつでも放つことができるように準備されている。
魔獣たちの間に突破口を作るつもりだ。
「鷹嘴、お前何を言ってるんだ! 一人でこんな数相手にできるワケないだろ!」
「ユッキーの言うとおり、あんた一人じゃ絶対ムリ」
澪依奈の横に並び立つのはフラートだ。
爪を撫でる彼女に向かって、澪依奈は首を傾げてみせる。
「おや、どうしたんですかフラートさん。あなたの出番はここじゃありませんよ」
「手を貸してやるって言ってんの。大体、あんたあいつ等の生態とか何も知らないでしょうが。現地の人間がサポートしてあげるって言ってんだから感謝しなさいよね」
「誰も手伝ってほしいとは言ってませんけど」
「う・る・さ・い! 黙って手を貸されてろ、優等生。――あんたもあたしも、こういう役割が似合ってんのよ!」
愉快な問答を繰り広げながら、二人は魔力を練り上げる。
必要なのは、奥へ安全に進むための道をつくること。
数十体の魔獣を相手に最大効率を求めるならば、おのずと役割は分担される。
高まる魔力に反応して魔獣たちが標的を定める。
四つ足の獣は疾走し、蝙蝠たちは飛翔した。脅威度の高い相手を的確にかぎ分けて、その牙と爪を振りかざす。
――彼女たちは、そのすべてを撃ち落とす。
「邪魔すんなァあああ――ッ!!」
「退いてもらいます――ッ!!」
フラートの爪が伸縮し、宙を舞うヴァンバットの翼を切り裂いた。爪は空中で何度も直角に折れ曲がることで、複数の個体を続けざまに切り刻む。伸び続ける爪はまるで蜘蛛の巣のようにヴァンバットの動きを封じ込む。
地上では逆さまの氷柱が地上から生えてきて、オウルベアとヴェノムリザードを串刺しにした。
トンネルの中央に先へ進むための活路が切り拓かれた。
「「行って(ください)――!」」
悠真たちは掛け声を合図に、弾かれるようにして地面を蹴った。
悠真は澪依奈とすれ違う瞬間、
「お気をつけて」
「……ありがとう」
そんなやり取りを交わして走り去った。
後顧の憂いを断つように、澪依奈の氷壁が遮るように立ち塞ぐ。
これで魔獣たちが彼らの後を追うことはない。
「本当によかったんですか、こんな役回りで」
「あんたこそ、ユッキーの側に付いててあげたかったんじゃないの」
「……彼の隣には私より優秀な人がいますから」
「ふーん……。あたし、好きな人のために身を引く女って嫌いなのよね」
「べつに身を引いたつもりはありません。あとで窮地に颯爽と登場するのも悪くないと思っただけです」
「はいはい。そーいうことにしといてあげる」
氷の剣が澪依奈の周囲に浮遊する。
見れば倒した魔獣の死骸の向こうで、新たな魔獣が召喚されている。
それも、最初に現れた数よりも遥かに多い数が。
……想定では足りなかった場合の保険ですか。面倒ですね。一体どれだけ湧いて出てくることやら。
際限なく増える魔獣たちに、フラートはうげぇーと顔をひきつらせる。
「はぁ、めんどくさい……。手ェ抜くんじゃないわよ優等生。こんなザコどもさっさと片付けてユッキーたちに追いつくんだから!」
「言われなくてもそのつもりです――!」
そりの合わない二人の魔術師が、息ぴったりに魔獣の群れへと突撃した。




