第71話「決戦当夜」
「――こほん。お二人とも、ちょっと距離が近すぎませんか?」
「「――っ!!」」
澪依奈の指摘に、悠真とフィルフィーネは互いに飛ぶようにして距離を取った。
二人が露骨に頬を赤らめて照れるので、澪依奈はため息をつくしかない。
……フィルフィーネさんばかりずるいです……と言いたいところですが、今回ばかりは譲ってあげますか。
悠真を励まし前を向かせた彼女に、澪依奈は素直に尊敬の念を抱いた。
助言はときとして余計なもので、かえってその人を傷つけてしまうこともある。
だというのに、フィルフィーネは一切ためらわなかった。恐れず、構えず、自然体で悠真の弱さをを受け入れて、彼が立ち上がるために肩を貸してあげたのだ。なんて勇気ある行動だろうか。
他人と深く関わろうとしてこなかった自分の未熟さに辟易としながら、それをおくびにも出さず澪依奈は毅然とした振る舞いを見せる。
「仲が良くて羨ましい限りですが、時と場合は考えてくださいね、藤代くん」
「え、なんで俺だけ……ていうか、羨ましいのか、鷹嘴?」
「……? ――っ⁉」
失言だった。
態度ばかりに気を回し、喋る内容にまで頭が回っていなかった。
澪依奈は火照った顔を誤魔化すために、いつもの微笑みは崩さずに語気を強くして繰り返し忠告する。
「……時と場合は考えてください。――い・い・で・す・ね?」
「は、はいっ……!」
まったく……、と腹を立てる澪依奈。
フラートは、そんな彼女のことを横目で見ながらニヤニヤ笑っていた。
……わっかりやす。優等生のお姉さんも、恋愛はダメダメみたいだね。
「そ、それで、沙希たちの居場所についてだけど、見当はついてるのかハーゼ?」
「はい、もちろんです。すぐにでも案内できますが、どうしますか?」
「急いだ方がいいのは間違いありません。あれだけ派手に立ち回ったからには、コソコソと隠れてる必要がなくなったということでしょうから」
「……そういえばあいつ去り際に、『僕の復讐を見守ってろ』って言ってたな。見守ってろって、どういうことだ?」
「何か派手にやらかすつもりなんでしょ。サキを連れ去ったタイミングといい、その何かしらの準備が整ったと見るべきじゃないかしら」
「じゃあなおのこと急がなきゃだな」
「あ、ちょっと待って。その前にお姉ちゃんに連絡取らせてくれない? あとできればスマホを貸してもらえると助かるなーって」
スマホ持ってないのか、と聞こうとして、悠真はすぐに思い至る。
狼の姿ではスマホを持ち歩くことはできないということに。
「えっと、俺のをどうぞ……って、その状態じゃスマホ持てませんよね……」
「うーん、ちょっと待ってね。多分そろそろだと思うから」
「そろそろって、何がです――」
――か、と悠真が言い切る前に朝音の体が光を放って、次の瞬間には人間の姿へと戻っていた。
《獣化》の効果が切れたのだ。
上から下まで、衣服は一切身に付けていなかった。
つまり、全裸である。
「――――⁉⁉⁉」
「あ、戻った。この魔術、面白いし強いけどこういうところが不便なんだよねぇ」
朝音の裸体を、悠真は肉眼で直視した。
美しく白い素肌には傷一つなく優雅でしなやか。程よく鍛えられた筋肉と、それを支える体幹が素晴らしい。
そしてなによりも、豊満な胸が悠真の視線を釘付けにした。
朝音がみじろぎするだけでやわらかく揺れるそれを、無意識に目で追ってしまって――。
「ちょっとユーマっ!!」
「どこ見てるんですか藤代くんっ!!」
「――っいや、ちが……これはその、不可抗力で……!」
「あらら~、兄くんもやっぱり男の子だねぇ。いいよー、いまのうちにもっと見ときな~。ほれほれ~」
朝音は悠真に見せびらかすように自慢の胸を持ち上げて、両手を上下に動かした。
蠱惑的すぎる動きに、悠真の思考は過熱寸前だ。
「なっ――⁉ ちょ、朝音さん⁉⁉」
「あは、照れてる照れてる。かーわいー♪」
「い、いいから早く服着てくださいってば!」
「はいはーい」
悠真をからかい満足した朝音は、自分の胸に手を当てる。
薄い魔力のベールが彼女の体を包み込むと、一瞬にして軽やかなドレスを身に纏わせた。
――魔力で織られた衣服に着替える魔術。特殊な能力があるわけではないが、朝音の好きな衣装に着替えることができる。
着替えは五着ほど用意しており、既存の衣服と合わせてファッションのコーディネートを楽しんだりもする。
ウルフカットの髪を手櫛で整えて、ドレスに合わせてピアスの色を変化させれば、
「はい、お着替え終わり――っと。それじゃあスマホ貸して」
「どうぞ私のを使ってください」
「ありゃ、いいの? 鷹嘴のお嬢さんってこういうの気にしがちだと思ってたけど」
「構いません。なので早く藤代くんから離れてください」
しっしっ、と澪依奈はおじゃま虫を手で払う。
朝音はそそくさと退散し、部屋の隅で電話し始めた。
捉えどころのない人――というのが、悠真の朝音に対する印象だった。
一貫して愉快な性格の人物ではあるが、その実しっかりと物事の本質を見抜いているような鋭い嗅覚としたたかさもうかがえた。
かと思えば、なぜかほとんど初対面の自分のことを楽しそうにからかってくる。距離感がバグっているとしか思えない。
……でも、悪い人じゃないんだよなぁ。相手するのはちょっと、大変だけど……。
「それでは、この後の戦いに備えて少し休憩するとしましょう。少しでも体力を回復させるべきです」
「なら私はその間にもう一度探知魔術を走らせておきます。念の為です、『送り人』も手伝ってください。あなたの魔力感知の鋭さを当てにさせてもらいます」
「わかったわ。私の魔力でよければ、好きに使ってちょうだい」
「じゃあ俺は少し席を外すよ」
「休まなくて大丈夫ですか?」
「あとでちゃんと休むよ。でもその前に電話したい人がいるんだ。どうしても、あの人に聞きたいことがあるんだ」
悠真はリビングを出て、廊下でスマホを耳に当てる。
コール音が三度鳴った後、しゃがれた声が応答した。
『お前から電話とは珍しいこともあるもんじゃ。息災か、悠真』
「うん……久しぶり、じいちゃん」
電話越しの祖父と孫――魔術師としては師匠と弟子――の会話は、そんな当たり障りのない挨拶から始まった。
†
朝音をフィルフィーネのもとへと送り出した茜音は、無人となった館の書斎で、ひとり物思いにふけっていた。
実家に帰って来て早々、玄関ロビーで右腕を切断された使用人の遺体を見た。そして、切断された腕はこの荒れ果てた書斎で見つけた。
静寂に包まれた室内で、茜音は思考を巡らせる。
一体誰が、何のためにこんなことをしでかしたのか。
……前者はわかってる。天多だ。信じ難いけど、そうとしか思えない。
対侵入者用の迎撃魔術が起動してないどころか、解除された形跡すらないのだ。身内の犯行以外にありえないだろう。
加えて、フィルフィーネの言っていた正体不明の魔術師の存在。すべての状況証拠が、志摩天多がここにいたことを裏付けている。
だが、まだまだ疑問は残る。
なぜ、このタイミングで天多は帰って来たのか。
なぜ、宗慶の姿がどこにも見当たらないのか。
なぜ、私たちに何の連絡もしてくれないのか……。
……何を考えているの。あの子はすでに何人もの魔術師を殺めている。使用人のこともそうだ。……あの子はもう、私たちの敵なのよ……。
天多は昔から臆病で、努力家で、優しい子だった。
魔術が好きで、茜音たちの魔術をよく褒めては羨ましがった。
いつか自分も、お姉ちゃんたちのようにかっこいい魔術をたくさん覚えるのだと、そう言っていた。
そんな幸せな記憶は遥か昔のもの。
男子三日会わざれば――、と言うくらいだ。十二年も経ってしまった今となっては……。
とにかく、最優先は当主である宗慶の安否を確認すること。
そのためには、犯人の正体を突き止める必要がある。
……今まで何度もこの街に探知魔術を走らせてきたけど、一度もあの子を捕捉することはできなかったのよね……。
方法が悪いのか、ただ相手が上手く隠れているだけなのか。
どちらにせよ、これまでのやり方ではらちが明かない。
そこで茜音はすぐに次善の策を講じた。
フィルフィーネたち異世界の魔術師に協力を持ちかけ、天多の居場所を探し出してもらおうと考えたのだ。
……あの女も異世界人みたいだけど、他の連中とは敵対してるみたいだった。あの様子なら、こっちから折れてあげれば簡単に信用してくれるはず。
「まあ、もし拒否されるようなことがあれば、その時は別の手段で無理やり協力させればいいだけだわ」
茜音はあらためて室内を見渡す。
書斎は惨憺たる有様だった。カーテンやカーペットはズタズタに引き裂かれ、倒れた本棚からは本が雪崩のように吐き出されている。机の引き出しはすべて開けられ、中に入っていたであろう書類たちは部屋のあちこちをお散歩状態。もはやどこに何が入っていたのかさえわからない。
おそらく犯人はここで何かを探し、そして見つけ出した。だから他の部屋には一切手を付けなかったのだろう、と茜音は推測する。
ならば――。
茜音は両腕を広げ、室内を自らの魔力で満たした。
「昨日までの状態と今の状態を比較して、この部屋から何がなくなったのかを調べればいいだけのこと」
物体には質量があり、質量には必ず情報が内包されている。
部屋の中というのは、言い換えれば複雑な情報の集合体だ。バックアップデータさえあれば、元の状態を再現することも不可能ではない。
とはいえ、とても精密な作業だ。常日頃からこの部屋に出入りしている彼女だからこそできる芸当だ。
もし他の魔術師が同じことをしようものなら、一体何日掛かるかわかったものではない。
情報の精査が終了して、この部屋から失われた物が判明した。
同時に、茜音の表情はたちまち曇ってしまう。
「……これは、思ったよりマズいことになったかもしれないわ……」
……あの子が‟あのこと”を把握している可能性は? ――無いとは言い切れない。元々あの子がこの家を継ぐ予定だったんだもの。父様から話を聞かされていたとしてもおかしくない。……だとしたら、ここ数年の霊脈以上はまさか――。
その時、茜音のスマホから着信音が鳴り響いた。
電話に出てみると、予想通りの人物から予想通りのセリフが彼女の耳に飛び込んできた。
『上手くいったよお姉ちゃん。たーくんの居場所もわかりそう』
「そう。よくやったわ、朝音」
『えっへへ~。褒められちゃった~♪』
茜音のとても淡白な誉め言葉でも、電話越しの朝音はわかりやすく喜んだ。
『しばらくしたら出発するみたいなんだけど、お姉ちゃんはどうする?』
「私はもう少しやることができたから、あとで合流するわ」
『それはいいけど……やることって?』
「詳しい話は合流してからにするわ。だけど朝音……あなたも覚悟しておきなさい」
『何を?』
「家を捨てる覚悟よ」
『……へ?』
†
夕方ごろに降り出した雨は、いつの間にか止んでいた。
黒い雲間から金色の月が顔をのぞかせる。
駅の裏手にある地下道は、地元の人でもほとんど使わない廃れた場所だ。駅の構内を抜ける方が早いし安全で、理由もなしにわざわざ訪れるようなところではない。
そんな場所に、二人の人物がやや距離を空けて立っている。
「――それで? 首尾はどうなんだい、爺様よ」
一人は〈協会〉の魔術師、セルシウス。真夜中だというのにサングラスを掛けたまま紙パックの野菜ジュースを飲んでいる。
「順調だとも。何も心配することはない。駒はすでに出揃っている。あとは手順通りに進めるだけでいい」
もう一人は初老の男性。灰色のスーツに帽子を被り、杖を突いて立っている。その風格ある佇まいは、どこかの企業の上役にも見える。
二人してこんな場所は似つかわしくないのだが、通りすがる人は誰も居ない。
密会には打ってつけの場所だ。
「貴様の方こそ、足止めだけとはいえあの『送り人』とやり合ったのだろう? 少しは手傷を負ったのではないか」
「全然? むしろ私がアイツに手傷を負わせてやったさ、ほんのちょっとだけ。それなりに魔力は消耗したけど、あっちはあっちで逃げられるならさっさと逃げたかっただろうから……まあ、実質引き分けって感じだな」
……勢い余って吹っ飛ばしたせいでそのまま逃げられた、って話はべつにしなくてもいいだろ。
「そうか。貴様にはまだ仕事をしてもらわねばならん。魔力切れで動けなくなったとしても無理やり働いてもらうぞ」
「はいはい。まったく、人使いが荒い爺様だことで。んで、そっちは?」
「我らの思惑通り例の儀式の準備に入った。霊脈の活性化も確認済みだ。儂の予想が正しければ、奴らも動き出す頃合いだろう」
「計画は筒がなく――ってワケだ。それもこれも、全部《未来視》のおかげってか?」
「もちろんそれがすべてではないが……感情で動く人間ほど御しやすいものだということだ、我が娘よ」
「違いない。――んじゃ、報告も済んだことだし私はお先に失礼するぜ。遅刻すんなよ、爺様」
セルシウスは飲み干した野菜ジュースのストローを口に咥えたまま、地下道から歩き去った。
電車が頭上を通過する。
そろそろ終電の時間だ。
初老の男性は杖を突いて歩き出す。
「人の時間は短い……だからこそ焦がれ、我々は欲望に突き動かされる。だが、焦る必要はない。どれだけ時間が掛かろうと、最後には必ず私の手中にあるのだから」
誰に語るでもない独り言が地下道に反響する。
メルセイムではとうに月明かりが満ちている頃だが、こちらの世界は違う。人間のいなくなった街には、絶えず光があふれている。
神秘が秘匿されて久しいこの世界は、魔術師にとってはひどく息苦しい。
ふと夜空を見上げれば、そこには金色に輝く星があった。
メルセイムのと同じく『月』と呼ばれるその天体を、初老の男性は憎らしそうに眺めた。
「人の世は永い。儂が終末を望んだところで、そんなもの容易く訪れはしない……あぁ、わかっているとも。来ぬのならば、こちらから迎えに行くしかあるまいよ」
初老の男性は再び歩き出す。
月明かりに照らし出されたその背中は、雲が月を覆い隠すと同時に闇の中へ溶けるように消えてしまう。
魔術師たちが起こした事件が表ざたになることはない。大抵がなんらかの事故か、未解明の事件として処理される。
けれど、この夜に起こった出来事は、たしかに世界の命運を左右した。
罪と向き合う、あるいは罪から目を逸らし続けた者たちが、宿命のごとく集ったその夜は――。
――夜会のように華やかで、とても愉快な夜だった。




