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第70話「あなただけの贖罪」

「ハーゼ……あんたまたそうやって人ん家で勝手して……っていうかどっから入って来たのよ」

「む、失礼な。私は玄関から堂々と物音一つ立てずに入って来ただけです」

「それを不法侵入だっつってんのよ!!」


 フラートのツッコミにハーゼは肩をすくめる。

 気付かない方が悪いのでは? とでも言いたげな薄笑いを浮かべている。


 ……探索と潜伏……あぁ、なるほど。あれはハーゼのことだったのか。


 でも、どこでハーゼのことを知ったのか。

 その疑問は、さすがに現代の魔術師を侮り過ぎだと言わざるを得ない。

 異世界からやって来た魔術師の中には、斥候のような奴らがいる――としか思えない状況が何度も続けば、おおよその当たりは付けられる。

 ハーゼという一個人のことは知らずとも、異世界の魔術師との交流があるのならば、そういうツテがあるのだろう、と予測されてもおかしくはない。


 ――そして、その予測はとても正しい。


 地形の把握や要所となる建物の調査など、現地での探索は彼女たち『運び屋』の専売特許だ。それに加えて誰にも気配を察知されない潜伏能力があれば、どこへだって忍び込んで、まんまと情報をすっぱ抜いてこられる。

 そんな『運び屋(ハーゼ)』ならば、何か知っているかもしれない。そんな根拠のない希望が悠真の中にわいてくる。

 だが彼女は〈協会〉の魔術師だ。フラートとは仕事上の付き合いがあったというだけで、しかも今は同僚ですらない。

 はたして、彼女が素直に悠真たちに力を貸してくれるかどうか――。


「いいですよ」

「そうだよな、やっぱりダメ……えっ⁉ い、いいのか? そんなあっさり……」

「構いません。元よりそのつもりでしたから。聖女様を連れ去られてしまった今、我々〈協会〉の最優先事項は聖女様の奪還です。なので、私たちの利害は一致してると言えます。敵の敵は味方、ということです」

「な、なるほど……理由はどうであれ正直助かるよ。ありがとう、ハーゼ」

「いえ、合理的な判断をしたまでですので、お礼の言葉なら不要ですよ」


 ……なんて、半分くらいは建前ですけどね。こちらの問題を解決するためにも、使える戦力は最大限に活用しなければ。


 ハーゼ視点での問題は二つ。一つは言うまでもなく、聖女である沙希が第三者の手に渡ってしまったこと。

 そしてもう一つは、〈協会〉との連絡がまったく取れないということだ。通信魔術は繋がらず、拠点に設置された簡易の《転移門ゲート》もなぜか正常に動作しない。

 さすがにイレギュラーが重なり過ぎている。このまま独断で動くには不都合が多い。


 ……なので、まずは敵の思惑の一つを潰しつつ、聖女を手の届く範囲に留めておく。そのうえで、あらためて上層部との連絡を試みる。現状はこれがベスト……の、はずです。……多分。


 内心不安でいっぱいのフィルフィーネ。

 対照的に、悠真の表情は不自然に明るかった。


「……よかった。これでフィルフィーネたちが沙希を助けに行けるな」

「――え?」


 その言い方では、まるで他人事のようじゃないか。

 フィルフィーネはいぶかしんだ。


「私たちがって、何を言ってるのユーマ。私たちは、でしょ。あなたも行くんでしょユーマ」

「……俺は、行かない」


 悠真の一言により、室内の気圧が下がったではないかと錯覚するほど、リビングの空気が張り詰めた。

 悠真の口から発せられたとは思えない言葉だったからだ。

 困惑するフィルフィーネは、悠真の真意を確かめるために口を開く。

 自分の聞き間違いであってほしい――そう思いながら。


「行けない、じゃなくて……行かない? ……どうして?」

「さっき話したろ。俺は沙希に酷いことを……取り返しのつかないことをしてしまったんだ。そんな俺に、沙希を助けに行く資格なんてない。そもそも、俺みたいな未熟な魔術師が行ったって、フィーネたちの足手まといにしかならないだろ」


 俯きがちで、やや早口に喋る悠真。

 カチンときたフィルフィーネは、悠真の胸倉を掴んで強引に引き寄せる。

 至近距離で、目と目を突き合わせて本音で語り合う。


「私たちを言い訳の理由にしないでちょうだい。あなた一人くらい、いくらだって守ってみせるわよ」

「……悪い。でも、俺の気持ちはいま言ったとおりだ。……沙希のこと、よろしく頼む」

「イヤよ。私は私の意志で勝手に沙希を助けに行く。レイナだって、フラートだって、みんな自分の意志でここにいるの。あなたに頼まれたからじゃないわ!」


 フィルフィーネに同意するように澪依奈が頷く。


「藤代くんは自分のことを足手まといだと言いましたが、それは違います。たしかに、戦闘能力という点では他の魔術師に劣っているかもしれませんが、藤代くんには藤代くんのできることがあるはずです。それとも藤代くんは、沙希さんを助けたくはないんですか?」

「助けたいに決まってる」

「だったら――」

「――でも沙希は! ……そうじゃなかった。フラートも見ただろ。沙希はあの時、俺の目の前で首を振ったんだ」

「それは、たしかにそうだけど……でもあれは――」

「俺じゃダメなんだ! 沙希は俺に、助けてもらいたいとは思ってないんだよ……」


 澪依奈は言葉に詰まった。

 そんなことない、と口で言うのは簡単だ。でも今の悠真にそんな気休めはかえって逆効果のように思えた。

 フラートは悠真の態度にあきれたのか、言いかけた言葉を飲み込んでソファで横になってしまった。

 フィルフィーネだけは目をそらさずに、悠真との会話を続ける。


「何か理由があるのよね。ユーマがそう思うだけの理由が――」

「…………あぁ」

 

 フィルフィーネが手を離すと、悠真は俯きがちにぽつりぽつりと話し始めた。

 今まで誰にも言わなかった……言えなかった本心を。


「……あの日、沙希が病室で息を吹き返して以来、俺はずっと沙希のために生きてきた。沙希が笑っていられるように、沙希のお願いは何でもかなえてあげた。料理や洗濯を覚えたのだって、沙希の役に立てると思ったからで……でも、それだけじゃ足りなかった」


 生活態度を改善するだけでは不十分。

 もっと本質的な部分から変えていく必要があった。


「沙希を守るためには、俺がもっと強くなる必要があったんだ。俺の心が弱かったから、沙希をあんな目に合わせてしまった……。だから俺は、じいちゃんに頼み込んで魔術を教えてもらうことにした」


 普通に学び、体を鍛えるだけでは悠真のなかにある不安は消えなかった。それどころか、焦燥感が強くなるばかり。

 自分の弱さと向き合い、克服する。そのためにはもっと違う何かが……一般的な強さとは異なる指標の力が必要だった。

 それが彼にとっての魔術の原点。


 ――妹を脅威じぶんから守る。そのために、悠真は魔術師を志したのだ。


「まさか、こんな事態にまで発展するとは思っても見なかったけどな」

「――あのさ、ユッキーは自分のことをダメなヤツみたいに言ってたけど、話を聞いてる限りだとすごい真っ当っていうか……普通にえらくない?」

「不本意ですが、彼女の言うとおりです。藤代くんの努力はきちんと評価されるべきものです」


 二人は悠真を肯定した。

 けれど悠真は首を振った。


「違う、そうじゃないんだ。だって俺の努力は、本当は全然沙希のためなんかじゃないんだ。俺はずっと、沙希への罪滅ぼしを理由に自分の罪と向き合うことから逃げてただけなんだ」


 悠真の考えの根底には、いつも沙希がいる。彼女のためになるかどうか……それだけが悠真の行動指針であり、そこには彼個人の意思はほとんど介在してはいなかった。

 『沙希のため』という免罪符があるからこそ、悠真は兄としての自分の行動を正当化することができていた。

 そうでもしないと、罪悪感に圧し潰されそうだった。


「……なぁ、殺してしまったはずの人間がある日突然生き返って、隣で何事もなかったかのように笑ってる――そんな場面、想像できるか?」


 たとえば、殺してしまった人間が生き返ったとして。

 もしそれが故意ではない事故だったとしても、『生き返ったならよかった』で済むだろうか。

 加害者と被害者が同じ屋根の下で生活を共にして、正常いつもどおりでいられるだろうか。

 いいえ、と首を振る澪依奈。

 だろうな、と悠真は苦笑する。


「俺はゾッとしたよ。最初のうちは、沙希を見るたびに『お前は人殺しだぞ』って言われてるような気がして……正直、頭がどうにかなりそうだった」


 人を殺めたという実感は、忘れたくても忘れられるようなものではない。

 けれど、人間は慣れる生き物でもある。自分の心を守るための当然のはたらきとして、時間が経てば、少しずつ自分の中にある罪の重さを軽くできたかもしれなかった。

 でも、沙希は生き返った。

 どれだけ時間が経とうとも、沙希は悠真の隣に居る。

 沙希を見るたびに、悠真はあの日の光景を思い出す。

 無音の白と赤の世界で、血だまりの海に沈んで動かなくなった妹の姿と、右手に残る肩を押したときの感触を、何度も思い出す。 


 何度も。何度も。何度も何度も何度も何度も――。


 悪夢のような追体験が、悠真にどれほどの精神的重圧プレッシャーを与えたことか。

 喜び以上の罪悪感が、悠真の心を少しずつ擦り減らしていった。


「……どんな形であれ、沙希が生きててくれて嬉しい。その気持ちは本物のはずなのに……同じくらい、沙希がそこにいることが怖かった」


 十年間、誰にも言えなかった悠真の本音。

 いつか拒絶されるんじゃないか。

 犯罪者を見るような目で、指を差されて人殺しだと蔑まれ、兄と慕ってはくれなくなる。

 そんな日がいつか来るのではないのかと、悠真は怯えていた。


「だから何でもしようと思った。いつか沙希に、あの日のことをゆるしてもらえるように……そのためだけに、俺は沙希にとって自慢の兄を演じ続けてきたっ……」


 間違っているとわかっていながら、間違わずにはいられなかった。

 自分の罪を認めることが怖かった。

 自分の弱さを許容することができなかった。

 たったそれだけのことができなかったのだと、少年は今もなお、あの日の階段で立ちすくんでいる。


「俺がやってきたことは、ちっとも沙希のためなんかじゃない。全部自分のため……ただ俺が赦されたかっただけなんだよ……!」


 懺悔のような独白が終わり、悠真の頬を一筋の涙が伝う。

 後悔に打ち震える彼に、誰も言葉を掛けることができない。

 だって、なんて言えばいいのかわからない。

 「考えすぎだ」とか、「あなたは頑張った」とか、そんな薄っぺらい励ましの言葉を、彼はとうに聞き飽きているに違いない。

 簡単な言葉で彼の心を救えるような、聖人君子はここにはいない。


「兄くん……」


 朝音は喉を震わせて、くぅーんと鳴いた。

 兄弟がいるからこその苦しみというものは、兄弟がいる者にしかわからない。

 その時、フィルフィーネがおもむろに悠真に近寄った。

 悠真の前に立って、同じように膝を折り、


「え――」


 彼の背中にそっと腕を回し、優しく抱きしめた。

 密着する体と体。

 どくん、どくん――とフィルフィーネの胸の鼓動が、悠真の内側に浸透していく。

 少しの間そうして抱き合っていると、悠真は触れ合った体温の心地よさにはっとして、年頃の男子らしく動揺し始めた。


「……フィーネおまっ、なにして……!」

「ねぇユーマ。私ね、はじめてこの家に泊めてもらった日の夜に、サキにお願いされたことがあるの」

「お、お願い……?」

「そう、お願い。――『お兄ちゃんにもっと魔術のことを教えてあげて』って」

「……は、はぁ⁉」


 悠真の頭の上にクエスチョンマークが横たわる。

 意味が解らない。


「なんだよそれ。なんで沙希がそんなこと……」

「私も気になってサキに聞いてみたの。そしたらね――」


 ――お兄ちゃんって、昔から趣味とか全然ないんだけど、魔術の勉強をしてる時だけは楽しそうなんだ。だから、フィーちゃんの魔術の知識を少しだけでもいいから教えてあげてほしいの。


 それは、内緒にしておいてね、と頼まれた沙希とのやり取り。

 あの夜、フィルフィーネが悠真の部屋を訪れた本当の理由は、沙希のお願いを聞いてあげたからだったのだ。

 そうとも知らず、悠真は彼女に魔術のレクチャーをお願いしていて……。図らずも沙希の希望通りに話が進んだことに、フィルフィーネは驚いたものだ。

 悠真の唇と指先が震える。

 言葉にならない感情がお腹の中で渦を巻いて、いまにも口からあふれてしまいそうになった。


「ありえないだろ、そんなこと……。だって、沙希は俺のせいで魔術が使えなくなったのに……なんで、俺なんかのために……」

「サキはこうも言ってたわ。『私のために色々してくれるのは嬉しいけど……お兄ちゃんにはもっと、自分の時間を大切にしてほしいんだ』って」

「…………っ!」


 そんなことは、沙希の口から一度も聞いたことはなかった。

 なんで直接言ってくれないんだと、文句が口をついて出そうになって、はたと気付いた。


 ……自分だって、本心を素直に伝えたことはなかったじゃないか――。


「ユーマがサキのことを想うように、サキもユーマのことを想ってたのよ。素敵な兄妹じゃない。……だから、サキの気持ちを勝手に決めつけないで」


 フィルフィーネは体を離すと、もう一度正面から悠真の顔を見た。

 同じ後悔を知る者として、伝えたいことを言葉にする。


「私が『送り人』として、犯したあやまちをあがなうためにここにいるように、あなたの過ちはあなたのやり方で贖えばいい。たとえそれが、どんなやり方だったとしても……あなたの贖罪しょくざいは、あなただけの贖罪ものだから」

「……自分が楽になるために、沙希を言い訳にするようなものだったとしてもか……?」

「それであの子が幸せになれるのなら、それでいいじゃない。ユーマにとって一番大切なことはなに?」

「――沙希がこの先もずっと、笑って幸せに生きていけることだ」


 即答する。

 迷いはない。

 答えは最初から出ている。

 あとは誰かが認めてあげるだけでよかったのだ。


「だったらそのためにあなたがするべきことは、こんなところでメソメソと言い訳してることかしら」


 フィルフィーネの忖度ない物言いに、悠真は思わず苦笑する。


「お前、案外容赦ないんだな」

「そうよ。だって、誰かさんを見てると昔の自分を見てるみたいで恥ずかしくなっちゃうんだもの」


 そう言って、悠真とフィルフィーネはどちらからともなく笑った。

 笑いながら、目尻に溜まった最後の涙がこぼれ落ちた。

 フィルフィーネに励ましてもらって、やっと笑えたことが情けなかった。

 でも、ようやく泣けたことが嬉しくもあった。

 悠真は息を整えるように大きく深呼吸をする。

 弱音は全部吐いたし、無様も晒すだけ晒した。

 これ以上何を言ったところでカッコ悪さはすでにマイナス方向にカンストしている。

 だから、これがホントにホントの、最後の弱音――。


「……俺はまだ、あいつの‟お兄ちゃん”でいていいのかな……」

「ユーマは、どうしたいの?」


 ……そんなの、十五年前から決まってる。


 優しく微笑むフィルフィーネに宣言する。


「俺はあいつの、自慢の‟お兄ちゃん”でありたい」


 ――ここからだ。

 ――ここから俺は、俺をやり直すんだ。

 ――もう‟階段の上から眺めているだけの俺”は終わりにしよう。


 止まった時間を動かすために。

 積み重ねた時間を嘘にしないために。

 悠真はあの日の階段を、下へ下へと降りていく――。


「――行こう。沙希を助けに。みんな、力を貸してくれ」


 いつの間にか、階段の下には心強い仲間たちがいた。

 力強く頷いてくれる仲間たちに、悠真は心の底から感謝した。

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