第69話「雨夜の協定」
【前回までのあらすじ】
突如として、悠真たちの学校を襲撃したマクスウェルこと志摩天多に沙希が連れ去られてしまった。
失意に暮れる彼らの前に現れた天多の姉、朝音によって天多の過去が語られる……。
「――で、その異世界に飛ばされたはずの弟さん……志摩天多って人がいつの間にかこっちの世界に帰って来てて、なぜか自分のことをマクスウェルと名乗り、父親に復讐したうえでまだ何かしようとしてる、と……そういうことでいいのよね?」
「うん、だいたいそんな感じー」
窓を叩く雨音が少し弱くなった頃、藤代家のリビングではこの街の魔術師たちが一堂に会していた。
悠真とフィルフィーネは立ったまま、澪依奈とフラートはソファに腰掛けて朝音の話を聞いている。
彼女の語った志摩家の過去については、彼女自身が見聞きしたものに加え、茜音が実際に目撃した内容が含まれているが、それでもすべての謎が明かされたワケではない。
朝音は悠真の用意した水を飲んで、渇いた喉を潤した。
「ペロペロ……はー、お水おいし。たーくんに関する昔話はだいたいこんな感じ。どう? うちのバカ親父がたーくんに恨まれてても仕方ないってのはよくわかったんじゃないかなーって思うんだけど。あ、私がバカ親父って言ったことはお姉ちゃんには内緒にしてね。言葉遣いが悪いって怒られちゃうから」
「は、はぁ……いや、どうって言われても……」
酷い話だとは思う。
でも、魔術師の家ならそういうこともあるのかも……と、悠真はちらりと澪依奈の顔を見た。
「そうですね……魔術師の適性や血統の話はそれなりに聞きますが、私はそれ以上に、志摩家がすでに異世界へ渡る手段を持っていたというのに驚きです。同じ土地で暮らしていながら、そんな話は噂すら聞いたことがありませんでした」
「そりゃーそうだよ。志摩家の当主になった人にしか教えられない秘術みたいだし、術式も難解すぎて原理もよくわかってないっぽいんだよね。正直、たーくんが本当にその異世界に飛ばされたかどうかも当時は半信半疑だったし」
「そこのところはどうなんだ、フィーネ。聖女以外にも異世界から来た人間っていたのか?」
「どうかしら。少なくとも私が知る限りでは、聖女以外にこの世界からメルセイムに来た人はいないはずよ。もしそんな人が居たとしたら、〈協会〉が放っておくはずがないわ。《転移門》の稼働が安定したのも四、五年前のはずだから……」
「じゃあマクスウェル……じゃなくて、天多ってやつは《転移門》が完成する前に、メルセイムに渡ってた可能性があるってことか」
「あたしたちが知ってる情報だけが真実とも限らないんじゃない? 別の世界へ行き来するような魔術が、ある日突然ぽんと完成するワケがない。あたしたち下っ端が知らないだけで、実は〈協会〉が裏で何年も極秘に研究してたのかも」
ありえない話ではなかった。もとより先が長くない世界の魔術組織だ。世界の外に目を向けた魔術の研究が盛んになっていたとしてもおかしくはない。
しかし、どこまでいってもこの話は推測の域を出ない。天多がメルセイムに渡ったかどうかは、本人に直接確認するしかない。
メルセイムで天多と会ったことがある、という人間がいれば話は早いのだが……。
「志摩天多が本当に異世界へ渡ったかどうかはひとまず置いておくとして、朝音さんは彼がこれから何をしようとしてるのか、ご存じではないんですか?」
「ごめんね、そこまではまだはっきりとしてないんだ。私とお姉ちゃんが家に戻ったら家政婦さんたちはみんな殺されてて、バカ親父の姿はどこにもなかった。二階の書斎だけかなり荒らされてたから、多分たーくんが何かを探してたんだと思う」
「何かって、なにを?」
「それがわかってるならすでに話してるってば」
「そりゃそうですよね……」
「多分だけど、その親父さんもあいつに連れ去られたんじゃないの? 〈協会〉のみんなみたいに影に呑み込まれてさ」
「……うん、だろうね。バカ親父の召喚した騎士の鎧がバラバラにされてたし、多分たーくんにやられたんだと思う。私もお姉ちゃんも、あんまり期待はしてないよ」
朝音は諦めたように、乾いた笑いをもらした。
魔術師同士の争いだ。倒した相手をわざわざ生かしておく理由もないだろう。
現場に遺体が残っていない状況から察するに、宗慶も〈協会〉の魔術師たち同様に影に取り込まれたと考えるのが自然だ。
……たしかあの時、『父親を手に掛けた』って言ってたよな、あいつ……。
学校での出来事を思い出す悠真だったが、このことを朝音に直接伝えはしなかった。マクスウェルこと、天多の発言が真実かどうかもわからない。わざわざ追い打ちをかけるようなことを言うべきではないだろう。
そんな悠真の気配りをよそに、朝音は、
「ま、生きてようが死んでようが、別にどっちでもいいけどね」
とあっけらかんと言ってのけたのだ。
「い、いいの? あなたの父親なんでしょう?」
「いいのいいの、あんなヤツ。お姉ちゃんや私にも散々酷いことしてきたんだから、因果応報だよ。もし本当にたーくんがやったんだとしたら、それはそれでちょっとスッキリするなーって思っちゃったくらいだし」
どうやら本当に父親の死には何の感慨もないようだ。
朝音はしっぽをぺしぺしと床に叩きつけて、喜んでいるのか怒っているのかよくわからない表情をしている。
狼の姿だからわかりにくいということではなく、単に朝音の本心が表情からは読み取りにくいということではあるのだが。
悠真は何と言っていいものか、と閉口した。
「事実がどうであれ、それはあなたたちの問題なので私たちには何も言えませんが……だとしたら、あなたたちの目的は一体何なのですか?」
「最初に言ったとおりだよ。私たちはたーくんを止めたいの」
朝音はきっぱりと断言する。
「父親を殺して復讐したってだけなら、それは身内の問題。魔術師らしく内々に処理すればそれで済む話。――でもあなたたちは違う。外の魔術師を敵に回すことは、間違いなくあの子の未来を閉ざすことになる。そんなのは、私たちの望むところじゃない」
現代の人殺しは重罪だが、魔術師の親殺しは罪の重さが違う。普通は即刻処分されても文句が言えないレベルだが、どうやら彼女たちにはそのつもりがないらしい。むしろ庇おうとしてるようだ。
魔術師としての繋がりをすべて捨て去ってしまえば、新たな人生を歩むことは可能かもしれない。
しかし、それはあくまで現代の話。
異世界の魔術師たちの恨みを買ってしまえば、一体どうなってしまうか――。
朝音は、ソファに座るフラートを見た。
「ふぅーん……そういうこと。愛しい弟の人殺しには目をつぶるくせに、いざ弟が危険に晒されそうになったら助けてほしいって? …………あんたそれ、どういうツラで私の前でのたまいてくれてるワケ?」
「――――っ、フラート!」
かまいたちのように鋭利な視線が、朝音の全身を撫でた。
殺気なんてものに疎い悠真にもわかるほど、フラートの敵意が朝音に向いている。
まるで針の筵だ。
もし朝音が彼女の機嫌を損ねるような回答をすれば、すぐにでも彼女の爪がその喉笛をかき切ろうと伸びるだろう。
フィルフィーネは無言で腰の槍に手を伸ばす。
周囲に緊張が走る中、朝音はおもむろに立ち上がるとフラートのすぐそばに歩いて行って、
「ごめんなさい」
と、深く頭を下げた。
予想外の行動に驚いたフラートは数度目をしばたたいた。
そして、冷たく言い放つ。
「何のつもり? それであたしがあいつを許すとでも思ってるの?」
「ううん。私が逆の立場だったら、多分許せないと思う。でもだからって、あなたたちから目を背けるのも違うと思ったから」
「……あっそ。ていうか、なんであんたが謝るの? あいつが勝手にやったことで、あんたは何も知らなかったんでしょ?」
フラートの問いに、朝音は少しだけ寂しそうに顔を伏せる。
でもすぐに顔を上げて、誇らしげに言う。
「私が、あの子のお姉ちゃんだから」
弟のためにそうしてあげられることが嬉しいのだと言わんばかりに、彼女はやさしく笑ったのだった。
「――――っ」
悠真はその様子を見て、胸の奥がずきりと痛んだ。
――俺は、あいつのお兄ちゃんだから。
かつて同じことを言ったような覚えがあった。
だけどその時の自分は、今の彼女と同じような気持ちだっただろうか。
……俺、あんな風に笑ったことあったっけ……?
フラートは大きなため息をついて、
「いいんじゃないの、それで」
と言って、どかっとソファに腰を沈めた。
「私だって一度は本気でサッキ―を誘拐しようとしたし、そこにいる優等生のお姉ちゃんを殺そうともした。そんなあたしが、他人のやったことにだけ文句を言うのも筋違いってもんでしょ」
「私は殺すつもりで闘ってませんけどね」
「そこ、いちいちうるさい。一回勝ったくらいで調子に乗らないでくれる?」
「魔術師の戦いに次がある方が珍しいですから。生きててよかったですね、フラートさん」
「――よし殺す。表に出ろ。あんたの氷でかき氷作って返り血のシロップかけてやるッ!」
「……あ、ちょっ、ストップストップ! 今そんなことしてる場合じゃないだろ! 鷹嘴も年下を煽るな!」
「すみません……。どうにも彼女相手だと思ったことをすらすら口にしてしまって……」
「やーい、怒られてやんの」
「あなたには言っても無駄でしょうからね。代わりに怒られてあげます」
「――は? ケンカ売ってんの?? いまここでやる??」
「やるなバカッ!!」
「……ぷっ、あはははははははは!」
突然始まったコントのようなしょうもない煽り合いに、朝音はたまらず吹き出し、狼の体で床を転げまわった。
「ははは……はぁー。ひどいこと言われる覚悟してたのになぁ。緊張して損しちゃった」
「そんな恰好で何言ってんだか。言っとくけど、許したとは一言も言ってないから。魔術師として、目的のために合理的な選択をしたまでよ。だからあんたも、あたしたちに手を貸しなさい。それで全部丸く収まったら……一発思いっきりぶん殴ってやるんだから」
ふんっ、とそっぽ向いて爪の手入れを始めるフラート。
その耳は、ほんの少しだけ赤く色付いているようにも見えた。
……本当に、素直じゃないんですから。
「――さて、これではれて協力関係となったわけですが……そもそもどうして我々を頼ろうと思ったんですか? さきほどの話では、弟さんは満足に魔術を扱えないという話でしたが……」
「昔は、ね。今のたーくんはどういうワケか魔術を使えてる。それに関しては、実際に目の当たりにした君の方が詳しいんじゃないかな?」
「……そう、ですね」
悠真は顎に手を当て、学校でのことを振り返ってみた。
思い返してみれば、《解析》の結果には違和感があった。
……あの感覚、《貪婪なる蛇》を解析しようとした時とどこか似ていたような気がする。あの影にも、何か秘密があるのかもしれない……。
考え込む悠真の様子が深刻そうに見えたのか、フィルフィーネは努めて明るく言い放つ。
「大丈夫よユーマ。私たちならどんな相手でも負けないわ」
「あ、あぁ……そうだな。フィーネがいてくれれば百人力だ」
「まぁ、たーくんとガチでやりあうことになったら……そん時はそん時で対処するとして、問題はたーくんが今どこにいるかさっぱりわかんないってことなんだよね」
「え? 私はてっきり朝音さんたちはすでにご存じなのかと思っていたのですが……」
「それがもう全っ然、まったく、さーっぱり。家に残ってたたーくんの魔力の残滓を追おうとしたら探索魔術がエラー吐いちゃうし、匂いを辿ろうにも歩いて外に出た形跡もないしで、私もお姉ちゃんもお手上げ状態。そこで、あなたたちならたーくんの行方を知ってるんじゃないかなーと思ってここに来たんだ」
力説する朝音に対し、悠真は申し訳なさそうにおずおずと手を上げた。
「いや、俺たちもあいつがどこへ逃げたのかがわからなくて困ってるところなんですけど……」
「え? そうなの? ……なんで?」
「なんでって言われても……逆にどうして俺たちが知ってると思ったんです?」
「だって、あなたたちの仲間の中に探索と潜伏に長けた魔術師がいるじゃない」
「探索と、潜伏……?」
悠真が振り返ってフィルフィーネと澪依奈を見た。
二人はともに首を横に振る。
――じゃあ、一体誰のこと?
その場に居る全員が首を傾げた――その時、
「まったく。やっぱり私がいないとダメみたいですね、フラートさん」
いつからそこにいたのか。
ハーゼがキッチンの陰から姿を現した。




