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第68話「志摩天多という魔術師について」

 魔術には『適正』というものが存在する。

 適性のある魔術師がその魔術を行使すればより強力になり、より繊細に術を操ることが可能となる。

 すべての適正は血に由来する。

 故に魔術師の家系は独自の魔術をより高みへと昇華させるべく、才ある人材を育て、より適正の高い人間との交配を望んだ。

 この何よりも『適正』を重んじる考え方を、魔術師たちは『適正主義てきせいしゅぎ』と呼んでいた。


 しかし、そんな思想もいまではすっかり過去のものだ。

 現代を生きる魔術師たちにとって、適正はあくまで才能と並べて語られる一要素に過ぎず、必ずしもなくてはならないものではなかった。


 ――適性がないのなら適性が必要のない魔術を扱えばいい。

 ――適性がなくても使えるように術式を改良すればいい。


 そう考えるようになるのは極めて自然な流れだった。

 古びた制約の多い高度な魔術は、より簡潔で多彩な汎用魔術と比べられるようになって、改めてその価値と意義を問い直された。

 魔術師は知識と探求の果てに真理を求める者であるべきで、生まれや血筋に縛られるのはよくない――という認識が、長い時間をかけて魔術師たちの常識にとってかわっていったのだった。


 けれど、いつの時代にも例外というものは存在する。


 その一例が志摩家である。

 志摩家は長い年月を経て、召喚術の術式を独自に確立させた古い家柄だ。

 時代の移り変わりに合わせ、いままでの成果と実績を切り捨てるようなことは、魔術の歴史を否定することに他ならない。

 彼らの主張は至極真っ当で、彼らには彼らなりの信念があり、矜持がある。それらをねじ曲げてまで、世の魔術師たちと歩調を合わせるようなことはまず有り得ないだろう。


 もとより魔術師とは、利己的なものなのだから――。


 †


「召喚術の本質は血の盟約だ。代々受け継がれてきた‟大いなる存在”を呼び寄せるためにも、この血に相応しい子を産んでもらわねば困る。……だというのに、あの姉妹はどうだ。魔術の才はともかく、召喚術への適性は皆無。これでは志摩の血が……召喚術の継承が途絶えてしまう!そんなことになったら、私は先代たちにどう顔向けすればいいのだ……!」


 ――まだ悠真たちが産まれるよりも前の話だ。


 当時、志摩宗慶しまむねよしは焦っていた。

 少しずつではあるものの、日に日に魔力が体から抜けていくような感覚があったのだ。

 それは加齢とともに身体機能が衰えていく感覚に近く、個人の意思ではどうしようもないことだった。

 齢四十にして魔術の泉が枯れていくこと実感する日々は、悪夢としか言いようがなかった。

 このままではいずれ召喚術どころか、魔術そのものが使えなくなってしまう。

 そうなれば魔術師としての彼の人生も終わりを迎え、志摩の召喚術も色褪せ朽ちていくことだろう。

 だからそうなる前に、一刻も早く跡継ぎを産み、育てねばならない。

 しかし、ようやく産まれたのは双子の姉妹。しかもそのどちらにも召喚術の適性はなかった。

 宗慶は酷く落胆した。

 せっかく名家の女と結婚したというのに、これでは意味がない。


 ……この女ではダメだ。もっと相性の良い母体が必要だ。


 宗慶はすぐに他の女性を探した。

 そうして見つけたのが陰陽師として名高い黒崎家の跡取り、黒崎清華くろさききよかという女性だった。

 黒崎家もまた、志摩家同様に古いしきたりが色濃く残る家で。

 宗慶が家の名を餌に清華をたぶらかすことは、そう難しいことではなかった。



「……ようやくだ。ついに適性のある子が産まれたぞ! これで志摩の血は安泰だ!!」


 双子の姉妹……茜音と朝音が産まれてから二年後。

 清華は産まれた子を、『天多』と命名した。

 天に瞬く星の数ほどに、多くの才を持つ子であることを願って――。


 天多は幼いころから魔術に関する様々な知識を叩き込まれた。

 天多にとって魔力は非常に身近な存在で、言葉を話すよりも先に魔力を練って遊んでいたとまで言われている。

 地頭じあたまのいい彼は、魔導書が絵本の代わりだった。

 驚異的な飲み込みの良さには、茜音たちも驚かされた。

 基本に忠実で、発想も柔軟。おまけに魔力に対する感覚も鋭い。

 魔術を学ぶために生まれて来たといっても過言ではない才能に、宗慶は確信した。この子は必ず、志摩家に大いなる利をもたらす――と。


 ――だが、天は天多に二物を与えてはいなかった。


 天多が六歳になったとき、魔術師として致命的過ぎる欠点が判明する。

 扱える魔力の総量があまりにも少なすぎたのだ。

 基本的な魔術の発動に必要な最低限の魔力ですら、天多は満足に制御することができなかった。

 これは技術の問題ではなく、体の内側にある魔力炉まりょくろが原因だと思われた。

 魔力炉とは、魔術師ならば誰もが持っている魔力を体内に巡らせるためのもので、いわば第二の心臓のようなものだ。体外から取り入れたマナを魔力に変換する役割も担うため、これが大きいとより大量の魔力を扱うことができる。

 天多はこの魔力炉が極度に小さいせいで、取り込める魔力も微量となり、魔術の発動に必要な魔力すらも確保できなかったのだ。

 水道管に大量の水を流し込んだところで、小さな蛇口から出てくる水の量が変わらないのと同じこと。

 これは、時間を掛ければ解決できるような問題ではなかった。


「なぜこの程度のことができない! それだけの知識がありながら、なぜ魔術を起動させることさえできないのだ、お前は!!」

「……ご、ごめんなさい……」

「謝るぐらいなら結果を示せ! いいか、お前はいずれこの家を継ぐ魔術師にならねばならんのだ。四元素の基本魔術すら扱えないやつに、志摩を名乗る資格などあると思うな!!」

「ごめっ……わかりました、お父さん……」

「できないのならばできないなりに工夫しろ。神経や血管をこじ開けてでも身体に魔力を流し込め。そうすれば少しは足りない魔力を補えるはずだ」

「えっ、でも、そんなことしたら魔力が……」

「口答えは許さん。お前は言われたとおりにやればいいのだ」

「……はい。わかり、ました……」


 天多に拒否権はなかった。

 言われるがままに魔力を取り込み、流し、自らの身体を痛めつけた。

 水道管が破裂する限界まで無理やり水を流し込んでも、蛇口の大きさが変わらなければ意味はないというのに。

 だがそうでもしなければ、天多はこの家には居られない。

 魔術師になるべく生まれた彼には、魔術師になる以外に選択肢はないのだ。


 ……お父さんがきたいするような、りっぱな魔術師にならなくちゃ……。


 それだけが天多の目標であり、生きる理由だった。



 それからの四年間は、本当に地獄のような毎日だった。

 魔術による肉体改造にはじまり、神経に作用する薬物の服用、暗示を用いた無意識化での魔力操作……。

 あらゆる方法を用いたが、何をしても天多の扱える魔力の総量が増えることはなかった。

 期待しては裏切られ、落胆した父に叱咤しったされる。

 次第に落胆は怒りに変わり、怒りは教育と称する暴力に化けた。


 ――なぜできない。できるはずだ。でなければお前に価値などない。


 実の息子でありながら、宗慶は本当に天多に容赦がなかった。

 休みなく行われる教育に、天多の心と体はどんどん擦り減っていった。

 そんな彼をギリギリのところで支えてくれていたのが二人の姉……茜音と朝音だった。


「あまり無理をしてはダメよ、天多。休むときはしっかりと休まなきゃ」

「そうだよたーくん。身体が壊れたら元も子もないんだよ」

「……ありがとう茜姉あかねぇ朝姉あさねぇ。でも、僕には才能がないから、人一倍……いや、三倍ぐらいはがんばらないと、父様の期待には応えられないんだ。それに、僕ががんばらないと、また姉さんたちが父様に酷いことされちゃうでしょ。……嫌なんだ。僕の代わりに姉さんたちが父様に叱られるところを見るのは……」

「天多……」


 天多は知っていた。自分が不甲斐ないばかりに、父の怒りの矛先が時折姉二人にも向いていることを。

 心優しい天多は、自分が傷つくことよりも、茜音と朝音の生傷が増えることのほうが何倍も辛かった。


 だから天多は努力した。

 たとえそれがどれほど可能性がゼロに近い、奇跡を起こすようなことだったとしても。

 天多は、魔術師になることを諦めない。


「大丈夫だよ。家のことは僕に任せて、姉さんたちはやりたいことをやって。それで、また話を聞かせてよ。昔みたいに、おもしろくてわくわくするような話をさ」


 ひどく疲れているはずなのに、屈託もなく笑う弟に、姉妹は涙をこらえて弟を抱きしめた。

 姉弟の絆はあたたかく、とてもたいせつな繋がりだ。

 そんな蜘蛛の糸のような繋がりがあるから、天多は折れることなくがんばれた。

 

 ――だけど、それでも。


 天多の努力が報われることはなかった。


  †


 十歳の誕生日の夜、天多は宗慶の書斎に呼び出された。

 カーテンを閉め切った部屋の光源は、宗慶の机に置かれたアンティーク風のテーブルランプのみだった。

 ほの暗い室内の粛然しゅくぜんとした空気に、天多はいつも以上にえりを正す。


「……何の御用でしょうか、父様」


 こんな時間に――という枕詞まくらことばを飲み込んで、父の反応をうかがう。

 宗慶は窓の外を眺めたまま、天多のことを視界にも入れず話し始めた。


「今日はお前の十歳の誕生日だったな」

「はい……慎ましくですけど、姉さんたちが祝ってくれました」

「そうか。……お前には幼いころから厳しく指導してきた。お前を立派な魔術師に育てあげ、我が家に代々伝わる召喚術を継承してもらい、召喚術の最奥さいおうに至る――そのためだけに、お前はこの家に産まれてきたのだ」


 天多は頷く。

 家のため、姉のため、そして自分のため――。

 幾重にも積み重なった責任という名の重圧は、幼いころから慣れ親しんだものだ。


 ……これくらいのプレッシャーで潰れているようじゃ、父様の望むような立派な魔術師になんてなれない。


「わかっています。一日でも早く魔術が使えるように、もっと努力して――」

「その必要は無い」

「…………え?」

「お前は魔術師にはなれない。魔術師ではない者に、志摩を名乗る資格もない」


 窓は開いていないはずなのに、書斎に小さな風が吹いた。

 宗慶がおもむろに振り上げた右手を下ろすと、どこからともなく鉄の騎士が姿を現した。

 志摩の召喚術。それを宗慶が独自に改良した、簡易型の即席召喚だ。

 意思なき鉄の騎士が腰に提げた剣を抜いて天多に切っ先を向けた。


「……と、父様? これは、一体どういう……」

「この甲冑には予め私が魔術で紋章を刻んである。召喚術の面倒なプロセスを省略し、すぐさま呼び出せるようにな。とはいえ中身は空っぽだ。直接私が操らなければならない程度の低い魔術だが、お前ではこの程度の魔術すら満足に扱えまい」

「それは、そうです……。でも、いつか必ず――!」

「――そのいつかは永遠に訪れないと、そう言っているのだ」


 鉄の騎士が剣を床に突き立てる。

 部屋の真ん中に立つ天多の足元が光を放ち、菱形の結界が彼を包み込んだ。

 予め用意されていた、彼を捕縛するための結界――。


「……け、結界⁉ 父様――⁉」

「お前には召喚術の適性があったが、他には何もなかった。ただ賢いだけで、中身のないハリボテのようなお前のことを、私はどうすればいいのかわからなかった」


 適性の有無は、魔術による血液診断のようなものだ。

 陰か陽かを確かめる以上の意味はなく、天多が魔術師として大成するかどうかは、その時点ではわからなかったのだ。

 だからこそ、宗慶は期待した分だけ絶望した。

 絶望の先に、狂気を見出すほどに……。


「由緒正しき志摩の家系に、お前のような存在は無価値どころか迷惑でしかない。だから私は、もう一度初めからやり直すことにしたのだ。志摩天多という人間を、この世から消し去ってな――」


 宗慶が手をかざすと、天多の足元に大きな魔法陣が出現した。

 時計の針が巻き戻るように、魔法陣は反時計回りに回転している。

 これから自身の身に一体何が起こるのか。

 天多は不安と恐怖に苛まれながら、宗慶に懇願する。


「や、やめてよお父さん! 僕、がんばるから……絶対、魔術師になってみせるから……だから――!」

「もう遅い。魔術の才は肉体の成長に伴って発現するものだ。十歳になったお前が今後どれだけ研鑽を積もうとも、芽吹かぬ種が花を咲かせることはない」

「そん、な……そんなことって……」


 天多は愕然とした。


 いつかは、自分も立派な魔術師に――。


 そう信じて積み重ねてきた時間は、一体なんだったのか。

 一体なんのために、あれだけのつらい思いをしてきたのか。

 滑稽な話だ。

 夢も希望も、可能性さえもう残されていないだなんて。


 ……そんなのってない。そんなの、あんまりじゃないか……!


「そんなお前にも、最後の使い道が残されている」

「え……?」

「この魔術は召喚術の研究の過程で生まれた不完全な魔術でな、こことは違う世界への扉を開くことができると言われている。ただしその扉は一方通行で、どこへ繋がっているのかもわからない。この魔術は《虚構流し(ドリフト)》と呼ばれ、長い間禁忌とされてきた。――とはいえ、本当に異界に繋がっているのかどうかを確かめる手段はない。なにせこの扉をくぐったが最後、帰って来た者は一人も居ないのだからな」


 それはつまり、この魔術でこの世界から消えた人間がすでに複数存在するということで――。

 天多は父の意図をすべて理解した。

 理解、できてしまった。


「僕にその、異世界があるかたしかめてこい……ってこと?」

「……お前は本当に頭の回転が早い。その才が少しでも、魔術の方を向いていれば、違った未来もあったかもしれないというのに」


 不確定な魔術を立証するための人柱。

 それが、天多に与えられた最後の役割。

 帰ってこられるのかどうか……そもそも本当に異世界というものがあるのかどうかすらもわからない。異世界にたどり着くことなく、世界と世界の狭間の空間を永遠に彷徨うことになるかもしれない。

 もし、万が一にでも異世界にたどり着いた天多がなんらかの方法で帰還した場合、志摩の魔術は新たな領域へとステージアップすることができる。

 仮に失敗したとしても、宗慶は愚息の存在をこの世から抹消できる。


「いやだ……そんなこと僕にできるワケない! ……ゆるしてください……たすけて。だれか、助けてよぉ……!」


 涙を流し、何度も結界を叩く天多。

 そんな息子の姿を目の当たりにしてなお、宗慶はまるでゲームのリセットボタンを押すように、粛々と《虚構流し(ドリフト)》の詠唱を開始する。


「界の狭間、天のごく。宵闇に灯りし月陰と、孤独ひとりたのしむ時の旅人――」


 魔力が活性化し、魔法陣が鼓動する。

 天多の体がぼうっと透け始め、肉体が泡のように溶け始める。


記憶かこを捨てよ、想念こころを捨てよ。ここに在るのは命の証明。彼方へ運ぶは空白の揺り籠――」


 地に足が付いている感覚がなくなって、いよいよ天多は世界から弾かれる。

 魔術が世界の認識で成り立っているように、この世界に生きる人間も必ず世界から認識されている。

 いわば認識の鎖に繋ぎ留められている状態だ。

 だから志摩天多という個体の情報をここに置き去りにすることで、世界の壁を超えるようとしているのだ。


「いざやいざや、満ち足りし月は反転した。天地開闢てんちかいびゃくの鐘の音を以て、汝、狭間の海を渡る船頭とならん――!」


 詠唱が終わり、魔法陣の上に立つ天多は今この瞬間、世界の認識から逸脱した。

 親子だった二人の視線が合わさり、最後の言葉が交わされる。


「精々奇跡が起きることを祈るがいい。お前にできるのは、それだけだ」

「あ、あぁ……っ、お父さあああああああああああああああああん……!!」


 断末魔のような叫び声と共に、天多はこの世界から消え去った。

 はたして、彼は本当に異世界へ飛ぶことができたのか。

 結果は誰にもわからない。

 一部始終を部屋の扉から覗いていた、茜音にも――わかるはずがなかった。


 こうして、志摩天多という人間は最初からいなかったことにされ、その後は茜音が次期当主となるべく育てられた。

 召喚術の使えない彼女の、限られた使い道のために――。

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