第65話「手を伸ばせば届く距離で」
「ふ、フラート? ……なんで、お前がここに……?」
「んもう、今朝言ったじゃん、学校が終わるころに迎えに行くって。……まぁ、ちょーっと遅れはしたんだけど。それでいざ来てみれば気持ち悪い魔力が学校中に漂ってるんだもん。さすがに焦って全力疾走しちゃった」
見ればたしかに、フラートの額には汗がにじんでいる。
急いで駆け付けてくれたのだろう。
悠真はフラートに対し何かを言おうとして、結局やめてしまう。
「そういうユッキーの方こそどうしたの? 生きてる理由がわからなくなって、全部どうでもよくなっちゃった――みたいな顔して」
「…………っ」
的確過ぎるフラートの指摘に、悠真は思わず彼女から目をそらした。
フラートはむっとして、両手で悠真の頬をパシンとはさみ、無理やり自分の方へ向かせた。
「逃げちゃダメ」
「……え?」
「何があったのかは知らないけど、あたしはその目を知ってる。嫌なこととか、辛いことから目を背けたいって目を、よく知ってる。……でもね、そうやって目をそらして逃げたってイイことなんてひとっつもないんだよ」
孤独を知り、家族のあたたかさを知った。
別れを知り、出会うことの尊さを知った。
十五歳の少女とは思えぬ人生の積み重ねが、いまの彼女を形作っている。
生きた年月など関係ない、大切なのは今、この瞬間なのだとその身で体現するかのように――。
フラートはただ、ありのままの言葉を贈る。
「それが難しいって言うんなら……いまは見てて。あたし、もう逃げないから」
フラートはそれだけ言うと、悠真から手を放して立ち上がる。
「励ましタイムは終わったかい?」
「励ましてなんかない。ただ事実を教えてあげただけ」
逃げてばかりの……ただ生きるために生きてただけの、つまらない過去の自分を思い返す。
つまらない人生だと笑い飛ばしてくれたあの人を、ただ見送ることしかできなかった、あの日の自分を――。
「――で、いま思い出したんだけど……あんたでしょ。みんなを殺ったの」
「みんなってのは誰のことだい? 心当たりが多すぎてちょっとわからないんだけど……もしかして、彼らのことかい?」
嫌らしく笑うマクスウェルは、おもむろに両の手を広げた。
すると、彼の影の中から新たな人影が現れる。
砂山を築くように、重なり合った影が形を成す。
「――え……?」
フラートは目を見開いた。
さっきまでの人影とはまるで違い、はっきりとした輪郭があった。明確な形のイメージがあるのか、自身の足でしっかりと立っている。
人影は全部で六体。体格どころか髪型までくっきりと見分けることができるほど、陰影の濃淡が描写されている。。
まるで本物の人間を真っ黒に染めたかのような精巧さだ。
だが、フラートが目を見開いた理由は他にある。
「……ファーガス、ルドルク、メイ、カルラ、トーマス……ナタリヤ!」
沈痛な面持ちで六人分の名を口にするフラート。
それがあの人影たちの本来の名前なのだと、その場にいる誰もが理解した。
「そうか、そういうことか……! あんた、みんなの死体を取り込んだのね⁉」
現場に残された血痕と、消えた死体の行方。
その答えがこれだ。
「使い道のない死体を僕が有効活用してあげただけのことさ。これは《影法師》。記憶も意志も肉体もない、人だったモノの抜け殻だ。僕の指示にだけ従う影人形って言った方がわかりやすかったかな」
「ふざけンなよ、このクソ野郎が――!! そのすました顔を今すぐズタズタに切り刻んでやる!!」
口汚く罵るフラートの爪が熱を帯び、赤く輝き出す。爪に刻まれた術式……《竜爪蛇火》を起動した。
フラートは刃渡り十センチほどのヒートブレードと化した爪で、マクスウェルへと飛び掛かる。
「はああああああああああああああ!!」
「おぉ、怖い怖い。でも君の相手は僕じゃないだろ」
――ガキィンッ!
超高音の爪は、ファーガスの持つ杖によって受け止められた。
武器として再現されただけの影の杖には何の機能もないが、杖を扱う《影法師》の動きはファーガス本人の動きをそのままトレースしたかのように、正確で力強い巧みな杖さばきだった。
相手の獲物は影だ。フラートの爪の熱がどれだけ高かろうと、熱が伝わないのでは意味がない。
フラートはもどかしそうに口を開く。
「くっ……あたしがみんなの仇を討ってあげるから、邪魔しないで!」
フラートがどれだけ呼び掛けようとも、《影法師》たちに反応はない。ファーガスはマクスウェルに従って、フラートの相手をし続ける。
ファーガス以外の《影法師》はその場から動かず、二人の戦闘を見守っていた。守りに徹しているというよりは、そもそも加勢する必要がないといった感じだ。
実際、フラートはファーガス一人を相手に攻め切ることができないでいる。
《影法師》は影に取り込んだ人間をそっくりそのまま真似た、言うなればドッペルゲンガーのような存在だ。取り込んだ人間が強ければ強いほど、《影法師》も強くなる。
明確な欠点としては、《影法師》は魔術を使えず、オリジナル以上の力を発揮するようなこともない。思考しないため反応速度は速いが、どうしても動きは単調になりがちだ。
だからいくら元が優秀な魔術師だったとはいえ、魔術の使えない劣化コピーの影人形にフラートが劣る道理はないのだが……。
……これはあいつの魔術で生み出された偽物。頭ではわかってる。わかってるのに……!
「あーもう、やりづらいっ……!」
フラートが攻め切れない理由は二つある。
まず第一に、場所が悪い。
学校の教室は狭いうえに、吹き飛んだ机や椅子が邪魔で動きにくい。おまけに天井があまり高くないので、爪を伸ばすのにも気を配る必要がある。
彼女にとって、ここは非常に戦いにくい空間だ。
そして第二に、相手が悪い。
フラートは何度かファーガスと手合わせをしたことがあったが、勝ったことがないどころか、まともに攻撃を当てられた記憶がなかった。魔術でも、近接格闘でも。
つまるところ、ファーガスは《影法師》になってさえも、フラートより強いのだ。
「くっ……うううっ……人の動きを全部読めてるみたいに綺麗にさばいてくれちゃって……! そういうところが、ほんっとうに嫌いだったんだからね!」
勝ったことがないという苦手意識が邪魔をしてるせいか、フラートの動きはいつもより鈍い。
おまけに澪依奈との戦いで破損した爪はまだ完治していないので、爪を酷使する魔術は使えない。
搦め手に机や椅子を爪で突き刺し放り投げてみるが、《影法師》は意にも介さず杖であっさりと叩き落した。
その隙にフラートが《影法師》に肉薄するが、返す杖の打撃によって、また距離が開いてしまう。
そんな一進一退の攻防は、マクスウェルにとって都合のいい膠着状態を生んだ。
「……さてと、それじゃあやることは済んだし、そろそろ下校の時間かな」
――キーンコーンカーンコーン。
マクスウェルの予告したとおりに、チャイムが鳴り響いた。
だが最終下校時刻である十八時にはまだ時間がある。
こんな中途半端な時間にチャイムが鳴るはずがない――。
疑問に思った悠真が周囲を見渡すと、変化はすぐに現れた。
足元からじんわりと魔力が教室中に広がっていく。
「こ、こいつは……⁉」
「まさか、そんな……⁉」
やがて教室の床に巨大な魔法陣が足元に浮かび上がった。魔法陣はゆっくりと回転しながら淡く発光している。
幾重にも重なる線に、読めない文字と記号の羅列。それらはすべて意味のある情報体として、この魔法陣を構成する大事な要素になっている。
魔法陣の発現は、何らかの術式の起動に伴うものに違いない。
この光景を、悠真とフラートはまったく違う場所で、同じように見覚えがあった。
「――召喚術⁉」
「――《転移門》⁉」
本来であれば異なる意味を持つその二つの魔術は、見方を変えれば似たような仕様を持つことに気が付く。
すなわち、《《どこかへ何かを瞬時に移動させる》》という仕様だ。
――招く、召ぶ。
――送る、帰す。
違う言葉が似た意味を持つように、魔術の解釈も一通りではない。遥か彼方から手元に呼び出す術式も、反転すれば遠くへ何かを運ぶ手段となり得る。
それがマクスウェルの編み出した召喚術の応用。
《転移門》の原点とも呼べる、転移魔術の足掛かりだ。
「彼に言いたいことは言えたし、こうして聖女も手に入った。『送り人』が来る前に、大手を振って帰るとしよう。それじゃあ、君たちとはここでお別れだ。どこかで僕の復讐を見守っててくれ」
マクスウェルと沙希の体が半透明に透け始める。
転移の前兆だ。
もはや一刻の猶予もない。
「んー! んんーーーっ!!」
「……沙希!!」
「え、ユッキー⁉」
フラートの視界の端を駆け抜ける姿があった。
悠真が震える足に魔力を流し、無理やりに走り出していた。
悠真の心の中は荒れ果てたままで、気持ちの整理はつかない。つきようもない。罪悪感も消えない。今までのように、自分のことを沙希の兄と名乗ってていいのかどうかさえわからない。
だけど……それでも、手を伸ばせば届く距離にいる妹が目の前からいなくなってしまう恐怖にだけは、耐えられそうもなくて。
過去も今も、何かも置き去りにしてただ走った。
悠真を止めようと動き出す《影法師》たちを、フラートは爪を伸ばして一掃する。
無理をした爪が軋む。
……でも、割れてないなら平気!
「行って、ユッキー!! 露払いならまかせて!」
障害は排除された。転移直前でマクスウェルもアクションが取れない。
あとは沙希の手を掴んで引き寄せるだけでいい。
チャンスはこの一瞬だけ。
悠真は沙希に向かって、目いっぱい右手を伸ばした。
「沙希――――ッ!!」
あと少しで、沙希の手を掴める。
もう少しで、沙希に罪を償える。
なのに――。
「…………え?」
悠真は自分の目を疑った。
永遠のような刹那の時間の中で、沙希は悠真の目の前で涙を流しながら、首を横に振ったのだ。
……なん、で。
理由がわからず混乱する悠真を嘲笑うように、マクスウェルが刻限を告げる。
「残念、時間切れだ」
魔法陣が明滅し、光が教室を満たした。
悠真たちの視界は真っ白に染まり、次に目を開けたときには、マクスウェルと沙希の姿はもうどこにもなかった。
《影法師》たちも文字通り、影も形も見えない。
まるで嵐が通り過ぎたあとのように、教室は静寂に包まれた。
あとに残ったのは荒れ果てた教室と、倒れたままの生徒たち。
そして、虚空に手を伸ばしたまま立ち尽くす魔術師が――ひとり。
「あ、ああ……うああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
悠真の慟哭に似た絶叫が、学校中に響き渡る。
その声を聞きつけて、杏子と健児が遅れてやって来たころにはもう、すべてが終わってしまっていたのだった。




