第64話「お前のせいだ」
――そして場面は再び、一年二組の教室へと戻ってくる。
悠真が一年二組の教室に飛び込んだ時、彼はまだ冷静だった。
敵は間違いなく魔術師で、あれだけの影をいっぺんに操る手練れだ。無策で挑めば沙希を助けるどころの話ではない。
そう……頭ではわかっていたのだが。
「沙希!」
「お兄ちゃん!」
影に手足を拘束された沙希を見た瞬間、悠真の頭に血が上った。
目の前が真っ赤に染まったかと思うくらい、感情をコントロールすることができなくなって。
悠真は沙希の横に佇む趣味の悪いペストマスクの不審者に向かって走り出し、拳を振り上げた。
「沙希を離しやがれ、このクソ野郎ッ!!」
怒りに任せた一撃は、悠真らしからぬ力と速さで繰り出された。
しかし、その拳はペストマスクに届く寸前で止まってしまう。
まるで粘土を殴ったかのような感触の正体は、影に拳を受け止められたせいだった。
……また影。やっぱりこいつが例の影を操る魔術師か……!
「これはまた随分手荒い挨拶だ。そう怒らないでほしいな、藤代悠真。彼女は無事だよ。今のところは、ね」
「くっ……!」
影に拳を押し戻され、悠真は数歩後退する。
「妹の方には先に済ませたが、まずはきちんと自己紹介をしておこう。僕の名前はマクスウェル。もう察しはついてると思うけど、聖女である君の妹……藤代沙希を奪いに来た」
「悪魔でも自称してるつもりか。――させるワケないだろ、そんなこと!」
「だから話を聞きなって。彼女を奪うだけなら、僕はとっくにこの場を立ち去ってるさ。じゃあなぜまだここにいるのかというと……僕はね、君に会いたかったんだよ、藤代悠真」
「…………は? 俺に?」
予想外の言葉に、悠真は自分の耳を疑った。
マクスウェルが自分を気に掛ける理由に心当たりなどない。
そもそも、魔術師の知り合いなどついこの前まで皆無だったのだ。
ましてや、異世界の魔術師など――。
「――二〇XX年、七月三十一日」
唐突にマクスウェルが過去の日付を口にした。
それだけで、悠真の表情は急激に青ざめた。
「『女の子がデパートの階段から足を滑らせ、頭を床に強く打ち付け意識不明の重体』。……たしか当時はそんな風にニュースで報道されてたっけ」
「…………なんで、お前がそのことを……お前は、異世界の魔術師なんじゃ……」
「僕はそんなこと一言も言ってないだろ。僕は正真正銘、こっち側の魔術師。――でね、実は僕、見てたんだ。あの日、あの場所で、君が彼女の体を突き飛ばした……その瞬間を」
「――――――っ⁉」
悠真は絶句した。
心臓を鷲掴みにされて、首にナイフを突きつけられたような心地だった。
体温が下がったわけでもないのに肌寒い。
呼吸がうまくできなくて苦しい。
そして何より、沙希の顔を見るのが怖かった。
あれだけ心配していたはずなのに、今は目を合わせることさえ怖くてしかたない。
だって、見たらわかってしまう。
沙希があの日のことを、どう思っているのかが。
マクスウェルはゆっくりと、胸を押さえる悠真に近寄る。
悠真にはそれが、過去の罪が追いかけてきたように思えて。
「ねぇ、黙ってないで僕に教えてくれよ」
無防備に隣に立つ敵を前にして、拳を握ることさえできなかった。
「実の妹をその手で殺したとき、一体どんな気分だったんだい?」
悪魔の囁きは、彼の罪を白日の下に晒し上げた。
――十年前のあの日、取り返しのつかないことをしてしまった運命の日の光景が、悠真の脳内にフラッシュバックする。
それはすべての始まりであり、悠真が生き方を明確に決めた出来事だ。
『まだ幼いころの話だ』
『お前の所為じゃない』
『あまり自分を責めないで』
教師が、友人が、母親が言う。
そのたびに悠真は自分を許せなくなった。
どんな言葉で取り繕おうとも、事実は事実としていつも目の間に合ったからだ。
妹を……沙希を突き飛ばした瞬間の感触は、今もその手に残っている。
返り血を浴びてもいないのに、目に焼き付いた血の赤色が網膜を焼いた。
「はぁ――っ、はぁ――っ……!」
胸を押さえて苦しそうに俯く悠真の様子に、マクスウェルは期待外れだと言わんばかりに背を向けた。
「はぁ。もっと面白い反応を期待してたのに……がっかりだ。そもそも普通おかしいと思うだろ」
「…………何のこと?」
喋れない悠真の代わりに、沙希が尋ねた。
悠真も気になったのか、苦々しい表情のまま顔を上げた。
「一度死んだはずの人間が奇跡的に生き返るなんてこと、本当にあると思うかい? 呼吸も心臓も止まって、なのに数時間後に息を吹き返しただなんて……そんな無茶苦茶な話、ラノベにだってそうはないさ」
「……何が言いたいの?」
「奇跡なんてものはこの世界にはないってことさ。あり得ないような事象には、必ず理由があり、原因がある。ほら、あとは想像だ。死んだ人間が生き返ってもおかしくないようなあり得ない力の存在を、君たちはもう知っているだろう」
悠真はマクスウェルの言っている意味がわからず、首を傾げた。
奇跡でなければなんなのか。
理由があるなら言ってみろ。
悠真が強い口調でそう言い返す前に、沙希がぽつりとつぶやいた。
「――聖女の、魂」
悠真はハッとして沙希を見た。
沙希は驚くでもなく、やっぱりそうなんだ、とどこか腑に落ちたような表情をしていた。
「どうやら妹の方は薄々気付いてたようだね。そう、あの日一度死んだはずの君の魂に聖女の魂が混ざり合うことで、君は奇跡的に息を吹き返した。そのおかげで、聖女の力をも手に入れることになったというワケさ」
「で、でも私、小さいころはそんな特別な力なんて持ってなかった……!」
「そりゃそうさ。魂が混ざり合ったからって、すぐに聖女としての力が覚醒するわけじゃない。別々の魂が適合するのには、それなりに時間が掛かって当然だ。〈協会〉はそれを無理やり早めるために、色んな実験を繰り返していたようだけど……まあ、これは君たちは知らなくてもいいことか」
魂の形は人それぞれ異なると言われている。目に見えないそれらを正確に観測することは難しいが、ある程度の推測はすでに立てられている。
――パズルだ。人の魂は様々な要素のピースを当てはめることで、唯一無二の魂を形成すると言われている。
そのパズルの大きさやピースの数には限界がある。
では、どのようにすれば二つの魂を混ぜることができるのか。
簡単だ。完成してるパズルからピースをいくつか取り外し、新しいピースをはめればいい。
それが意味する真実に、悠真は戦慄した。
「ま、待て……待ってくれっ。それじゃあ、聖女に選ばれるための条件っていうのは、まさか……!」
「――一度死ぬことさ。生命としての死を迎えることで魂が欠け、聖女の魂が混ざる余地が生まれるんだ。だからね、藤代悠真。君の妹が聖女になったのは、君の所為なんだよ」
「……そん、な…………」
衝撃的な事実を前に、悠真は膝から崩れ落ちる。
〈協会〉から沙希を守ろうとしていた悠真自身が、そもそもの発端だったのだ。
――沙希が聖女になんてなっていなければ、こんなことにはなっていなかった。
心のどこかでそんなことを考えていたが、それは間違いだった。
――悠真が沙希を死なせていなければ、沙希は聖女になんてなっていなかった。
今までの言い訳が、すべて自分に跳ね返ってくる。
これまでに起こったこと……そしてこれから起こるであろうすべてが、もとを正せばあの日の自分の過ちに繋がるのだ。
悠真の目から涙が零れ落ちる。
この十年間、罪悪感に苛まれ続けた彼の心が、ついに限界を迎えてしまったのだ。
「……ぜんぶ、おれのせいだったのか……?」
「そうだ、全部お前のせいだ! 〈協会〉が彼女を狙うのも、僕がこうして彼女を奪いに来たのも、もとはといえば、君が彼女を殺したのが原因だ!!」
「――違う!! お兄ちゃんのせいなんかじゃない!! お兄ちゃんは私の……んーーっ!!」
「少し黙っていてくれ。今いいところなんだ」
マクスウェルは影を操って沙希の口を覆うと、膝を付いて俯く悠真の前に立った。
「僕はね、実のところ君の同類なんだよ。僕は実の父親をこの手に掛けた。子供のころから憎くて憎くて仕方なかったあいつを、ようやく殺すことができた。なのに、何の実感もわかないんだ。長年の恨みを晴らすことができた達成感も、家族を殺した罪悪感も、何も感じないんだよ。……僕の復讐は、間違ってたのか?」
悠真の髪の毛を掴み、無理やり上を向かせる。
まるで死人のような彼の顔を、マクスウェルは容赦なく言葉で切り刻む。
「だから教えてくれよ、藤代悠真。君はあの時、何を感じた? 血だまりに倒れる妹を見て、何を思った? なぁ、教えてくれよ……なぁなぁなぁなぁなぁあ――!!」
「んんーーーーーっっ!!!!」
絶望した表情のまま、涙腺が壊れボロボロと涙を流す悠真。
そんな兄を見て、沙希の目からも涙があふれ出す。
……違う。そうじゃない。お兄ちゃんは、そんな人じゃない……!!
沙希は自分の気持ちを必死に伝えようとする。
けれど、どれだけ必死に口を動かしたところで、言葉はすべて影にのまれて消えてしまう。
喉の震えと涙だけが、どうしようもなくあふれてくる。
……私はいつも何もできない。お兄ちゃんに守られてばっかりで……お兄ちゃんが苦しんでいるのに、どうして私は、ただ見てることしかできないの……! 私に聖女の力があるのなら、いますぐお兄ちゃんを助けてよ……!!
現実は、沙希の愛するWEB小説のように都合よくはいかない。
沙希がどれだけ願っても、彼女の中に眠る聖女の力が目覚めることはなかった。
だとしても、彼女の味方は悠真だけじゃない。
「ちょおーっと待ったあああああああああああああああああああああ!!」
――パリィン……!!
突然、教室の窓ガラスを叩き割って誰かが侵入して来た。
その人物は、飛び散る窓ガラスに紛れて、体の一部を伸ばしマクスウェルの首を狙った。
「おっと――」
屈んだままだったマクスウェルは、瞬時に横に飛び退いて、それを視認した。
爪だ。鮮やかな藍色のマニキュアが塗られた爪が、悠真には当たらないように、マクスウェルを狙って伸びたのだ。
ぱさり、とマクスウェルの被っていたペストマスクが床に落ちる。どうやら爪先がマスクをかすめていたらしい。
マクスウェルは素顔が割れたことに動揺する素振りは見せず、目の前のイレギュラーに対し、端的に問う。
「……誰だ、お前」
尋ねられた少女が不機嫌そうにふん、と鼻を鳴らす。
「人に名前を尋ねるときは、まず自分から名乗るのが礼儀ってもンでしょうが。 あんた、さては友達いないでしょ?」
「だったら、どうだと言うんだい?」
「質問に質問で返すんじゃないわよ。……はぁ、まあいいわ。一度しか言わないから耳の穴かっぽじってよーく聞きなさい」
少女はツインテールを揺らし、自慢の爪を見せびらかすように、胸の前で手の甲を相手に向けた。
その仕草がかわいくて、カッコよくて……沙希は思わず見惚れてしまう。
「あたしはフラート。元〈協会〉所属で、いまはただのはぐれ魔術師。だからぶっちゃけあんたがどこの誰かなんて興味はないの。……でもね、これだけは言わせてもらうわ――」
フラートは右手の指を揃え、爪を自らの首に当ててなぞるように動かしたあと、指先を地面に向けて垂直に突き立てた。
それは、明確な殺意の証だった。
「――あたしの友達を、泣かせてんじゃないわよッ!!」
かつてない少女の怒りに、聖女は胸を震わせるのだった。




