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第62話「復讐するは我にあり」

 ――時は少しだけ遡る。


 下校時刻を告げるチャイムが鳴り響いてからしばらくして。

 異変は一年二組の教室でも起こっていた。

 沙希と一緒に悠真を待っていた朋花の体が、突然ぐらりと傾いた。


「あ、れ…………?」

「ともちゃん⁉」


 机を挟み向かい合わせに座っていた沙希は、椅子を蹴飛ばすように立ち上がり、腕を伸ばして朋花の体を支えた。けれど支え切ることができず、一緒になって床に倒れ込んだ。

 ついさっきまで楽しそうに話していたはずの友達の顔は、とても苦しそうだった。


「……っ、ともちゃん大丈夫?」

「沙、希……ごめん、なんか……すごく眠く、て………」

「え、ともちゃん……? ともちゃんってば!?」


 沙希の呼びかけに反応することもできず、朋花はあっという間に眠りの淵に落ちてしまった。

 周りを見れば、教室に残っていた数人のクラスメイトたちも同じように床に倒れていた。

 沙希以外のみんなが、一様に苦しそうな表情で眠っている。

 起きている自分が正常なはずなのに。

 沙希はまるで自分だけがこの世界に取り残されているような……そんな孤独感に襲われた。


「どうして私だけ何ともないの?」

「それはもちろん、君が聖女だからだよ」

「――誰⁉」


 聞き覚えのない声がして、沙希は慌てて振り向いた。

 教室の窓際に、自分と同じくらいの背丈の少年が立っていた。

 彼は奇妙なペストマスクを被り、紫紺の外套を羽織っていた。見るからに不審すぎる格好だ。

 くぐもった声が、マスク越しに沙希の耳を撫でる。


「はじめまして、藤代沙希さん。僕の名前はマクスウェル。単刀直入に言わせてもらうと、僕は君を迎えに来たんだ」

「マクスウェル……? 迎えに来たって、何のために?」

「聖女である君を、僕の計画に利用するためさ」

「――――っ⁉」


 本心を包み隠さず語るマクスウェル。

 沙希はとっさに身構え、冷静にポケットの中のスマホへと手を伸ばそうとした。

 そんな彼女の動きを、マクスウェルは見逃さない。


「変な考えは起こさない方がいい。お友達がどうなってもいいのなら、止めはしないけどね」


 マクスウェルが指先を倒れた朋花に向けた。

 それだけで、沙希の動きを止めるには十分な抑止力となった。


「……あなたも〈協会〉の魔術師なの?」

「まさか。たしかに僕は魔術師だけど、冗談でもあんな連中と一緒にしないでくれ――イラついて思わず手がすべっちゃうだろ」

「まっ――――」


 ――ガァンッ!!


 マスクウェルの指先から魔力を押し固めた漆黒の弾丸が放たれた。弾は沙希の髪をかすめて、背後の壁にヒビを入れた。


 マスクウェルの語気には、明確に怒りがにじんでいた。

 怯える沙希の足元の影がぐにゃりと歪んだ。影は形を変え、まるで意思を持ったかのように動き、沙希の手足を拘束した。


 ……こ、これって昨日フラちゃんが言ってた影を操る魔術⁉ ――ってことは、この人が〈協会〉の魔術師を殺して回ってるっていう……!


 沙希の体から血の気が引いた。

 拘束された手足に力を込めてもがいてみるが、影の拘束はビクともしない。


「このっ! 放して……放してってば!」

「放したらきみ、何しでかすかわかったもんじゃないだろ。聖女の力はまだ上手く使えないみたいだけど。少しの間大人しくしててもらうよ」

「あなたも聖女の力が目当てなの⁉」

「最初にそう言ったでしょ。あーいや、力そのものにはそこまで興味はないかな。重要なのは、君が聖女であるということだけだ」

「…………?」


 ……どう違うの? よくわかんないけど、〈協会〉の人たちみたいに私を生贄にしようとしてるワケじゃない、のかな?


 それなら話を聞いてみる価値はあるかも、と沙希は勇気を振り絞って口を開く。


「だ、だったら事情を話してみてくれないかな。もしかしたら、私が力を貸してあげられるかもしれないし」

「……協力? 君が? は、はは……――あはははははははははは!」


 マクスウェルは腹を抱えて大声で笑うと、影を操って拘束した沙希の体を引き寄せた。

 沙希のあごに指を這わせ、上を向かせる。


「面白い冗談だ。さっきの戯言よりよっぽど面白いよ。笑わせてくれたお礼に、少しだけ僕の目的を教えてあげる。――僕はね、異世界ってやつが大嫌いなんだ」

「――え?」


 予想外の言葉に、沙希は目が点になった。

 一体何の話をしているのだろう。


「異世界って、メルセイムのこと?」

「そう、魔術に生かされてるくせに、魔術を使って人を支配する狂った世界のことだよ」

「狂った世界って、そんな言い方――」

「他に適切な言葉があるかい? 自分たちが生き残るためなら、他人の命だろうが他所の世界だろうが簡単に利用する腐った連中が生きる世界には、これ以上ないぴったりな言葉だと思うけど?」


 マクスウェルはさらりと言ってのけたが、その瞳は暗く濁っている。

 憎悪や義憤、悲哀に同情……並列に出力されるはずのない感情がごちゃまぜになって、毒のように沙希の心を侵食する。


 命を狙われる自分が、彼らを擁護する理由がどこにある?

 彼はただ事実を口にしているに過ぎないではないか。

 そんな気持ちばかりがあふれてくる。

 もしかすると、この暗い気持ちは以前からずっと持っていて、マクスウェルの言葉は、心の奥底に沈んでいたものをすくい上げただけ……そんな気がしてきてしまう。

 反論の言葉を失った沙希は、八つ当たりのようにマスクウェルに問い掛ける。


「あなたが異世界を嫌いなのはわかったよ。それで、結局あなたの目的は何なの?」

「復讐だよ。僕を捨てた《《二つの世界》》に同時に復讐することこそが、僕の生きる理由であり、僕の存在意義を証明する唯一の方法なのさ!」


 マクスウェルは両手を広げ、天を仰ぎ笑う。

 僕はここにいるぞと、世界に向かって宣言するかのように。

 沙希は直感的に理解した。彼は本気だ。本気でこの世界を憎んでいる。

 深淵を覗き込んだような瞳の色も、自暴自棄な笑い声も、すべてが彼の凄惨な過去を物語っているような気がして、目に映る彼の一挙手一投足に鳥肌が立った。

 そのせいで気付くのが遅れた。

 彼の言葉には、一つおかしな点があった。


「二つの世界って……あなたメルセイムの人じゃ――」

「おっと……その質問にはあとで答えるとしよう。どうやら、お待ちかねのヒーローのご登場みたいだからね」

「え?」


 マクスウェルの視線の先……教室の扉へと沙希の視線も吸い寄せられた。

 静かすぎる校舎内に、うるさいくらい足音が鳴り響く。

 全力で走るその足音を聞いて、沙希の表情はみるみるうちに明るくなった。

 確証はない。

 でも、あの人が来てくれたのだと確信できた。

 次第に足音は大きくなって、教室の前で止まった。

 教室の扉が勢いよく開け放たれる。


「沙希!!」

「お兄ちゃん!!」


 藤代悠真が、妹を迎えにやって来た。

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