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第61話「頼り、頼られ」

「くーっ! 一度言ってみたかったんだよなぁこのセリフ。――危ないところだったな悠。俺が来たからにはもう大丈夫だぜ」

「健児お前、どうしてここに⁉ ……ってかその竹刀はどっから持って来たんだよ」

「隣のクラスに置きっぱなしにされてたやつを借りてきた。心配すんなって、これでも一応元剣道部だからな。そんなことより、一体何がどうなってんだ? 他の連中もみんなミミ先生みたいに眠っちまってるし、あの影のバケモンは何なんだ?」

「俺にもさっぱりわからないんだよ。気が付いたらあの影が後ろに立ってて……そういえば健児、お前は眠くないのか?」

「全ッ然? 今まで塾に備えて保健室で寝てたからな。むしろ気分爽快だぜ」


 ニカッと笑う健児を、悠真は白い目で見た。


「そういえばお前、六時間目の途中から体調が悪いとか言って保健室に行ってたな。……さてはサボったな?」

「いいだろ別に。塾でとっくに習ってる範囲だったんだし」

「いやよくはないだろ。……でも、おかげで助かった。ありがとな」

「へへっ、いいってことよ」


 こんな状況だ。頼れる仲間がいるのは心強い。

 しかし、眠ってしまった人と眠らなかった人とでは何が違うのだろうか。

 これが魔術によるものだと仮定した場合、何かしらの条件が設定されているに違いないと悠真は仮説を立ててみる。


 ……先生に《解析》を使えば何かわかるかもしれないけど、健児の前で魔術を使うワケにはいかないし、どうしたもんか……。


「ところで、悠はこんな時間まで何してたんだ? 沙希ちゃんは?」

「先生に頼まれて図書室の整理を手伝ってたんだよ。で、いまはその帰り、で…………」


 ――ここには〈協会〉に関係するようなものなんて。


 数分前の自分の言葉を思い出し、悠真は自分で自分を殴りたい衝動にかられた。


 ……何を言ってるんだ、バカか俺は。いるじゃないか、〈協会〉と最も関係が深い人間が、一番身近に!


「――沙希が危ない」

「え、沙希ちゃんが? なんで?」

「健児、ミミ先生を頼む。俺は沙希が無事か確かめてくる!」

「お、おい! ――待て悠ッ!」

「……っ! 遅かったか……」


 廊下を走り出そうとした矢先、悠真は足を止めざるを得なかった。

 倒したはずの人影が、再び影の中から這い出てきていたのだ。


「おいおい、マジかよ。ちょっとハードモード過ぎやしねえか」


 今度は一体や二体ではない。

 数十体もの人影が、悠真たちを挟み込むようにして前後の廊下にひしめき合っている。

 まるで道を塞ぐように、体を左右に揺らしながら少しずつにじり寄ってくる。


 悠真たちが今いる場所は校舎二階の中央付近。ここから沙希がいるはずの一年二組の教室はちょうど真下。

 昇降口側の階段を降りるのが最短距離だが、そのためにはこの人影の群れを突破しなければならない。

 悠真一人であれば、多少の怪我を承知の上でここを切り抜けることはできるだろう。

 だが悠真が離脱した後で、健児と実夕はどうなる?


 ――関係ない。健児なら一人でもきっと何とかできる。俺は沙希を助けに行かなくちゃ。


 ……何とかって、何だよ。友達と先生を見捨てるのか?


 ――時間がないんだろ。だったら優先すべきものは決まってるだろ。


 ……そうだ、俺は沙希を助けなきゃ。沙希が無事ならそれ以外なんて……。


「行け、悠! ここは俺に任せて、お前は沙希ちゃんを助けに行け!」

「……でも、お前ひとりじゃこんな数、どうしようもないだろ……!」

「ちょっとヤバいだろうな。だからさっさと沙希ちゃんを助けて、それから俺を助けに戻ってこい。その分の隙くらいは俺が作ってやる。大丈夫だって、あいつらどんくさそうだしなんとかしてやるさ」

「健児……」


 健児は悠真の背を押したつもりだったが、実際には逆効果だった。

 取捨選択は自らが選ぶことに意味があり、決断をしたという大義名分が罪悪感を軽くする。

 けれど、他人から与えられた選択に手を伸ばせば、罪悪感はむしろ重くのしかかる。

 一度は見捨てるという選択肢が頭をよぎったのだ。

 悠真は友達に譲られた道を軽快に歩けるほど、非情にはなれない。


 べしゃり。べしゃり。べしゃり。


 足音が近い。見ればすでに人影は目の前にまで迫っていた。

 迷う友達を鼓舞するように、健児は竹刀を人影の群れに突きつけて叫ぶ。


「さぁ、どっからでも掛かって来いや! 元剣道部エースの実力なめんじゃねえぞッ!」

「威勢がいいのは結構だけど、やる気ばかりじゃ勝てないよ、棚町少年」

「――え?」


 それは活舌の良い、とてもよく通る声で。

 次に聞こえてきたのは、軽快なリズムに踊る言霊ことだまの類だった。


「痛いの痛いの飛んでいけ。――《痴苦痴苦プリック・リック》」


 昇降口側の廊下の方から、細長い針が人影の群れを貫通し、一瞬にして十数体の人影を撃退した。

 霧が晴れるように影が消えた廊下の先には、小さなサボテンの鉢植えを持った女子生徒が立っていた。

 その女子生徒はトレードマークの三つ編みをいじりながら、口をぽかんと開けた悠真たちを見て自然な笑みを浮かべた。


「やぁ、藤代少年。このボクが直々に厄介事に巻き込まれに来てあげたよ」


 放送部部長にして樹霊術師ドライアード、胡桃坂杏子がそこにいた。


 †


 杏子から見ても、学校の雰囲気は最悪だった。

 目には見えないだけで、そこかしこに重苦しい魔力の反応がある。それらはすべて眠っている生徒たちから感じられるものであり、杏子はすでにその原因にも当たりを付けていた。


 ……さっきのチャイム、いつもと音の高さが少し違った。おそらく、音に魔力を乗せた催眠術の一種だろうね。広範囲に向けた強度の低い暗示は魔術師に対しては効果がないだろうけど、一般生徒があれを防ぐ方法はない。随分割り切った方法だ。


 機械を経由すればそれだけ暗示の効力も弱まるため、悠真や杏子がこの催眠に掛かることはない。

 とはいえ、学校の設備を利用した大きな音だ。耳を塞いだり、どこかへ逃げようとしてもチャイムは必ず聞こえてしまう。

 邪魔になる一般生徒の目を排除するには、とても理に適った方法だ。


 ……みんな苦しそうにはしてるけど、命に別状はなさそうだし、そっちは後回しでも大丈夫かなー。それより今は、こっちが大変そうだ。


 杏子は周囲を見渡して、現状を確認する。

 謎の人影を撃退したとはいえ、まだその数は多い。油断は禁物だ。

 突然現れて助けてくれた杏子に、悠真は率直な疑問をぶつける。


「胡桃坂先輩、どうして――」

「どうしてここに、なんて言ってる場合かい、藤代少年。行かなきゃいけないところがあるんでしょー?」


 すべてお見通しだよ、と言わんばかりの杏子の口ぶりに、悠真は目を丸くした。

 実際、問答している時間も惜しい。

 悠真は杏子の目を見て頷いた。


「……はい。すみませんが、健児と先生をお願いします」

「うん、任された。気をつけて行っておいで」

「はい、先輩も。――健児、先輩の指示に従ってれば大丈夫だから。迷惑かけるなよ」

「誰に言ってんだ。いいからはよ行け。そんで今度アイスでも奢ってくれ」

「了解だ。じゃあ――あとは頼む」


 悠真は頷いて、廊下を走り抜けると階段を降りてすぐに見えなくなった。



 健児は大きく息を吐いて頭をかく。


「なんかそういうことみたいなんで、よろしくお願いしますわ先輩」

「にゃはー、こちらこそだよ棚町少年。元剣道部エースの実力が生で見られるいい機会だ。存分に腕を振るってくれたまえ」

「……さっきも思いましたけど、なんで俺のこと知ってるんすか?」

「私は放送部だよ? 部活動で優秀だった生徒のことはそれなりに詳しいのさ」

「……昔の話ですよ」

「‟昔”とは‟今”に至るまでの記録の積み重ねだよ。棚町少年の実力を疑う理由にはならないさー。そんなに不安なら、少しだけ力を貸してあげる」


 杏子はおもむろに健児の持つ竹刀に触れると、やさしく撫でながら呼び掛けるように言葉を紡いだ。


「タンポポのように雄々しく、アサガオのように鮮やかに。――《新緑開花グロウ・アップ》」


 竹刀の素材は竹であり、つまりは植物だ。

 樹霊術師である杏子は、竹刀の強化を施したのだ。

 強度上昇と重量軽減程度の簡単なものだが、強化された竹刀は健児の手によく馴染んだ。


「ははは、こいつはすげー! これなら負ける気がしないっす!」

「それはよかった。……それにしても、棚町少年は特に驚かないんだね」


 それが何に対してなのか、杏子は口にしなった。

 健児は彼女の意図を察して、思わず苦笑した。


「十分驚いてますって。俺の場合、昔こういう場面に出くわしちまったことがあるってだけで……きっと、悠もそうなんですよね」

「……私の口からは、何とも言えないかな」

「ですよね……。ま、それでいいんですよ。たとえ先輩や悠の正体が何であろうと、俺の見る目が変わるワケじゃないっすから」


 そう言って、健児は人影に向かって歩き始めた。

 減らしたはずの人影が、影の中から何度でも湧き出てくる。


 ……『あとは頼む』、か。あいつに頼みごとされるのなんて、いつぶりだろうな。


 恐怖心はあった。

 だけど今は、悠真の信頼に応えたいという気持ちがまさった。

 竹刀を握り直すと、体の震えは自然と収まった。

 これは武者震いだ、と健児が自分に言い聞かせていると、杏子の手が肩に触れた。


「背中はボクに任せて棚町少年は好きにやるといい。安心して。君と先生には、指一本触れさせやしないから」

『いつになくやる気だなマスター! そういうことなら、オレっちも張り切っちゃうぜー! ド派手に暴れてやろうぜケンジ!』

「おう! …………ちょっと待て、いまの誰だ⁉」


 唐突に、杏子が持つサボテンが体をくねらせて喋り出した。

 口があるワケでもないのに、その陽気な声は健児にもはっきりと聞こえた。

 健児はおそるおそる杏子に尋ねてみる。


「――い、いま、そのサボテン喋りませんでした?」

『なぁに当たり前なこと聞いてんだ。俺っちはサボテンだぜ? そりゃあ喋るだろ』

「お前に聞いてんじゃねえよ!」

「こらこらワイアット、サボテンは普通喋んないの。ふざけてないでいいからちゃんと働きなさい。じゃないとご褒美の水と肥料は無しだよ」

『そいつぁ困る、ヒッジョーに困る! だったらやってやりますぜい! いくぞケンジ、張り切れボケンジ!』

「あーもううるせえ! 気安く名前で呼ぶんじゃねえ!!」


 陽気で愉快なお調子者と、律儀で真面目な一般人は、どつき漫才のような口論を繰り広げながら人影の群れに突撃した。

 正反対で似た者同士な一人と一本……噛み合っていないようで息ぴったりだったので、杏子はつい、


「ふふ、仲良しでいいなー。ちょっと妬けちゃうかも」


 と、思わず感想をぽろりと口から漏らしてしまった。


「――全然仲良しじゃないっす!!」


 竹刀を振り回しながら全力で抗議する健児の勢いに、杏子はまた破顔してわかったわかった……と、小さく頷くのだった。

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