第58話「鳴滝の大霊洞」
鳴滝市の北側……高級マンションや豪邸が立ち並ぶ高台を過ぎれば、広大な山々が連なっている。道路もほとんど整備されておらず、一車線のみの曲がりくねった道が続く。
交通量も少ない荒れた道路を経由して、フィルフィーネは山の奥へと跳躍を続ける。
……アミスが言ってた滝はこの辺りのはずだけれど……ん?
「あれは……川?」
山奥の森の中で、フィルフィーネは小川を見つけた。
森林に覆い隠された小川のせせらぎが耳に心地いい。
「空気が美味しい。精霊たちも穏やかで、なんだか落ち着く。……こんな自然が、メルセイムにもあったのよね」
荒廃した世界で育ったフィルフィーネには、それらはとても神秘的な光景に映った。
透き通った川面をのぞけば、魚やカニといった生き物たちが生き生きとしている。
メルセイムではすでに拝むことが難しい豊かな生態系だ。活力ある自然のありがたみを肌で感じることができて、フィルフィーネは自然と口角が上がった。
この川を上れば水源に辿り着けるはず。方角的にも間違ってはいないだろう。
足場の悪い川辺を逆上るフィルフィーネ。
やがて、何かが叩きつけられるような水音を聞いた。
音の方へと足を運ぶと、そこが目的地だとすぐにわかった。
「これがアミスの言ってた滝……随分大きいわね」
山の中に突如として現れた大きな滝。高さ五十メートルほどの崖上から大量の水が流れ落ち、大きな滝壺がそれを受け止めていた。
飛び散った水によって空気が冷やされたせいか、やや肌寒いくらいの気温だった。滝壺の周りに花は咲いておらず、苔むした岩や雑草だらけで、人の手が入っているような場所ではなかった。
たしかに立派な滝だ。神秘的な場所でもある。
だが、フィルフィーネにはアミスが言うような何かがあるとは思えなかった。
ひとまず滝壺を迂回するようなかたちで、滝の真下へと近づいてみると。
すると、おかしな点があることに気が付いた。
「滝の裏側が反射してる……?」
本来なら下流の透き通った川のように、滝の向こう側にある崖の岩肌が見えなければおかしいのだが、どういうわけか岩肌が見えない。
さらに近づいて目を凝らす。
「やっぱり滝の向こう側に滝があるみたいに見える。これだけ水が澄んでるのに……もしかして――」
フィルフィーネは槍を構え、滝の水面に穂先を向けた。
穂先に魔力を集約すると、赤く色付き熱を帯びた。
ジィーッと空気の焦げるような音がして、陽炎のように空間が揺らいだ。
「――――はっ!」
パァンッ――!!
突き出した槍が滝を穿ち、その奥に映し出されていた滝の虚像をも貫いた。
鏡が砕け散るような音がした後、滝の裏側に大きな洞窟が現れた。
「魔力と映像を反射する偽装……簡単な魔術だけど、そのせいで余計に気付きにくいんだわ。私もアミスに言われてなきゃ気付けなかったかも」
魔力を編んで岩壁を模すよりも、ずっと手軽で簡単な偽装だ。
だがそれゆえに魔術で探知することが難しい。
魔力の反応ばかり探してしまう魔術師を騙すにはうってつけの仕掛けだった。
……こんな山奥の探し物で、探索魔術に頼らない魔術師なんて普通はいないでしょうしね。そうなると、アミスがどうやってここを見つけたのかが気になるけど……まあ、それはまた今度にしましょう。
フィルフィーネは槍を直し、滑る足元に注意しながら滝の裏の洞窟へと入っていく。
洞窟内は薄暗く、外と同じくらい空気が冷えた場所だった。高い天井から水が滴り落ちて地面を濡らすせいで、足元はすべり今にもこけてしまいそうだ。
このまま明かりもなしに進むのは危険だ。
そう判断したフィルフィーネは、指先を立てて魔術を起動する。
「《蛍火》」
フィルフィーネの周囲にぽうっと光の精が宙に現れ、足元を照らしてくれる。若干の温かさも提供してくれるのがありがたかった。
壁に手を突きながら慎重に歩を進める。
道は次第に地下深くへと降りていき、フィルフィーネは自分が今どの辺りを歩いているのかがわからなくなりそうになった。
でも幸いなことにこの洞窟は一本道のようなので、帰り道に困ることはなさそうなだった。
――ぶるり。
鳥肌が立つ。寒さのせいではない。
何か嫌な感じの魔力が、洞窟の奥から湧き出ているのだ。
消えない悪寒が肌にべっとりとまとわりつくような不快感に、フィルフィーネは苦い顔をした。
敵意とも悪意とも取れぬ魔力の反応は、絶えず暗い洞窟の中を満たしている。
……一体、この先に何があるの?
しばらく歩いた先で大きな広間を発見したフィルフィーネは、そこで信じられない光景を目の当たりにした。
「巨大な、穴? こんな地下深くに……?」
直系数百メートルはあろう大空洞が、地下の空間にぽっかりと口を開けていた。
赤とも黄色とも見える魔力光が眩しいくらいにあふれ出ていて、照明が必要ないくらい広間は明るかった。通路から少し出た辺りからでは穴の底はちっとも見えないが、見ているだけで吸い込まれそうな気がして、フィルフィーネは思わず目を逸らした。
そこで偶然、誰かが穴の側にいることに気が付いた。
女性だ。黒のブラウスを優雅に着こなし、膝下まであるタイトスカートを履いており、さらにはヒールの高い靴まで合わせている。
……あんな格好でこんな山奥にどうして……って、聞くまでもないわよね。
ここの入口の偽装はついさっきフィルフィーネが破壊したばかりだ。
となれば、今ここにいる彼女はフィルフィーネとは違う手段で偽装を破ったか、あるいは偽装を施した張本人かのどちらかだ。
どちらにせよ、彼女が魔術師であることはまず間違いないだろう。
……ここからじゃ何してるかよくわからないわね。もう少し近づけるかしら。
フィルフィーネがローブのフードを目深に被り直し、広間の岩陰へ忍び寄ろうとした……その時。
「あなた、だぁれ?」
「――――っ⁉」
フィルフィーネの耳元で、誰かがそう囁いた。
とっさに振り向いたフィルフィーネは、愛くるしい顔で笑う女性が拳を振り上げるのを見た。
「きゃはっ! ぶっとんじゃえー!」
問答無用で拳が繰り出される。
フィルフィーネは辛うじて両腕を交差して拳を受け止めた。車が衝突したかと思うほどの衝撃に両腕の骨が軋み、足は地面を離れ、体が宙を舞った。
……なんて馬鹿力っ! ガードが間に合わなかったら間違いなく一撃で体の骨が粉々に砕かれてた……!
痺れる両腕を労わりながら、体勢を整え地面に着地する。
落ち着いて顔を上げて見れば、自分を殴り飛ばした女性は無邪気に笑っていた。
「人に尋ねておきながら問答無用で殴り掛かって来るなんて、やってくれるじゃない」
「ごめんごめん。お姉ちゃんに私たち以外はここに入れるなって言われててさー……って、あれ? お姉さん、もしかしてどっかで会ったことある?」
「そんなはずは――」
訊かれたフィルフィーネは、まじまじと相手の顔を見た。
背が高くて足の長いあどけない顔立ちの女性。
フィルフィーネはたしかに彼女に見覚えがあった。
姉のことが大好きだと全身でアピールしていた、背の高い美人姉妹の片割れのことを。
「……そうだわ! 『オール・モール』でユーマたちに話し掛けてきた、あの時の姉妹の――たしか名前は……」
「私は朝音。で、あっちにいるのが茜音お姉ちゃんね。そっかそっか、お姉さんはあの時の人だったんだ――」
「――――っ!」
朝音の雰囲気が変わった。
少女のような愛嬌はどこかへ消え去り、抜身の刀のように全身から敵意がむき出しになった。
朝音は腰を低く落として今にも飛びかかりそうな体勢のまま、広間の奥に佇む茜音の方を見た。
「お姉ちゃん、この人……やっちゃっていい?」
「まだダメよ。情報を聞き出してからっていつも言ってるでしょ」
茜音がゆっくりとフィルフィーネに近づいてくる。
朝音よりは話をする余地があると思い、フィルフィーネは茜音の方を向いて喋り出す。
「ちょっと待って。私はあなたたちと戦うつもりはないわ」
「そっちにその気がなくても、この場所を知られたからにはただで帰すわけにはいかないわ。だってお前は、異世界の魔術師でしょう?」
「そ、そうだけど……でも違うの。私はあいつ等の敵で――」
「関係ないわね。お前の言葉を信じるだけの材料もない。お前に残された選択肢はふたつ。今この場で知っていることを洗いざらい喋るか、大人しく死ぬか。さぁ、どちら?」
「そんなのどっちも選ばないわよ!」
〈協会〉の魔術師でもない相手を不必要に殺したくはない。
だからといって、このまま何もせず殺されるわけにもいかない。
お互い、相手のことをまだ何も知らない。
そんな状況で魔術師の言葉を信用してもらうには、力を示すほかない。
……無理やりにでも、私の話を聞いてもらう!
覚悟を決めて、フィルフィーネは槍を構えた。
戦えることが嬉しいのか、朝音はぺろりと舌なめずりをする。
「お姉ちゃん、もういいよね? ね?」
「……《獣化》は二段階目まで。いいわね」
「りょぉーーーーかいッ!!」
――ドンッ!!
瞬間、朝音が地面を砕くほどの脚力で高く跳躍し、フィルフィーネへと襲い掛かった。
放物線を描きながら飛来する朝音に対し、フィルフィーネは槍を突き立てようとした――が、先ほどの超パワーを思い出しすぐに回避へと思考を切り替えた。
フィルフィーネが左へ避けたコンマ数秒後、朝音の拳が地面を叩き割った。
硬い地面を難なく片手で粉砕する彼女を見て、フィルフィーネは戦慄する。
……単なる身体強化じゃない。あの両腕と両足の膨張した筋肉、きっと魔術的な何かが……⁉
「考えごとしてる場合じゃないよー! そぉーれっ!」
「くっ……速い!」
フィルフィーネの思考を遮るように、朝音はしつこく彼女を追撃した。たった一歩の跳躍で十歩ほどの間合いを詰め、女性の腕とは思えない太い腕から強打を繰り出し続ける。
パワーだけではない。スピードも常人とは比べ物にならない。
攻撃は大ぶりなのになぜか隙も少ない。
防戦一方のフィルフィーネは反撃の糸口を見出せずにいた。
「ほらほら、逃げてばかりじゃつまんないよ!」
「……っ、だったらお望み通り一発お見舞いしてやるわよ……!」
フィルフィーネはバックステップを三度踏み、朝音から大きく距離を取って早口に詠唱を始める。
「ウィル・ヴィレ・クーラ。霜焼けの唇に口づけを。純白の吐息よ、奔れ! ――《薄氷の溜息》!」
フィルフィーネが大きく息を吐く。
白煙のような凍える吐息は地面を這って、広範囲を凍らせた。
薄氷に覆われた地面は、小さな凹凸のせいで立っているだけでもバランスを崩しかねない最悪な地形と化した。
…レイナほどじゃないけれど、この環境なら私の魔力でもこのくらいのことはできる!
「うわわわわっ、す、すべっちゃう……!」
朝音の機動力は地面を強く蹴ってこそのものだ。凍った足場では力が逃げてしまって、満足に移動することすらままならない。
バランスを崩しその場で片膝を付く朝音に向かって、フィルフィーネは槍を頭上に掲げるようにして構えた。
まるで剣を振りかぶるかのような姿に、朝音はきょとんとした顔で当たり前のことを口にした。
「そんなところで構えたって、その槍の長さじゃここまで届かないでしょ」
「ええ。だからここの天井が高くて助かったわ」
「へ?」
言葉の意味が解らず首を傾げる朝音。
すると、フィルフィーネの手元では槍がぐんぐん伸び続けていた。
彼女の槍は長さと重さを自在に変えられる。
そのことを知らない朝音は、……あの槍ってあんなに長かったっけ? などとのんきに考えており、この後の展開を興味本位で見守っていた。
大空洞の天井にまで達しそうなほど伸びた槍を、フィルフィーネは全身の筋力で押し出すように振り降ろす。
「どっせーーーーーーーーいッ!!」
――轟!
長さだけではなく、太さと重さも数十倍に増加させた槍が、その身を大きくしならせて、身動きが取れない朝音へ振り下ろされた。
隕石が衝突したかのような破砕音が響く。洞窟全体が大きく振動し、砕けた地面の瓦礫が飛び散って、砂埃を上げた。
「どんなもんよっ」
姿の見えない朝音に対し勝ち誇るフィルフィーネ。
戦闘を傍観していた茜音に向き直って、
「次はあなたの番ね」
と言うと、茜音は今日初めて笑みを見せた。
「あら、何を言っているのかしら。私はお前とは戦わないわよ」
「そう。それじゃあようやく私の話を聞く気になって――」
「だって、まだ朝音は負けていないもの」
「――――え?」
反射的に振り返ったフィルフィーネの眼前に、肉を抉らんとする獣の爪が迫っていた。




