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第56話「里帰り」

 魔術師の名家ともなれば、それなりの金持ちであることがほとんどだ。

 魔術を利用してビジネスを展開しているのかと聞かれれば、答えはノーである。

 因果関係が逆だ。

 魔術師だから金持ちなのではない。金持ちだから魔術師になれたのだ。

 魔術の研究には金が必要だったとか、研究に没頭できるくらい金に余裕があったとか、理由は様々だがやはり金があるに越したことはない。

 かつて魔術師がまだありふれていた時代、世間ではこんな格言がまことしやかにささやかれていた。


 ――魔術師になるのは簡単だが、魔術師で在り続けることは極めて困難だ。


 どれだけ魔術の才に恵まれたとしても、それを超える才は必ず生まれ、出る杭は打たれる。そういう世界だった。

 ゆえに、地位や権力といった魔術以外の力は非常に重要で、その最たるものが金だった――。

 それだけの話である。



 志摩家は不動産や宝飾、インテリアなど幅広い業種に関わる資本家としての側面を持つ。

 掃いて捨てるほどある金を使ってコネクションを築くことは、魔術師として生きていく上で必要不可欠だった。

 しかし、煩わしいことも多い。

 業種を問わず利益が見込めそうな事業への投資は、リスクの分散という意味では成功だったが、余計な縛りも増えてしまった。

 特に無駄な人付き合いの増加に、宗慶むねよしは多大なストレスを被った。

 代々受け継がれてきた志摩家の名を自らの代で汚すわけにはいかない――と、もう若くない体に鞭打って、宗慶は書斎の机で黙々と書類に目を通す。

 作業と並行して頭の中で考えてしまうのは、やはり異世界の魔術師のことだ。

 今のところは明確な敵対行為こそ無いものの、いつその矛先が自分たちに向くともしれない。


 ……霊脈が復調次第、すぐにでも手を打たねば。茜音と朝音以外まともな駒がいないのも問題だ。いい加減、鷹嘴の連中を遊ばせてわけにもいかんか……。


 ――コンコンコン。


 書斎の扉をノックする音に、宗慶は手を止めた。

 茜音と朝音はすでに家を出ている。使用人には午前の間は書斎にこもると伝えてある。彼らが言いつけを破ったことは一度もない。

 では、このノックの主は一体誰なのか。

 家主の返答を待たず書斎の扉が開かれる。この時点で、宗慶は扉の向こうの人物を侵入者と断定した。

 きぃ……と蝶番が鳴く。

 招かれざる客は濃淡の激しい紫紺の外套に身を包み、ペストマスクのくちばしを折ったような奇妙なマスクをしていた。

 顔を隠すための道具にしては変わった意匠のマスクだ。


 ……魔力は感じぬ。巧みに隠しているのか、あるいは余程の道化か。


 宗慶は一切の動揺を見せず、悠然と身構え正面を見た。

 侵入者は何の躊躇いもなく部屋の中へと足を踏み入れて、二歩、三歩……四歩進んだところで足を止めた。

 そのまま数秒の間、互いに沈黙が続いた。


 ……なぜだ? 対侵入者用の魔術が起動していない。結界を破られた形跡もない。まるで初めから私がここに居ることがわかっていたかのように、自然とそこに立っている。……得体の知れぬ相手に回りくどい問答は時間の無駄だな。


 宗慶が口火を切るかたちで沈黙を破り、侵入者へ問い掛ける。


「誰だ。何しにここへ来た」

「マクスウェル。お前に会いに来た」


 宗慶の問いに端的な答えで返す侵入者は、自分のことをマクスウェルと名乗った。

 大層な名前が出てきたものだ、と宗慶は鼻を鳴らした。

 眉間に皺を寄せ、押し隠していた不快感を露わにする。


「貴様のような奴、私は知らぬ。この家に無断で足を踏み入れてただで帰れると思うでないぞ」

「……相変わらず偉そうなヤツだ。自分の方が優位だと信じて疑わない。羨ましいくらいの傲慢さだ。だからこの家の結界の綻びにも気付けないし、使用人の悲鳴さえ聞き逃すんだ」


 マクスウェルは懐をまさぐると、何かを部屋の真ん中に放り投げた。

 ごとりと床を転がったそれは、数分前まで人のカタチをしていた部位を乱雑に千切ったもので――。


 ――若い女性の手首から先が、助けを求めるように手を開いたまま硬直していた。


「貴様……ッ!!」


 宗慶は勢いよく立ち上がろうとした。

 だがどういうわけか、体がまったく動かない。首から下が言うことを聞かない。感覚はあるのに、まるで壁の中に埋まってしまったように身動きが取れなくなってしまっていた。


「くっ……貴様の仕業か……!」

「言っただろ。僕はお前に会いに来たんだ。もう少し大人しくしててもらうよ。お前の魔術の基本は動作に紐づいた簡略詠唱クイック・キャストだ。こうして動きを封じるだけでお前は文字通り手も足も出せない。あぁ、話はできるように首から上だけは自由にしてやってはいるけど、変なことは考えない方がいい。まだ満足に呼吸をしていたいならね」


 言葉の意味は否が応でも理解できた。

 主導権はすでにマクスウェルが握っている。


 ……感情的に抗うのは得策ではない。魔力が遮断されたわけではないのならば、今は好機を待つ。


 掛けられた魔術の正体を探る隙を作るべく、宗慶は椅子に座ったまま、マクスウェルの望み通り話を続けた。


「目的は私の命か」

「うーん……ある意味間違ってはない。でもまあ、お前の命にはあんまり興味ないんだ。僕の目的はもっと他にあるから」

「何だと……?」

「そういえば、霊脈の調子はどうだい? 随分調子が悪そうじゃないか。あの二人が忙しそうにしてるのは、つまりそういうことだろう」

「――⁉ 何故、そのことを――」

「この土地に詳しい魔術師がお前たちだけだと思うなよ。まあいいや、あの二人がいないうちに本題に入るとしよう」


 マクスウェルは壁際に置かれたソファに腰掛けて、一度深く息を吐いた。

 今までの淡々とした様子とは打って変わって、ひどく緊張した風だった。


黒崎清華くろさききよかという女性のことを、覚えているか――」


 その言葉は、氷の刃のように冷たく鋭利なものだった。

 マクスウェルの試すような問いに、宗慶は何だそんなことか、と失笑する。


「貴様、あの女の身内か? 忘れたくても忘れられん。何の才能もない子を産んだかと思えば、一度産んだだけで二度と子を孕めなくなった。実に使えない女だった。それがどうかしたのか」

「……そうか。いや、まだ覚えてくれているみたいで安心した。これで心置きなく――《《お前を使い捨てることができる》》」

「は……? 貴様、何を言って――⁉」


 突然、部屋の中が薄暗くなり宗慶の足元が影の中へと沈み始めた。宗慶は椅子に座ったまま、底なし沼に飲み込まれていくかのように、じわりじわりと闇の中に埋没していく。

 マクスウェルはここに来るまでに下準備をすべて終えている。

 詠唱も呪文も必要ない。ただセットされた術式に魔力を走らせるだけで、彼の計画は完了する。


「くっ……! ――晩鐘の導きにて馳せ参じよ。凱旋の時は今、汝が剣はここに在り――!」


 宗慶の正式な召喚詠唱。

 床に現れた魔法陣から、銀色の騎士甲冑が呼び声に応じ参上した。

 騎士の手には幅広の剣が握られている。やや古びた印象だが、切れ味と重さは本物だ。

 ガシャン、と騎士が剣を構える。


「その不細工なマスクごと両断してしまえ!」


 宗慶の命令に従って、騎士が一歩踏み込んだ。

 騎士に名はない。ただ歴戦を潜り抜けて来たであろう鎧の傷と、使い古され摩耗した剣の握りが、騎士の誇りを物語っていた。

 マクスウェルの二倍はあろうかという巨躯から、鉄の剣と共に無機質な殺意が振り下ろされる。

 マクスウェルはソファに座ったまま、その場から動かない。

 彼は騎士を指差した。それだけで彼の影が生き物のように動き出し、刃となって騎士の剣を受け止めたのだ。


「なっ――」

「軽いなぁ。それホントに中身詰まってる?」

「減らず口を……ッ!」


 騎士が影の刃を弾き、再び剣を振りかぶる。


 ……遅すぎる。中身が伴わないんじゃこの程度か。


 マクスウェルが右手を振るう。

 影の刃が一瞬にして槍のように伸びると、騎士の甲冑を容易く貫いた。

 それでも騎士の動きは止まらない。

 そもそも手応えがなかった。


「やっぱり空っぽじゃないか」


 予想通りの結果に、マクスウェルは影をいくつかに分割し、連続で影の刃を振り続けた。

 鋼鉄製のはずの甲冑は両手両足を接合部から全て切断され、見るも無残な姿となった。

 ソファから腰を上げ、床に転がった甲冑の頭部を拾ってみれば、頭の後ろに何やら術式が刻まれている。


「既存の物体に喚び出すための印をあらかじめ付けておいて、喚び出したあとは術式を介して自分で操作する。召喚術というかハッタリみたいなもんでしょ、これ。どんな有名な騎士の鎧か知らないけど、外面だけ取り繕ったみすぼらしい魔術だ」

「召喚術のことまで……どこからか情報が漏れたか。使えない連中め……!」

「おいおい、人の所為にするなよ。お前が教えてくれたんじゃないか――八年前の今日、この場所で」

「……私が教えた? 何を馬鹿な――いや待て、八年前だと……?」


 宗慶は過去の記憶を手繰り寄せ、忘れていた……いや、ようやく忘れることができた忌まわしい日の出来事を思い出した。


 志摩の人間にも関わらず、魔術の才を持ち合わせてはいなかった……産まれてくるべきではなかった愚息を闇へと葬り去ったあ、の日のことを――。


「ま、まさかお前……天多か⁉」

「そんな人間、この世界のどこにも居ないよ。お前が消したんだから」


 すでに腰まで沈んだ宗慶が驚きと困惑、そして怒りを露わにして絶叫する。


「なぜお前がここに……なぜ生きている……なぜ魔術を使えている⁉」

「アハっ、アハハハハハッ! そう、それだよ! その顔が見たかったんだ! あの日の僕と同じ、絶望と怒りに飲み込まれておかしくなってしまいそうな、その顔が!」

「ぐっ、ぬおおぉおおお……!」


 ……そうか、そういうことだったか。


 宗慶は今頃になって理解する。

 この家の周囲に張られた結界に異常がないのも。

 対侵入者用の撃退魔術カウンタースペルが起動しなかったのも。

 すべては侵入者であるマクスウェルに、同じ志摩家の血が流れているからだ。

 気付けるはずもない。

 彼の存在を許さなかったのは、他でもない宗慶自身なのだから。


 首から上だけで抵抗を続ける宗慶だったが、悪足掻きも限界が近い。

 許された最後の自由は、怨嗟の念を呪詛のように言葉に乗せるだけだった。


「役立たずの志摩家の汚点めが! 今更何をしに帰って来たかは知らぬが、貴様は何も成せず、何者にもなれない。それが志摩天多という人間なのだ! お前はこの世界には不要なそんざ――……」


 ――とぷん。


 息子に対する恨み節を吐き切る前に、宗慶は完全に影の海に沈んだ。

 これでこの家の中で生きた人間は彼だけになった。

 野鳥の声さえ聞こえてこない静けさの中、マスクウェルは再びソファに腰を沈めた。

 背もたれにもたれかかって天井を見上げる。


「……八年前のあの日、志摩天多は死んだんだ。ここにいるのは、復讐のためだけに生きる魔術師の成れの果てさ」


 つぶやきは誰に聞かせるものでもなかったが、一番言って聞かせたい人物はすでに何も聞こえぬ闇の中だ。

 マクスウェルの計画は順調に推移している。

 予定どおり志摩宗慶を手中に収めることができた今、計画に必要なピースは残すところあと一つ……。


「藤代沙希、か。少しゆっくりしたら、迎えに行ってあげるとしよう。今日は長い一日になりそうだ――」


 ふふふっ、と笑い声がもれる。


 すべてを奪われた少年の復讐は少しずつ……けれど着実に進行していた。

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