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第54話「狡猾で情熱的な女」

 初夏の暑さが早々に顔をのぞかせる陽気の中、住宅地の屋根上を駆ける白い影があった。

 フィルフィーネだ。

 彼女は隠形のローブを身に纏い、〈協会〉の拠点を探し回っていた。


「ここももぬけの殻……次ね」


 フィルフィーネは埃っぽい部屋の扉を閉めて、次の目的地を目指した。

〈協会〉の拠点は様々だ。一般民家に偽装したものや、商業施設の一角を間借りしたようなものまであり、どれも巧妙に偽装されている。

 フィルフィーネがこちらに来てから最初の仮住まいとして選んだ山奥の廃れた小屋なんかは、〈協会〉にとって最初期の拠点だ。そんなところを家探ししたところで、今更何か新しい発見があるものでもないだろう。

 彼女もそれは理解している。

 だがらこうして、市街地や商業施設を片っ端から駆け回り、〈協会〉の拠点を探っているのだ。


 ……うわさの魔術師の狙いが〈協会〉なら、他の拠点が同じように狙われててもおかしくないわ。別に彼らを助けたいワケじゃないけれど、〈協会〉の動向を調べるついでに、その魔術師のしっぽが掴めれば私たちも動きやすい。それに本当に〈協会〉の魔術師だけが狙いとも限らないんだし。


 フィルフィーネは一度近くの公園に立ち寄ると、これから行くべき場所を整理することにした。

 彼女が〈協会〉を離反してから増えた拠点もいくつか存在する。元々知らなかった場所も含めると、探すべき場所は両手の指を折り曲げても足りないだろう。

 ここからだと遠すぎる山奥の隠された拠点は後回しにするとしても、今日中にどこまで調べられるか……。

 移動ルートを効率化し、可能な限り無駄を省いて動く必要がある。


 ……このまま駅前まで一直線に行こうかしら。フラートの言ってた現場、私も一度自分の目で見ておきたいし。


 そうと決まれば即行動。

 フィルフィーネは公園の蛇口で水を飲むと、また民家の屋根上へと跳躍し移動を再開した。

〈協会〉の拠点には必ず魔力杭マーカーと呼ばれる特殊な魔力が打ち込まれている。この魔力杭の反応を探ることで、〈協会〉の魔術師たちは拠点の場所を把握することができる。

 魔力杭の周波数は一定期間ごとにランダムに変更されるのだが、パターンには法則性がある。

 もちろんフィルフィーネはその周波数をすべて覚えているので、こうして移動しながら常に探索用の魔力を周囲に飛ばすことで、効率よく拠点の場所を探ることができるのだ。


 市の中心へ近づくにつれて、住宅地が段々と減っていく。

 都市部と郊外との境目のようなこの場所には、都市計画の名残で建設途中で放置されたビルや、整地されたむき出しの土地ばかりが目立つ。

 時が止まったような光景に、フィルフィーネは息を呑む。荒廃したわけではない。ただその場に立ち尽くしたまま忘れ去られてしまったかのような不自然さがあった。

 電車の窓から遠目に見ただけではわからなかったが、こうしてこの場に立ってみて初めて理解する。

 この世界もまた、苦しみながら生きているのだと。


 ……同じね。この世界も、ちゃんと苦しんでる。


 日に日に朽ちる世界を思えばこそ、淡い停滞の中にあるこの街は、ひどく脆い足場の上に立っているようだ。

 止まった時間を振り切るように、フィルフィーネは地面を蹴った。

 やがて背の高いビルが多く現れる。

 もうすぐ市の中心部。鳴滝駅はすぐそこだ。

 高層ビルをいちいち迂回していては時間がもったいない。

 フィルフィーネは短く語りかけるように唱え、風の精霊に力を借りる。


「――ウィル・ヴィレ・トゥール。一緒に飛んでちょうだい」

『――――――』


 風がリィーンと鳴いた。

 フィルフィーネの跳躍に合わせて上昇気流が発生する。

 風を纏うようにして、フィルフィーネは大空を駆けた。

 心地よい風を肌で感じながら、鉄の森と呼びたくなるこの光景にはちょっぴり息苦しくもなった。

 メルセイムとは違う人の営み……言うなれば、異なる進化のカタチとも呼べるそれらは、フィルフィーネにはまだ少し理解し難いものだった。


 ……こんなものが無くても人は生きていける。でも、誰かが願ったからこの世界はこういうカタチになったのよね。それを私が否定するのは、多分間違ってる。


 もし、世界樹が衰えることなく、メルセイムがより豊かに、より良い世界になったのだとして、果たしてこちらの世界と同じような世界になっただろうか。

 わからない。

 だって、こんな‟もしも”に意味はないのだから。

 それがわかっていながら、フィルフィーネはこの光景を羨ましそうに見てしまうのだった。



 地上の喧騒を飛び越して、目的地の廃ビルへと到着する。

 フィルフィーネは初めて訪れる場所だが、相変わらず周囲に人影はない。街の喧騒から不自然に隔離されたこの場所で、彼女は臆することなくビルの中へと足を踏み入れた。


「未だに人払いの結界が生きてるのね。ま、そっちの方が好都合だけれど」


 自分の足音が不気味に響く。

 廃ビルといえど、柱や天井はまだしっかりとしているし、階段だって壊れていない。

 オフィスから人や物がすべて消え失せた、コンクリートに覆われただけの灰色の世界。

 メルセイムの樹海とはまた一味違った不気味さに、フィルフィーネは気持ちを張り詰めた。

 特に迷うこともなく順調にフロアを巡り、フィルフィーネは四階のとある部屋の前で足を止めた。

 この階だけ割れた窓ガラスや瓦礫が散らばっている。

 ここで何かがあったのは間違いない。

 フィルフィーネはひしゃげた扉を無理やり開けて部屋の中へ。


「……何もないわね」


 だだっ広いフロアには誰も居ないし、魔力の反応も残ってはいなかった。ただ崩れた壁や抉れた床が、ここで起こった出来事を如実に物語っていた。


 ……何かが爆発したみたい。それが魔術によるものだとしても、こんな場所で? それだけ切羽詰まった状況だったってことしかしら……。


「ん? あれは――」


 フィルフィーネは部屋の奥の壁際に、一つだけデスクが置かれていることに気付いた。

 近寄ってみると、埃をかぶったファイルがいくつか置きっぱなしにされていた。そのうちの一つを手に取って中を見てみる。

 どうやら鳴滝市についてと、この街の魔術師に関する情報を集めていたようだ。


「意外とマメなのね。地形図や歴史に関しても調べ上げてるなんて……でもこれ、聖女とは全然関係ないように思えるけれど……」


 パラパラとめくりながら斜め読みをしていくが、ほとんどが鳴滝市に関する内容ばかりだった。昔はもっと大きな川が流れていたとか、大雨で山が崩れた名残で高低差のある土地になったとか、まるで郷土資料のような内容が続く。


 ……ん? これは……。


 気になる一文が目に留まり、フィルフィーネはページをめくる手を止めた。

 かすれた文字を指でなぞりながら声に出して読み上げる。


「――『鳴滝の大霊脈と《転移門ゲート》の関係について』……? これは一体……」


「お目当てのモンは見つかったかい、フィルフィーネ」


「――――! 誰っ⁉」


 背後からの声に驚くよりも先に腰の獲物に手を伸ばし、フィルフィーネは瞬時に槍を構える。

 矛先を向けた仄暗い暗闇の中から、予想外の人物が姿を現す。


「おいおい、ご挨拶じゃねえか。それが人んちに不法侵入してるヤツのセリフかよ」

「……アミス!」


〈協会〉の魔術師……つまりは敵であるところの彼女は、なぜか手を振りながら歩いてくる。まるで待ち合わせ場所に遅れて現れたかのようだ。

 ヒールの高いブーツがカツン、カツンと甲高い足音を響かせる。


「どうしてこんなところに……」

「おいおい、おかしなこと聞くなよ。ここは元々アタシたちの根城だ。なのにアタシが居ちゃ悪いってのかい?」

「そ、そういうワケじゃあないけれど……あなたの相棒は?」

「あいつは今別行動中だ。時間は有意義に使うべきだからな。――そんなこより、あんたがここにいるってことは、どうせ例の魔術師について調べてるんだろ」

「…………!」


 ……どうしてそのことを……なんて、聞くまでもないか。

 相手はあの隠密と情報収集に長けた斥候のスペシャリスト、アミスだ。フラートが悠真たちと接触済みだと知っていれば、彼女から得られた情報を精査しようというフィルフィーネの考えを読み取ってもおかしくない。

 変に誤魔化すよりも、今は彼女から少しでも情報を引き出すべきだろうと、フィルフィーネはアミスの言葉を肯定する。


「……えぇ、そうよ」

「どうしてわざわざそんなことを? やられてんのは〈協会〉(アタシら)魔術師みうちだ。アンタたちからしてみれば、むしろありがたいくらいだろ」

「今はそうかもしれないけれど、これからもそうだとは限らないでしょ。それに……今は敵同士とはいえ、昔の同僚が殺されていい気持ちはしないもの」

「……あっそ」


 自分が聞いておきながら、アミスはどうでもいいと言わんばかりに適当にあいづちを打った。

 フィルフィーネはなんだか腑に落ちず、同様の問いをアミスに投げ返す。


「そういうあなたはどうなのよ。殺された仲間の敵討ちでもするつもり?」

「まさか。アタシたちにそんな義理があるワケないだろ。人手が減って困る程度さ。――ま、それはそれとして〈協会〉に楯突いた分はきっちり落とし前を付けさせてもらうけどね」

「あなたってそういうところあるわよね。理性的なようで直情的っていうか……」

「狡猾で情熱的なんでね、アタシは――」


 飄々と振る舞う仮面の下に一物を隠し持つのがアミスだ。

 やられたままでは絶対に終わらない。

 仕返し、報復、復讐の陰湿さは〈協会〉の中でも随一。


 ――彼女に嫌われたら何をされるかわからない。だから関わるな。


 これがアミスに対する〈協会〉の魔術師たちの共通認識だ。

 ゆえに、ヴォイドのような従順な者か、あるいはフィルフィーネのような特別な者でなければ彼女が本心を見せることはない。


「ここには用事のついでで寄っただけさ――ッ!」

「何を……⁉」


 唐突にアミスの投げた黒塗りの針がデスクの上に置かれたファイルに突き刺さった。ファイルはたちまち炎を上げて、そしてすぐに燃え尽きた。

 貴重な情報が灰と化してしまい、フィルフィーネは息を漏らした。


「そいつはここで殺された奴らがまとめてた調査資料でな。アタシはそいつを処分しに来たのさ。例の魔術師もそいつが目当てかと思ってたんだけど、どうやらそうじゃなかったみたいだ」

「……じゃあどうして〈協会〉の魔術師が狙われてるのよ」

「さてね。そいつがわかりゃあ苦労はないし、わかったところでアンタには関係ないでしょ」


 用事が済んだからか、アミスはきびすを返してこの場を去ろうとする。

 ――かと思えば、途中で足を止めてそういえば、と独り言のように話し出した。


「こっから北の方の山奥に大きな滝があるんだが、そこに妙な洞窟があったんだよなぁ。魔術で偽装までしてあったし、中はめちゃくちゃ広いしでヘンな場所だった。一体何だったんだろうな、あの場所は」

「……何の話よ」

「ただの独り言だよ。――じゃあなフィルフィーネ。精々気張りな」


 言うだけ言ってアミスは部屋を出た。

 足音が徐々に遠ざかるのを耳にしながら、フィルフィーネはため息をつく。


「いちいち回りくどいのよ。アミスのバカ」


 本人に聞こえないように小さな声で罵倒して、フィルフィーネは微笑んだ。

〈協会〉の調査資料を処分されてしまったのは痛いが、おかげで次の目的地は決まった。


「騙されたと思って行ってみようかしらね、その滝に――」


 フィルフィーネは再びフードを被り、廃ビルを後にした。


  †


「……よかったのか」

「何が?」


 フィルフィーネが廃ビルを去ってから数分後。

 とあるビル影の路地裏にてアミスはヴォイドと合流していた。


「……あそこには他の魔術師たちについての調査報告書もあったんだろ。まとめて処分するには惜しくないか」

「別にいいんだよ。どうせ書面以外でも報告はしてるし、あの情報が漏れちまう方がマズいんだから。ま、例の魔術師には見られちまってるだろうから、遅きに失するってやつかもしれないけどね」


 ……だからこそわからない。魔術師は全員始末しておきながら、どうして他の物には一切手を付けていない? まるで最初から魔術師以外に興味がなかったみたいじゃないか。

 敵の拠点に乗り込むような危険を冒しておきながら、わざわざそんなことをする意味がどこにあるのか。

 ヴォイドは考え込むアミスに構うことなく話を続ける。


「……だとしても、なんでわざわざこのタイミングで処分しに来たんだ」

「アイツにも言ったけど、ただのついでだよ。無駄口叩いてないでさっさと行くよ」


 話は終わりだと言わんばかりに、アミスは廃ビルを背にして歩き出した。


 ……ったく、損な性分だ。うまくやりなよ、フィルフィーネ。


 アミスの言うアイツが誰を指しているのか、ヴォイドはすぐに理解した。

 だからそれ以上は何も言わず、ヴォイドはアミスの後ろを同じように歩き出した。

 二人の魔術師はそのまま路地裏の奥へと姿を消したのだった。

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