その5
新婚夫婦ごっこ(本物)
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同棲生活は、結婚生活に変わった。
相変わらず、永田との日々は穏やかで賑やかで楽しい。バカップルと言われようと、妄想したりとアホな遊びは続いている。
「ただいまー」
「おかえりなさい!」
いつものように、玄関の扉が開いて、スーツ姿の永田が現れた。
先に帰宅して夕食の準備をしていた私は、エプロンを外しながらパタパタと廊下を駆けていく。
ネクタイを解きつつリビングへ向かう彼に、私はニヤニヤしながら
「ご飯にする? お風呂にする? そ・れ・と・も?」
と、定番のアレを言う。新婚ごっこ(本物)の始まりだ!
すると永田はキリッとした顔を作って、「芽衣子にきまってるだろ」なんてノッてくる。
お、今日はノリがいいな!
だから私もノリノリで、「キャッ、あなた!」なんて返してみた。と、
「あ……『あなた』…………」
永田が目を見開いて固まってしまう。
「……どしたの?」
「え、やっ、いや、つ、続けてください」
「ええー? それじゃあ……あなた、どうぞ召し上がれっ☆」
私は内心戸惑いつつも、エプロンの端っこをちょんと持ち上げてみせる。
「あぁぁぁ……!!」
すると今度は、永田は膝から崩れ落ちた。
「ど、どしたー?」
「やられた……」
「だ、誰にだ! どこのどいつにやられたんだっ!?」
私が演技がかった感じで尋ねる。
片手に銃を構える要領でリモコンを持ち、敵がいないかキョロキョロと辺りを見回せば──
「芽衣子にだっ!」
永田が私に抱きついて、わしゃわしゃと髪を手で掻き乱してきた。
「あははっ、なに、なんなの、もうっ」
笑いながら身をよじると、さらにぎゅうぎゅうと抱きしめられる。
「ずるいって。ずるい要素が多すぎて心臓が持たないです」
「なにそれー?」
「だって『あなた』とか……照れる」
「旦那さまのがよかった?」
「そういう問題じゃなくて。ほら……芽衣子って妻なんだなって実感するっていうか」
「────妻!!!」
その言葉に、私は腕の中でパタリと死んだふり。
「……どうしました?」
「ノックアウト」
「誰にやられたんだっ、言え、仇を取ってやる!」
「悟くんだぁっ!」
今度は私が、永田の髪をわしゃわしゃと乱してやった。
すると彼も仕返しとばかりにわしゃわしゃ。
お互いをわっしゃわっしゃ。
「うわ、髪の毛めちゃくちゃだ」
「先にお風呂はいろっか」
そう言って笑いながら私が体を離すと、
「あれ、ご飯とお風呂の前に、芽衣子をいただけるんじゃなかった?」
なんて答えつつ、永田がわざとらしく首を傾げた。
あれって本気だったんだ。
ノリで言ったのかと思ったけど、今日はどうやら甘えん坊の日みたい。
「……いいよ。いただく?」
私は彼の瞳を覗き込みながら、くすりと笑う。
永田は恥ずかしがるかと思ったら、余裕そうに微笑み返して、両手で優しく私の頬を包んだ。目を細めた妖艶な表情に、胸がドキンと高鳴る。
「いただきます」
そっと囁いて落ちてきた唇が、柔らかく重なった。
優しい彼の口付けは、何度だって私の心を震わせる。幸せそうに吐息を漏らしながら、角度を変えてまた口付けて。
耳にかけた指は頬をくすぐり、首筋を滑って髪を撫で、背中へと回される。
胸の中へ囲われるように抱きしめられると、彼の匂いにくらくらして、すっかり力が抜けてしまう。
「ねぇ、お鍋にフタした? 火の始末は?」
「へーき……」
キスしながら、生活感たっぷりの言葉を口にする。
甘えあうのもイチャイチャするのも、もはや特別じゃなく日常の一部だ。
彼の手がエプロンを解き、私の左手をとって口元へ引き寄せる。キラリと光る薬指の指輪に口づけると、永田は私の手を引く。
「じゃ、いこっか」
そして秘密へ誘うような熱い囁きが、低く耳元に響いた。
暗闇で抱き合って、またキスをして。
最近はもう、好きだとか愛してるとかを、激しく口にすることはない。
ただ、私の体をなぞる彼の指先や、その甘く伏し目がちな視線が、彼の気持ちをうるさいくらいに伝えてくる。
そう教えてあげれば、「うるさいって何ですか」と睨まれてしまった。
幸せか、なんて聞くまでもないよね。
あなたと出会えてよかった。一緒にいられてよかった。そう想いを込めて見つめれば、同じ視線が絡む。
彼の甘い微笑みに、私も心から充たされた笑みを返す。
────『ふたりの幸せ』
それは『ふたりだけの幸せ』から、時と共に変化してゆき──
結婚してしばらく経ったある日、私は彼に告げた。
「ねぇ、大事なものが増えたよ」
彼は一瞬、きょとんとして固まった。
そしてボロボロ泣きだしながら私を抱きしめると、
「ありがとう。ふたりで大事にしようね」
鼻の頭を真っ赤にしながら、そう言ってくれた。




