京都へ!
京都駅に着いたのは夜だった。
午前中は普通に出勤し、業務をこなしてから、午後半休をいただいた。
新幹線で京都へ着くと、永田の仕事が終わる時間に合わせてホテルへ向かう。
荷物を預けてロビーにあるラウンジでお茶を飲んでいると、しばらくして永田がやってきた。
「遅くなってすみません、お疲れ様です」
「お疲れさまー」
あっという間の一週間。
特に永田は、『大きな仕事』とやらが、これで一段落ついたらしい。
終わりではないけれど少しはマシになる、と言って、ラウンジの座り心地の良いソファに沈み込んだ。
「上手くいったので、お祝いしてください」
「いいよ、美味しいもの食べる?」
「うん。でもとりあえず部屋へ行って、充電させて」
甘えたように手を伸ばして来るので、その手をそっと握る。
永田は満足そうに大きく息を吐くと、意を決したように立ち上がった。
このソファ、座り心地良すぎてお尻に根っこが生えちゃうよね。
チェックインを済ませ、部屋へ案内される。
ベルガールにひと通りの説明を受けてから、永田が大きなダブルベッドへ倒れ込んだ。
ツインだと思っていた私は、ベルガールに説明を受けていた間からそわそわと落ち着かない。
ベッドひとつしかないって、やる気満々みたいなんだもん!
シワになるといけないので上着だけ脱がせてクローゼットへかけていると、永田が「芽衣子」と私の名を呼ぶ。
振り返ると、
「おいで」
と手招きされた。
しょうがないなぁ、この甘えん坊め。
悪態をつきつつ、いそいそとベッドの縁へ腰掛けると、腰を抱かれて引きずり込まれた。
「ご飯いかないの?」
「充電中」
「お肉たべたい」
「充電中」
壊れたロボットか。
後ろから横抱きに抱き込まれ、長い脚が体に絡まり重みがかかる。髪に顔を埋められて、息がかかってくすぐったい。
あんまり甘えられると、どきどきしちゃうから勘弁して欲しいなあ、なんて思いながら、しばらくぼーっとしていると。
「……ぐぅ」
寝てる!
仕方ないので叩き起こして、夕食のため上階にあるレストランへと出向いた。
永田がすでに予約を入れてくれていたので、スムーズに通される。
中へ入ると、一面大きなガラス窓に囲まれ夜景が見える。
それぞれのテーブルには大きな鉄板が備え付けられ、いい匂いが漂ってきた。
鉄板焼きだ。わぁい、美味しそう。
オーダーして食前酒でお祝いの乾杯をする。
こういうとこ、あんまり来たことない。
正直にそう言うと、「僕も」と永田が照れたように笑う。
「マナーなんて、不愉快なことしなければいいんですよ。わからないって言えば教えてくれるから」
そう言って、永田はウェイターさんに料理やワインのことをそれとなく尋ねたりしていた。
しばらくすると、テーブルの担当シェフがやってきて、自己紹介をしてトークをしながら目の前でお肉や野菜を調理してくれる。
鉄板の上で次々焼かれ綺麗に切り分けられる様は、まるで魔法みたいだ。
パフォーマンスのフランベで、お肉にお酒をふって鉄板から火柱があがるのも面白くて、思わず拍手してしまった。
わくわくしながらじっと見ていると、永田がくすりと笑う。
「口開いてる」
「うそっ!?」
パッと両手で口を塞ぐと、シェフが笑って「そんなに魅入っていただけて光栄です」なんて軽口を叩く。
レストランの人々はすごく気さくで、緊張はすぐに解れて楽しくお食事できた。
お腹もいっぱい、お酒も飲んで気持ちいい。
「ラウンジバーでケーキ食べません? ここの、美味しいって評判なんですよ」
「おおおっ、いいねぇ!」
ケーキといえば、永田が家に遊びに来たときのことを思い出すな。
あの時は、オペラといちごタルトだったっけ。
私がケーキのことを思い出していると、永田も同じことを思い出していたようで、
「あの時、弟って言われたんだよなぁ……」
と、切なげに呟かれた。うぅ、ごめんなさい。
「な、なに食べる?」
「チョコがいいな。オレンジとチョコのケーキにします」
「じゃあ、私はイチゴのムースにしよっと」
ラウンジに移動してバーの広めのソファに座って注文すると、すぐにケーキが運ばれて来た。
その辺のケーキ屋さんのケーキも美味しいけれど、やっぱり高級なケーキはすごい。キラキラわくわくの塊だ。
ホテルには結婚式場もあって、ここのパティシエはウェディングケーキも手がけているという。本格的なヤツだ。
永田のオレンジとチョコのケーキは、チョコケーキの上にスライスされたオレンジピールが乗っていた。
一口もらうと、濃厚なチョコの中にオレンジの酸味が爽やかに香る大人の味だった。
私のイチゴのムースは、添えられたイチゴがありえないほど甘くて美味しい。
ムース自体も酸味と甘みのバランスが良くて、ペロリと一気になくなってしまう。
「オレンジもいいけど、イチゴも捨て難いですね。いや、レモンも好きだし、変わり種でパイナップルも……」
永田が真剣な顔で言った。
フルーツとチョコとの最強の組み合わせで悩んでいるらしい。
「悟くん、なぜ一番を決める必要があるのかね? みんな違ってみんな良い、それでいいではないかっ」
私が永田を諭すと、彼はフォークをビシリと私に突きつける。
「閣下、しかし我々は日々経費と腹の容量とで頭を悩ませているのです。優先順位はつけておかなければ!」
「むむむ、君の言うことはもっともだ。最強の組み合わせか……」
「悩ましいでしょう?」
「ワシは紅茶とかミントも好き」
「フルーツじゃないじゃないですか」
「貴様! 上官に逆らうのかっ」
「失礼いたしました。さっそくミントを全軍に配備させます」
「ミント爆弾、全軍配備! ヤツらの繁殖力を舐めるなよ」
「敵軍のお庭が大変なことに」
謎のごっこ遊びをしながら、架空のヒゲを撫でつつ食後の紅茶を飲む。
あほらしい会話もあの時を再現するようで、私たちは顔を見合わせてちょっと笑った。
「じゃ、部屋帰りますか」
永田の号令に従って、私も立ち上がる。
透明なエレベーターで部屋までの階層をあがった。いつのまにか手が繋がれていたのに、今になって気が付く。
客室の扉を開けると、パッと自動で明かりが点いた。
部屋の中央に大きなダブルベッドが見えるので、否応無しに緊張してしまう。
体を強張らせると、永田が笑いながら私を部屋に押し込んだ。
「意識しすぎ」
「だ、だって」
「ほんと、変な人だな。あんなに何回もしたのに今更」
「う、うおぉぉ……」
「その色気無い叫び声やめてもらえますか」
半目で睨まれ、呆れたようにため息を吐かれる。
「……だって改めて言われると恥ずかしいんだもん」
「僕だって恥ずかしいよ。ていうか、謎の緊張してるし」
「え」
意外だ。なんで緊張することがあるんだろう。
私がきょとんとすると、永田が眉をしかめる。
「僕だって心配事とかあるんですよ。今日、仕事の後だけど嫌じゃなかったかな、とか。短い時間しかとれなかったけど楽しんでもらえたかな、とか。疲れてないかな、とか」
言いながら、一歩近付いてくる。
「……この後どんな風に誘おうかな、とか」
綺麗な手がそっと伸びてきて、私の頬をくすぐるように撫でた。
「もう、何回もしたのに今更?」
「わるい?」
むっとしたような、拗ねたような口調で言う。
色々あったせいか、永田はちょっとだけ素直になった。それが微笑ましくて嬉しくて、勝手に頬がゆるんでしまう。
「ううん。ぜひ、渾身のセリフで誘ってみせて?」
「……無駄にハードルあげないでください」
冷ややかに見下ろされ、撫でていた頬をグニっと摘まれた。
痛い、と抗議しようとした瞬間、永田の顔が迫ってくる。
わずかに震える彼の唇を受け入れながら、私はそっと目を閉じた。
****
その夜は、疲れているはずなのに、なんだか興奮してしまってなかなか寝付けなかった。
永田も怠そうにしながら起きていたので、ふたりしてうつ伏せに寝転がったまま色々とお話をする。
話は自然と出会いからの思い出話になった。
初めて会った時のこととか、泣いていた永田を見た私の驚き。
あの時の私の態度に、永田が改めて苦言を呈して笑ったり。
ヒナちゃんのこと、かーくんのこと。
今なら話せる、もうちょっと踏み込んだ本当の気持ち。
隠していた嫉妬や格好悪さも、好きだけじゃない切なさや悲しさも。
デートしたこと、前日までドキドキしていたこと、本当は最初から意識はしていたこと。
飲み会の後、来てくれて嬉しかったこと、映画のこと、泣き虫なとこも好きなこと。
告白してくれた時、泣きそうな顔にキュンキュンきたってことも。
「実はドSなんじゃないですか? 僕が泣いたり悲しんでると、嬉しそうな顔する」
「えぇー、そんなことない……うーん、だけど、弱ってる悟くんは確かに色っぽくて好き……不憫カワイイ」
「ほら、ドS。そして変態」
「変なレッテルやめて!」
私の変態性が開花したとしたら、それはお前の所為だ!
そう思いながらむくれると、永田がニヤニヤ笑う。
「寝言で『かーくん大好き』って連呼されたときは、本気で泣くかと思いましたよ」
「ひぃ……」
それはさすがに可哀想すぎてごめんなさい。
想像するだけで胸が苦しい。
けど、今はそれを笑って冗談にしてくれることが、ちょっと嬉しかったり。
「あー、でも……今、気持ちがわかったかも」
「へ?」
「不憫カワイイの。あの時、本当に本気になったんだ。守ってあげたい、僕が幸せにしてあげたいって、心から思った」
ふいに真面目な顔をして、じっと見つめてくる。
視線が熱くてドキドキと胸が高鳴る。自分の顔が赤くなっていくのがわかった。
「それは今も変わらないです。……この意味わかる?」
「ん……わかる、だいじょぶ」
それが未来に続く言葉なんだと、ちゃんと伝わってきた。
慌ててコクコクと頷くと、永田が少し笑う。
「よかった。ずっとわかっててくださいね」
永田はこてんと枕に頭を預けて、私の顔を下から覗き込みながらそっと手に手を重ねて握ってくる。
最近、甘えるような仕草が多いのは、それだけ心を開いてくれた証拠だろうか。無防備な姿を見るたびに、胸がきゅっと甘く締め付けられる。
「……じゃあ、まず手始めに、一緒に住んじゃう?」
「そういえば、そんな話してましたね」
京都ビックリで吹っ飛んだけどね。
ていうか、前に私の部屋で一緒に住もうって言った時は、なんで拒否したんだろ?
今更ながら聞いてみると、永田は苦笑する。
「だって、部屋も家具も何もかもに、元彼の面影があるんですよ? そんなとこに住んだら、嫉妬で気が狂う」
な、なるほど……。
正直、全然気にしてなかった。モノはモノだし。……って、デリカシーなさすぎなのかな。
そんな事を思っていると、先ほど握られた手に指が絡められる。
「どうせなら、ぜんぶ一緒にイチから作りたいです。僕と芽衣子だけの場所を」
絡めた手を持ち上げて、顔に近付けちゅっと軽く口付ける。
なんだか、絶えず口説かれているようでこそばゆい。
そしてその言葉ひとつひとつには、いつもこの先の未来が散りばめられている。
「いいよ、作ろう。ふたりだけのもの、たくさん」
頷いて笑いかけると、永田も微笑む。
それが嬉しくて、私は少しはしゃぎたい気分になった。
「ねぇ、それじゃ、ここみたいなキングサイズのベッド買っちゃおうか?」
ダブルベッドを足でバタバタと叩くと、永田は呆れ顔になる。
「……バカでしょ。搬入も処分も大変なんですよ」
「うわー現実的。こういうのって普通イチャイチャしながら夢語るとこだよねぇ」
「へぇ、四六時中夢ばっかり見てるくせに、まだ夢を語り足りないんですね。でも僕は現実に生きてるんで、予算とかも気になります」
「シビア!」
いつものツンとしたツッコミが痛い。
「それじゃあ逆に、シングルベッドひとつとかどうです? 密着しないと寝れないの。毎日、芽衣子を抱えて寝たいな……」
「……あんたも結構な夢追い人よね。毎日とかお互い体がバッキバキになるよ」
「自分だって現実的。こういうのって普通イチャイチャしながら夢語るとこなんでしょう?」
う。ニヤニヤしながら意地悪にやり返される。
永田は握っていた手を離すと、今度はその手を私の背中に這わせてきた。
「バキバキになるかどうか、今日から予行練習しませんか」
「そうなったら責任取ってくれる?」
「いいですよ。全身マッサージした上でとろとろに溶かしてあげる」
「なんか意味深だねそれ?!」
「……どんなマッサージか、先に体験します?」
「ええっとぉ……」
もう大体わかってるっていうか。
さっきから腰を撫でる指遣いがやらしいんですけど。
「明日、起きられなくなるよ?」
「ギリギリまで寝てればいい」
「観光しないの?」
「仏閣は逃げないし、いつでも来れます」
「私だって逃げないのに」
「もちろん、逃がしません」
いつの間にか抱き込まれると、甘い口付けが降ってきた。
素直になられるのは嬉しいけど、こっち方面はちょっと素直すぎるんじゃないかなぁ……と、思わなくもなかったり。




