今の君が好き(side永田)
先輩の家に着くと、ふたりとも緊張と疲労でフラフラだったのに気付いた。
ヒールを脱いでよろける彼女を支えながらソファへ倒れ込む。
「つかれた……」
「疲れたねぇ……」
ソファで自然と寄り添いあい、支えあうようにお互いに寄りかかった。
彼女は僕の肩に頭を乗せ、僕は彼女の頭に頬を寄せる。
髪にスリスリと頬を擦り付けると、結い上げた髪がゆるむ。
別にもういい。ずっとこうしたかった。
もうぐちゃぐちゃにしてもされても大丈夫。
「先輩……ほんとにお疲れ様」
「うん、くるしゅうない」
労いながら、髪に軽くキスを落とす。
彼女が笑いながらくすぐったそうに身じろぎしたので、いよいよもって本格的に髪から耳へ口付けし、耳朶に噛み付く。
小さく息を飲むのが聞こえる。
「今日、先輩のこと、もっともっと好きになりました」
「んっ……と」
帰って早々に盛る僕に一瞬驚くけれど、拒否はされない。
それをいい事に、囁きながら耳朶や首筋に舌を這わせる。
抱き寄せて伸し掛かれば、ソファに押し倒した体勢になった。
「キスしていい?」
散々舐めた後、わざと聞いてみる。
真っ赤になった顔でコクコク頷くのが可愛い。
許可をもらったので遠慮なく唇をつけると、首に手を回され縋り付くように応じてきた。
彼女もしたかったのか、そう思ったら嬉しくてたまらない。
ぎゅっと力いっぱい抱き締めて、貪るようにキスをした。
しばらく唇を合わせた後、そっと離れる。
こうやってくっついていると、不安だったことなんてどこかへ吹き飛んでしまう。
荒くなった呼吸を整えながら、ソファに沈む先輩の額にかかった前髪をそっと指でよける。
うっとりとした表情で、彼女が力無く微笑んだ。
そのへにゃりとした笑顔が、どうしようもなく僕の心をつかむ。
この幸福感を、一生手放したくない。
「……僕ね、先輩の過去も未来も全部、僕だけのものに塗り替えたいって思ってた。他の男の存在なんて消してしまいたいって」
そっと髪を撫でながら、気が付いたら僕はしゃべり出していた。
格好悪いところを、弱いところを、今ならもっと曝け出せる気がして。
「でもね、違うって気付きました。
僕は今の先輩が好き。29歳の大人で、そう見えないくらい子供っぽいのに、
ちゃんとした一面があって、優しくて、おおらかで、笑ったら僕の不安を全部吹き飛ばしてくれる、そんな今の先輩が好き。……元彼に捨てられて、馬鹿みたいに待ってた健気な先輩が好き」
部屋に押し掛けたばかりの頃を思い出す。
まだダンボールに埋もれたこの部屋は、すごく狭くて苦しくて、その真ん中で立ち尽くす先輩は、可哀想で愛おしかった。
「これからもたくさん嫉妬するし、泣くかもしれない。そんな面倒くさい僕のこと、ずっと好きでいてくれる?」
そう呟いた言葉は、思いのほか掠れて弱々しく響いた。
彼女が少しだけ驚いている。だけど、すぐ笑って
「あたりまえでしょ」
とハッキリ答えた。
なにいってるの、と僕の頭に手を伸ばし、わしゃわしゃと撫で回される。
「私も、今の、長い不毛な片思いをしてた可哀想な永田くんが好きだよ」
「不毛って……」
ちょっと拗ねてみせると、彼女があははと声をあげる。
そして、実家でアルバムを見ながらヒナキと話して思った事を教えてくれた。
「今日、永田くんと同じ事を思ったの」
ヒナキは先輩に、賢介と自分と僕、3人の思い出を、写真を見つつ話してくれたという。
最初、先輩はヒナキに警戒していたけれど、会話してみてすぐにある事に気付いたそうだ。
「彼女、ちょっとした会話の合間に、賢介さんをチラッと見つめるの。
永田くんの話をしてても、すぐに賢介さんの話になっちゃう。
それで思った。
あぁ、ヒナちゃんは、永田くんと賢介さんを比べて賢介さんを選んだんじゃない。最初から、彼女の目には彼だけが映っていたんだ、って。
そう思ったらね……変なんだけど、それがわかってしまったら、ものすごく、永田くんを抱き締めたくなったの。きっとすごく痛い思いを、いっぱいしたと思うから」
慰めるように僕の髪に触れて、ゆっくりと撫でてくれる。
優しくて穏やかな声と語り口に、心地良くて目を細めた。
「ヒナちゃんは賢介さんに夢中で、どう足掻いても、彼女は永田くんの家族であり続けるんだなって。それは変わらないんだなって。
私は、そんな可哀想な片思いをした永田くんが好き。きっといっぱい泣いて、そして吹っ切れて、今日私と一緒に実家へ行ってくれた永田くんが好き」
両手で僕の頰を包んで、ふんわりと微笑む。
「ヒナちゃんの存在は消せない。誰の過去も消えない。だけど、それも含めて全部、今の永田くんが好き。過去も未来も永田くんのどんな気持ちも、まるごと愛してあげるから任せなさい!」
そう言って自信満々に笑う顔が、あんまりにも眩しすぎて目が眩む。
僕の腕の中に収まるほど小さいのに、ものすごく大きく頼もしく思えた。
「うぁ……不覚にもトキメいちゃいました」
「不覚ってどういうこと」
憮然とする先輩も可愛い。ソファに横たわる彼女に再び抱きつく。
だけど今度は、甘えるように胸元に顔を埋めた。優しい手が、柔らかく僕の頭を撫でる。
少しだけ早鐘を打つ心音を聞きながら、温もりに包まれて目を閉じる。
なんだかんだ、やっぱり彼女は年上のお姉さんなんだな。
「他にはないですか? 不満とか」
だけど今度は、僕が甘やかしてあげる番だ。
彼女は溜め込むタチだから、こうやって聞かないとなかなか言い出せないかもしれない。
この際だ、洗いざらい、お互い曝け出そうよ。そう言って促してみる。
「……うーん、特にない、よ」
返ってきた答えは普通だったけれど……。
「うそ。隠さないで。要望でもいいよ」
「ないってば」
「本当に?」
言葉の端に、少しだけ迷いを感じた。
念を押せば、目を逸らし迷うように目線を彷徨わせる。
「うー……今でっかいこと言ったばっかりだから恥ずかしい」
「やっぱりあるんじゃないですか」
ほら、言ってしまえ。悪いものは全部吐いてしまえ。
「不満でも我儘でも、なんでも聞きたいです。そういうの、言われないほうが辛いから」
「ん……じゃぁ」
僕の必死の押しに、先輩は遠慮がちに言って僕の下から抜け出すと、携帯でメモ帳アプリを開いた。
……なんとなく、予想がつく。
先輩は、思ったことやして欲しいことを小説に転化する癖がある。
最近はずっと隠されていて見せてもらえなかった。
ということは、ここには僕への不満が大量に綴られているのか……。
ゴクリと息を飲んで画面を見つめ、ソファに座り直してそっとタップする。
そこには、王子様やら執事やら騎士やらのファンタジーな設定で恋愛する僕たちのエロ妄想小説がッ!
……うん、ついていけない。だけどもう、いつものことだ。
大体、ラブラブいちゃいちゃしていて不満はなさそうだ。
もっといちゃつきたいってこと?
あ、もしかして……。
「コスプ」
「違う」
「お姫様だっこでベッドへ運」
「それでもなーい!」
違うのか。結構な頻度であるんだけど。
先輩の中のセオリーみたいなもんなのかもしれない。
あと、変わったところといえば、松澤と……これなんだ?
「あ、それはちょっと、置いといて!」
読みはじめると、先輩が慌てて画面を消す。
ちらっと見た感じ、松澤と先輩が僕を取り合っていたんだけど、なんで? 松澤なんで? え、まさか?
心理的にはあんまり置いておけないが、まあ、後で問いただすとして。
「……わかんない?」
先輩が、上目遣いに僕の顔を覗き込む。
恥ずかしそうに顔を赤らめて、どうしようかな、と呟く。
僕はもう一度携帯の中の小説に目を落とし、今度はセリフに注目してみた。
『愛してるよ、めいちゃん。手を退けて、君のすべてを見せて……』
『おはようございます、芽衣子お嬢様。お目覚めの一杯は、口移しなんていかがです?』
『勇者メイコよ、僕はお前さえいれば何もいらない。共に世界を滅ぼそう……』
なんかシュチュエーションに引っ張られてすごい非現実的なセリフ群だな。
これ、相手僕なんだよね? 一生口に出さないぞこんなの。
別の意味で恥ずかしくなりながら冷静に読み返し……。
「あっ」
全てのセリフが、『先輩』から『めいこ』になっていることに気が付いた。
てっきり『先輩』の存在しない世界観だからだと思っていたが、たぶんそういうわけじゃない。
わざとだ。王子は『先輩』なんて呼ばない。
だからこそ王子を選んで使ったという推測は穿ちすぎだろうか。
「……名前?」
先輩の顔を覗き込むと、じっとこちらを見つめていた彼女は顔を真っ赤にして俯いた。
アタリだ。
「ちっちゃいでしょ……?」
そうか、これが恥ずかしくて見せられなくて、ずっと隠されていたのか。
小さいながらも、彼女の中では口に出せないほどに大きいのかもしれない。
自分からは言いたくない。その気持ちは、僕にも覚えがある。
「私もしてほしい。ヒナちゃんだけずるいよ。『さっちゃん』と『ヒナ』はだめ。ずるいよ。どうしようもなく嫉妬しちゃうし、比べちゃう。理不尽でも怒らずにいられないよ」
ぷうと頬を膨らましながら、拗ねるように言う。うまく茶化そうとしても出来なくて、泣き笑いみたいな変な顔をする。
自分でもどうしていいのかわからないのか、一度口を固く結んで頭を振った。
「私だって大好きなの。永田くんだけ、いつも自分ばっかり好きで苦しいって言って、ずるい。私だって、好きで好きで不安になったり悲しくなったりするもん。一番がいいもん。私にも、ちゃんと嫉妬させてよ」
言いながら、辛い気持ちが蘇ったのか顔が歪む。
……ほら、やっぱり溜め込んでた。
そういうの、もっと聞きたかったんだってば。
「ていうか、こんなの、言わないとしてもらえないのが辛いよ。私はあんたの先輩だけど先輩じゃないよ! もっと特別扱いして、ちゃんと一番だよって言い続けて、ご機嫌とってよ、ばか!」
遂にボロボロと大粒の涙を零しながら、僕の胸をベシンと叩いた。
全く痛くないけれど、心はちょっと痛かった。
理不尽な怒り方が、面倒くさくて可愛くて、いつもの聞き分けの良い『先輩』な彼女らしくなくて、なんだか沁みた。
「なに笑ってんのよう!」
どうやら顔がニヤけていたらしく、怒った先輩がベシベシ叩きながら胸に縋り付いてくる。
あまりにも可愛いのでそのまま抱き締めて囲い込むと、腕の中で威嚇する猫みたいにフーフー言って怒っていた。
「……めいちゃん」
そっと耳元に唇を寄せて囁く。
先輩の体が、ビクリと震える。
「……芽衣子」
「ふぐうぅ……」
ずびずびと鼻を啜りながら呻く。
僕の胸にしがみついて泣いている。
「…………悟くん」
泣きながら、小さな声が返ってきた。
僕の名前だ。
そう認識したら、体中が火を噴いたみたいに熱くなった。
「え、あ……め、芽衣子……!」
不意打ちにまごつきながら、とりあえず名前を呼び返す。と、
「悟くん」
再び呼び返され、胸板にスリスリと額を擦り付けられた。可愛い。
「芽衣子」
ぎゅう、と力を込めて抱き締める。
「悟くん」
抱き締め返される。
「芽衣子……」
「悟くん」
「芽衣子」
「悟くん!」
「め、芽衣……って、何回やるんですか!」
バッ、と手を離して彼女を解放すると、ぷはぁっと水中から上がったかのような息継ぎをして、大笑いされる。
「好き!」
とびきりの笑顔で屈託なくそんなこと言われたら、もう蕩けるしかない。
彼女はスッキリした、と言ってティッシュでボロボロになったお化粧と涙を拭った。
僕も、くだけかたがわからなかったから、スッキリしたよ。
色々聞けてよかった。初めてこんなに欲されて、泣かれて、それがとても嬉しかった。
「私たち、お互いの理解がまだまだ足りてないみたい、ね?」
涙を拭いた芽衣子が、僕の元へ戻ってくる。
ソファに腰掛けるかと思ったら、膝の上に向かい合って乗ってきた。落ちないように腰に手を回して抱き寄せつつ、口付けを交わす。
「悟くんのこと、もっと深く知りたいな」
「……うん」
奇遇だね。僕も今、そう思ってたところだよ。
ゆっくりと唇を重ね合わせながら、誘うように体を撫でる。
「……このワンピース、可愛いですね」
「ありがと……」
「すごく似合ってるよ」
キスをする合間にワンピースを褒めながら、布地に指を這わせた。
ボレロを脱がせ、背中のジッパーに手をかける。
「あ……」
「いや?」
声に驚いて手を止めると、彼女は首を振って恥ずかしそうに俯く。
「違うの、逆……。期待して、声が出ちゃった」
────なにそれ……。
一瞬で理性が吹っ飛んだ。
すぐさま芽衣子を横に倒して立ち上がると、横抱きに持ち上げる。
驚いた彼女が声をあげたので、安心させるように軽くキスをして、有無を言わせず寝室へと運び込む。
お姫様抱っこでベッドまで。
もちろん、異存はございませんよね? お嬢様!




