恋人いる宣言、して
突然鳴り響いた電話は、かーくんからだった。
しばらく動けずにいると、やがて着信は切れる。
ホッとひと息ついて、さてどうしようかと永田へ目線を移した時、
──ピリリリリッ。
再び、かーくんから着信が入る。しつこい!
だけど、今まで彼から連絡なんて殆どなかったのに。何かあったのだろうか。
出ろ出ろと震えながら叫ぶ携帯を両手でつかみ、画面を凝視する。
「……出なよ」
ふいに、永田が言った。
「え、で、でも」
「出なかったら、どうせ気になるでしょ? だったら出て、もう彼氏がいるから連絡するなって言って」
少しだけ強い口調で、まっすぐに私を見て言う。
確かにそうだ。
ずっと待ってた、かーくんからの連絡。かなり今さらだけど、無視すればそれはそれで気になってしまう。
私はコクリと頷くと、布団の上に正座し、意を決して通話ボタンを押した。
「……もしもし?」
おそるおそる耳に当てる。と、
「あーーー! めいちゃん、やっと出た!」
耳がキーンとするほどの大音量で、かーくんが叫んだ。
演劇人のかーくんに腹式呼吸で思い切り叫ばれると、本気でうるさい。
それでも、よく通る少し高めのイイ声を聞いた瞬間、懐かしさがブワッと溢れた。思わず苦笑してしまう。
「声大きい、うるさいよ。迷惑だよ」
「そう? 俺って迷惑? あ、聞いて聞いて!」
久しぶり、も、ごめん、もない。
まるでブランクなんてなかったかのように、かーくんは陽気にしゃべる。
「何か緊急の用事?」
「うん、それがさ、俺、結婚するんだけど」
「それ聞いた」
「うん、言った。んでねー、来月に京都で結婚式あるんだけど」
「それはおめでとう」
「うん、だからさ、めいちゃんに来て欲しくて」
「は?!」
いやいや、なに言ってんの。元カノを結婚式に呼ぶとか正気なの。
いや、その前に来月ってなに。急だなおい。
私が絶句していると、かーくんは必死に説得をはじめる。
「めいちゃんに来て欲しいんだよ!
だってずっと支えてくれたしさぁ。俺のこと大好きでしょ?
てかね、来るはずの奴が急遽来れなくなってさ、頭数減るともらえるお金も減るじゃん?
だから、めいちゃん。お祝いして、御祝儀ください!」
──もう。もうね、欲望に忠実すぎるよ……。
久しぶりに会話したと思ったらこれ。
本当に、彼は私の事、金づるとしか思ってなかったんだなぁ。
「……彼氏できたから、もう会わない」
脱力と目眩を覚えつつ、私はなんとか口を開く。
するとかーくんは、「えーっ!」と再び叫んだ。
「なにそれ、俺よりいい男!? 俺よりカッコいいの? どんくらい!?」
心底驚いたという感じで矢継ぎ早に訊いてくる。
なにその質問。どんだけ自分がいい男だと思ってんの。
「──ふっ」
馬鹿らしくて思わず笑うと、横にいた永田がムッとする。
おっといけない、楽しく会話してる場合じゃなかった。
「とにかく、行かない。おめでとう、元気でね、バイバイ!」
「残念だけどしょーがないね。ありがとう、俺は幸せだから安心してね。でも、気が向いたらお金ちょうだいね。またね!」
なんちゅー別れの挨拶か。
てか、またね、って。もう連絡して来なくていいよ!
「…………はぁ」
通話を切ると、なんだかドッと疲れてため息が出た。
永田は横で呆れ顔だ。
声がデカくてよく通るから、会話は筒抜け。
「なんかすごいですね……」と眉根を寄せる。
それがさぁ、会うとめちゃくちゃいい奴なのよ。気遣いも出来るし、不快感なく金銭をせびってくるの。
……って、なに心の中でフォローしてんだか。
「……先輩、まさか行かないでしょうね?」
「行くわけないじゃん……」
「まぁ、そりゃそうか……」
行くわけないよ、場所も聞いてないし。何より惨めすぎるでしょ。
「なんか、つかれた」
間接的とはいえ、はじめて接触した生かーくんの衝撃に、永田はフラフラしている。
布団の上に座っている私を背後から抱きかかえ、背中に寄りかかってきた。
「個性の暴力」
「すごい二つ名付けたね!」
「よく付き合ってましたね。……あ、付き合ってましたよね?」
「うるさいなぁ。ちゃんと付き合ってた……はず!」
「自分でも曖昧じゃないですか」
「くぅ……」
永田はなんだか脱力したのか、私の首元でくすくす笑う。
吐息がかかってくすぐったくて、私も少し笑ってしまう。
「……傷ついてないから、大丈夫だよ」
「なんのことやら」
とぼけながら、永田は優しくそっと髪を撫でてくれる。
本当だよ。本当に、もうなんとも思ってない。
甘えるように彼の首筋に頬ずりすれば、強く抱き込んでくれた。
「かーくんは馬鹿だな。先輩はこんなに可愛いのに」
今日の永田は、なんだか甘ったるい。
私が落ち着くのを待って、彼はゆっくりと腕の力をゆるめた。
「体調もいいし、なにか食べに出掛けましょうか。本屋でも行く?」
「あー、いいね。新刊でてるかな」
「……なんの新刊です?」
「安心して! 普通の本だから! 本当に!」
くだらないことを言い合って笑い、着替えようと立ち上がった時、
「あれ? なんか、携帯のバイブ音しない?」
ヴーンヴーンと、どこかで音が鳴っている。
永田がベッドの枕の下を探ると、震える携帯を取り出した。
しかし一瞥した後、慌てて無言で切る。
「え、いいの?」
「いいんです」
……怪しい。
すると、すぐさま立て続けに短く携帯が震えた。
あ、メッセージかメールだ。
「…………」
じっと見ていると、彼は文面を確認もせず、さっさと画面を消してしまう。
「……出なよ」
「はいっ!?」
私の言葉に、永田があからさまに動揺する。
「さっき言ってくれたでしょ。
『出なよ、出なかったら、どうせ気になるでしょ?
だったら出て、もう彼氏がいるから連絡するなって言って』って」
「う」
ジト目で淡々と言えば、彼は少し呻く。
「誰なの?」
このタイミングで、あの反応で、なんとなくわかってるけど。
「…………ヒナキです」
だと思ったー!
いや、兄嫁だし、幼馴染だし、電話やメールくらいするだろう。
だけど永田の反応が、なんだか面白くない。
その理由が、タイミングの悪さと私を気遣ってなのはわかってる。
だけど、面白くないんだもん。
ベッドに腰掛ける永田の横に、スッと座る。
「私には電話に出させて、自分は出ないの?」
「……たいした用事じゃないらしいですよ」
送られてきたメッセージを確認しながら、永田が困ったように言う。
「ムカつく」
「……ごめんなさい」
「ムカつく。なんで私だけ電話出て恋人いる宣言したのに、永田くんはしないの」
「え、そこ?」
永田が目をパチクリさせる。
そこ、大事なとこだよ。結構恥ずかしいし、緊張したんだからね!
「……しましょうか? 恋人いる宣言」
そう言って、私の顔を覗き込む。
その瞳が、ちょっと嬉しそうに笑んでいるのを見逃さなかった。
なに喜んでるの?
むーっとして睨むと、彼は今度こそ堪えきれずに破顔した。
そして隣に座る私の手を、ぎゅっとにぎる。
「大丈夫、すぐ終わるよ」
言ってから、片手で携帯を操作して電話をかけた。
数回、呼び出し音が鳴った後、「もしもし!」と可愛らしい声が聞こえる。
「あ、ヒナ。ごめん、さっきのなに?」
『えー、なんでもないって送ったじゃない』
「なんでもなくて電話なんてしてこないだろ、お前」
漏れ聞こえる向こう側の声、永田の気さくな話し方。
あ、幼馴染なんだ、仲良いんだ……。
自分でやらせたくせに、急に実感が沸いて、何もかもがズシリと重くなった。
こんなに重いなんて意外で、私は驚いた顔のまま固まって聞き耳を立てている。
『あのね、賢ちゃんが……』
「兄貴が?」
『あー、待って。
さっちゃん、今、ひとりじゃないでしょう?』
──さっちゃん。
私が動揺したのに気付かず、永田は驚いた後、頰を緩ませた。
「よくわかったな。今、彼女が横にいる」
『え、それなのに掛け直したの? ……あぁ、そっか。ごめんね』
「違う、俺の判断だし。彼女はそんな子じゃないよ」
──俺。
再び動揺する私をよそに、永田とヒナさんはあうんの呼吸で会話している。
『なるほどね……』
「……なに?」
『来週、もし都合が付けば、彼女さんをうちにご招待してもいいかな?
さっちゃんの彼女、紹介して欲しい!』
「え"っ……」
永田がもの凄く嫌そうな声をあげた。
通話の音声は筒抜けだ。彼が私の方をみて、心底困った顔をする。
なに、その顔?
確かに驚いたけどさ。私とヒナさんが会ったら、なんかまずい?
私がムッとしている間にも、永田は「それはちょっと……」と断ろうとしている。
昔好きだった人と今の彼女が会うのは、やっぱり気が気でないのかな。
ヒナさんと永田の攻防を聞きながらそう思うと、胸が苦しくなった。
私の知らない永田。
私の触れられない、過去や絆を持っている女の子。
ずっと好きで、風邪のときにいつもお粥を作ってくれるような相手。
羨ましくて、会った事もないのにちょっと憎くて、そんな風に思うのが嫌で。
どうやったって敵わない気がした。
行きたくない。
怖いし、逃げたい。
でも、ここで逃げたって何も解決しない気がする。
ヒナさんは兄嫁だ。つまり、幼馴染じゃなくて永田の親戚で、一生、永田についてまわる存在なのだ。
もし、私が、もっと先を望むなら────
「────行く」
「え」
私の言葉に、話していた永田が止まる。
こちらを向いた彼をまっすぐに見つめて、彼の手を両手で強く握って、もう一度言った。
「行くよ」
断る術なんていくらでもあったろう。
行く必要だって感じない。いい年の恋人同士、付き合いたてで、結婚だってまだ意識してないし。
だけど、ここで逃げたらずっとくすぶる気がするんだ。
「私を、永田くんのご家族に紹介してください」
****
「本当にいいんですか?」
永田は少し嬉しそうな、だけど後悔しているような、複雑な顔をした。
こんな展開になるなんて予想していなかっただろう。
だけどたぶん、この問題って、ずっとあったんじゃないのかな。電話でのふたりの対応は、なんだか手慣れていた。
今まで紹介した人はいない、と永田は言っていたけれど、紹介して欲しがった人は、きっといたんじゃないかなぁ。
『さっちゃん』 と 『ヒナ』
その重み、年月を受け止めたい。
まだ『先輩』の私に、どこまで踏み込めるのかわかんないけど。
頑な表情でいる私に、永田は気遣うように傍にいてくれる。
永田は間違いなく私が好きで、私は間違いなく永田が好き。
うまくいってるはずなのに、どうして不安になったりするんだろうね。
きっと、信じることさえ出来るなら、どんな問題だって笑って水に流せるんだ。そのために心を繋げるのって、どうしたらいいのかな。
くっついたり、離れたり
つかまえたと思ったら、またわからなくなる。
心って不思議で、ままならない。




