お楽しみはこれからだ!
待ちに待った週末がやってきた。
「いらっしゃーい!」
「お邪魔します」
今日の集いは日曜日の昼下がり。
玄関を開けると、少し汗ばんだ永田が、ふぅ、と息を吐いた。
外の日差しは強く、ドアの向こうは真っ白で目が眩む。もう初夏ではなく夏だ。日に日に暑くなる。
こんな暑い日でも、永田はやはりカッコイイ。
爽やかな色合いのシャツを羽織った姿は、雑誌から抜け出てきたみたいだ。私なんて部屋着だよ?
そんなメンノン永田は、手にコンビニの袋を提げている。
「ゼリーとアイス、どっちがいいですか?」
「どっちも!」
「って言うと思って、両方買いました」
「さっすが、わかってるぅ!」
お土産だったみたいだ。
袋からはひんやりとした冷気が流れ出て、ほんのり汗をかいている。
覗き込めば、バニラとチョコミントのカップアイスに、オレンジとグレープフルーツの果肉たっぷりゼリー。
大喜びで受け取ると、彼は嬉しそうに目を細めた。
今日は暑いのと、永田がずっと忙しかったのを松澤くんから聞いていたのとで、私から家へご招待した。
最近はずっとデート三昧だったし、たまにはまったりDVDでも見よう。
その提案に、永田は少しホッとしたように頷いてくれた。
あぁ、やっぱり疲れていたんだね。
「本当は外デートもしたいんですけどね」
なんて言ってくれるから、無理すんな、と思いながら
「一緒にいられたらそれでいーよ」
と良い彼女ぶってみせる。
本音だけどね。インドア派なんで、お家大好きなのだ。
そんなわけで、DVDをセットしてソファに座ること15分……。
「あ、あの……永田くん? ……おーい」
「…………」
安らかな寝息が隣から聞こえ、次の瞬間、肩に重みが。
あのぉ、まだ予告も終わってないんですが。
そっと窺うと、肩に寄りかかって眠る永田はくったりとして怠そうだった。
……毎日大変なんだろうな。
私は彼を起こさないよう上半身を固定したまま、そっとソファの脇にあるタオルケットに手を伸ばす。
それを永田に掛けてやると、DVDの音量を下げ、足でローテーブルのスマホをつまみあげる。
「先輩、お行儀悪いですよー……なんちゃって」
永田のモノマネをして、ひとりでくすりと笑う。
それからスマホのメモ帳を起動して、書きかけの文章を呼び出した。
最近、こうやって携帯で小説を書いている。
フリック入力にも慣れてきたので、パソコンと同期させながらいつでもどこでも書けるのだ。
会社への行き帰りの電車でも、おトイレの中でも。
なんて便利なんだ、文明バンザイ!
鼻息荒く画面にかじりついて、スッススッスと指を動かす。
この前のステキ女子にはちょっとムカついたから、地味な私が変身して見返す物語にしちゃおっかな?
いやいや、地味な君もステキだよ僕だけが君の魅力に気付いたんだ☆ 展開も捨て難い……。
私がうんうん唸っていると、
「なに書いてるんです……?」
怪訝そうな声がして、肩の重みがなくなった。
横を見ると、眠そうに目を擦りながら永田がこちらを見ている。
「あっ、ちょっと仕事のメモを!」
「うそつき」
しどろもどろになりながら携帯を隠すと、永田は私を半目で見つめ、大きなため息を吐く。
「どうせまたくだらない妄想してたんでしょ。先輩は変態だもんね」
「へ、変態じゃないし!」
「いいえ、紛う事なき変態です。普通はエロ妄想を小説に綴ったりしないもんですよ」
「……うぅ」
悔しいけど言い返せない。告白の時に書いた小説は、それはもう妄想願望大爆発だったのだから。
恥ずかしくて顔を背けると、永田は再び私の首元に顔を埋めた。
さっきの寄りかかる感じとは違い、明確に肌へと唇を寄せられドキッとする。
「ねぇ、それって本当に小説じゃないんですか? ……最近、あんまり書いてくれませんよね」
寝惚けた掠れ声で、ちょっとだけ寂しそうに呟く。
それが弱音のようで、胸がぎゅっと締めつけられた。
永田、未だに自分を書いて欲しいの?
……だけど、これは見せられない。
付き合って、最初のうちは何作か書いたけど、今は恥ずかしくて書けなくなってしまった。
だって、永田となら妄想が叶ってしまうかもしれないのだ。
かーくんの時はそういう心配が一切無かったから曝け出しまくれた。
だけど今は、まるで発注書よろしく「こんなプレイお願いしまーす!」って感じになっちゃう。
ただ、妄想は止まらないっていうか捗りすぎた。
かーくんでは似合わなかった王子様コスプレとか執事とか騎士とか……
うはぁーヨダレやばい。永田似合いすぎる。
次は魔王様なんてどうかな? ちょっと悪い永田、イイ。悪い顔で責められたい!
……っと、いけない。また妄想してしまうとこだった。
危うくトリップしかけた私が我に返ると、永田がじっとこっちを見ていた。
「僕との恋愛小説はもう飽きた? それとも、もっと刺激が欲しい?」
そう言いながら、頬にちゅっと甘えるようなキスをする。
いえいえ、刺激だらけですって!
私が赤くなると、彼はさらにもう2、3回キスをした後、ちょっと黙った。
そして、テーブルの上に置かれた蛍光黄緑のマグカップをぼーっと見つめてから、口を開く。
「ねぇ、僕がもし…………」
けれど、その言葉は最後まで紡がれなかった。
彼は小さく首を振ると、
「なんだっけ、忘れちゃいました。……寝惚けてたのかな」
俯いて苦笑しながら、体に掛かっていたタオルケットをはいで畳みだす。
「そうだ、先輩。いつもお邪魔してばかりじゃ悪いので、来週は僕のマンションへ来ませんか?」
彼は綺麗に畳んだタオルケットを差し出しながら、にっこりと微笑んでそう言った。
えっ、永田の家!?
「いいの!?」
「もちろん。ちょっと狭いですけど」
「わーい! いくいく!」
そういえば、まだ永田の家へは行ったことがなかった。
なんとなく今までの延長で私の家に集まってしまっていたけど、恋人なんだし、お互いの家を行き来したりするものだよね。
ただ、ひとつ気になることが……。
「本当にいいの? そのぉ……物が多いとかなんとか」
「あぁ、それは……」
前に「一緒に住もう」と言ったら、「物が多いから嫌だ」って言われたんだった。
でもたぶん、それは言い訳。
あの時の様子は、明らかに慌てて何か隠したそうだった。
私が永田の顔を覗き込むと、彼は安心させるように微笑む。
「大丈夫、ちゃんと片付けてますから」
「……なら、お言葉に甘えて」
正直、すごく楽しみだ。
好きな人の家に行くの、初めて!
どんなところに住んでるんだろ。どんな暮らしをしてるんだろう。
私の考えでは、永田はきっと何かのコレクターなんじゃないかな?
凝り性っぽいし。服とか小物とか好きそうだし。
だけど私に隠したいようなもの……例えば、えっちな美少女フィギュアとか。
……あんまり想像できないけど。
そうだとしても、私は引かないから安心してね、永田くん!
****
週が明けても、松澤くんの突撃とステキ女子ホラーは続いた。
せっかくウキウキしてたのに、台無し。
永田のお部屋お邪魔します作戦に専念したいのにぃ。
作戦っていっても、妄想するだけだけど。
「先輩、たい焼き食べますー?」
後輩ちゃんが、項垂れてパソコンを叩く私に向かってたい焼きを差し出してくれる。
今朝、駅ビルに新しく出来たたい焼き屋さんで買ってきたんだって。
「あんことカスタード、どっちがいいっすか?」
「あんこー」
「どうぞ。あ、先輩って頭からいくタイプなんですね。あたしはハラワタからです」
「川魚の食べ方!」
はむ、っと大きくたい焼きを頬張る。
すると、もぐもぐと咀嚼する私を後輩ちゃんは心配そうに覗き込んできた。
「先輩元気ないですね。悩みなら聞きますよ?」
「うう……ありがとう。ちょっとハゲそうなの。あのね」
私が後輩ちゃんに悩みを打ち明けようとすると、
「おい、お前ら……チョコとか飴ならともかく、たい焼きは仕舞え!」
呆れたような叱責の声が響く。
背後を見ると、課長が立っていた。ヤバイ。
「はひ、すみまふぇん!」
慌てて一気にお口の中へ仕舞うと、ごっくんとさらに胃に仕舞う。
すると課長はウムと頷いた。我が雑用課(そんな課はない)はゆるい。
「染谷。ついでにちょっと、倉庫にアレ仕舞ってこい」
そう言って課長が指差したのは、分厚い資料ファイルの束。
えー、倉庫って下の方の階で遠いのに。
と、心の中で愚痴りながら「はいっ」と元気よく返事しておいた。
ファイルを抱えて、ひとり倉庫へ向かって廊下を歩く。
すると、前方から見たことのある女性がやってきた。
あれ、どこで見たっけ?
心の中で首をひねりながら、「お疲れ様です」とすれ違った。
その瞬間────
「うぉおっ!?」
足元に何かが引っかかり、ガクン、とつんのめる。
大きいファイルをいくつも抱えていたせいで足元がまったく見えていなかった私は、派手に前方へとすっ転んだ。
「いったぁ……」
ひざを打ってしまって痛い。ファイルも全部ぶちまけてしまった。
座り込んで足を擦る────と、「ふふっ」という嗤い声が降ってきた。
何だろうと顔を上げると、先ほどすれ違った女性が私を見下ろして嗤っている。
あっ! 今の女性、ステキホラー女子のひとりだ!
そこで初めて、わざと足を引っかけられたことに気付く。
やべーお化けだと思ってたら現実世界に干渉してきた!
こういうのってなんて言うんだっけ。スプラッターじゃなくて……あ、ポルターガイストか!
と、非常にどうでもいいことを考えていると。
「なにやってんだよ、染谷地味子!」
ふいに男性の声と、駆けてくる足音。
永田だったらいいなと一瞬思ったけど、違った。
駆け寄ってきたのは、松澤くんだ。
「まっつん!」
「馴れ馴れしくアダ名で呼ぶな。おい、そこのあんた」
松澤くんは、ギロッとステキ女子を睨む。
彼女は責められると思ったのか、ビクッと身を震わせて後退る、と。
「ぼーっとしてないで手伝ってやれよ。……ったく、どいつもこいつもアホだな」
しかめっ面で言い放って、私の正面にしゃがみ込んでファイルを拾う。
一言、いや、三言くらい多いけど、なんだよ優しいとこあるじゃん。
彼が割って入ったことにより、ステキ女子も気まずげに拾ってくれた。
そして超小声で「ごめんなさい」と言って、そそくさと去って行く。
謝るくらいなら最初からするなっ。
とは思うけど、きっと魔が差したんじゃないのかなぁ。
ここは人気もないし、チャーンス!って思っちゃったんだろうね。
だって、彼女の手、ちょっと震えてた。
悪いことをした時って、自分の醜さと向き合わなきゃいけない。
恋心を言い訳にしても、それってたぶんちょっとショックで……。
「永田くんってモテるよねぇ……」
「はぁ? 今さら何を。永田先輩がモテるなんて宇宙の真理だろ」
……さいですか。
松澤くんの永田愛しすぎ発言に若干引きつつ、私は彼に助けてくれたお礼を言う。
「ありがとね、まっつん。助かったよ」
「まっつんヤメロ」
あはは、と笑っていると、
「先輩! まだ倉庫行ってなかったんすか?」
今度は聞き慣れた女の子の声。言わずもがな、後輩ちゃんだ。
私があまりに遅いので心配してきてくれたのだろう。
聞いてよー、大変だったの! と、私が説明しようと口を開きかけ、
「げっ、山田!」
横にいた松澤くんが叫んだ。
────山田。後輩ちゃんの名前は、山田華だ。
なんで松澤くんが知ってるんだろう。
「は? あんた誰」
げっ、と言われたのがムカついたのか、フンと鼻を鳴らして威嚇する後輩ちゃん。
そんな彼女にたじろぎながら、松澤くんは口をぱくぱくする。
「ほら、先輩、さっさと倉庫いきますよ」
「あ、うん」
後輩ちゃんは松澤くんを無視して、私の持っていたファイルをいくつか奪い取ると、さっさと歩き出した。
私も仕方なく追いかけようとして、松澤くんを振り返る。
彼は呆然と後輩ちゃんの背中を見つめていた。
なんの関係があるのか、わからない。
わからないけど、でもね、私は見逃さなかった。
松澤くんの耳が、ちょっと赤かったこと。
山田、って言った声が、いつもより上擦っていたことを。
「……まっつん?」
私の呼びかけに、ようやく我に返った松澤くんが慌てて背を向ける。
「まっつーん?」
「うっぜぇ! いいから仕事しろ、雑用課!」
だから、そんな課はないっつーの!
彼は暴言を吐いた後、小走りで走り去った。




