死角から刺客?
たまに、会社の非常階段にある『秘密の場所』で待ち合わせをする。
昼休み。永田のために作ったお弁当を持って、こっそりと通用口の重い扉を開けた。
相変わらずビュウビュウと風が吹き抜けていくけれど、夏になった今、涼しくてちょっと気持ちよかった。
……髪の毛はバサバサに乱れるけれど。
「永田くーん、いる?」
ひょい、と、柱の影の謎スペースを覗き込む。
「いらっしゃい」
にゅっと暗闇から手が伸びてきて、手をつかんで引き寄せられた。
倒れるように闇に吸い込まれると、ぎゅっと抱き留められる。慣れ親しんだ匂いとあたたかい体温が私を包んだ。
顔を上げれば、嬉しそうに微笑む永田がこちらを見下ろしている。
「お、お邪魔します」
思わず赤面してしまい、彼の胸に顔を隠す。
するとクスクス笑いながら、つむじに顎を乗せて抱き締められた。
「特別に使わせてもらってます」
「ここは会社の所有物だから、私の場所じゃないんでしょ?」
「借りているだけですから、問題ないですよ」
「ずいぶん柔軟になったねぇ」
永田の背に腕を回し、抱き締め返す。すると彼はますます力を込めて、私を抱き込んだ。
「はぁ……なんか、会社だと感慨深いです。ずっとこうしてたい。疲れとかイライラとか、ぜんぶ、吹き飛ぶ……」
安堵したようなため息に、なんだか嬉しくなる。こうして会うだけで、リラックスしてくれてるのかな。
「堪能していいよ」
「うん……でも、そうもいかなくて。すぐ戻って食事しながら仕事です」
うー、戻りたくない。そう呻きながら頭を撫でられた。
ここのところ、永田はいつもこんな感じだ。大きめの案件がどうとか言ってたっけ。
ちょっと意地っ張りな彼がこれだけ甘えるのは、やっぱり追い詰められているからかな?
「忙しいんだね」
「そう。だから週末まで、あんまり会えないけど」
名残惜しげに体を離し、リップがつかない程度に、軽くちゅっと口付ける。
「浮気しないでくださいね」
「いや浮気とか無理だよ、こちらこそ心配だよ」
あんたの方がどんだけモテると思ってんだよ。こっちはからっきしだよコンチクショウ。
私は笑って、手提げに入れていたお弁当箱を渡した。
「ありがとうございます」
はにかみながら受け取ると、「大事に食べるね。容器は洗って返します」なんて律儀に言うので、そのまま返せ!と怒ってポンと背中を叩く。
「帰りに回収に行くからね。たくさん褒めたっていいのよ?」
「はいはい。じゃ、またね」
永田は小さく苦笑すると、手を振って颯爽と社内へ戻って行く。
あーあ、行っちゃった……もっとイチャイチャしたかったなぁ。
だけど、こうやって時間を作ってくれるだけでも有り難い。寂しいけど、帰りにまたちょっとだけ会えるし。
まぁ、すぐにバイバイだけどね。
少し残念でため息をついた、その時だった。
「やっぱり、染谷先輩と永田先輩って付き合ってるんですね」
「っ!?」
若い男の子の、少し刺のある声が吹き抜けに響き渡った。
──何奴!
バッと声のした方を振り向く。
すると階段の上から、細身のスーツに身を包んだ男性が降りてきた。
ちょっと猫目の、クリッとした愛嬌のある顔つき。笑ったら可愛いっぽいけど、今は私の事をギンと睨みつけている。
永田の事も先輩って言ったから、たぶんそれより若いのだろう。うちの後輩ではないし、お会いした事はなさそうだ。
しかし、階段の上とか、気にした事なかった。どうせ誰もいないし、風強すぎるし。
だからほら、この子だって、たぶんバッチリ決めてたはずの髪型が……。
「髪、すっごい右になびいてるよ」
「はっ!?」
ワックスでキメキメだったであろう彼の髪は、強風で右曲がりにトルネードしている。直すの大変そう。
私に指摘され、彼は慌てて髪を手櫛で直しながらキッと目を吊り上げた。
「そんなことはいい! あんた、永田先輩と付き合ってるんだろ!?」
「あ、はい。うん」
「それ、言いふらされたくなかったら、俺の言うことを聞け!」
「え」
ドーンと胸を張って言い切る。
あれ、なんかどっかで見たことあるパターン。
この会社、俺様しかいないのかしら。まさかこの人も、私のこと好きにする権利が云々言うんじゃないでしょうね?
いや、言われても従わないけど。私には永田悟くんっていう恋人がいますので。
「ほら、困るだろ? だったら今からあんたは俺の下僕だ」
「いえ、困らないデス。全然」
下僕はやだなぁと思いながらお断りすると、彼は「えっ」と言って固まった。うん、意外か。
私たち、別に付き合ってることを隠してはいない。
少し前なら女子の嫉妬で面倒くさかっただろうけど、今の永田くんは後輩ちゃん曰く『観賞用』なんだそうな。
私との事を知った女子の間には、「ダメンズ女と付き合うとか、やっぱ永田ってアレなんだ」という空気が流れている。なんでだ。
だからと言って、言いふらすべき事でもなし。聞かれたら答える、くらいだ。
ちなみにうちの部署はみんな知っている。後輩ちゃんが悪気なく言いふらしたので。
「別に隠してないし、言ってもいいよ。付き合ってるのは事実だし、かといって仕事にあんま関係ないし」
社内恋愛禁止でもないし、そもそも部署同士の接点があまりないので問題になんてなりようがない。
そう言うと、彼はものすごくしょんぼりした後、踵を返して泣きそうな声で
「じゃあ、言いふらしてくるもん……」と呟いた。
なんだ、この面倒くさい感じ。
思わず呼び止め、疑問をぶつける。
「こらこら、拗ねんな。なんなの君は。なんで私を下僕にしたいの? あっ、もしかして、私のこと好きなんじゃ……」
「はぁ!? そんなわけないだろ、誰がこんな地味子! あんたに永田先輩は勿体無い!」
と、彼はいきなり盛大にブチギレた。
あぁ、もしかして永田のファン?
男にもモテるのかよ。さすがイケメン、性別を超えるぜ。
「そっか、男同士じゃ辛いよね。話くらいなら聞くよ、想い人の彼女で良ければ……」
「ちがっ……違う!!」
私の同情の目に、彼は真っ赤になって叫ぶ。
いじり甲斐のある子だなぁ。イライラしながらもいちいちリアクションする様は、なんだか可愛らしい。
顔つきも甘めの童顔なのに、態度が不遜なところが面白かった。
私がニヤニヤしていると、彼は苦虫を噛み潰したような顔でこちらを見てくる。
「もー……なんだよこの変な女。永田先輩、絶対騙されてる!」
苦々しげに呟いて、乱れた髪をくしゃくしゃっと掻いた。
「どうやって誑かした?」
「はい?」
「だから、どうやって誑かしたんだって聞いてんだよ。あんたみたいな変人に、永田先輩が惚れるわけない」
「えー!?」
なにそれ失礼ね!
ムッとして睨み返すが、彼は怯まない。
「この、ダメンズ女! 永田先輩はなぁ、セクシーでグラマーで派手派手な芸能人みたいな美女が似合うんだよ。お前みたいな地味子じゃ釣り合わないんだ!」
「はぁ!? なに勝手なこと言って」
「あんたと付き合ってからなぁ! ひとりでニヤニヤしてるし、赤くなって壁にめり込んでるし、携帯見つめてブツブツ言ってるし、男前が台無しなんだよ!!」
「それは心配!」
彼は「変人を移すな、男前な先輩を返せ!」と喚く。
ええー、あの永田くんがそんな事になってるの? 私のせいで? ……大丈夫かそれ。
と、そこまで考えて、自分も最近そうなっていたことを思い出す。
ゴメン、後輩ちゃん。私もすっかりお花畑でした。
「えっと、ラブラブでごめんなさい」
私がよくわからない謝罪をすると、彼はフンと鼻息を吐いて偉そうに仁王立ちした。
「よし、なら俺の下僕になるな?」
「いやならないです」
「ちっ……」
どうしてなると思った、青年よ。下僕にしてどうしようっていうんだ。
しかし彼は諦めない。ギリリッと再び私を睨みつけると、
「思い知らせてやる。身の程ってやつを思い知らせてやるからな、染谷地味子!」
芽衣子だよ!!
ビシィッとこちらを指差して叫ぶ彼の声は、うわんうわんと吹き抜けを駆け上がっていく。うるさい。
叫んで満足したのか、彼はくるりと踵を返すと
「ってわけで、覚えてろよ!」
と負け犬みたいなセリフを吐いて、勢いよく扉を閉めて去って行った。
……え、なんだったの?
こういうのって、普通さ、女子と対決なんじゃない?
え、私のライバル、あの男の子なの?
はぁ。なんだかドッと疲れてしまった。
ポカンとする私の頬を、強風が撫でながらビュウビュウと駆け抜けていった。
*
その日の終業後。
私は永田のお弁当箱を回収すべく、彼の部署のあるフロアの、小さな休憩スペースへと足を運ぶ。
自販機のあるその一角は、人もまばらだし、申し訳程度に座れる長椅子もある。
座って待っていると、しばらくして、永田が息を切らせて小走りに駆け寄ってきた。
「お待たせしました」
「ううん、全然待ってないよー」
仕事モードなのと自分の部署があるフロアだからか、その表情は硬い。
私は彼に笑いかけながら、手を差し出した。永田は少しキョロキョロした後、お弁当の手提げを渡してくれる。
「あの、ありがとうございました。美味しかったです」
眉根を寄せて目線を外しながら、小声でお礼を言う。
それだけで、私は大満足だ。
可愛い奴め。もはやその不機嫌な表情が照れ隠しだってことはバレバレなのだ。
「それじゃ……ごめんなさい、また」
「うん、わざわざありがとね。お仕事がんばって!」
謝りながら立ち去ろうとする永田に、小さく手を振ってみせる。
すると彼は名残惜しげに振り返り、
「その『ありがとう』は、僕のセリフでしょ?」
ちょっと不満げに言うと、私の肩に触れた。瞬間、
「……っ!」
声をあげる間もなく、永田の唇が私のおでこに押し当てられる。
ふ、不意打ち……!
「またね」
そう囁いて、柔らかな感触は一瞬で離れていく。
驚いて永田の顔を見上げると、彼はすでにくるりと反転して歩き出していた。
表情は見えなかったけど、片手で口元を覆う仕草はきっと、照れているに違いない。
あんなに周囲を警戒してたのに。いきなりデレるなんて反則だ。
私はキスされた額を手で押さえながら、その後ろ姿を惚けたまま見送ったのだった。
こんな小さな事で、気分が上がってしまう。
自分の単純さにくすりと笑って、そしてちょっとだけ戸惑う。
恋人ってすごい。好き合ってるって、すごい。
与えたら、無償で返してくれる。
私は今まで経験した事のない、胸がくすぐったくなるような喜びを噛みしめていた。




