神と相続
希ちゃんを呼んだ神様の眠る場所。
そこは薄緑色をした湖だった。
「時間がかかったわ!」
すっかりこちらの装いに馴染んだ少女が長い黒髪を揺らす。ヘアスタイルは相変わらずのポニーテール。
黒のホットパンツにタンクトップ。その上に鮮やかな緑と黒に近い緑が模様のように混じり合った裾の広がる上着を身につけている。膝下まである上着からは黒のロングブーツが覗いている。
手首や髪の結びにキラキラ飾りが揺れる。
「僅か一ケ月の旅で馴染みすぎだろ!?」
「長い日々だったわ」
「なんで、ひと財産つくれてるんだよ。信じられねぇ」
希ちゃんと円君が軽い口調でじゃれあってる。
「ひとえに人徳かしら?」
にこりと希ちゃんが微笑む。
渋い表情の円君。
そっと視線を外すミルドレッド。
「おにいちゃんとの今後のために財産は必要だわ!」
ん?
「……僕?」
「そう! アドウェサも、イシチャンもいるしね~。私たちが帰るにしても、この子達の生活資金は必要だし、帰らず、こっちの世界にいるとしたなら、生活の基盤を作り上げるためにもこれじゃ足りないわ」
ああ、アドウェサたちが苦労するのはイヤかなぁ。
「もし帰る事になるんなら、ミルドレッド、預けた資金でアドウェサたちのことをよろしくね」
湖を見つめて、振り返らずに希ちゃんはそう告げる。ミルドレッドはそれにしっかりと頷く。
いつの間にか育った絆。出会った頃はかなり警戒してた気がするのに。
一歩、水上に足を踏み出す。
足は沈むことなく波紋を描く。
しゃん!
と高い音が響く。放りだされたブーツ。そっと回収しているアドウェサ。
ふわり翻った上着の隙間から見える足とホットパンツの黒。
「ちゃんと巫女っぽいんだなぁ」
円君がそっと小声で囁く。
「神様に選ばれて呼ばれた希ちゃんだもんね」
水の上を跳ね回る希ちゃんの姿はフィギュアスケートの舞台のようで、きれいだった。
「魔法陣をね、描いてるの。踏む場所が決まってるんだよ」
そっと横に寄ってきたアドウェサが教えてくれる。
うーん。
それって、
「神様に、会いに来たから開けてってノック?」
超高度なお家セキュリティ?
ぽぅっと緑の焔が湖を埋め尽くす。
揺らぐ焔が形を描くように踊る。
焔の門が、たいらな水の上に聳え立った。
門へと至る道を飾る焔は花の細工モノ。
かっこいい舞台演出だと思う。
「門が固定したようね」
ミルドレッドがそう言って湖に一歩足を下ろす。
白い波紋が緑の湖面を走る。
希ちゃんが制止する。
「ミルドレッドはダメ。おにいちゃんついて、きて?」
不安そうな表情で見てくる希ちゃん。
でも、僕なんかが神様のところに行っていいのかな?
ためらっているとバンッと勢いよく背中を押された。
勢いで湖の上に滑りコケる。白い輪が波紋が広がっていく。
「ぁ、冷たくない」
それに、濡れることも沈むこともなかった。
「おにいちゃん。だいじょうぶ?」
差し出される希ちゃんの手。移る視線を追えば下り階段が見えた。
きゅっと取られた手。かすかに震えて感じるのは、やっぱり不安なんだろうと思う。
僕を支えようとしっかりしてくれてる様子が罪悪感を誘う。
希ちゃんは年下で、女の子で、本当なら守られていただろうし。
にこりと笑顔を向けられる。
「おにいちゃんが一緒なら、大丈夫。……いこう」
階段は薄い緑と濃い緑のグラデーション。翡翠色。
すぅっと消える入り口。
僕と希ちゃんはただ階段を降りていく。
しゃんしゃんと希ちゃんの装飾品が音を立てる。
たどり着くのは小さな空間。
胡坐をかいた女が手を広げて僕らを迎え入れた。
『よくぞ来た。我が後継者よ』
そう、その女性は言った。
手を広げ、歓迎するように。
白いろうそくを思わせる肌。装飾もなく、落ちる灰色の髪。翡翠を嵌め込んだような緑の目。
薄暗い緑の空間で、馴染み難い存在感を放っていた。
「ココはヒスイ様の場所のはずだわ」
希ちゃんが彼女に責めるように尋ねる。苛立ちを隠せず、不安にかられてるんだと思う。予想外だから?
にぃと唇を弧に歪めた女性。それを睨みつける希ちゃん。
僕は、空間の端の転がる小さな燭台を立て直す。
空間の明度が上がった。
二人の女性の視線が僕に注がれていた。
「おにいちゃん……」
希ちゃんの呟き。
フッと表情を綻ばせ、女性は大笑いをはじめた。堪えられないとばかりに。
えっと、僕?
『愉快よの。我らが対話はそなたには無縁か?』
え?
僕がなんの影響力があるの?
女性は楽しげに笑う。
『それでいい。そんなそなただからいい』
え?
白いロウソクのような指が、僕の頬を撫でる。
その指はひやりとした冷気を持って僕の肌にとろけ込む。
「実体じゃ、ない?」
『気にするか?』
問われて首をかしげる。
驚くけれど、それだけだと思えた。
「幽霊って冷たいんだなぁ?」
くらい、かなぁ?
白いロウソクを思わせる、それでいて豪快な印象の強い女性は膝を叩いて笑う。
『そのままでいればいい。そのままで我が眷属達の主となるがいい』
え?
僕?
「ちょっと! 勝手なこと言わないでよ!」
希ちゃんの声。
え?
後継者って、希ちゃん、のこと、だよね?
僕はただの付き添い、だよね?
それとなく傷つく。
わかってたことでも突きつけられたらちょっと傷つく。そんなことってあると思うんだ。
そこをふまえて、僕を認めてくれてるのは嬉しいんだけどね。
「おにいちゃんに何をさせる気よ!」
そう怒鳴った希ちゃんに幽霊のおねえさんはただ笑った。
『何も。ただ、我の眷属たちの拠所になればよい』
僕には何も望まない。できることなどなくていい。そう告げた、んだと思う。
『そなたが拠所とするように。支配はいらぬ。束縛はいらぬ。時が経てば己に自信を持ち己が意思で足で、立てるように。支えねばならないくらいが丁度良い。棄てやすいしの』
からからと笑う。
きっと、大切なんだと思う。
この女は『眷属』と呼ぶ対象をとても大切にして、信じてるんだと思う。
「僕で、役に……」
言葉は続けられなかった。
遮ったのは希ちゃんだった。
「だめよ! どうしておにいちゃんがあなたに利用されなくちゃいけないの!?」
希ちゃんは僕のことを心配して反応してくれたんだと思うけれど、僕で役に立てることがあれば、それはそれで嬉しく思えるからいいのに。と、心配してくれた希ちゃんに対して酷いことを思ってしまう。
『そなたも同様であろうに。ヒスイの力を求むるは拠所を利用するためであろ』
あれ?
それは違うと思うんだ。僕は希ちゃんの力になることはできなくて、いつだって足を引っ張っていると思うから。ただ、希ちゃんは優しいから僕の希望を叶えようとしてくれる。
二人の会話は続いているけれど、何を言っているのか、何を言い合っているのかがわからない。
彼女は後継者を求めると言ったけれど、眷属を持つと言うけれど、彼女はいったい何者なんだろうか?
そんな疑問は持つのだけど、彼女達は僕を抜かして会話を飛ばす。
もはや、僕には二人の会話についていくことができていなかった。
……階段、どこに消えたんだろう?
目の前にいるのは見知らぬ子猫。
灰色の地色に黒い縞が入ってる。赤味を帯びたその目はぎょろりとしている。手招けば寄ってきた。
おずおずジリジリ警戒しながら近くへと寄ってくる。その姿がものすごくかわいい。
他にもリスやトカゲが興味深そうに顔を覗かせる。
わ!
ウサギもいる!
『決まったの。我はヒスイとともに眠るつもりでな。心配せずとも巫女が居ればヒスイへの祈りは届くし、我が眷属はヒスイを信奉する。その頂点にして接点として立つがよかろ。瑣末なコトは我はかまわぬ』
ちっちゃい子達と戯れていると、ふいに耳に届く満足げな幽霊の声。
いやいやをするように首をふる希ちゃん。話はまだ和解まで至っていなかったようだった。
「おにいちゃんをとられるのはいやなの」
ゆるく希ちゃんの頬を伝う涙。
不安なのかな? 幽霊さんは決まったような物言いだったけど?
膝の上にピリッと痛みが走る。
見下ろせば、何匹かが怯えているかのように硬直し、その爪を僕の服に突き立てていた。
どうしたの?
あやすように撫でれば、少しずつ力が抜けていく。
『我が眷属の幼子をよしなにな』
白い手が群がる小さな動物を撫でる。
顔を上げればそこに幽霊さんがいた。
優しい眼差しで小さな子達を眺め、撫でる。
これが、彼女の眷属?
『これらは弱い。異端ゆえに弱く幼い。野に放たれれば生きながらえはせぬであろう。されど、我が庇護のうちにのみあれば、子らは立てぬ』
するりと振り返る。
そこには緑のクリスタルがキラキラ瞬いていた。
『ヒスイの力は眠らなければ消えてしまう。お前を還す力だけは残されている。それが現状。おまえが力を維持したくば、祈りを集めろ。それがどんな形になろうともお前の元に集うならそれはヒスイの糧となる。もし、力を考えなしに使うならば、何も残らない。お前は言葉すら操れぬままこの世界に残ることになるだろう。くれぐれも気をつけることだ』
ふわり
緑に輝くクリスタルに重なるように位置を決めながら彼女は希ちゃんにそう教える。
『さぁ、発つがいい。どのようにその子らを守り育てるかはそなたらしだい。我が後継にしてヒスイが巫女よ。その道を示すがいい』
しゃん!
金属が高い音をたてる。
緑の炎が舞い上がった。




