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半月後。
僕らはワタルの葬式に参加することができた。ワタルの父が招待してくれたのだ。
ワタルの母は嫌そうな顔をしていたが、僕らも喧嘩がしたいわけではない。焼香を済ませた僕らは、その後の会食には参加せず速やかに帰路へついた。
それから更に一ヶ月後。
僕らは駅前に集合した。
「じゃあ、行こっか」
「うん。ワタルの代わりに、僕らで見届けよう」
僕らは大きな美術館に入った。
ワタルが参加したコンテストの入選作が、今日からこの美術館に展示される。美術館を訪れたのは初めてで、格式高そうな内装に少し鼻白んだ。ここにワタルの絵が展示されていたかもしれないと思うと一層緊張した。
「うわ、すっごい綺麗。これ、本当に同い年が描いてるの?」
展示されている絵画を見て、ユズはすっかり魅入っていた。展示品は絵画だけでなく立体作品や書道の作品もあった。
時折、展示されている絵画を見て「これならワタルの方が上手かったのでは?」と思うこともあったが、決して口には出さなかった。ワタルがそれを聞いたら絶対に「余計なお世話だ」と言ってくるだろうから。
ワタルは最後に清々しい顔で死んでいった。
入選しなかったのは悔しかっただろうけど、同時に自分よりも優れた画家がたくさんいたことを知って嬉しかったのだろう。なら僕も、そんなワタルの意思を尊重する。
ここにある絵は全て素晴らしいものだ。
なにせ、命を削ったワタルの絵を越えたものなのだから。
そう、思っていたのに――――。
「――え?」
思わず、呼吸を忘れた。
突き当たりに飾られた一枚の絵、それを見て僕たちは足を止める。
「カズキ君、あの絵って」
ユズが、信じられないものを見るような目でその絵を見つめていた。アイカに至っては言葉を出すことすらできず、ただ棒立ちになって震えている。
「なんで」
鼓動が早くなった。
頭の中が、真っ白に染まる。
「なんで……ワタルの絵が、飾られてるんだよ」
ワタルの作品は入選していなかったはずだ。僕とユズとアイカが、何度も確かめたから間違いない。
でも、目の前に展示されているのは紛れもなくワタルの絵だった。あの公園の生き物を表現していた油絵だった。
呼吸が荒れる。手足が震える。
吐き気を堪えながら、僕はワタルの絵に近づいた。
額縁の下に、絵の説明があった。
――特別展示品。
――落合ワタル『陽だまり』。
タイトルの下に、何故この絵が展示されているのか、その理由が細かく記されていた。今回のコンテストにマモンであるワタルが参加してくれたこと。そのワタルの遺作がこの絵画であること。そして、命を削ってまでこの絵を描いてくれたワタルに審査員たちが感銘を受け、特別に展示すると決めたこと。
「見て、これ。マモンが描いたらしいわよ」
「命をかけただけあって、綺麗な絵だな」
「可哀想に、マモンじゃなかったらまだ可能性があったのに」
「最後に描いた絵が展示されたんだ。きっと満足しているだろう」
見物客たちが、口々にワタルの絵を評価する。
僕は展示されているワタルの絵を見て涙を流した。
ワタルの前では必死に堪えていた涙が、頬を伝って床に落ちる。
それは決して、審査員たちに対する感謝の涙ではない。
「これで、この絵を描いた子も報われるわね」
そんな発言が聞こえた瞬間、僕は拳を強く握り締めた。
「ふざけるな」
震えた声が、口から零れた。
周りにいた人たちが振り返り、僕の顔を見て後退る。
涙で顔をぐしゃぐしゃにした僕は、叫んだ。
「ふざけるな! これを外せ!!」
見物客たちを押しのけ、僕は額縁を外そうとした。
すぐに近くにいた警備員たちが駆けつけてくる。
「そこの君、何をしている!! 絵に触れるな!!」
「いいからこの絵を外せ!!」
警備員が僕の肩を掴んだが、僕も額縁を掴み続けた。
この絵を外すまで、僕は絶対にここを離れない。
「ワタルは、正々堂々と勝負できたって言ってたんだ!」
泣きながら叫ぶ。
「満足したって、言ってたんだ!!」
ワタルが言っていたことを思い出す。
「なのに、お前らは、勝手にこれじゃあ駄目だと思い込んで……ワタルが幸せじゃないと決めつけて……ッ!!」
涙が止まらない。
「ふざけんなッ!! ワタルの誇りを汚すなッ!!」
いつだってそうだ。
僕らは同情されている。
こいつは幸せにはなれないんだと思われている。
何もかも余計なお世話だった。
お前たちがそうやって一方的な施しをする度に、僕らは惨めな気持ちになる。マモンは自力で幸せになることはできないのだと、上から押さえつけられているような気分になる。
お前たちは、何なんだ?
普通の人って、そんなに偉いのか?
生きている間は腫れ物のように扱って話そうとしないくせに、死んだら急に理解者を装い、気持ちを代弁したがる。
化け物だ。
僕たちマモンにとって、普通の人は――化け物だ。
「おい! その子供、マモンだ! 怪我させるな!」
「え!? ……あ」
警備員が僕の左手首を見て、距離を取った。
普通の人がマモンを怪我させたら批判される。弱い者虐めをしたとみなされる。
「くそ……くそォ……ッ!!」
誰も僕を止めなかった。
ただ、遠巻きに見ているだけだった。
孤独な空気が、僕の心に覚悟を刻んだ。
僕は――――普通の人と戦い続ける。
ワタルのために、マモンのために。この空気に抗い続けることが自分の宿命なんだと思った。
額縁は金属か何かで留められているのか、どうしても外れない。
ガリガリ、ガリガリ、と額縁を引っ掻く爪の音だけが聞こえた。
◆
美術館の騒動は、最終的に警察がやって来るほどのものとなった。
ワタルの絵を展示する許可を出したのは、ワタルの母だったらしい。勿論それは善意によるものだが、だからこそカズキの主張とは決して相容れないものだった。
口論は夜まで続いたのでひとまず一度解散となり、アイカは家に帰ってきた。
カズキの叫び声は今も耳にこびりついている。
カズキとは中学時代からの知り合いだが、彼があそこまで感情を露わにする姿を見たのは初めてだった。
「ただいま」
「あら、おかえりアイカ」
キッチンで夕食を作っていた母がこちらを見る。
スパイスの香りがした。今日は母特製のスパイスカレーのようだ。
「カズキ君は元気だった?」
「うん。元気、だったよ」
母には今日の予定を伝えてある。
カズキは元気ではあったと思う。あんなことさえなければ、きっと今日という一日は素敵なままだったに違いない。
アイカとしては、カズキの味方でありたいと思っていた。
でも時折、どうしても理解が追いつかないことがある。
ワタルの母が「マモンは寿命が短いんだから、せめて少しでも長く生きたいでしょ」と言った時、カズキはきっと心の中で否定していたが、アイカはワタルの母と同じ意見を持っていた。
ワタルの絵が特別に展示されていたのを知った時、カズキはそれをワタルに対する侮辱だと主張したが、アイカは審査員たちの優しさに普通に感動していた。
アイカはカズキの味方でありたいと思っていた。
だからこそ、カズキの前では心の内を吐き出せないことが多い。
私たちの配慮は、彼らにとっての善意とは限らない。
それは、受け入れるにはあまりにも酷な事実で――。
「最近、マモン関係のニュースが多いわね」
キッチンに立つ母が、テレビを見ながら呟いた。
「こんなこと言うのもなんだけど、あんたを健康な身体に生めてよかったわ」
母の呟きにどう反応したらいいか分からず、アイカは小さく「そうだね」と相槌を打った。
鞄の中にある銀色の腕輪が、カチャリと音を立てたような気がした。




