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マモンの楽園  作者: サケ/坂石遊作


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4


 その後、アイカを秘密基地に案内してから解散となった。


「じゃあ皆、電車通学なんだな」


 駅に向かいながらワタルが言う。

 僕とユズが電車通学なのは知っていたが、ワタルとアイカも同じだったらしい。


「ワタルさんはどこに住んでるんですか?」


「ここから一つ離れた駅。だから本当は俺も桜宮に通いたかったんだよな。あと敬語は抜きでいいぞ」


「あ、そうだった」


 マモンという共通点さえあれば、それ以外の上下関係は一切ない。それがこの集まりのルールだった。アイカには既に説明していたが、まだ慣れるまで時間がかかりそうだ。


 昔からアイカは内気で臆病な性格だったので、ワタルと打ち解けるにはもう少しかかるかもしれない。でも、きっと大丈夫だろう。マモンという共通点があるなら、すぐに仲良くなれるはずだ。僕と同じように。


「しかし、こんな近くに四人もマモンがいたんだな」


「ね、私も自分とカズキ君しか知らなかったよ。先生たちもどこまで知ってるんだろ」


 僕やユズが通っている桜宮高校には、三人のマモンがいたことになる。

 こうして考えると、学校の先生はなかなかの役者だ。僕たちの正体を知ってなお、それを今まで隠し通してきたのだから。


「そういえばお前らって映画館とか行ったことあるか? マモンが無料になるやつ」


「僕はこの間、行ったばかりだけど」


「あれって実際どんな感じだ? やっぱマモンの割引使うとじろじろ見られんのかな?」


「正直、見られるね。でも券売機でチケットを買うならだいぶマシになるよ」


 こういうマモン同士でしかできない会話は本当にありがたかった。悩んでいたのは自分だけではないと知ることができる。ワタルも、ユズも、アイカもそうだろう。心地よくて落ち着いた空気が流れていた。


「次の電車、いつだったっけな」


 駅の改札を抜けたところで、ワタルがスマートフォンを触り出した。この駅は準急列車までしか止まらないため、場合によっては十分近く待つこともある。


 その時、アイカがぎょっとした表情を浮かべて僕に近づいてきた。


「アイカ、どうしたの?」


「ワタル君のハンカチに、血がついているような気がして」


「血?」


 静かに耳打ちするアイカ。僕はワタルの方を見る。

 ワタルのポケットから、赤茶色の汚れがついたハンカチがはみ出していた。スマートフォンを出す際にはポケットからはみ出してしまったのだろう。


 アイカは怯えた面持ちをしている。ワタルは見た目が不良っぽいから、そこに血のついたハンカチを見て恐ろしいイメージを浮かべてしまったようだ。


 少し前までの僕なら同じようになっていたかもしれない。

 でも今は違う。今の僕は、ワタルを一人の仲間として受け入れて信頼していた。


「ワタル。そのハンカチ、汚れてない?」


「ん? あー、これか。一応言っとくけど血じゃねーからな」


 やっぱり血ではなかったようだ。

 では何の汚れなのだろう? そう疑問を抱く僕たちに、ワタルは難しい顔をした。


「説明するのは問題ねーんだけど。……皆、今からちょっと寄り道できねーか?」


 僕とユズとアイカは顔を見合わせ、それぞれ「大丈夫」と頷いた。

 乗る予定だった電車を見送り、ワタルの案内に従う。普通列車で一駅進んだら電車を降り、駅を出てからしばらく歩いた。

 やがてワタルは、ある建物に入る。


「絵画教室?」


 入り口の看板を見て、ユズが首を傾げた。

 多分、個人が経営している教室なのだろう。二階に上がると広い部屋があり、そこには何枚ものキャンバスが立てかけられていた。


「この絵、どう思う?」


 ワタルが一枚のキャンバスを手に取り、僕らに見せた。

 不思議な絵だった。森の中の風景であることは分かるが、木漏れ日が液体のように表現されており、それが川や動物、落ち葉と混ざり合ってスープのように描かれている。キャンバスの底には「自然の恵み」と記された紙が貼られていた。


「わ~、綺麗な絵だね」


 ユズの感想に、僕とアイカも頷いて同意を示した。

 繊細で、優しい筆遣いで描かれた絵だった。詳しくはないが、油絵というやつだろう。


「これ、俺が描いたんだ」


 え、と三人の声が重なった。


「なんだよ、信じられねーってか? こんなナリでも俺は画家志望なんだ」


 画家志望(・・)――。

 それは、マモンにはあまりにも似合わない発言だった。


「ハンカチについてたのは絵の具だよ。悪いな、怖がらせちまって」


 ワタルが笑う。しかしもうハンカチのことはどうでもよかった。

 ワタルは将来画家になりたいのだろう。でもマモンにはその将来(・・)が存在しない。ワタルは今、高校三年生で、もういつ死ぬか分からない状態なのだ。


 今、画家じゃないなら……もう無理だ。

 絶対に間に合わない。なのに、ワタルは堂々と画家志望だと告げた。


「凄いね」


 ユズが言った。


「凄いよ。そうやって、何かを成し遂げようする人……尊敬する」


 ユズの純粋な賞賛を聞いて、僕の胸中に渦巻いていた複雑な気持ちは霧散した。

 僕は今、勝手にワタルのことを気遣っていなかったか? ――なんて傲慢な考えを持ってしまったんだろう。僕は今、普通の人がマモンに対して抱いている感情と同じものを持ってしまったのだ。


 激しく自己嫌悪して、改めてワタルのことを考えた。

 後に残ったのはユズと同じ、純粋に賞賛したいという気持ちだけだった。


「アイカも、確か、頑張ってることがあるよね」


 隣に立つアイカを見て言う。

 話を振られると思っていなかったアイカは驚いていたが、僕が何を言っているのか察してか遠慮気味に頷いた。


「えっと、実は吹奏楽をやってて」


「えっ!? 凄いじゃん!」


「いや、でも、今はそんなに本格的じゃないの。昔、中学校の部活で何度か入賞したことがあるくらいで」


「いやいや! 充分凄いって!」


 賞賛するユズに対し、アイカはほんの少し気まずそうな顔をした。

 そういえば最近アイカが吹奏楽で結果を出しているという話はあまり聞いていない。昔の話を軽率にしてしまったか、と僕は内心で反省した。


「私なんか何もできてないよ。どうせ、芽が出る前に死んじゃうんだろうなって思ってたから」


 ユズが視線を下げて言う。僕も全く同じだった。

 だからこそ、二人のことは心の底から尊敬する。


「芽が出てほしいって気持ちもあるが、案外努力すること自体が楽しかったりするんだよな。アイカもそう思うだろ?」


 ワタルに見られ、アイカは怖ず怖ずと頷いた。

 努力すること自体が楽しい。その発想はなかった。芽が出るかどうかなんて彼らにはあまり関係のない話だったのかもしれない。


「まあそうは言いつつも、流石にそろそろ結果を残したくてな」


 ワタルは微かに唇を噛んでから、再び口を開く。

 一瞬、話すべきかどうか逡巡したようだ。


「来月締め切りのコンテストがあるんだ。俺はそこで入選を目指してる。……入選したらでっけー会場で作品を展示してくれるんだよ。俺はそこで、自分の名前を残すことが夢なんだ」


 ワタルは真剣な眼差しを、自身の絵画に注ぎながら言った。


「俺が死んでも、俺が描いた絵は残るからな。……俺は、自分が生きていた証がほしいんだ」


 ワタルの声には、劫火の如き強い熱が込められていた。触れるだけで焼けてしまいそうな強靱な意志が、僕の全身に叩き付けられた。


 マモンが、こんなにも強い意志を持つことなんてあるのか。

 未来や希望。そういったものとは無縁なはずのマモンが、こんなにも瞳を輝かせることなんて有り得るのか。


 僕は強く唇を噛んだ。

 そうしないと、涙が出てきそうだった。


 ◆


 絵画教室に残るワタルと別れた僕たちは、駅までほとんど無言で歩いていた。

 ワタルが吐き出した決意は衝撃的で、僕らの価値観を揺るがすほどのものだった。


 僕も、何か目指すべきだろうか?

 いや……今更、難しいか。


 そうやって諦めること自体がよくないのかもしれない。そもそも、こんなふうに悩んでいる時点できっと間違いだ。僕らには時間がない。悩む時間すら本来ない。


「子供を生むとかじゃ、駄目だったのかな」


 歩きながらアイカが呟いた。

 目の前を車が横切り、エンジンの音が響いた。


「自分が生きていた証を残したいなら、子供でもいいのかなって」


「マモンが子供を残せるわけないよ」


 アイカの方は見ずに言う。


「生むこと自体は可能でも、僕らはすぐに死ぬんだ。責任が取れないと分かっているのに、子供は作れないよ」


 アイカは少し困った様子で「だよね」と苦笑した。

 アイカも分かっているはずなのに、どうしてそんな質問をしたんだろうと思ったが、きっと言わずにはいられなかったのだろう。ワタルの決意がマモンとは思えないほど強靱だったから。


 十八歳で死ぬ僕らに子供を育てることはできない。成長を見届けることもできないし、いざという時に身を挺して守ることもできない。


 早く死ぬ。ただそれだけで、幾つもの無力が重なっている。

 僕はマモンだからという理由だけで見下されるのは嫌いだ。でも、やっぱり僕らは弱者なんだろうなと思った。



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